四本目の矢

南雲遊火

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第一話 二宮余次就辰の受難

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 その言葉は、にとって、となった。


  ◆◇◆


二宮にのみや余次よじ、ただいま馳せ参じましてございます」

 暖かい日差しの元、日当たりの良い縁に座る老齢の男に、若いその男は、深々と頭を下げる。

虎法丸とらほうまる……いや、就辰なりとき、か」

 よう、参られた……と、背を丸めたまま、振り返った老人は、目を細めて微笑む。
 膝の上には何処から連れ込んだのか、見慣れない黒い猫を抱えていた。

「ふむ、お前の頭に冠を乗せたのが、昨日のことのようじゃの」
「御戯れを……もう、三年も前のことでございまする」

 赤面を隠すように伏す就辰に、老人は、可笑しそうに笑った。
 穏やかで人のよさそうなその老人が、就辰の主であり、後年、『謀神』と称される、毛利もうり元就もとなりその人である。

「すまんの。唐突に呼びつけて」
「いえ。構いません」

 就辰は首を横に振り、「直々に」といって呼びつけた、主の言葉を待つ。

 国を譲ったはずの嫡男隆元が亡くなってから、早二年。
 つい先日、その隆元たかもとの息子であり、元就の孫にあたる幸鶴丸こうつるまるが元服した。
 吉日めでたいの勢いで、主だった家臣の面々は尼子攻めのため、北の月山富田城へ向かっていった。
 元就自身も、すぐに向かうと聞いていたのだが──。

「我らが尼子攻めに向かっている間、お前には、ある役目・・についてもらいたい」
「お役目……で、ございますか!」

 パッと、就辰の表情が明るくなった。

「若輩ながら二宮余次就辰! 全力でお役目、全ういたします!」
「これこれ、元気と勢いが良いことは大変良いが、どのような役目か聞いて、内容をきちんと把握、確認してから、答えぬか……」

 先走り過ぎて、先ほど以上に赤面して突っ伏した就辰を、「まったく、誰に似たのやら……」と、可笑しそうに元就は笑った。

「実は……の……?」


  ◆◇◆


 上座に静かに座った女性に、就辰は平伏する。

「二宮余次にございます」
「ようこそいらっしゃいました。余次様」

 面をどうぞ、お上げになって。と、おっとりとした口調で女性は答えた。
乃美のみ大方おおかた』と呼ばれるその女性は、元就の正妻妙玖みょうきゅうの死後に嫁いだ、元就の三人の側室の一人である。

 口調通り──おっとりとした、朗らかで穏やかな女性だ。
 七十が近い元就とは、親子以上に年齢が離れ、三十をいくつか過ぎた程であると、就辰は聞いていた。

「今回の件、御屋形様から、どのくらいお聞きしましたか?」
「いえ。それが、ほとんど……詳しくは、大方まる様から、きいてくれ、と……」

 まぁ……と、乃美の大方は、細い目を見開いた。

「まぁ……ほんとうに、しょうがない人」

 乃美の大方は、呆れながらも、クスクスと笑う。
 わかりました。と、佇まいを正し、乃美の大方は、改めて口を開いた。

「余次様。貴方へのお願いというのは、ほかでもありません。私の息子、四郎……宮寿丸みやじゅまるの事でございます」

 元就には、亡くなった正室、妙玖との間に、後世に名を残す有名な三人の息子と、溺愛する一人の娘がいる。

 二年前に亡くなった長男、毛利もうり隆元たかもと
 吉川家に養子に入った、武勇轟く次男、吉川きっかわ元春もとはる
 小早川家へ養子に入った、父譲りの知将、三男の小早川こばやかわ隆景たかかげ

 そして、元就最愛の娘であり、かつては敵対していたものの、元就の家臣となった宍戸ししど隆家たかいえの元に嫁いだ、五竜局ごりゅうのつぼね

 しかし、それ以外にも、元就には子が何人かいるのだ。

 前述の通り、元就は大変な愛妻家であった。
 政略的に結婚した吉川氏の娘、妙玖が死ぬまで、彼は側室を、一人も持たなかった。

 妙玖を失った元就のあまりの嘆き様に、三人の息子が心配し、それぞれ一人ずつ──小幡おばた元重もとしげの姉『中の丸』、三吉みよし隆亮たかすけの妹『三吉氏』、そして乃美の大方の三人を父に薦めて、嫁いできた経緯があった。

 乃美の大方は、元就の三男、隆景が養子に入った小早川家の庶流にあたる、茶臼山城主乃美のみ隆興たかおきの娘で、嫁いで間もなく懐妊し、生まれたのが、元就の四男、宮寿丸みやじゅまるである。

 就辰の記憶が正しければ、宮寿丸は今年、十六。
 そろそろ、元服の話がちらほら出てくる頃合いである──はずなのだが。

「実は、四郎は此処に、いないのです」

 なるほど。姿を一度も見たことが無いわけだ。と、就辰は納得した。

 次男の元春しかり、三男の隆景しかり。
 元就は昔から、子が生まれると他家に養子に出し、成長したその息子を当主とした家を丸ごと、毛利家の家臣として、取り込んでしまう策をよく使っていた。

 しかし、乃美の大方の言葉に、就辰は思わず言葉を失う。

「四郎は、その……御屋形様と折り合いが悪く、八年前から私の父と、隆景殿に預けているのですが、連絡が取れないのでございます」
「は……?」

 ぎょっとした就辰の顔に、慌てたように乃美の大方は首を振った。

「あ、ごめんなさい。ちょっと語弊がありました。……父からも、隆景殿からも、まめにお手紙連絡はいただいております」

 ですが──と、乃美の大方は表情を曇らせた。

「返事は常に「息災である」と。本当に息災であるのならよいのですが、先日、椙杜すぎのもり家の吉満丸よしみつまる殿……えっと、四郎とは半年離れた異母弟おとうとに、元服の話があがりまして……その話と、ついでというわけではないですが、四郎の元服もそろそろ……といった話を、非公式に伝えた途端、連絡がぱったりと……」

 もちろん、尼子攻めの件については知っているので、父と隆景、二人そろって四郎どころではなく、そのせいで連絡が無い。ということも、考慮はしているけれど。と、乃美の大方は肩を落とす。

「母として心配である。という事を御屋形様に相談したところ、御屋形様が、丁度良い適役・・が、いらっしゃると……」

 自分が適役・・かどうかは正直言って不明なのだが、渋い顔を就辰は浮かべた。

「お願いします。余次様。父や隆景殿が留守の間に、四郎の様子を、見てきてくれませんでしょうか?」

 とりあえず、乃美の大方この人が、どこまで知っている・・・・・・・・・かは不明だが、妙な役回りを毛利元就あの人就辰自分に押し付けてくれたな。と、苦虫を噛み潰して呑み込み、にっこりと笑い、頭を下げる。

「わかりました。どうぞ、この余次に、お任せくださいませ」
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