君だけのアオイロ

碧月あめり

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榊 柚乃・3

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 踵の潰れた上履きで床を鳴らして歩いていく蒼生くんの背中が少しずつ遠くなり、廊下の角を曲がって見えなくなる。

 蒼生くんはすぐに話をつけてくると言っていたけど、ほんとうは少しだけ心配だ。

 わたしは「やっていない」という蒼生くんの主張を信じるけど、山崎先生は蒼生くんのことをハナから疑ってるみたいだったから。

 まだ付き合い始める前、蒼生くんは自分が髪の色とか目付きの悪さとか、見た目で悪い評価をされがちだと言っていた。

 蒼生くんはそのことを何でもないことのように話していたけれど、見た目の印象で他人から勝手な評価をされ続けて、何も感じないはずがない。何でもないフリをして話せるようになるまでに、たくさん傷付いて悲しい思いをしていたはずだ。

 わたしにその話をしてくれた蒼生くんは、どんな表情を浮かべていたのだろう。もし笑っていたのだとしたら、とても切なくて悲しい。

 蒼生くんのことを考えながら、左手首につけたターコイズブルーのブレスレットにそっと触れる。

 下を向いていると、「柚乃」と横から誰かに呼びかけられた。

 声のしたほうを振り向くと、小柄な女子生徒がそばに立っている。彼女の耳元で金色の星のピアスが光って揺れていて、すぐに陽菜だとわかった。

 昼休みに険悪な雰囲気になったあと、無言でわたしから離れて行ったのは陽菜のほうだった。 

 しばらく口も利いてもらえないと思っていたから、陽菜から話しかけてきたことに驚いてしまう。同時に、少しほっとする気持ちもあった。 

 陽菜に蒼生くんへの気持ちを否定されたことは納得できないけど、中学からの親友とこのまま気まずくなってしまうのは嫌だから。

「陽菜、あの……」

「さっき時瀬くんが山崎先生と揉めてたみたいだけど。何かあったの?」

 仲直りの道筋を開こうとしていたわたしに、陽菜が質問をかぶせてくる。

「時瀬くん、また何かしたの?」

 続けて、温度の低い陽菜の声が耳に届いてドキッとした。

 仲直りするために話しかけてきてくれたのかと思ったけれど、わたしの思い違いだったのかもしれない。陽菜の訊き方には蒼生くんへの嫌悪と敵意が滲んでいた。

「蒼生くんは何もしてないよ」

「何もしてないのに、どうして山崎先生に注意を受けてたの? 時瀬くん、生徒指導室に呼び出されてるんでしょ」

「そうだけど。全部、誤解なんだよ。昼休みに中庭でサッカーしてた生徒たちの誰かが、窓にボールを当てて、ひびを入れたのに、黙って逃げたんだって。それを目撃していた人が、逃げた生徒のひとりを蒼生くんと見間違えたみたい」

「やっぱり、時瀬くんなんて、ただの不良じゃん」

 陽菜がそう言って、ふっと息を吐くように笑う。陽菜の笑い方は、きちんと話も聞かずに蒼生くんのことを疑った山崎先生と同じだった。

 わたしの知っている陽菜は、見た目の印象だけで人のことを悪く言ったり非難するような子じゃない。それなのに、蒼生くんに関しては拒絶的な陽菜の態度が、わたしには理解できなくて悲しい。

 どうして陽菜は、ここまで蒼生くんのことを嫌っているんだろう。


「蒼生くんは見間違えられただけで、やってないし、逃げてもないんだよ」

「どうして時瀬くんがやってないってわかるの? 時瀬くんなら、窓割って黙って逃げるくらいやりそうじゃん。ほんとうは自分が犯人でも、やってないって平気で嘘つけちゃいそう」 

 何を言っても皮肉って反論してくる陽菜に、さすがのわたしもムカついた。

 陽菜と仲直りしたかったし、気まずくもなりたくなかったのに。蒼生くんのことを悪く言う陽菜のことが心底嫌になってくる。

「陽菜はどうして蒼生くんのことを否定ばっかりするの? 何も知らないくせに、蒼生くんのことを勝手に決めつけるような言い方してほしくない」

 きつい口調でそう言うと、陽菜がぎゅっと眉間を寄せる。この状態では、陽菜との仲直りなんて絶対に無理だ。

 陽菜の次の言葉に備えて身構えていると、彼女の後ろから蒼生くんとよく似た色の茶髪の男子生徒が近付いてきた。

 背格好が似ていたから、一瞬、蒼生くんかと思ってドキッとする。けれどその人は、踵を踏まずにきちんと上履きを履いていた。

「江藤さん、そろそろ帰ろうよ」

 陽菜の肩に手をのせて呼びかける男子生徒の声は、蒼生くんより少し高めな気がする。誰だろう。

 いつもわたしとばっかり一緒にいる陽菜が他の人に——、それも男の子から話しかけられるのは珍しい。

 陽菜が男子から告白の呼び出しを受けているところは何度か見たことがあるけど、今声をかけてきている男子の目的はそういうのとは違う気がする。

 いずれにしても、突然あいだに割って入ってきた男子のおかげで、わたしの陽菜に対する戦意が失せた。

 陽菜も同じだったのか、勢いを失くしてわたしから顔をそらす。陽菜の耳元で、金色の星のピアスがなんだか気まずげに揺れていた。

「話を遮って悪いけど、そろそろ終わりにしてもらっていい? 俺、江藤さんと約束してるから」

 陽菜のピアスを無言で見つめていると、名前のわからない男子がわたしに話しかけてくる。

 陽菜が男の子と一緒に帰る約束をするなんて……。それも、また珍しい。

 この人と陽菜は、仲が良いんだろうか。

 彼氏ができたっていう話は聞かされていないから、友達か。それとも、陽菜の好きなひと——? 

 考えてみたけれど、どれもいまいちピンとこない。

 毎日、毎休み時間、陽菜はわたしの教室に来ていたのに、放課後一緒に帰る約束をするような人がいたなんて知らなかった。

 状況を飲み込めないままに頷くと、名前不明の彼の唇が楕円形の輪郭のなかにゆっくりと弧を描く。

「ごめんね、榊さん」 

 そう言って、彼がわたしから引き離すように陽菜の背を押した。

 彼に誘導されるように歩き出した陽菜が、十歩ほど進んでからわたしを振り返る。

 ぼんやりとした輪郭のなかで、真っ黒な陽菜の双眸がやけにはっきりと見える。物言いたげなふたつの瞳を見つめ返して首を傾げると、陽菜が、わたしからパッと顔をそらした。

 隣に立つ背の高い男子と一緒に歩いて行く陽菜の耳元で、金色の星のピアスがキラリと光る。

 わたしに何も言わずに離れていく陽菜と彼女にくっついて歩く名前不明の男子の後ろ姿は、一見仲が良さそうなのに、うまく言葉にはできない不自然さがあった。

 陽菜とあの人、ほんとうに仲良いのかな……。

 ふと浮かんだ疑問は、ふたりの後ろ姿が廊下の角を曲がって見えなくなると、少しずつぼやけて消えてしまった。

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