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三章 僕は彼女に知らせたい
73 僕らはいつまでも
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だれもいない夜のキャンバス。優しい風が、白い花びらを運んでくる。
僕と篠崎あいらは、芝生に敷いたピクニックシートに座って語りあう。
「私は、お父さんとお母さんにハル君の幸せを願う資格あると思うな」
両親の話はしたくない。でも我慢しよう。彼女の今の望みは、僕と話すことだから。
「クリスマスの食事会で、お母さん、無理にピアノをやらせて悪かった、って言ってたよ。お父さんは、ハル君には好きなことしてほしいって」
本当か? アイツら、あいらにカッコつけてるだけじゃないのか?
「彼女さんとの付き合いを応援してくれて、マンションで一人暮らしさせてくれて、私なんかと暮らすの認めてくれる……お父さんとお母さんは、ハル君が大好きなんだよ」
「……どうだか」
未来、アイツらにブレイン・マシン・インタフェースを装着したら、本当の心がわかるだろうか……いや、そんなものは見たくない。
「私、やっぱり約束を守って、ハル君を幸せにしたい」
「今度親に会ったら、あいらのおかげで幸せだと言っとくよ」
それは本当だ。今まで自分が不幸だと思ったことはなかった。
僕は変わった。篠崎あいらが傍にいれば幸せだし、いなくなったら不幸だ。
「嬉しいなあ。でも本当に私でいいの? 一浪で年上だよ」
この子、全然年上らしくないから忘れてた。僕と彼女の年齢差は一年九ヶ月。そうだ。今度の五月は、僕らが初めて迎える彼女の誕生日。再来月なんてあっという間だ。絶対、忘れてはいけない。
「それに私のせいで、お母さん高校辞めてシングルマザーになって、お父さんと不倫して、故郷追い出されて……」
また始まった。僕は彼女の肩をギュッと抱き寄せた。
「本当はわかってるんだろ? 自分は悪くないって」
「まだいっぱいあるよ。私、ずっと浮いてて中学ではいじめられて、勉強だけはできたけど、この大学じゃ落ちこぼれ。貧乏でブスでデブ。彼女さんとは全然違うなあ」
なぜ彼女が必要以上に自分をおとしめるのか、少しわかった。篠崎あいらは自分を認められた経験がないのだ。
だから、僕が好きなのに、堀口宗太にお願いされれば初めてを差し出す。僕の親から「幸せにしてくれ」と頼まれれば、僕に自分を殴らせる。
「僕を幸せにしたいって、親に頼まれたから?」
「だ、駄目?」
「嬉しいよ。でも僕の親だからって、従うことはない。それより自分でしたいことを見つけなよ。大学だって、辛かったら辞めていいし」
「私ね、親に応援されたのもあるけど、勉強でなにかを見返したかった。ここは、理系しかできない私でも入れそうな有名国立だから、受験したの。そういうの、軽蔑する?」
「なんで? 自分が決めたことに向かって努力して、結果を出したんだ。すごいじゃないか」
がんばった彼女、今でもがんばっている彼女を励ましたくて、頭を撫でる。
「小説みたいな世界を数学で表現するんだろ?」
「あー、あれね。これから数学をする自分に、無理やり言い聞かせたけど、本当は、なにから始めたらいいかわからない」
大丈夫か? と、ひとつ思い出した。あまりいい提案ではないが、ダメ元で話してみよう。
「僕の前期の成績がイマイチだった時、父親がさ、会社の工業大OBにレポート手伝ってもらえって……いや、忘れていいよ」
が、あいらの目がキラキラ輝き出した。
「それいいなあ。レポート手伝いはともかく、そのOBさんから話、聞いてみたい」
「い、いや、学科が違ったら、あまり参考にならないだろ?」
「細かいことはともかく、卒業してちゃんと仕事してる人だよ。どんな学生生活や就活をしたか、知りたいな」
面白くない。自分で話題を出したものの、あの父親に手柄を取られたみたいだ。
「ハル君のお父さん、やっぱり優しいんだね」
それは違うと言い返したかったが、あいらの笑顔を見ていたかったので、僕は言葉をのみこんだ。
「私、がんばる。一浪して入ったんだよ。ここでリタイアしたら、お父さんとお母さんに悪いもん。有名大卒の肩書が欲しいだけって、カッコ悪いけどね」
彼女を動機づけるのに、親は欠かせないのか。
「カッコ悪くないよ。この国では大切な資格だ」
意見は色々あるだろうが、有名大卒の肩書がなにかと有利なのは、間違いない。
「僕の方がカッコ悪いよ。本当はただ振られただけなのに、彼女と続いているフリしたり、親に反対されたってごまかしたりして」
「青山さんだっけ? こんなこと言いたくないけど、あの人、ハル君のこと本当に好きだったよ」
「無理に慰めなくていいよ」
「慰めじゃないって。文化祭の前、あの人とハル君が歩いてて、私、気になって後つけたら、すごい顔で睨まれた。しかもハル君にピタッとくっついてて……怖かった」
確かにあの頃、青山星佳は歩いていると体を寄せてきた。正直に言うと、悪い気はしなかった。
「あの人、私のこと、ハル君を狙うストーカーと思ってたんじゃないかな。まあ嘘じゃないけど」
それは、僕の母のせいだ。星佳は母から、僕とあいらを引き離すよう頼まれた。最初からあいらの顔を知っていた。
「文化祭のコンサートで聴いたあの人の歌も、すごく怖かった。私には、ハル君は自分のモノ、だれにも渡さない、って聞こえた」
「あれは、世界を支配しようと企む女王の歌だからね。怖くて当然だ」
「そう? 私、音楽わからないから……でも、私、教室の外の窓から見てたのに、歌ってるあの人と目が合った。終わってからも私を見て、ハル君に抱きついてほっぺにキスして、ハル君も嬉しそうだった……もう無理だなって逃げたの」
逃げたあいらの後を宗太が追いかけた結果、ここまでこじれてしまったのか。
あいらも星佳も悪くない。宗太は悪いな。でも、態度を曖昧にした僕が一番悪い。
「青山さん、ハル君と復縁したかったんだよ」
青山星佳が僕を想っていた──そんなことを伝えてもあいらは得しないのに、僕を慰めるために教えてくれる。
「あいらは優しいな。それに比べて僕は、友達にわざと間違ったノートを渡してた」
「ノートのことなんだけど、一昨日、LINEで教えてもらったの。宗太君、ハル君のこと心配してた」
「情けないな。嫌がらせをした相手に心配されるなんて」
「ううん。私も関係あるよね。私と宗太君はただの友達だけど、間違えたのは事実だから」
彼女が口を引き締めた。
「それでね、私と宗太君、もう連絡取らないことにした。私もハル君が青山さんと会ってたら嫌だし。無神経だった」
……宗太はあいらを友達とは思ってない。が、僕は彼女と違って優しくないから、そんなことは伝えない。
「そうか。本音を言うと安心した……ソータにはちゃんと謝るよ」
篠崎あいらは静かに微笑み、コクンと頷いた。
「色々あったけど、あいらと付き合えたのは、ソータのお陰だよな。エッチな小説を書きたいから教えてって、アイツにそそのかされたんだろ?」
僕の彼女は頭を抱え込んだ。
「うわあ、恥ずかしい……あの時、本当に好きな人として、過去をなかったことにしようと焦ってた。最低だなあ」
最低ではないが、そこは引っかかる。でも、あいらとただの実験パートナーのまま終わったら、今でも青山星佳を恋しく想っていただろう。
「あと僕の子供欲しい、って迫られたなあ」
「やめて! 私、本当におかしかった! 今は大学卒業して就職するのが先!」
「あいらの願いは、エロ小説書いて勉強して卒業して就職して子供か」
「まーね……あ、その前に、ううん、なんでもない」
彼女がそっぽを向いてキョロキョロしている。
「その前になに? 言っただろ。僕はあいらの望みを叶えたいんだ」
顔を逸らす彼女の両頬をはさみ、こっちを向かせる。大きな目をじーっと見つめた。十秒ほどの緊張の末、彼女は観念したように切り出した。
「スルーしてほしいけど……ハル君のお母さんから雑誌の花嫁さんの写真見せてもらったとき……白いドレス着たいなって、うわあああ、やっぱ忘れて!!」
またあいらは頭を抱え込んだ。
結婚式でドレスを着たいと言うのは、そんなに恥ずかしいことなのか? エッチしたい、子供欲しいとは言えるのに。
将来、BMIが発達したら彼女の望みが見えるだろうが、それまでは、彼女をよく観察しよう。
思い出した。あいらの夢があったじゃないか。これは今すぐ実現できる。
うずくまる彼女を抱き寄せ、耳元で囁いた。
「あいらは、大学でエロいことしたいんだよね? メイドが教授にヤられちゃう小説ってそういう意味だろ?」
「小説? 違う! あれはそうじゃなくて……やだ、どこ触ってんの!」
「あいら、自分を好きにしていいって言ったじゃん。今から思いっきり好きにするよ」
「それ取消し! 外でエッチはいや!」
「中ならいいんだ。小説では教授の部屋だったね。教授室は難しいけど、どこか建物に入ろうか」
「あ、え、えーと」
あいらの体から力が抜けた。これはいけるパターンだ!
しかし、次の行動に移ろうとしたとき、眩しい光線としゃがれた声に邪魔された。
「いーかげん出てってくんない? 正門、閉められないよ」
警備の制服を着たおじさんが立っている。僕らは、懐中電灯にギラギラ照らされた。
「きゃあああ、ごめんなさい!」
スロープにあいらの絶叫が響き渡る。
僕はピクニックシートを丸めて抱え、彼女の手を引いて退散した。
駅を降りてマンションまでの道をゆっくり進む。
「僕に、失望しただろ?」
「初めて会ったときとイメージ変わったけど、闇でヘタレなこと知って、もっと好きになったよ」
喜んでいいのか? 全然褒められていない。
「でも人類全滅みたいなラスボスはやめようね。みんなといる方が楽しいよ」
「そうか? 中学の時あいらをいじめたヤツとか、一円もくれない本当のお父さんとか、放置していいのか?」
ヘタレで闇な僕の傍にいてくれる彼女の力になりたい。もっともっと。
「考えないようにしている。追及すると私も闇に入りそうだから」
あいらは足を止め、振り返って手を降った。
夜の住宅街を歩く人はまばらだ。彼女の手振りに答える人は見当たらない。一体だれに手を振っているんだ?
「すっかり春だね。しばらくオリオン座とお別れかあ」
彼女の視線を辿ると、きれいに並んだ三つ星が輝いている。まもなく地に沈む冬の王者。
「あいらは本当に星が好きだね」
「うん。街の夜空も見慣れてくると、二等星や三等星が見えるようになるよ」
彼女が星を見つめるのは、帰れない故郷に心だけでも帰るためだ。
え? なぜ帰れないんだ?
「五月はあいらの誕生日か。連休中に星見スポット行こうよ」
「ありがとう! 彼氏からの誕生日プレゼントなんて、生まれて初めて!」
彼女がギュッと腕に抱きついてきた。
行くのはただの星見スポットではない。あいらの生まれ故郷。大好きな祖父母の家。
あいらの祖父母は、不倫をした娘を勘当した。
調査報告書には、祖父母はあいらを引き取るつもりだったが、彼女が母に着いていったとある。
両親はともかく、あいらのことを祖父母は歓迎するのではないか? 彼女は両親への遠慮で帰れないのだろう。
あいらを生まれ育った家に連れていきたい。
彼女には秘密にして、彼女の両親、そして祖父母に話してみよう。
「すごいよね。ハル君みたいな王子様が、私なんかの彼氏だなんて」
「あいら、『私なんか』って言うのやめなよ。いつもがんばってるじゃないか」
「ごめん、ついクセで。感じ悪いよね。気をつけるよ」
生い立ちのためか、彼女は自分を卑下している。もっともっと自信を持ってほしい。
ブレイン・マシン・インタフェースが発達したら、照れくさいけど、彼女に僕の心を見せよう。
装置ができあがるのはまだ先だ。それまでは何度も言葉で伝える。
君は素晴らしい人だと。僕は、そんな素晴らしい君を愛している、と。
待てよ?
僕の全てを見せるわけにはいかない。
BMIは素晴らしい技術だが、倫理的に大きな問題がある。
心は人間の究極のプライバシーだが、脳の中には境目がない。脳の情報を読み取ることで、秘密が暴かれる危険性がある。
この問題はよく議論されるが、脳の秘密を守る研究は、まだまだ課題が山積みだ。
僕の研究テーマが決まった。BMIのセキュリティ。情報通信においてセキュリティは必須だが、同じようにBMIでもセキュリティは重要だ。
篠崎あいらに知られたくないことが、ふたつある。
ひとつは、堀口宗太が本気であいらを想っていること。
情けないが僕には自信がない。彼女が宗太の気持ちを知ったら彼を選ぶのではないかと、不安で仕方ない。
もっと大きな秘密。あいらを初めて抱いたとき童貞だったこと。
絶対に知られたくない。
ただでさえ僕は、闇でヘタレとポイントが下がっている。こんな重大な秘密が明かされれば、王子の称号を剥奪されるだろう。
僕は王子。篠崎あいら専属の王子。
この地位だけは、絶対に失いたくない。
《了》
僕と篠崎あいらは、芝生に敷いたピクニックシートに座って語りあう。
「私は、お父さんとお母さんにハル君の幸せを願う資格あると思うな」
両親の話はしたくない。でも我慢しよう。彼女の今の望みは、僕と話すことだから。
「クリスマスの食事会で、お母さん、無理にピアノをやらせて悪かった、って言ってたよ。お父さんは、ハル君には好きなことしてほしいって」
本当か? アイツら、あいらにカッコつけてるだけじゃないのか?
「彼女さんとの付き合いを応援してくれて、マンションで一人暮らしさせてくれて、私なんかと暮らすの認めてくれる……お父さんとお母さんは、ハル君が大好きなんだよ」
「……どうだか」
未来、アイツらにブレイン・マシン・インタフェースを装着したら、本当の心がわかるだろうか……いや、そんなものは見たくない。
「私、やっぱり約束を守って、ハル君を幸せにしたい」
「今度親に会ったら、あいらのおかげで幸せだと言っとくよ」
それは本当だ。今まで自分が不幸だと思ったことはなかった。
僕は変わった。篠崎あいらが傍にいれば幸せだし、いなくなったら不幸だ。
「嬉しいなあ。でも本当に私でいいの? 一浪で年上だよ」
この子、全然年上らしくないから忘れてた。僕と彼女の年齢差は一年九ヶ月。そうだ。今度の五月は、僕らが初めて迎える彼女の誕生日。再来月なんてあっという間だ。絶対、忘れてはいけない。
「それに私のせいで、お母さん高校辞めてシングルマザーになって、お父さんと不倫して、故郷追い出されて……」
また始まった。僕は彼女の肩をギュッと抱き寄せた。
「本当はわかってるんだろ? 自分は悪くないって」
「まだいっぱいあるよ。私、ずっと浮いてて中学ではいじめられて、勉強だけはできたけど、この大学じゃ落ちこぼれ。貧乏でブスでデブ。彼女さんとは全然違うなあ」
なぜ彼女が必要以上に自分をおとしめるのか、少しわかった。篠崎あいらは自分を認められた経験がないのだ。
だから、僕が好きなのに、堀口宗太にお願いされれば初めてを差し出す。僕の親から「幸せにしてくれ」と頼まれれば、僕に自分を殴らせる。
「僕を幸せにしたいって、親に頼まれたから?」
「だ、駄目?」
「嬉しいよ。でも僕の親だからって、従うことはない。それより自分でしたいことを見つけなよ。大学だって、辛かったら辞めていいし」
「私ね、親に応援されたのもあるけど、勉強でなにかを見返したかった。ここは、理系しかできない私でも入れそうな有名国立だから、受験したの。そういうの、軽蔑する?」
「なんで? 自分が決めたことに向かって努力して、結果を出したんだ。すごいじゃないか」
がんばった彼女、今でもがんばっている彼女を励ましたくて、頭を撫でる。
「小説みたいな世界を数学で表現するんだろ?」
「あー、あれね。これから数学をする自分に、無理やり言い聞かせたけど、本当は、なにから始めたらいいかわからない」
大丈夫か? と、ひとつ思い出した。あまりいい提案ではないが、ダメ元で話してみよう。
「僕の前期の成績がイマイチだった時、父親がさ、会社の工業大OBにレポート手伝ってもらえって……いや、忘れていいよ」
が、あいらの目がキラキラ輝き出した。
「それいいなあ。レポート手伝いはともかく、そのOBさんから話、聞いてみたい」
「い、いや、学科が違ったら、あまり参考にならないだろ?」
「細かいことはともかく、卒業してちゃんと仕事してる人だよ。どんな学生生活や就活をしたか、知りたいな」
面白くない。自分で話題を出したものの、あの父親に手柄を取られたみたいだ。
「ハル君のお父さん、やっぱり優しいんだね」
それは違うと言い返したかったが、あいらの笑顔を見ていたかったので、僕は言葉をのみこんだ。
「私、がんばる。一浪して入ったんだよ。ここでリタイアしたら、お父さんとお母さんに悪いもん。有名大卒の肩書が欲しいだけって、カッコ悪いけどね」
彼女を動機づけるのに、親は欠かせないのか。
「カッコ悪くないよ。この国では大切な資格だ」
意見は色々あるだろうが、有名大卒の肩書がなにかと有利なのは、間違いない。
「僕の方がカッコ悪いよ。本当はただ振られただけなのに、彼女と続いているフリしたり、親に反対されたってごまかしたりして」
「青山さんだっけ? こんなこと言いたくないけど、あの人、ハル君のこと本当に好きだったよ」
「無理に慰めなくていいよ」
「慰めじゃないって。文化祭の前、あの人とハル君が歩いてて、私、気になって後つけたら、すごい顔で睨まれた。しかもハル君にピタッとくっついてて……怖かった」
確かにあの頃、青山星佳は歩いていると体を寄せてきた。正直に言うと、悪い気はしなかった。
「あの人、私のこと、ハル君を狙うストーカーと思ってたんじゃないかな。まあ嘘じゃないけど」
それは、僕の母のせいだ。星佳は母から、僕とあいらを引き離すよう頼まれた。最初からあいらの顔を知っていた。
「文化祭のコンサートで聴いたあの人の歌も、すごく怖かった。私には、ハル君は自分のモノ、だれにも渡さない、って聞こえた」
「あれは、世界を支配しようと企む女王の歌だからね。怖くて当然だ」
「そう? 私、音楽わからないから……でも、私、教室の外の窓から見てたのに、歌ってるあの人と目が合った。終わってからも私を見て、ハル君に抱きついてほっぺにキスして、ハル君も嬉しそうだった……もう無理だなって逃げたの」
逃げたあいらの後を宗太が追いかけた結果、ここまでこじれてしまったのか。
あいらも星佳も悪くない。宗太は悪いな。でも、態度を曖昧にした僕が一番悪い。
「青山さん、ハル君と復縁したかったんだよ」
青山星佳が僕を想っていた──そんなことを伝えてもあいらは得しないのに、僕を慰めるために教えてくれる。
「あいらは優しいな。それに比べて僕は、友達にわざと間違ったノートを渡してた」
「ノートのことなんだけど、一昨日、LINEで教えてもらったの。宗太君、ハル君のこと心配してた」
「情けないな。嫌がらせをした相手に心配されるなんて」
「ううん。私も関係あるよね。私と宗太君はただの友達だけど、間違えたのは事実だから」
彼女が口を引き締めた。
「それでね、私と宗太君、もう連絡取らないことにした。私もハル君が青山さんと会ってたら嫌だし。無神経だった」
……宗太はあいらを友達とは思ってない。が、僕は彼女と違って優しくないから、そんなことは伝えない。
「そうか。本音を言うと安心した……ソータにはちゃんと謝るよ」
篠崎あいらは静かに微笑み、コクンと頷いた。
「色々あったけど、あいらと付き合えたのは、ソータのお陰だよな。エッチな小説を書きたいから教えてって、アイツにそそのかされたんだろ?」
僕の彼女は頭を抱え込んだ。
「うわあ、恥ずかしい……あの時、本当に好きな人として、過去をなかったことにしようと焦ってた。最低だなあ」
最低ではないが、そこは引っかかる。でも、あいらとただの実験パートナーのまま終わったら、今でも青山星佳を恋しく想っていただろう。
「あと僕の子供欲しい、って迫られたなあ」
「やめて! 私、本当におかしかった! 今は大学卒業して就職するのが先!」
「あいらの願いは、エロ小説書いて勉強して卒業して就職して子供か」
「まーね……あ、その前に、ううん、なんでもない」
彼女がそっぽを向いてキョロキョロしている。
「その前になに? 言っただろ。僕はあいらの望みを叶えたいんだ」
顔を逸らす彼女の両頬をはさみ、こっちを向かせる。大きな目をじーっと見つめた。十秒ほどの緊張の末、彼女は観念したように切り出した。
「スルーしてほしいけど……ハル君のお母さんから雑誌の花嫁さんの写真見せてもらったとき……白いドレス着たいなって、うわあああ、やっぱ忘れて!!」
またあいらは頭を抱え込んだ。
結婚式でドレスを着たいと言うのは、そんなに恥ずかしいことなのか? エッチしたい、子供欲しいとは言えるのに。
将来、BMIが発達したら彼女の望みが見えるだろうが、それまでは、彼女をよく観察しよう。
思い出した。あいらの夢があったじゃないか。これは今すぐ実現できる。
うずくまる彼女を抱き寄せ、耳元で囁いた。
「あいらは、大学でエロいことしたいんだよね? メイドが教授にヤられちゃう小説ってそういう意味だろ?」
「小説? 違う! あれはそうじゃなくて……やだ、どこ触ってんの!」
「あいら、自分を好きにしていいって言ったじゃん。今から思いっきり好きにするよ」
「それ取消し! 外でエッチはいや!」
「中ならいいんだ。小説では教授の部屋だったね。教授室は難しいけど、どこか建物に入ろうか」
「あ、え、えーと」
あいらの体から力が抜けた。これはいけるパターンだ!
しかし、次の行動に移ろうとしたとき、眩しい光線としゃがれた声に邪魔された。
「いーかげん出てってくんない? 正門、閉められないよ」
警備の制服を着たおじさんが立っている。僕らは、懐中電灯にギラギラ照らされた。
「きゃあああ、ごめんなさい!」
スロープにあいらの絶叫が響き渡る。
僕はピクニックシートを丸めて抱え、彼女の手を引いて退散した。
駅を降りてマンションまでの道をゆっくり進む。
「僕に、失望しただろ?」
「初めて会ったときとイメージ変わったけど、闇でヘタレなこと知って、もっと好きになったよ」
喜んでいいのか? 全然褒められていない。
「でも人類全滅みたいなラスボスはやめようね。みんなといる方が楽しいよ」
「そうか? 中学の時あいらをいじめたヤツとか、一円もくれない本当のお父さんとか、放置していいのか?」
ヘタレで闇な僕の傍にいてくれる彼女の力になりたい。もっともっと。
「考えないようにしている。追及すると私も闇に入りそうだから」
あいらは足を止め、振り返って手を降った。
夜の住宅街を歩く人はまばらだ。彼女の手振りに答える人は見当たらない。一体だれに手を振っているんだ?
「すっかり春だね。しばらくオリオン座とお別れかあ」
彼女の視線を辿ると、きれいに並んだ三つ星が輝いている。まもなく地に沈む冬の王者。
「あいらは本当に星が好きだね」
「うん。街の夜空も見慣れてくると、二等星や三等星が見えるようになるよ」
彼女が星を見つめるのは、帰れない故郷に心だけでも帰るためだ。
え? なぜ帰れないんだ?
「五月はあいらの誕生日か。連休中に星見スポット行こうよ」
「ありがとう! 彼氏からの誕生日プレゼントなんて、生まれて初めて!」
彼女がギュッと腕に抱きついてきた。
行くのはただの星見スポットではない。あいらの生まれ故郷。大好きな祖父母の家。
あいらの祖父母は、不倫をした娘を勘当した。
調査報告書には、祖父母はあいらを引き取るつもりだったが、彼女が母に着いていったとある。
両親はともかく、あいらのことを祖父母は歓迎するのではないか? 彼女は両親への遠慮で帰れないのだろう。
あいらを生まれ育った家に連れていきたい。
彼女には秘密にして、彼女の両親、そして祖父母に話してみよう。
「すごいよね。ハル君みたいな王子様が、私なんかの彼氏だなんて」
「あいら、『私なんか』って言うのやめなよ。いつもがんばってるじゃないか」
「ごめん、ついクセで。感じ悪いよね。気をつけるよ」
生い立ちのためか、彼女は自分を卑下している。もっともっと自信を持ってほしい。
ブレイン・マシン・インタフェースが発達したら、照れくさいけど、彼女に僕の心を見せよう。
装置ができあがるのはまだ先だ。それまでは何度も言葉で伝える。
君は素晴らしい人だと。僕は、そんな素晴らしい君を愛している、と。
待てよ?
僕の全てを見せるわけにはいかない。
BMIは素晴らしい技術だが、倫理的に大きな問題がある。
心は人間の究極のプライバシーだが、脳の中には境目がない。脳の情報を読み取ることで、秘密が暴かれる危険性がある。
この問題はよく議論されるが、脳の秘密を守る研究は、まだまだ課題が山積みだ。
僕の研究テーマが決まった。BMIのセキュリティ。情報通信においてセキュリティは必須だが、同じようにBMIでもセキュリティは重要だ。
篠崎あいらに知られたくないことが、ふたつある。
ひとつは、堀口宗太が本気であいらを想っていること。
情けないが僕には自信がない。彼女が宗太の気持ちを知ったら彼を選ぶのではないかと、不安で仕方ない。
もっと大きな秘密。あいらを初めて抱いたとき童貞だったこと。
絶対に知られたくない。
ただでさえ僕は、闇でヘタレとポイントが下がっている。こんな重大な秘密が明かされれば、王子の称号を剥奪されるだろう。
僕は王子。篠崎あいら専属の王子。
この地位だけは、絶対に失いたくない。
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