狂い咲く花、散る木犀

伊藤納豆

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5章 洗礼

78話 拗ねる犬ここに一匹

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「ズルい。」

「な、何が…」

「シノが混ざったって。晴柊と組長のセックスに。キスもしたって。」

「だから、それは…」


晴柊はキッチンで遊馬に問い詰められていた。手元はシャカシャカと卵を溶いているが、今にでも零してしまいそうなほど動揺している。それもすべて、今カウンター越しににやにやとこちらの様子を面白そうに見ている榊寅之助が原因である。


昨晩、晴柊は琳太郎の強行突破で篠ケ谷を交えてセックスをしていた。挿入こそしてはいないが、篠ケ谷とキスまでしている。あれはその場の勢いであったりするのだが、何より篠ケ谷の表情が少し寂しそうに、悲しそうに見えたのだ。我が子を慰めるようなものである。そしてその一連のことを、何故か榊にバレたのである。


というのも、琳太郎はそのまま朝まで晴柊を抱き潰していた。篠ケ谷もちょっかいを出しながら付き合っており、気付けば篠ケ谷と榊の交代の時間がきていたのだった。いるはずの篠ケ谷がいないと、榊が騒がしい寝室をこっそり覗いたことで、全て筒抜けになったのだった。


榊は面白いものをみた!と、その後一人寝室から出てきた篠ケ谷に事の経緯を問い詰めたのだった。そしてあろうことか、怪我が完治していないためしばらく晴柊の傍にいることになり、その後合流した遊馬にもそれをバラしたのである。


遊馬は晴柊のことが大好きである。それは恋心に近いほどに。晴柊も遊馬の言わば重たい感情を重々理解していたので、榊がバラして血相を変えて問い詰めてくる遊馬を何とかやり過ごさねばと相手している最中であった。そもそも、榊にバレていること自体晴柊には赤面案件なのである。


「ねえ、今度俺も混ぜて。」

「だ、駄目だよっ!大体、俺がその、た、たたなくて、だから、特例だったっていうか…」


というわけで、遊馬は晴柊にねちっこく問い詰めていたわけである。遊馬にとって篠ケ谷は犬猿の仲であり、年齢からしても一番自分と近い立場の存在である。そんな篠ケ谷が、ということもまた、遊馬の嫉妬心を増幅させていたのである。


晴柊は楽しそうにこちらを観戦する榊を「トラくんのせいだからな!」と不満げに見た。榊はこうして人をおちょくることが大好きなのである。遊馬はまさに榊の格好のエサにされていたのだった。


「ほら、火使うよ。危ないか――」


熱したフライパンに溶いた卵を落とそうとする晴柊の腕を遊馬は思い切り掴んだ。その力強さと勢いに晴柊は思わずボウルを床に落とす。晴柊がハッとしたときには、遅かった。これはまずい、そう思ったのは榊も同じで、思わず晴柊達の方へと足を進めた。遊馬だけが晴柊を真っ直ぐ見つめ、その場から動こうとしていなかった。


「はぐらかさないで。ねえ、晴柊。こっち向いてよ。俺じゃダメなの?俺は守り切れなかったから?ひどい目に合わせちゃったから?何があっても晴柊のこと守るから。信じて。俺だってもっと晴柊に触れたいんだ。組長のものだから、晴柊も組長のこと好きだから、だから俺だって一歩引いてきたのに。シノはよくて俺がダメなんて、気が狂いそうだよ。」


遊馬が自分よりも頭一つ低い晴柊を見下ろし、そのまま動揺する晴柊の頬を持ち上げて噛みつくようにキスを落とそうと、顔を寄せた。晴柊は「喰われる」そう思い、思わず身構えた。榊が遊馬の肩を掴み止めようと手を伸ばした時、寝室の方からどんでもない鈍い音が響く。晴柊は身体をビクつかせ、遊馬もすんでのところで止まった。全員がゆっくりとその音の方向へと視線を向ける。


「朝からうるせぇなぁ………晴柊、こっち来い。俺が起きる前に勝手にベッドから出るな。」


琳太郎の一段と低い声が静まり返ったリビングに響く。ギリギリ聞こえるぐらいの声量ではあったが、全員の頭にしっかりとその言葉が入っていく。持ち前の寝起きの悪さと、朝起きて隣に晴柊が居なかった機嫌の悪さと、迫る遊馬の様子を見て琳太郎は今にでもとんでもない音を出して開けた扉をもぎ取ってしまうのではないか、というくらい力を込めている。それが寝起きの体力なのであろうか。


晴柊は目の前の遊馬もマズいと思ったが、あの琳太郎を放置することの方がマズいと思った。幸い榊もいる。遊馬のことはそもそも面倒ごとを落とした榊に任せようと、晴柊は慌てて火を止め、ぱたぱたと琳太郎の方へ駆け寄り、回収するように寝室へ2人で入った。遊馬のことは少し気がかりであったが、あとでゆっくり話をしようと思った。あの事件で不安定になっていたのは自分だけではなかったのだと思った。


寝室に入るなり、まだ眠そうな琳太郎は晴柊もろともベッドに押し倒した。どうやら遊馬との会話は聞こえていたらしい。不機嫌オーラがとめどなく漏れ出ている。


「おはよう。ごめん…朝ごはん作ってから起こそうと…」

「アイツらのこと甘やかすのはいいが、躾はちゃんとしておけよ。アイツら全員忠実な犬にみせかけた狂犬だからな。お前に噛みついて良いのは俺だけだ。わかってるな?お前は隙がありすぎる。」


琳太郎が晴柊の首元に噛みつき、これ見よがしに痕をつけた。昨日の篠ケ谷も、渋々といった打開の策であり琳太郎の本望ではなかった。何より最初は嫌そうだった篠ケ谷も、晴柊に当てられたのか何なのか、自分の欲求を抑えられてそうには思えなかった。そして今朝はその噂を聞きつけたのであろう、遊馬に食われそうになっている。油断も隙もありゃしない。琳太郎は、晴柊は俺の物だと印をつけたのだった。


「うん、ごめん。シノちゃんも琉生くんも、琳太郎だって、不安なんだよね。俺が心配かけちゃったから。丁度もう直ぐ新年も迎えるし、少しずつ元に戻っていけばいいよ。ね。」


晴柊は琳太郎をぎゅっと抱きしめた。一番ひどい目に合ったはずの晴柊が、まるで親の様に琳太郎を包んでいた。自分に何かあったとき、本人と同じくらい傷き動揺し不安になる人がいる。晴柊は自分の身体が自分だけのものじゃないことに気付いたのだった。晴柊が謝ることではない、と、琳太郎は晴柊の口を優しく塞ぐと、何も言わないままゆっくり目を閉じた。もう少しだけ、この温かい身体に触れていたかった。



しばらくして琳太郎と2人寝室を出たところには、反省している様子の遊馬が立っていた。耳と尻尾が生えていたら確実に垂れ下がっているであろうその様子に、晴柊は思わず笑ってしまいそうになった。


琳太郎はそそくさと仕度をしに洗面所へと行ってしまい、遊馬と晴柊、それを後ろのソファから榊が見守っている。


「は、晴柊…ごめん…俺、乱暴働いて…酷いことしちゃった…ごめんなさい…」


遊馬はおどおどしながら晴柊に答えた。本当に一端のヤクザか?と思うほど今は覇気がない遊馬に、晴柊は背伸びをして頭をわしゃわしゃと撫でた。まるでシルバに触れるかのように、少し雑に、遊馬の黒い髪に指を通す。


「わかってるよ。琉生くんも不安なんだもんね。俺にとっては、琉生くんもシノちゃんも、トラくんにだって、上も下もないよ。でもさ、今日から年末までの4日間、琳太郎がいないときは、琉生くんが俺のこと独り占めしていいよ。我慢させちゃった分、好きなことしよう。」


晴柊はぺたぺたと遊馬の頬を叩き、満面の笑みを浮かべた。遊馬は思わずまたキスしてしまいたい衝動に駆られるが、ぐっと堪える。そして晴柊の言葉が嬉しかったのか、コクコクと頷いた。榊は、あの遊馬を手名付ける晴柊の手腕にまた感動し、自分が蒔いた種だというのに心底楽しそうに見ているのだった。


晴柊は、この世界の洗礼を受けた。覚悟していたことだったが、それでも晴柊にとっては忘れられないほど、トラウマに近い経験になった。しかし、だからといって琳太郎のもとを離れようという思考には至らなかった。むしろ不思議と、離れたくないと強く思い直すのだった。



そして時期はあっという間に、大晦日、12月31日を迎えることになる。二人にとって、ここ数週間の怒涛さを補うようなゆっくりとした日常が再スタートした。
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