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三章 僕は彼女に知らせたい

50 リベンジの仕切り直し

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 かつて堀口宗太と僕は、隣りの席で講義を受け、学食で昼食を、時には夕食を共に取っていた。
 ファミレスで、奴から篠崎あいらとの関係を聞かされて以来、目を合わせていない。僕は教室で前の席に座るが、奴の姿はない。後ろの席にいるのか、講義をサボっているのか。僕のノートやレポートの力で、演習をこなしていた奴だが、今はどうしているのか?
 知るか。僕が気に掛ける必要はない。

 篠崎あいらは相変わらず物理学実験のパートナーだ。前と同じように、必要以上の会話はない。実験に支障が出ることはなく、僕のレポートは、9点か満点の10点をキープしていた。

 他の同期と過ごすことが増えた。
 僕の態度から、すぐさま突っ込まれた。

「お前、堀口にあいらちゃん取られた?」

 僕は「関係ないよ」と曖昧に笑っが、もちろん、どうでもいいわけがない。
 放置していれば、宗太とあいらは復活するだろう。
 それは阻止しなければならない。あの二人に思い知らせてやりたい。自分たちの愚かさを。


 リベンジの手始めに、青山星佳と復縁するつもりだったが、見事失敗した。
 彼女にはもう「伴奏相手」がいる。ラフマニノフ『ピアノ協奏曲第三番』を弾きこなす天才ピアニスト。

 夜、マンションのリビングで、この難曲に耳を傾ける。畳みかけるようなピアノとオーケストラのハーモニーは、僕の怒りを増幅させる。
 聴くだけではどうにもならない。無謀だとわかっているが、『ピアノ協奏曲第三番』の楽譜をダウンロードした。電子ピアノのスイッチを入れた。
 始まりは弾けるが、すぐに難所にぶつかる。僕の力ではどうにもならない。

 ラフマニノフは諦め、発表会で弾いたショパンの『革命のエチュード』を試した。あれほど練習し、発表会でもミスなくこなしたのに、上手くできない。同じところでつっかかる。僕は叫び、鍵盤を乱雑に叩くしかなかった。
 楽譜を棚に戻す。
『調査報告書』の背表紙が目に入った。

 篠崎あいらの人生が記されたファイル。高校生で彼女を産んだ母親。田舎で祖父母と共に暮らす。母親の教師は、やがて義理の父となる。
 あいらは、高校卒業まで友人がいなかった。大学で初めて友達ができた。

 この調査報告書は、父がよく使っている興信所が作成した。
 あの父が信頼した会社だ。それなりの実力はあるのだろう。
 調査期間を一月に伸ばせば、あいらと宗太の関係も暴いたかもしれない。
 実験レポートよりも無機質な文章。無機の中に、有機が凝縮されている。
 父が信頼する興信所のレポート。一切の感情を排した青い表紙を眺めていると、何かがひらめいた!
 彼ら二人を窮地に陥れてやる!

「お父さん、ご無沙汰しています。雅春です」

 父に電話を入れた。


「こんな夜にどうした? 金ならあるだろ」

 父の返事は変わらない。
 僕はこれまで一度も金の無心をしたことはない。三好の力を必要以上に利用したことはなかった。情報科学オリンピック国内本選の出場、高校大学への進学、いずれも僕自身の力で勝ち取ってきた。
 が、この問題は、僕一人の力では難しい。

「お金ではありませんが、お父さんと話したくなって」

「珍しいな。就職先に困ってるのか? まだお前は一年だし、あの大学ならどこでも働けるだろ?」

 困っているといえば困っている。

「就職はずっと先です。僕は博士を目指しています」

「お前がそうしたいなら止めないが、修士卒で止めた方が就職は楽だぞ」

 またこの男は余計な口出しをする。
 それよりどう切り出せばいい?
 三好の力で、篠崎あいらと堀口宗太、二人を窮地に立たせるためには。

 不動産会社として三好は、それなりの力はあるだろう。篠崎あいらは家族で公営団地に、堀口宗太は下宿で一人暮らしだ。
 彼らの大家に働きかけて部屋から追い出す。追いだした後も不動産会社に圧をかけて、引っ越し先が見つけられないようにする。またはひどい物件を紹介する……。

 僕にはその程度の復讐しか思いつかないが、父なら、もっと悪辣な復讐方法を知っているかもしれない。
 社長の娘を妊娠させて婿に収まり、自分が社長になったらやりたい放題。最近は家に戻ったが、それまで社内の愛人の家に入り浸っていた男だ。
 たまには三好の力を使わせてもらおう。父と母の息子である僕には、その権利がある。

「修士に入ったら、相談しますよ」

「まあ博士に行ってどうにもならなかったら、関連会社を紹介してやる」

「どうにもならないなんて、ひどいですね」

「一人暮らし始めたら、さっそく女遊びにうつつをぬかしやがって」

「遊びじゃないです!」

 僕は本気だ。だから彼ら二人には、相応の報いを受けてもらう。

「困っているのは篠崎さんのことか。結婚を迫られてるのか?」

 意外に鋭いな、この男。ありがたいことに、向こうから話題を振ってきた。

「結婚ではありませんが、彼女のことで……」

「……そうか、それなら仕方ない。医者と弁護士を紹介してやる」

 医者? 弁護士は復讐に使えるかもしれないが。

「お前のミスだ。金は自分の貯金から出せ。いい勉強だ。百万でも出せば、女も納得するだろ」

 僕のミス? そうかもしれない。が、なぜこちらが金を払わなければならない? しかも百万円?

「これからは、女が安全日だと言っても絶対に信用するな」

 安全日? え! ま、まさか、こいつ?

「篠崎さんもお前と同じ大学一年だ。子供を産むわけにはいかないだろ。いい医者がいるんだ。女がごねたら弁護士をよこす。それでいいか?」

 ・・・・・・この男は、僕があいらを妊娠させたと思ってるのか!

「そんなわけないだろ!」

 こんな男が父親だとは反吐が出る!
 妊娠? ふざけんな! 僕は、あの女を苦しめたいだけだ。

「俺はお前と違い、音楽もプログラムもわからん。が、女絡みのトラブルは、一通り経験した」

 それは誇るとこではなく、恥ずべきことではないか?

「そうですか。ただ……」

「女遊びも人生勉強だ。が、妊娠だけはさせるな。いくら遊びでも、女の人生、台無しにはしたくないだろ?」

 いや! ボクは彼女の人生を台無しにしてやりたい! ……そうか! 簡単なことだ!

「大丈夫ですよ。上手くやりますから」

「声が明るくなったな。元気が出たならそれでいい」

「お父さん、ありがとうございます」

 僕は人生で初めて、心の底から父に感謝した。
 彼のお陰で、篠崎あいらの人生を狂わせる手段を思い付いた。
 三好の力を借りる必要はない。
 僕ひとりでできる技だ。
 情報オリンピック出場より工業大学入学より、ずっとずっと簡単なこと。時間もかからない。一瞬で終わる。

 篠崎あいらを妊娠させる。その時彼女がどんな選択をしようが、苦しむことには変わらない。
    
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