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榊 柚乃・3
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しおりを挟む踵を踏みつぶされた蒼生くんの上履きを見つめてうつむき気味に歩いていると、教室を出たところで「時瀬」と誰かが呼び止めてきた。
同世代の男子の声じゃない。おとなの男の人の低い声だ。
「うわ、山崎……」
蒼生くんの嫌そうな声で顔をあげると、彼の前に白Tシャツにジャージ姿の肩幅の広い大きな男の人が立っていた。
わたしは担当してもらったことがないからあまり知らないけれど、体育科の山崎先生らしい。生徒たちから怖いと噂されているだけあって、蒼生くんの前に立ちはだかる山崎先生には威圧感があった。
山崎先生の迫力に圧されるように、蒼生くんが一歩後ろに下がってくる。
ぶつかりそうになった蒼生くんの背中をそっと押し返すと、同じタイミングで山崎先生が彼の肩にバシッと強めに手を置いた。
「時瀬、ちょうど今、お前に用があってきたところなんだ。話があるから、ちょっと来い」
「え、なんすか?」
「身に覚えがあるだろ」
「ありませんけど」
「ちょっと待て、時瀬」
肩で避けて進もうとする蒼生くんを、先生が引き止める。
「だから、何なんすか? おれ、今から帰るところなんで」
蒼生くんが少し反抗的な言い方をすると、山崎先生の眉がピクリと引き攣った。
「そうやって、また都合の悪いことから逃げるつもりだろ」
「逃げるんじゃなくて帰るんですけど。ていうか、またってどういう意味ですか?」
蒼生くんが、気怠そうにため息を吐く。その態度が山崎先生を逆撫でしたのか、眉根を寄せた先生の苛立ちがわたしにまで伝わってきた。
山崎先生の表情はわからないけど、あんまり余計なことを言わないほうがいいような気がする。
「蒼生くん……」
控えめに呼びかけたら、山崎先生が一瞬わたしのほうを見た。
高い位置から見下ろしてくるふたつの目には鋭い光が宿っていて、思わずビクッと震えてしまう。慌てて下を向くと、山崎先生の視線はわたしから蒼生くんへと戻っていった。
「時瀬、今日の昼休みにサッカーしてたよな」
「してましたけど……」
山崎先生に問われた蒼生くんが、そっぽ向いて面倒臭そうに答える。蒼生くんの背中に隠れるようにして話を聞きながら、わたしは嫌な予感に胸が騒いだ。
昼休みの蒼生くんの行動を確認する山崎先生の聞き方に、何か意図があるような気がする。そっと視線をあげると、案の定、山崎先生の口元が歪んだ。
「そのとき、中庭側の廊下の窓に思いきりボールを当てただろ。窓にひびが入ったのに気付いて、その場にいた全員で逃げたよな」
「は? それ、おれらじゃありませんけど」
山崎先生の話に、ほんとうに身に覚えがないのだろう。蒼生くんが心底不快そうな声で、即座に否定する。
だけど山崎先生は、それでは納得してくれなかった。まるで蒼生くんを犯人だと決めつけているみたいに、次々と彼のことを疑うような質問を投げかけてくる。
「本当に時瀬じゃないのか? 逃げて行った生徒のなかに、時瀬がいたという証言を聞いたんだが」
「違います。今日の昼休みはずっと校庭でサッカーしてたから、中庭には行ってません。ていうか、誰がおれを見たって言ってるんですか?」
「二年の女子生徒と菊池先生だ。廊下を歩いているときに、中庭を走っていく時瀬を見たらしい」
「また菊池かよ。それ、絶対にあいつの見間違いだろ。あいつ、おれのこと嫌ってるし」
目撃者が国語科の菊池先生だと聞いて、蒼生くんの敬語が崩れて口調も荒くなる。
蒼生くんは、前回のテストのときに菊池先生からカンニングの濡れ衣を着せられていて。それ以来、菊池先生のことをよく思っていないのだ。
曰く、蒼生くんみたいに悪目立ちするタイプの生徒は菊池先生のようなルールや規律を押し付けてくる真面目なタイプとは相性が悪いらしい。
「先生のことを呼び捨てにしたり、あいつなんて言うな。窓ガラスのことだって、時瀬の普段からの態度が招いた結果だろ」
「それ、どういう意味だよ。いつも勝手に人のこと見た目で決め付けんのはそっちだろ。何度も言うけど、窓にボールをぶつけたのはおれじゃありません!」
「だけどな、目撃者の女子生徒も菊池先生も、時瀬だったと思うって言ってるんだぞ」
「思う、って……。そんな曖昧な証言でおれのこと疑うんすか?」
「曖昧だとはいえ、ふたり以上の人間が時瀬だったと思うって言ってるんだ。まず、お前に話を聞きにくるだろ。だいたいな、時瀬。お前、体育のときも、外せって言ってるのに腕にチャラチャラしたもの嵌めて全然外そうとしなかったよな。疑われて怒る前に、まず日頃の行いを改めろ」
「それと窓のことは関係ないですよね? ていうか、窓にひび入れたのはマジでおれじゃないんで」
「時瀬だとしてもそうじゃなかったとしても、言い訳は生徒指導室で聞かせてもらう。ついてこい」
山崎先生が有無を言わせない声でそう言って、生徒指導室へと促すように蒼生くんの背を押した。
「……、わかったよ」
これ以上抵抗しても仕方がないと思ったのか、蒼生くんがため息を吐く。それからわたしを振り向くと「ごめん」と小さな声で申し訳なさそうに謝ってきた。
「やっぱり、先帰ってて。たぶん、時間かかる……」
うんざりした声でつぶやく蒼生くんに、わたしは首を横に振る。
「蒼生くんが戻ってくるまで待ってる。時間なんてかかんないよ。だって、蒼生くんは何もしてないでしょう」
「…………」
わたしの言葉に、蒼生くんが動きを止めて黙り込む。
「蒼生くん……?」
「ありがと、信じてくれて。すぐに話しつけてくるから、待ってて」
「うん」
頷いて笑いかけると、蒼生くんはうつむくようにわたしから顔をそらして、山崎先生のあとを追いかけた。
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