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三章 僕は彼女に知らせたい

73 僕らはいつまでも

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 だれもいない夜のキャンバス。優しい風が、白い花びらを運んでくる。
 僕と篠崎あいらは、芝生に敷いたピクニックシートに座って語りあう。

「私は、お父さんとお母さんにハル君の幸せを願う資格あると思うな」

 両親の話はしたくない。でも我慢しよう。彼女の今の望みは、僕と話すことだから。

「クリスマスの食事会で、お母さん、無理にピアノをやらせて悪かった、って言ってたよ。お父さんは、ハル君には好きなことしてほしいって」

 本当か? アイツら、あいらにカッコつけてるだけじゃないのか?

「彼女さんとの付き合いを応援してくれて、マンションで一人暮らしさせてくれて、私なんかと暮らすの認めてくれる……お父さんとお母さんは、ハル君が大好きなんだよ」

「……どうだか」

 未来、アイツらにブレイン・マシン・インタフェースを装着したら、本当の心がわかるだろうか……いや、そんなものは見たくない。

「私、やっぱり約束を守って、ハル君を幸せにしたい」

「今度親に会ったら、あいらのおかげで幸せだと言っとくよ」

 それは本当だ。今まで自分が不幸だと思ったことはなかった。
 僕は変わった。篠崎あいらが傍にいれば幸せだし、いなくなったら不幸だ。

「嬉しいなあ。でも本当に私でいいの? 一浪で年上だよ」

 この子、全然年上らしくないから忘れてた。僕と彼女の年齢差は一年九ヶ月。そうだ。今度の五月は、僕らが初めて迎える彼女の誕生日。再来月なんてあっという間だ。絶対、忘れてはいけない。

「それに私のせいで、お母さん高校辞めてシングルマザーになって、お父さんと不倫して、故郷追い出されて……」

 また始まった。僕は彼女の肩をギュッと抱き寄せた。

「本当はわかってるんだろ? 自分は悪くないって」

「まだいっぱいあるよ。私、ずっと浮いてて中学ではいじめられて、勉強だけはできたけど、この大学じゃ落ちこぼれ。貧乏でブスでデブ。彼女さんとは全然違うなあ」

 なぜ彼女が必要以上に自分をおとしめるのか、少しわかった。篠崎あいらは自分を認められた経験がないのだ。
 だから、僕が好きなのに、堀口宗太にお願いされれば初めてを差し出す。僕の親から「幸せにしてくれ」と頼まれれば、僕に自分を殴らせる。

「僕を幸せにしたいって、親に頼まれたから?」

「だ、駄目?」

「嬉しいよ。でも僕の親だからって、従うことはない。それより自分でしたいことを見つけなよ。大学だって、辛かったら辞めていいし」

「私ね、親に応援されたのもあるけど、勉強でなにかを見返したかった。ここは、理系しかできない私でも入れそうな有名国立だから、受験したの。そういうの、軽蔑する?」

「なんで? 自分が決めたことに向かって努力して、結果を出したんだ。すごいじゃないか」

 がんばった彼女、今でもがんばっている彼女を励ましたくて、頭を撫でる。

「小説みたいな世界を数学で表現するんだろ?」

「あー、あれね。これから数学をする自分に、無理やり言い聞かせたけど、本当は、なにから始めたらいいかわからない」

 大丈夫か? と、ひとつ思い出した。あまりいい提案ではないが、ダメ元で話してみよう。

「僕の前期の成績がイマイチだった時、父親がさ、会社の工業大OBにレポート手伝ってもらえって……いや、忘れていいよ」

 が、あいらの目がキラキラ輝き出した。

「それいいなあ。レポート手伝いはともかく、そのOBさんから話、聞いてみたい」

「い、いや、学科が違ったら、あまり参考にならないだろ?」

「細かいことはともかく、卒業してちゃんと仕事してる人だよ。どんな学生生活や就活をしたか、知りたいな」

 面白くない。自分で話題を出したものの、あの父親に手柄を取られたみたいだ。

「ハル君のお父さん、やっぱり優しいんだね」

 それは違うと言い返したかったが、あいらの笑顔を見ていたかったので、僕は言葉をのみこんだ。


「私、がんばる。一浪して入ったんだよ。ここでリタイアしたら、お父さんとお母さんに悪いもん。有名大卒の肩書が欲しいだけって、カッコ悪いけどね」

 彼女を動機づけるのに、親は欠かせないのか。

「カッコ悪くないよ。この国では大切な資格だ」

 意見は色々あるだろうが、有名大卒の肩書がなにかと有利なのは、間違いない。

「僕の方がカッコ悪いよ。本当はただ振られただけなのに、彼女と続いているフリしたり、親に反対されたってごまかしたりして」

「青山さんだっけ? こんなこと言いたくないけど、あの人、ハル君のこと本当に好きだったよ」

「無理に慰めなくていいよ」

「慰めじゃないって。文化祭の前、あの人とハル君が歩いてて、私、気になって後つけたら、すごい顔で睨まれた。しかもハル君にピタッとくっついてて……怖かった」

 確かにあの頃、青山星佳は歩いていると体を寄せてきた。正直に言うと、悪い気はしなかった。

「あの人、私のこと、ハル君を狙うストーカーと思ってたんじゃないかな。まあ嘘じゃないけど」

 それは、僕の母のせいだ。星佳は母から、僕とあいらを引き離すよう頼まれた。最初からあいらの顔を知っていた。

「文化祭のコンサートで聴いたあの人の歌も、すごく怖かった。私には、ハル君は自分のモノ、だれにも渡さない、って聞こえた」

「あれは、世界を支配しようと企む女王の歌だからね。怖くて当然だ」

「そう? 私、音楽わからないから……でも、私、教室の外の窓から見てたのに、歌ってるあの人と目が合った。終わってからも私を見て、ハル君に抱きついてほっぺにキスして、ハル君も嬉しそうだった……もう無理だなって逃げたの」

 逃げたあいらの後を宗太が追いかけた結果、ここまでこじれてしまったのか。
 あいらも星佳も悪くない。宗太は悪いな。でも、態度を曖昧にした僕が一番悪い。

「青山さん、ハル君と復縁したかったんだよ」

 青山星佳が僕を想っていた──そんなことを伝えてもあいらは得しないのに、僕を慰めるために教えてくれる。

「あいらは優しいな。それに比べて僕は、友達にわざと間違ったノートを渡してた」

「ノートのことなんだけど、一昨日、LINEで教えてもらったの。宗太君、ハル君のこと心配してた」

「情けないな。嫌がらせをした相手に心配されるなんて」

「ううん。私も関係あるよね。私と宗太君はただの友達だけど、間違えたのは事実だから」

 彼女が口を引き締めた。

「それでね、私と宗太君、もう連絡取らないことにした。私もハル君が青山さんと会ってたら嫌だし。無神経だった」

 ……宗太はあいらを友達とは思ってない。が、僕は彼女と違って優しくないから、そんなことは伝えない。

「そうか。本音を言うと安心した……ソータにはちゃんと謝るよ」

 篠崎あいらは静かに微笑み、コクンと頷いた。


「色々あったけど、あいらと付き合えたのは、ソータのお陰だよな。エッチな小説を書きたいから教えてって、アイツにそそのかされたんだろ?」

 僕の彼女は頭を抱え込んだ。

「うわあ、恥ずかしい……あの時、本当に好きな人として、過去をなかったことにしようと焦ってた。最低だなあ」

 最低ではないが、そこは引っかかる。でも、あいらとただの実験パートナーのまま終わったら、今でも青山星佳を恋しく想っていただろう。

「あと僕の子供欲しい、って迫られたなあ」

「やめて! 私、本当におかしかった! 今は大学卒業して就職するのが先!」

「あいらの願いは、エロ小説書いて勉強して卒業して就職して子供か」

「まーね……あ、その前に、ううん、なんでもない」

 彼女がそっぽを向いてキョロキョロしている。

「その前になに? 言っただろ。僕はあいらの望みを叶えたいんだ」

 顔を逸らす彼女の両頬をはさみ、こっちを向かせる。大きな目をじーっと見つめた。十秒ほどの緊張の末、彼女は観念したように切り出した。

「スルーしてほしいけど……ハル君のお母さんから雑誌の花嫁さんの写真見せてもらったとき……白いドレス着たいなって、うわあああ、やっぱ忘れて!!」

 またあいらは頭を抱え込んだ。
 結婚式でドレスを着たいと言うのは、そんなに恥ずかしいことなのか? エッチしたい、子供欲しいとは言えるのに。
 将来、BMIが発達したら彼女の望みが見えるだろうが、それまでは、彼女をよく観察しよう。
 思い出した。あいらの夢があったじゃないか。これは今すぐ実現できる。
 うずくまる彼女を抱き寄せ、耳元で囁いた。

「あいらは、大学でエロいことしたいんだよね? メイドが教授にヤられちゃう小説ってそういう意味だろ?」

「小説? 違う! あれはそうじゃなくて……やだ、どこ触ってんの!」

「あいら、自分を好きにしていいって言ったじゃん。今から思いっきり好きにするよ」

「それ取消し! 外でエッチはいや!」

「中ならいいんだ。小説では教授の部屋だったね。教授室は難しいけど、どこか建物に入ろうか」

「あ、え、えーと」

 あいらの体から力が抜けた。これはいけるパターンだ!
 しかし、次の行動に移ろうとしたとき、眩しい光線としゃがれた声に邪魔された。

「いーかげん出てってくんない? 正門、閉められないよ」

 警備の制服を着たおじさんが立っている。僕らは、懐中電灯にギラギラ照らされた。

「きゃあああ、ごめんなさい!」

 スロープにあいらの絶叫が響き渡る。
 僕はピクニックシートを丸めて抱え、彼女の手を引いて退散した。


 駅を降りてマンションまでの道をゆっくり進む。

「僕に、失望しただろ?」

「初めて会ったときとイメージ変わったけど、闇でヘタレなこと知って、もっと好きになったよ」

 喜んでいいのか? 全然褒められていない。

「でも人類全滅みたいなラスボスはやめようね。みんなといる方が楽しいよ」

「そうか? 中学の時あいらをいじめたヤツとか、一円もくれない本当のお父さんとか、放置していいのか?」

 ヘタレで闇な僕の傍にいてくれる彼女の力になりたい。もっともっと。

「考えないようにしている。追及すると私も闇に入りそうだから」

 あいらは足を止め、振り返って手を降った。
 夜の住宅街を歩く人はまばらだ。彼女の手振りに答える人は見当たらない。一体だれに手を振っているんだ?

「すっかり春だね。しばらくオリオン座とお別れかあ」

 彼女の視線を辿ると、きれいに並んだ三つ星が輝いている。まもなく地に沈む冬の王者。

「あいらは本当に星が好きだね」

「うん。街の夜空も見慣れてくると、二等星や三等星が見えるようになるよ」

 彼女が星を見つめるのは、帰れない故郷に心だけでも帰るためだ。
 え? なぜ帰れないんだ?

「五月はあいらの誕生日か。連休中に星見スポット行こうよ」

「ありがとう! 彼氏からの誕生日プレゼントなんて、生まれて初めて!」

 彼女がギュッと腕に抱きついてきた。
 行くのはただの星見スポットではない。あいらの生まれ故郷。大好きな祖父母の家。

 あいらの祖父母は、不倫をした娘を勘当した。
 調査報告書には、祖父母はあいらを引き取るつもりだったが、彼女が母に着いていったとある。
 両親はともかく、あいらのことを祖父母は歓迎するのではないか? 彼女は両親への遠慮で帰れないのだろう。
 あいらを生まれ育った家に連れていきたい。
 彼女には秘密にして、彼女の両親、そして祖父母に話してみよう。

「すごいよね。ハル君みたいな王子様が、私なんかの彼氏だなんて」

「あいら、『私なんか』って言うのやめなよ。いつもがんばってるじゃないか」

「ごめん、ついクセで。感じ悪いよね。気をつけるよ」

 生い立ちのためか、彼女は自分を卑下している。もっともっと自信を持ってほしい。
 ブレイン・マシン・インタフェースが発達したら、照れくさいけど、彼女に僕の心を見せよう。
 装置ができあがるのはまだ先だ。それまでは何度も言葉で伝える。
 君は素晴らしい人だと。僕は、そんな素晴らしい君を愛している、と。


 待てよ?
 僕の全てを見せるわけにはいかない。

 BMIは素晴らしい技術だが、倫理的に大きな問題がある。
 心は人間の究極のプライバシーだが、脳の中には境目がない。脳の情報を読み取ることで、秘密が暴かれる危険性がある。
 この問題はよく議論されるが、脳の秘密を守る研究は、まだまだ課題が山積みだ。

 僕の研究テーマが決まった。BMIのセキュリティ。情報通信においてセキュリティは必須だが、同じようにBMIでもセキュリティは重要だ。


 篠崎あいらに知られたくないことが、ふたつある。
 ひとつは、堀口宗太が本気であいらを想っていること。
 情けないが僕には自信がない。彼女が宗太の気持ちを知ったら彼を選ぶのではないかと、不安で仕方ない。

 もっと大きな秘密。あいらを初めて抱いたとき童貞だったこと。
 絶対に知られたくない。
 ただでさえ僕は、闇でヘタレとポイントが下がっている。こんな重大な秘密が明かされれば、王子の称号を剥奪されるだろう。

 僕は王子。篠崎あいら専属の王子。
 この地位だけは、絶対に失いたくない。


 《了》
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