上 下
19 / 77
一章 僕は彼女を忘れない

19 脳の中の真実 ※R

しおりを挟む
 ベッドの上で女を揺らす。振動に合わせて女の喉から呻きがこぼれる。

「あ、うっ、くぅ、す、すき……」

 僕の背中に、女の指が食い込んでくる。
 実験室で俯いている篠崎あいらとはまったく別の女。
 この宇宙で、僕しか聞いたことがない声。

 ちゃんと感じているんだよな?
 小さな疑惑から焦燥に駆られ、一層僕は、激しく腰を打ち付ける。

「や、だ、ダメ、そんな……あ、あああああ!」

 背中に食い込んでいた指は力を失った。
 口をだらしなく開いたあいらは、僕のなすがまま。

 今、イッたんだよな?
 染みのようにぬぐえない疑問を、言葉ではなく身体で問いかける。

 昨日、僕は大学近くの居酒屋で、堀口宗太に付き合わされた。
 あの男のせいだ。先ほどから疑いが晴れないのは。


「マサハルく~ん、俺ってすごーく、かわいそーだよね~」

 宗太は生ビールとレモンサワーで、グダグダに潰れている。
 僕は彼と違ってニ十歳になっていないから、ウーロン茶で喉を湿らす。

「自業自得だ。浮気したお前が悪い」

「浮気じゃねーよ。どっちもただのオトモダチだよ」

 一人のトモダチはインカレサークルの知り合い、もう一人は、学内で知り合った他大学の女子だとか。
 彼は、どちらかの彼女とラブホから出たところを目撃され、修羅場の果てに二人のトモダチから捨てられた。まったく同情の余地はない。

「あ、もうカラだ。次は焼酎割りだな。マサハルは?」

「ソータ、酔いすぎだ。次はノンアルコールにしたほうがいい」

「酔わなきゃやってられねーよ。俺、二人にちゃんと『トモダチ』って予防線張った。なのに、いきなりグーで殴られた。グーだぞ! その後さぁ、あいつ」

 そこから先は、三回聞いた。

「『お前みたいなヘタクソ、いらねーよ!』って、ひどくね?」

 どちらかのトモダチが指さして叫ぶと、もう一人が「やっぱりアレ、下手だったんだ」と納得し、二人の女は意気投合したそうだ。

「『嘘つけ! 感じまくってたじゃねーか!』って反撃したら『演技に決まってんだろ!』って……ひでーよ」

 宗太のエンドレスな愚痴の中でも、なかなか強烈なエピソードだ。

 本当は下手なのに、相手が演技をしていたら?

 疑問は回りだし、どこまでも坂道を転がり止まらない。

 宗太は、その後も「やっぱはじめての子、忘れられねー」「ヨリ戻すぞ~」などとうそぶいている。
 が、僕の脳は、膨れ上がった疑問の処理に追われていた。


 あいらの小説創作の手伝いは、今回、上手くいった……と思うが、どうだろうか? 彼女も、宗太の元トモダチのように、演技しているのだろうか?
 僕の腕に頭を預ける彼女は、目をトロンとさせている……これも芝居なのか?
 彼女の短い髪に、僕は指を這わせた。何度も何度も。

「ふふ、なでなでされるの嬉しい」

「あ……いや、こうしたら、あいらの脳波がわかるかなって」

「やだ! 脳波って何言ってるの?」

 彼女がガバっと身を起こして頭を覆う。

「ふーん、あいらの脳は、秘密なんだ」

「だ、誰だって頭の中は秘密だよ」

 ベッドから出ようとした彼女を僕は引き留め捉まえる。
 左腕であいらの腰を抱え、右手で頭に触れた。

「なーんて、さすがに今は、そこまでは無理だな、でも」

「今は? じゃあ、将来は頭に触れただけで中身がわかっちゃうの?」

 彼女のこめかみから頭頂部にかけて、指を往復させる。
 葛城研究室での実験を思い出した。


 マンションの二階に住む葛城さんが情報工学科の准教授と知り、僕は研究室にお邪魔するようになった。
 先生の研究、BMI=ブレイン・マシン・インタフェースには、前から興味があった。
 ただの一年生に過ぎない僕は、被験者として実験に参加している。
 脳波を読み取るヘッドギアを着けて炎のイメージを思い浮かべると、画面に炎らしい図形が表示される。
 最近、イメージに土と水が加わった。
 脳内イメージが画面に表示されるのは面白い。
 気に入らないのは、先生が僕に魔法使いのコスプレをさせることだ。

「なぜ、実験にこんな恰好必要なんです?」

「魔法って子供が喜びそうじゃん? 子供に心を開かせるには、形って大事だよねー」

「子供の心、ですか?」

 葛城先生が大きくうなづいた。今一つも二つも三つも意図がつかめない。

「失礼ですが、僕は成人です」

「三好君のことじゃないさ。人間ってさあ、いろんな表現手段持ってるじゃない? 歌に絵に言葉。心を伝える技、いーっぱいあるんだよね」

 話が大きくなってきた。コスプレには深い意味があるようだ。

「でもさ、みんな嘘つくんだよ。沢山の技を使って自分を飾り立てるのさ。あたしも大人だからね、嘘いーっぱいつくさ。でもね」

 先生は、僕が参加している実験用のコンピュータをすっと撫でた。

「ホントのこと知りたいじゃん。言葉以前の本当の心、嘘を知る前の人間ってやつをね」

 ふと先生が腕を伸ばし、てのひらを広げた。

「指先に脳波を集められたらいいよね~。そしたら、もっとみんなのこと、わかるのに」

 指先に脳波を集める? 思わず僕は一歩退いた。全てを先生に悟られそうで。いや、何を悟られたら困るんだ? 何も僕は困らない。

「あははは。僕は何も後ろ暗いこと、してませんって」

「君は大丈夫だよ、でもね」

 指をびしっと突き出された。先生の癖だ。

「おかーさんに心配かけんなよ。夏休みぐらいは実家に帰るんだよ」

「え! 母が何か言ってきました?」

 が、二階の住民は首を振った。

「お母さんには余計なこと言ってないよ。だから、君にも余計なこと言わない。でもね」

 葛城先生は、伸ばした指を引っ込めて腕を組んだ。

「もう一度言う。親にはぜーったい心配かけんなよ!」


 葛城先生の言葉からすると、母は先生に僕の様子を探りに入れたのだろう。
 大学に入って実家に帰ったのは一度だけ。
 父は相変わらず、ほとんど家に帰らない。母一人であの家は、確かに心細いだろう。
 ピアノの練習ついでに帰ろうか。
 あいらの頭を撫でていた手を離し、五本の指を見つめる。

 実家に帰る?

 僕の腕の中で小さく丸まっている柔らかな生き物。
 毎週、土曜の午後は彼女と過ごす。いつの間にか根付いた習慣。

「あいら、泊まるか?」

 五本の指を、彼女の短い髪に滑らせる。

「私、土日は、食事当番だし……」

 彼女の答えは決まっている。

「金曜の夜は? 実験ないから早く帰れるだろ?」

「家庭教師のバイトがあるの」

「大丈夫? ちゃんと教えられる?」

 実験レポートと格闘する彼女の様子からして、不安になる。

「ひどいなあ。いくら私でも小学生の算数はわかるよ」

 ポテッとした唇を尖らせているが、目は笑っている。うん、本当に怒っているわけではない……そうなのか?

 葛城先生が言ってたな。
 ――指先に脳波を集められれば、もっとわかる――あいらの本当の気持ちがわかるのだろうか?
 彼女の背中から腕を回し、胸の先を軽く摘まんだ。

「や、だ、駄目、私……帰らないと……」

 彼女の正面に回り、ベッドに小さな肩を押し付けた。
 唇から漏れる息。
 気持ちいいんだよな? それとも演技なのか?
 脳波を読み取れるようになれば、今こうしている彼女が、本当に感じているのか演技しているのか、わかるのか?
 僕の肩に指が食い込んでくる。大丈夫だ。ほら、もうこんなに濡れてる。

「ふふ、七月になっちゃった……」

 薄目の彼女が、つぶやいた。
 彼女がマンションに来てから、一カ月以上経った。
 もうすぐ夏休み。まもなく梅雨は明けるだろう。

「夏休みになったら、もっと来れるだろ?」

「ん……うん……ん……」

 母さん、ごめん。夏休みもそっちに帰れない。
 僕は忙しいんだ。

 夏休み明けには前期試験が始まる。希望の学科に進むためには手を抜けない。葛城先生のキャラクターは苦手だが、研究室は魅力的だ。
 法学や特別講義のレポートを提出しないと。
 試験の後は文化祭。アンサンブルサークルの発表会がある。サークルの前坂さんは苦手だが、グノーのアヴェ・マリアの伴奏は、やり遂げたい。
 人の伴奏だけではない。発表する自分のピアノ曲を決めないと。

「うちで勉強合宿どう?」

「ん……そ、ね……私、実験で……迷惑……かけてるから」

 忙しい。忙しい。やるべきことは沢山ある。

「あ、だ、だめ、ああああ!」

 何よりも大切なのは、篠崎あいらの小説創作をサポートすることだ!
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

悪役令嬢になったようなので、婚約者の為に身を引きます!!!

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:1,377pt お気に入り:3,277

グラティールの公爵令嬢

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:15,026pt お気に入り:3,342

転生不憫令嬢は自重しない~愛を知らない令嬢の異世界生活

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:27,606pt お気に入り:1,883

婚約破棄されましたが、幼馴染の彼は諦めませんでした。

恋愛 / 完結 24h.ポイント:3,599pt お気に入り:281

悪女と呼ばれた死に戻り令嬢、二度目の人生は婚約破棄から始まる

恋愛 / 完結 24h.ポイント:6,056pt お気に入り:2,478

悪役令嬢の中身が私になった。

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:745pt お気に入り:2,629

処理中です...