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榊 柚乃・3
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しおりを挟む「悪いけど、これはもう外すな」
わたしの目の前で、蒼生くんが青のコードブレスレットを外して、規定服のズボンのポケットに雑に突っ込む。それから、わたしの左手首を指差してきた。
「それも、返して」
「え?」
冷たく響く蒼生くんの声に、ピクリと肩が震えた。
これも、返さなきゃいけないの──?
告白されたときに、蒼生くんがつけてくれたターコイズブルーのブレスレット。それをもらったときの恥ずかしくて嬉しい気持ちを思い出して、わたしは左手首を庇うように右手で覆った。
蒼生くんの言葉が信じられなかった。信じたくなかった。
陽菜に言われたことが、こんなにもすぐに現実になるなんて思わなかった。だけど……。
「蒼生くん、それ、本気で言ってる?」
「本気で言ってる。もう、付き合えないから」
泣きそうな声で訊ねたわたしに、蒼生くんは冷たくそう返してきた。
「それ、もらっていい?」
続けざまにそう言って、蒼生くんがわたしの目の前にパッと手を差し出してくる。
一時間前までは、たしかにこの手に触れていたはずなのに。短時間で遠く離れてしまった彼との距離に、絶望的な気持ちになる。
蒼生くんのわたしに対する気持ちが冷めたのなら、仕方ない。だけど、ブレスレットは渡したくない。返したくない……。
ブレスレットの上に右手を重ねて渋っていると「まだ?」と、面倒臭そうな声がする。その言い方は、優しかった蒼生くんとは思えないほど冷たくて。わたしの胸をチクリと刺した。
蒼生くんは、本気なんだ。本気で、わたしとはもう付き合えないと言っている。
蒼生くんは、一刻も早くわたしとの関係を断ち切って、ブレスレットがなくても自分をわかってくれる別の子のところに行きたいのだ。
ぎゅっと唇を噛むと、左手首に付けたターコイズブルーのブレスレットに右手の指をかける。外したくはないけど、外さないわけにはいかない。
泣きたくなるのを堪えてブレスレットを外すと、のろのろとした動きでそれを蒼生くんに差し出す。
一歩距離を詰めてきた蒼生くんから、柔軟剤だろうか、少し強めの石鹸の香りが漂ってきた。
ドキッとして顔をあげると、蒼生くんがわたしの手からブレスレットを攫っていく。そのときに軽く触れた手の感触に、またドキッとした。
胸が小さく震えたのは、ときめいたからじゃない。近付いてきた蒼生くんの香りにも、指先に触れた少し湿った彼の手の感覚にも、わたしにはまるで馴染みがなかったからだ。
わたしから後退りながら、蒼生くんがターコイズブルーのブレスレットをズボンのポケットに押し込む。
「ごめんね、榊さん」
ドキッとした。耳に届いた蒼生くんの声や言葉に、あきらかな違和感を感じたから。
左手首に着けていた青のブレスレット。明るい茶色の髪。わたしよりプラス20センチほど高い身長。いつも踵を潰して履いている上履き。
そのどれもが蒼生くんの特徴を捉えているのに、何かが違う。そう思った。
「あなた、誰?」
心臓をドキドキと鳴らしながら恐る恐る訊ねると、ずっと蒼生くんだと思って話していた男子がふっと鼻先で笑った。
「誰って、時瀬だよ」
何を当たり前のことを訊いてくるんだ、という。そんな感じの言い方だった。その声が蒼生くんのような、違うような。微妙なトーンで耳に届いて混乱する。
やっぱり、今わたしの前にいるのは蒼生くんなの……?
ところどころに違和感があるのに、はっきりと判別がつけられない。
「じゃあな」
「あ、蒼生くん……!」
素っ気なく背を向ける蒼生くんを呼び止めたけれど、彼はわたしを置いて走って行く。
廊下の角を曲がっていく彼の後ろ姿は、背格好も走り方も蒼生くんと似ていた。
廊下に取り残されたわたしは、ひとりきりで途方に暮れてしまう。
わたし、蒼生くんにフラれた……、んだよね?
蒼生くんと付き合ってからずっと身に付けていたターコイズブルーのブレスレット。それがなくなった左手首が、なんだかスースーして心許なかった。
好きな人にフラれるのって、付き合っていた人と別れる瞬間って、こんなにもあっけないんだ。
蒼生くんと一緒に過ごした一ヶ月間が、急に夢みたいに思えてきて。空虚感に苛まれる。
陽菜には大丈夫だと見栄を切ったくせに、結局すべて、あの子の言うとおりだった。
ブレスレットでしか蒼生くんのことを判別できないわたしは、彼に切り捨てられてしまった。
最後の別れの瞬間ですら、目の前にいるのが蒼生くんかどうか判別のつかなかったわたしは、蒼生くんの何を知ってて、何を見ていたのだろう。
『柚乃は、時瀬くんのどこが好きなの?』
陽菜の言葉が脳内でリフレインして、わたしの胸をチクチクと容赦なく突き刺してくる。
わたしは、蒼生くんの何が好きだったのだろう。
考えようとすればするほどよくわからなくて。だけど、蒼生くんのことを考えると胸が苦しくて、涙が出た。
ぽたぽたと床に涙を零しながら、勝手に溢れてくる涙の意味に気付いてせつなくなる。
泣いたって、どうにもならないけど。蒼生くんは戻ってこないけど。
どこがとか、何がとかじゃない。
ブレスレットがないときちんと判別できなくても、わたしは蒼生くんのことが好きだった。
わたしの名前を呼んでくれる優しい声とか、躊躇いなく繋いでくれる大きな手とか、笑っているのかなって感じたときの彼の纏う空気とか。そういう、ぼんやりとしてて、うまく判別できない蒼生くんの全部が好きだった。
好きだったし、今も好きだ。
手の甲をぐっと瞼に押し付ける。世界から隔絶されたみたいに静まり返った放課後の廊下で、わたしは声を押し殺して泣いた。
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