狂い咲く花、散る木犀

伊藤納豆

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3章 幸せの形は人それぞれ

40話 不器用

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最初は好奇心だった。


明楼会の組長である自分にこんな威勢よくタテを付く人間を、見たことが無かった。自分の存在を知らない人でも、琳太郎の姿と視線がどんなに屈強な男でも委縮させてきた。しかし、あの小さくか弱そうな少年は違った。その見た目とは裏腹に、肝の据わった心が琳太郎の興味を引きたてた。


そして晴柊に触れれば触れるほど、琳太郎は理解していったのだ。晴柊の美しさと、自分の汚さを。


汚いものが、綺麗なものをより一層輝かせる。綺麗なものが、汚いものをより一層醜くさせる。皮肉なことであった。琳太郎は、心の奥底では気付いていた。どんな手段で晴柊を堕としても、自分のものにはならないということに。それを認めたくなくて晴柊をこの部屋に閉じ込め繋ぎ止めてきた。晴柊の首と足に纏わりつくそれらが証明していた。


それを誤魔化し続けていたが、限界だった。晴柊の言葉もまともに聞こうともせず本能のままに彼を傷つけている。晴柊の口から直接自分を否定されることを拒むように、逃げ続けていた。


俺を拒むな。

俺から離れるな。

誰かのものになるくらいなら、いっそ―――。


そう思った琳太郎は、晴柊の白く細い首に両手を当てがった。2本の親指で、確実に晴柊の気道を抑える。晴柊の辛そうな呼吸音が止まった。血が上り、顔が少しずつ赤くなっていく。琳太郎は、それをじっと眺めていた。今、お前のことを殺そうとしている奴のことを、晴柊はどんな顔をしてみるのだろうか。恐怖だろうか。憎しみだろうか。


「………っ……ころし、て……いぃ……ょ………りんたろう…」


晴柊は、目を細め笑った。掠れた声で晴柊は、まるで自分を殺すことに迷いを感じているような琳太郎を励ますかのような言葉をかけた。晴柊の目じりから一筋の涙が伝い、ベッドシーツを濡らす。その姿を見て、琳太郎は確信した。


自分は、もう晴柊を殺せない。


琳太郎はそれに気が付くと、晴柊の首から手を離した。咳き込む晴柊をみたあと、思わず下を向いて無様な自分に笑ってしまいたくなった。琳太郎には、もう晴柊を殺すことはできなかった。繋ぎ止めておくこともできない上に、殺すこともできない。


「……もう潮時だな。」


琳太郎は、晴柊を繋いでいた足枷を外すと、手首に巻き付けていたガムテープも剥がした。そしてポケットから鍵を取り出し、晴柊の首輪を外した。晴柊の身体が完全に自由になったのはここに連れられてから初めてのことだった。晴柊は驚いたが、荒い呼吸のせいでうまく言葉が出てこない。


琳太郎はベッドから降り、寝室のクローゼットを開けると紙の束を晴柊の元に置いた。それは、分厚い札束だった。


「これだけあればしばらくは暮らしていける。……お前はもう自由だ。好きなとこに行け。」


琳太郎は晴柊の顔を見ないままそう言うと、そのまま寝室を後にし、マンションの部屋からも姿を消した。世話役の部下も琳太郎もいない、この広いマンションの一室に、晴柊は解放された状態で一人置き去りにされた。晴柊は1人ベッドの上で身体を固まらせていた。急にどうして、何故、晴柊がそんな言葉を掛ける前に琳太郎は行ってしまった。


あれほど願った解放だ、喜ばしいことじゃないか。ここを出ていけば自由になれる。普通の暮らしができて、幸せになれるんだ。


かつてない程静まり返った室内に、晴柊の頭が少しずつ冷静になっていく。しかし、そこにはあの青年の杞憂などは最早無かった。ただ、自分の首を絞める琳太郎の苦しそうな顔が頭から離れなかった。あんな表情見たことなかった。晴柊の目の前で部下を殺してみせたあの琳太郎が、まるで、犬である自分を殺すことを恐れている様だった。


晴柊は傍に置かれた札束をぎゅっと握ると、ベッドを降りた。玄関に向かうと、扉が開いたままになっている。晴柊は、そっと玄関の扉の方へ歩みを進めた。



琳太郎が下に車を呼んでいた。運転してきたのは篠ケ谷だった。誰も当番に向かっていないのに琳太郎が一人マンションを後にしたことから、晴柊を取り巻く環境に変化があったことは違いがないと部下全員が察していた。しかし、真相は誰にもわからない状況だった。


「……いいんすか、誰も見張り付いてないっすけど。」

「もう必要ない。あいつを解放した。」

「……は?」


エンジンをかけた篠ケ谷は、琳太郎の発言に耳を疑った。晴柊を解放した、あの琳太郎が。まさかだった。遊馬の報告からリビングに現れた琳太郎を見たとき、今度こそ晴柊を殺すかと思った。部下をはけさせたことも、気にかかっていた。それがまさか、晴柊を手放したとは。

「……本当にいいんですか。」

「黙って事務所に向かえ。」


琳太郎は、普段よりも荒々しい態度で篠ケ谷に指示する。相当堪えてるじゃねえかと篠ケ谷は思いながら言われた通り車を走らせた。琳太郎はずっと窓の外を見ている。いつも感情がわかりづらいが、ここ最近の琳太郎は、特に晴柊のこととなると分かりやすいほどの反応を見せる。それは今も一緒だった。少しの苛立ちと不安、そしてどこか悲しそうな顔。


篠ケ谷は前をみたまま口を開く。今の琳太郎に話しかけるなど自殺行為だったが、黙ってはいられなかった。


「アイツが組長のものじゃなくなったってんなら、俺や遊馬がもらっても文句ないんですよね。」


そんな気はない。篠ケ谷は、琳太郎を試すように口にした。いつもの琳太郎なら鼻で笑うか適当にあしらうはずなのだが―――。篠ケ谷の座る座席が揺れる。琳太郎が後ろから長い脚で蹴り上げたのだ。


「黙れと言ったはずだ。」


琳太郎が篠ケ谷をバックミラー越しに睨んだ。「良いぞ」と言わないのが答えではないか、と篠ケ谷はため息をつきたくなるのをぐっと堪えた。いつも容量がいいはずの琳太郎は、晴柊のことになると途端に不器用になる。晴柊がいなくなって琳太郎の癇癪がこっちに降りかかることを篠ケ谷は危惧していた。


事務所に付き、榊、天童、遊馬、そして日下部に篠ケ谷から事情を伝える。遊馬からの報告をすり合わせれば、なんとなく事の運びを察した部下たち。晴柊が外と接触を図っていたことを気付かなかった落ち度を、仕事として全員が反省しているようだった。


事務所内が異様な雰囲気に包まれる。琳太郎はそのまま、すぐに仕事に没頭し始めた。全てを忘れたいとでもいうように。そんな琳太郎に、誰もがこれ以上深堀するのをやめた。
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