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一章 僕は彼女を忘れない
19 脳の中の真実 ※R
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ベッドの上で女を揺らす。振動に合わせて女の喉から呻きがこぼれる。
「あ、うっ、くぅ、す、すき……」
僕の背中に、女の指が食い込んでくる。
実験室で俯いている篠崎あいらとはまったく別の女。
この宇宙で、僕しか聞いたことがない声。
ちゃんと感じているんだよな?
小さな疑惑から焦燥に駆られ、一層僕は、激しく腰を打ち付ける。
「や、だ、ダメ、そんな……あ、あああああ!」
背中に食い込んでいた指は力を失った。
口をだらしなく開いたあいらは、僕のなすがまま。
今、イッたんだよな?
染みのようにぬぐえない疑問を、言葉ではなく身体で問いかける。
昨日、僕は大学近くの居酒屋で、堀口宗太に付き合わされた。
あの男のせいだ。先ほどから疑いが晴れないのは。
「マサハルく~ん、俺ってすごーく、かわいそーだよね~」
宗太は生ビールとレモンサワーで、グダグダに潰れている。
僕は彼と違ってニ十歳になっていないから、ウーロン茶で喉を湿らす。
「自業自得だ。浮気したお前が悪い」
「浮気じゃねーよ。どっちもただのオトモダチだよ」
一人のトモダチはインカレサークルの知り合い、もう一人は、学内で知り合った他大学の女子だとか。
彼は、どちらかの彼女とラブホから出たところを目撃され、修羅場の果てに二人のトモダチから捨てられた。まったく同情の余地はない。
「あ、もうカラだ。次は焼酎割りだな。マサハルは?」
「ソータ、酔いすぎだ。次はノンアルコールにしたほうがいい」
「酔わなきゃやってられねーよ。俺、二人にちゃんと『トモダチ』って予防線張った。なのに、いきなりグーで殴られた。グーだぞ! その後さぁ、あいつ」
そこから先は、三回聞いた。
「『お前みたいなヘタクソ、いらねーよ!』って、ひどくね?」
どちらかのトモダチが指さして叫ぶと、もう一人が「やっぱりアレ、下手だったんだ」と納得し、二人の女は意気投合したそうだ。
「『嘘つけ! 感じまくってたじゃねーか!』って反撃したら『演技に決まってんだろ!』って……ひでーよ」
宗太のエンドレスな愚痴の中でも、なかなか強烈なエピソードだ。
本当は下手なのに、相手が演技をしていたら?
疑問は回りだし、どこまでも坂道を転がり止まらない。
宗太は、その後も「やっぱはじめての子、忘れられねー」「ヨリ戻すぞ~」などとうそぶいている。
が、僕の脳は、膨れ上がった疑問の処理に追われていた。
あいらの小説創作の手伝いは、今回、上手くいった……と思うが、どうだろうか? 彼女も、宗太の元トモダチのように、演技しているのだろうか?
僕の腕に頭を預ける彼女は、目をトロンとさせている……これも芝居なのか?
彼女の短い髪に、僕は指を這わせた。何度も何度も。
「ふふ、なでなでされるの嬉しい」
「あ……いや、こうしたら、あいらの脳波がわかるかなって」
「やだ! 脳波って何言ってるの?」
彼女がガバっと身を起こして頭を覆う。
「ふーん、あいらの脳は、秘密なんだ」
「だ、誰だって頭の中は秘密だよ」
ベッドから出ようとした彼女を僕は引き留め捉まえる。
左腕であいらの腰を抱え、右手で頭に触れた。
「なーんて、さすがに今は、そこまでは無理だな、でも」
「今は? じゃあ、将来は頭に触れただけで中身がわかっちゃうの?」
彼女のこめかみから頭頂部にかけて、指を往復させる。
葛城研究室での実験を思い出した。
マンションの二階に住む葛城さんが情報工学科の准教授と知り、僕は研究室にお邪魔するようになった。
先生の研究、BMI=ブレイン・マシン・インタフェースには、前から興味があった。
ただの一年生に過ぎない僕は、被験者として実験に参加している。
脳波を読み取るヘッドギアを着けて炎のイメージを思い浮かべると、画面に炎らしい図形が表示される。
最近、イメージに土と水が加わった。
脳内イメージが画面に表示されるのは面白い。
気に入らないのは、先生が僕に魔法使いのコスプレをさせることだ。
「なぜ、実験にこんな恰好必要なんです?」
「魔法って子供が喜びそうじゃん? 子供に心を開かせるには、形って大事だよねー」
「子供の心、ですか?」
葛城先生が大きくうなづいた。今一つも二つも三つも意図がつかめない。
「失礼ですが、僕は成人です」
「三好君のことじゃないさ。人間ってさあ、いろんな表現手段持ってるじゃない? 歌に絵に言葉。心を伝える技、いーっぱいあるんだよね」
話が大きくなってきた。コスプレには深い意味があるようだ。
「でもさ、みんな嘘つくんだよ。沢山の技を使って自分を飾り立てるのさ。あたしも大人だからね、嘘いーっぱいつくさ。でもね」
先生は、僕が参加している実験用のコンピュータをすっと撫でた。
「ホントのこと知りたいじゃん。言葉以前の本当の心、嘘を知る前の人間ってやつをね」
ふと先生が腕を伸ばし、てのひらを広げた。
「指先に脳波を集められたらいいよね~。そしたら、もっとみんなのこと、わかるのに」
指先に脳波を集める? 思わず僕は一歩退いた。全てを先生に悟られそうで。いや、何を悟られたら困るんだ? 何も僕は困らない。
「あははは。僕は何も後ろ暗いこと、してませんって」
「君は大丈夫だよ、でもね」
指をびしっと突き出された。先生の癖だ。
「おかーさんに心配かけんなよ。夏休みぐらいは実家に帰るんだよ」
「え! 母が何か言ってきました?」
が、二階の住民は首を振った。
「お母さんには余計なこと言ってないよ。だから、君にも余計なこと言わない。でもね」
葛城先生は、伸ばした指を引っ込めて腕を組んだ。
「もう一度言う。親にはぜーったい心配かけんなよ!」
葛城先生の言葉からすると、母は先生に僕の様子を探りに入れたのだろう。
大学に入って実家に帰ったのは一度だけ。
父は相変わらず、ほとんど家に帰らない。母一人であの家は、確かに心細いだろう。
ピアノの練習ついでに帰ろうか。
あいらの頭を撫でていた手を離し、五本の指を見つめる。
実家に帰る?
僕の腕の中で小さく丸まっている柔らかな生き物。
毎週、土曜の午後は彼女と過ごす。いつの間にか根付いた習慣。
「あいら、泊まるか?」
五本の指を、彼女の短い髪に滑らせる。
「私、土日は、食事当番だし……」
彼女の答えは決まっている。
「金曜の夜は? 実験ないから早く帰れるだろ?」
「家庭教師のバイトがあるの」
「大丈夫? ちゃんと教えられる?」
実験レポートと格闘する彼女の様子からして、不安になる。
「ひどいなあ。いくら私でも小学生の算数はわかるよ」
ポテッとした唇を尖らせているが、目は笑っている。うん、本当に怒っているわけではない……そうなのか?
葛城先生が言ってたな。
――指先に脳波を集められれば、もっとわかる――あいらの本当の気持ちがわかるのだろうか?
彼女の背中から腕を回し、胸の先を軽く摘まんだ。
「や、だ、駄目、私……帰らないと……」
彼女の正面に回り、ベッドに小さな肩を押し付けた。
唇から漏れる息。
気持ちいいんだよな? それとも演技なのか?
脳波を読み取れるようになれば、今こうしている彼女が、本当に感じているのか演技しているのか、わかるのか?
僕の肩に指が食い込んでくる。大丈夫だ。ほら、もうこんなに濡れてる。
「ふふ、七月になっちゃった……」
薄目の彼女が、つぶやいた。
彼女がマンションに来てから、一カ月以上経った。
もうすぐ夏休み。まもなく梅雨は明けるだろう。
「夏休みになったら、もっと来れるだろ?」
「ん……うん……ん……」
母さん、ごめん。夏休みもそっちに帰れない。
僕は忙しいんだ。
夏休み明けには前期試験が始まる。希望の学科に進むためには手を抜けない。葛城先生のキャラクターは苦手だが、研究室は魅力的だ。
法学や特別講義のレポートを提出しないと。
試験の後は文化祭。アンサンブルサークルの発表会がある。サークルの前坂さんは苦手だが、グノーのアヴェ・マリアの伴奏は、やり遂げたい。
人の伴奏だけではない。発表する自分のピアノ曲を決めないと。
「うちで勉強合宿どう?」
「ん……そ、ね……私、実験で……迷惑……かけてるから」
忙しい。忙しい。やるべきことは沢山ある。
「あ、だ、だめ、ああああ!」
何よりも大切なのは、篠崎あいらの小説創作をサポートすることだ!
「あ、うっ、くぅ、す、すき……」
僕の背中に、女の指が食い込んでくる。
実験室で俯いている篠崎あいらとはまったく別の女。
この宇宙で、僕しか聞いたことがない声。
ちゃんと感じているんだよな?
小さな疑惑から焦燥に駆られ、一層僕は、激しく腰を打ち付ける。
「や、だ、ダメ、そんな……あ、あああああ!」
背中に食い込んでいた指は力を失った。
口をだらしなく開いたあいらは、僕のなすがまま。
今、イッたんだよな?
染みのようにぬぐえない疑問を、言葉ではなく身体で問いかける。
昨日、僕は大学近くの居酒屋で、堀口宗太に付き合わされた。
あの男のせいだ。先ほどから疑いが晴れないのは。
「マサハルく~ん、俺ってすごーく、かわいそーだよね~」
宗太は生ビールとレモンサワーで、グダグダに潰れている。
僕は彼と違ってニ十歳になっていないから、ウーロン茶で喉を湿らす。
「自業自得だ。浮気したお前が悪い」
「浮気じゃねーよ。どっちもただのオトモダチだよ」
一人のトモダチはインカレサークルの知り合い、もう一人は、学内で知り合った他大学の女子だとか。
彼は、どちらかの彼女とラブホから出たところを目撃され、修羅場の果てに二人のトモダチから捨てられた。まったく同情の余地はない。
「あ、もうカラだ。次は焼酎割りだな。マサハルは?」
「ソータ、酔いすぎだ。次はノンアルコールにしたほうがいい」
「酔わなきゃやってられねーよ。俺、二人にちゃんと『トモダチ』って予防線張った。なのに、いきなりグーで殴られた。グーだぞ! その後さぁ、あいつ」
そこから先は、三回聞いた。
「『お前みたいなヘタクソ、いらねーよ!』って、ひどくね?」
どちらかのトモダチが指さして叫ぶと、もう一人が「やっぱりアレ、下手だったんだ」と納得し、二人の女は意気投合したそうだ。
「『嘘つけ! 感じまくってたじゃねーか!』って反撃したら『演技に決まってんだろ!』って……ひでーよ」
宗太のエンドレスな愚痴の中でも、なかなか強烈なエピソードだ。
本当は下手なのに、相手が演技をしていたら?
疑問は回りだし、どこまでも坂道を転がり止まらない。
宗太は、その後も「やっぱはじめての子、忘れられねー」「ヨリ戻すぞ~」などとうそぶいている。
が、僕の脳は、膨れ上がった疑問の処理に追われていた。
あいらの小説創作の手伝いは、今回、上手くいった……と思うが、どうだろうか? 彼女も、宗太の元トモダチのように、演技しているのだろうか?
僕の腕に頭を預ける彼女は、目をトロンとさせている……これも芝居なのか?
彼女の短い髪に、僕は指を這わせた。何度も何度も。
「ふふ、なでなでされるの嬉しい」
「あ……いや、こうしたら、あいらの脳波がわかるかなって」
「やだ! 脳波って何言ってるの?」
彼女がガバっと身を起こして頭を覆う。
「ふーん、あいらの脳は、秘密なんだ」
「だ、誰だって頭の中は秘密だよ」
ベッドから出ようとした彼女を僕は引き留め捉まえる。
左腕であいらの腰を抱え、右手で頭に触れた。
「なーんて、さすがに今は、そこまでは無理だな、でも」
「今は? じゃあ、将来は頭に触れただけで中身がわかっちゃうの?」
彼女のこめかみから頭頂部にかけて、指を往復させる。
葛城研究室での実験を思い出した。
マンションの二階に住む葛城さんが情報工学科の准教授と知り、僕は研究室にお邪魔するようになった。
先生の研究、BMI=ブレイン・マシン・インタフェースには、前から興味があった。
ただの一年生に過ぎない僕は、被験者として実験に参加している。
脳波を読み取るヘッドギアを着けて炎のイメージを思い浮かべると、画面に炎らしい図形が表示される。
最近、イメージに土と水が加わった。
脳内イメージが画面に表示されるのは面白い。
気に入らないのは、先生が僕に魔法使いのコスプレをさせることだ。
「なぜ、実験にこんな恰好必要なんです?」
「魔法って子供が喜びそうじゃん? 子供に心を開かせるには、形って大事だよねー」
「子供の心、ですか?」
葛城先生が大きくうなづいた。今一つも二つも三つも意図がつかめない。
「失礼ですが、僕は成人です」
「三好君のことじゃないさ。人間ってさあ、いろんな表現手段持ってるじゃない? 歌に絵に言葉。心を伝える技、いーっぱいあるんだよね」
話が大きくなってきた。コスプレには深い意味があるようだ。
「でもさ、みんな嘘つくんだよ。沢山の技を使って自分を飾り立てるのさ。あたしも大人だからね、嘘いーっぱいつくさ。でもね」
先生は、僕が参加している実験用のコンピュータをすっと撫でた。
「ホントのこと知りたいじゃん。言葉以前の本当の心、嘘を知る前の人間ってやつをね」
ふと先生が腕を伸ばし、てのひらを広げた。
「指先に脳波を集められたらいいよね~。そしたら、もっとみんなのこと、わかるのに」
指先に脳波を集める? 思わず僕は一歩退いた。全てを先生に悟られそうで。いや、何を悟られたら困るんだ? 何も僕は困らない。
「あははは。僕は何も後ろ暗いこと、してませんって」
「君は大丈夫だよ、でもね」
指をびしっと突き出された。先生の癖だ。
「おかーさんに心配かけんなよ。夏休みぐらいは実家に帰るんだよ」
「え! 母が何か言ってきました?」
が、二階の住民は首を振った。
「お母さんには余計なこと言ってないよ。だから、君にも余計なこと言わない。でもね」
葛城先生は、伸ばした指を引っ込めて腕を組んだ。
「もう一度言う。親にはぜーったい心配かけんなよ!」
葛城先生の言葉からすると、母は先生に僕の様子を探りに入れたのだろう。
大学に入って実家に帰ったのは一度だけ。
父は相変わらず、ほとんど家に帰らない。母一人であの家は、確かに心細いだろう。
ピアノの練習ついでに帰ろうか。
あいらの頭を撫でていた手を離し、五本の指を見つめる。
実家に帰る?
僕の腕の中で小さく丸まっている柔らかな生き物。
毎週、土曜の午後は彼女と過ごす。いつの間にか根付いた習慣。
「あいら、泊まるか?」
五本の指を、彼女の短い髪に滑らせる。
「私、土日は、食事当番だし……」
彼女の答えは決まっている。
「金曜の夜は? 実験ないから早く帰れるだろ?」
「家庭教師のバイトがあるの」
「大丈夫? ちゃんと教えられる?」
実験レポートと格闘する彼女の様子からして、不安になる。
「ひどいなあ。いくら私でも小学生の算数はわかるよ」
ポテッとした唇を尖らせているが、目は笑っている。うん、本当に怒っているわけではない……そうなのか?
葛城先生が言ってたな。
――指先に脳波を集められれば、もっとわかる――あいらの本当の気持ちがわかるのだろうか?
彼女の背中から腕を回し、胸の先を軽く摘まんだ。
「や、だ、駄目、私……帰らないと……」
彼女の正面に回り、ベッドに小さな肩を押し付けた。
唇から漏れる息。
気持ちいいんだよな? それとも演技なのか?
脳波を読み取れるようになれば、今こうしている彼女が、本当に感じているのか演技しているのか、わかるのか?
僕の肩に指が食い込んでくる。大丈夫だ。ほら、もうこんなに濡れてる。
「ふふ、七月になっちゃった……」
薄目の彼女が、つぶやいた。
彼女がマンションに来てから、一カ月以上経った。
もうすぐ夏休み。まもなく梅雨は明けるだろう。
「夏休みになったら、もっと来れるだろ?」
「ん……うん……ん……」
母さん、ごめん。夏休みもそっちに帰れない。
僕は忙しいんだ。
夏休み明けには前期試験が始まる。希望の学科に進むためには手を抜けない。葛城先生のキャラクターは苦手だが、研究室は魅力的だ。
法学や特別講義のレポートを提出しないと。
試験の後は文化祭。アンサンブルサークルの発表会がある。サークルの前坂さんは苦手だが、グノーのアヴェ・マリアの伴奏は、やり遂げたい。
人の伴奏だけではない。発表する自分のピアノ曲を決めないと。
「うちで勉強合宿どう?」
「ん……そ、ね……私、実験で……迷惑……かけてるから」
忙しい。忙しい。やるべきことは沢山ある。
「あ、だ、だめ、ああああ!」
何よりも大切なのは、篠崎あいらの小説創作をサポートすることだ!
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