その距離は、恋に遠くて

碧月あめり

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Six

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「那央くんて、いつも電車通勤?」

 学校からの帰り道。最寄り駅に向かって歩く途中に訊ねると、那央くんが足元を見つめて苦笑いした。

「基本的には車。だけど、今日は朝から雨が降ってたから電車にした」

 今はもうやんでいるが、今日は朝から放課後まで雨が降ったり止んだりを繰り返していた。コンクリートの地面が、まだ乾ききらずに濡れている。

「雨が強い日の運転は、全然ダメなんだ。だから、天気予報はこまめにチェックしてて。確実に雨が降りそうな日は、電車と徒歩にしてる。帰りに急に降ってきた日は、雨が止むのを待つか、車を置いて帰るか」
「そうなんだ。そんなに雨の日の運転が苦手なのに、どうしてあの日は車で出かけてたの?」

 天気予報をちゃんとチェックしているなら、駅のロータリーで出会った日曜日も、夕立が降る可能性を予測できていたはずだ。

「家を出たときは小雨だったから、何とかなるかなと思って。それに、雨の日の運転が苦手だってあいつには話してないんだ。そのことがバレたら、おれがまだ前の彼女のことを引きずってるって誤解されるから」
「あいつって、今の彼女?」
「そう。うちに来たときに、岩瀬も二枚の写真を重ねた写真立てに気付いただろ。あの日、あいつにもそのことを気付かれてケンカになった。とりあえず落ち着かせて、気晴らしに出かけようってなったんだけど、車の中でまた言い合いになって……。でも、あのまま遠出でしてたら、途中で震えて運転できなくなってた可能性が高いし。結局バレただろうから、あいつが怒って帰ってくれてちょうどよかったのかも」

 濡れた地面を見つめて自嘲気味に笑う那央くんの目は、虚ろで淋しそうだった。

「あのあと、仲直りできた?」
「どうだろ。一応、連絡は取ってるけど、あのあとまだ一度も会ってない。っていうか、こんなこと岩瀬に話すことじゃないな」

 顔をあげた那央くんが、パッと笑う。この一瞬でどうやって気持ちを切り替えたのか、わたしに笑いかけてくる那央くんの表情には一切の翳りがなかった。

 作り笑いでもないし、不自然に引き攣っているわけでもない。一瞬曖昧になりかけた公私をしっかりと分けて、《先生の顔》で接してくる那央くんに対して、複雑な感情が込み上げてくる。

雨の日のトラウマのことを正直に言えないような彼女と付き合っていて、那央くんはこの先潰れてしまわないだろうか。

 駅のロータリーで、遠い目をして雨を打つフロントガラスを見つめていた、真っ白な那央くんの横顔を思い出す。またあのときみたいに、ひとりきりでどうにも動けなくなったら……。那央くんは、どうなってしまうんだろう。

「この前は岩瀬がいたから気が紛れて助かった。だけどできれば、あのことは忘れて」

 綺麗な笑顔で、わたしのことをあっさりと切り捨ててしまおうとする那央くんの言葉にモヤモヤする。

 胸が痛くて苦しくて、うまく説明できないけど。偶然とはいえ、秘密を知ってしまったわたしに対して、那央くんが壁を作ってしまっていることが哀しい。哀しくて、少し腹が立つ。

「忘れられるわけないよ」

 スカートに触れた手を、力任せにぎゅっと握りしめて立ち止まる。振り向いた那央くんのを見つめて、唇をかみしめると、彼が僅かに首を横に傾けた。

「彼女にも話せないような秘密を抱えて生きていくのなんて、苦しいじゃん。本当に今の彼女とずっと一緒にいたいと思ってるなら、怒られても殴られても、雨の日が苦手なことを話しなよ。もし彼女と結婚することが決まったらどうするの? それでも、隠しとおすの? そんなの無理じゃん。考えなくてもわかるよ。彼女だって、本当に那央くんのことを大切に想ってるなら、そばにいて助けてくれるんじゃないの?」

 那央くんは、感情的に言葉をぶつけたわたしのことを数秒驚いた顔で見つめ、それからふっと脱力するように笑った。少し疲れの色が滲む笑顔が、わたしの心をざわつかせる。

 もしかしたら那央くんは、今の彼女との関係をハナから諦めているのかもしれない。

「那央くん……」

 思いきって一歩前へと踏み出すと、那央くんのシャツの袖を摘まんで引っ張る。

「雨が降ったときは、わたしのこといつでも呼んでいいよ。今日はお礼のコーヒー忘れちゃったから。その代わりに、那央くんが動けなくなったときはわたしがすぐに駆けつけてあげる」

 何度もわたしを助けてくれた那央くんのこと、今度はわたしが助けてあげたい。

 熱っぽいわたしの眼差しから僅かに視線を外した那央くんが、首の後ろを撫でながら眉を下げる。

 直接的に「好きだ」と伝えたわけじゃない。その言葉を伝えるつもりもない。だけどきっと那央くんは、わたしの言葉の裏に潜む、燻り始めた劣情に気が付いただろう。

「ありがとう。その言葉だけで充分」

 優しく笑った那央くんは、わたしの頭に手を置いて、彼とわたしのあいだにしっかりと境界線を引く。

 わかっていたはずなのに、公正だと思っていた那央くんの手のひらの温かさが、今は苦しくて切なかった。

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