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新たなる混乱編
第八十七章 ユミル
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深く、暗く、じっとりとした、洞窟の奥底のような場所。
彼が想う、居心地の良い空間を反映してか、それは、今までとは異なる様相であった。
ルツはゆっくり、彼に近づく。
彼は仰向けに横たわり、目を瞑り、小さく寝息を立てていた。
彼の周囲に、陽炎のような映像が、ぼんやりと浮かんでは、消え、それが幾度も繰り返される。
それが周囲の艶やかな鉱物に反射して、幻想的に煌めいた。
『主様』
ルツの声に、瞼がゆっくりと開き、赤い、宝石のような瞳が、鈍く輝く。
同時に映像は消え、周囲は──洞窟は、暗闇に戻った。
静かに、モルガが口を開く。
『……最初は、美しい機体を、作ってみたかった』
初めて、戦場に出て、そして……。
『生還率の高い機体を、作りたいとおもった……』
『主様! もしかして、記憶が!』
嬉しそうな声をあげるルツを制止するよう、モルガは首を横に振った。
『確かにかつて、そういうことが、あった。そう、あの時、自分は、心の底からそう、思ったはずなのだ……。なのに、今の自分は、そこに、なんの感情も、湧かないのだよ……』
微かに目を伏せ、モルガは小さくため息を吐く。
明確な記憶はあるのに、それを、自分の事として受け止めることができない。
喜びも、悲しみも、怒りも、複雑に絡み合う感情の全てが、今は遠く──脆く──。
それはまるで、劇場で過去の記録映像を繰り返し見ている、観客のような感覚で──。
知っているはずなのに、共感ができない。
『だから自分は、師匠にむかって、あんな残酷な提案をすることが、出来たのだ……』
おいで……と、モルガはルツに手招きをし、小さな彼女を抱きしめる。
『ルツ。君は、君の役目を、果たすのだ』
『主様』
泣きそうな小さな少女の頭を、そっとモルガは撫でる。
『主様は、本当に、それで、良いのですか……?』
ルツの問いに、ほんの微かではあるが、モルガの表情が翳りを見せる。
それはまるで、心の底から、答えに困っているような。
『理解できない。判断できない』
けれど……。
『わからないなりに、今、できることを、しなければならない。……それだけは、わかるよ』
◆◇◆
「エロヒム・ツァバオトだと!」
宮殿の一室。誰かが突然入ってこないよう、内側から鍵をかけ、アックスはダァトと対峙する。
「まさか……そんな……馬鹿な……」
「そんだけ狼狽えとるっちゅーことは、本気で知らんかったって事じゃな……」
腕を組み、じっとりと睨むアックスに、ぶんぶんとダァトは両手を振って否定した。
「創造神が作りし生命の木に宿った実は十。うち、光を宿した実は七つ。それが……」
「精霊機に宿る神っちゅーことは、わかっとる」
うんうんと、アックスはうなずいた。
「問題は、その宿らんかった実は、その後、どうなったんかっちゅうことなんじゃが……」
「もちろん、生命の木ごと、我が神殿にて管理しておる……既に望みは薄いが、今後、光が宿らないとも限らない故な」
しかし……と、ダァトは腕を組み、うんうんと唸る。
「にわかには、信じられないな……」
「ワシは伝聞で会っとらんが、兄ちゃ……シャダイ・エル・カイと、エロヒムは直に見たそうじゃ」
光の精霊機に宿る、二柱の神を。
「一つの機体に、二つの神……そんなことをして……しかし……だが……あるいは……」
ぶつぶつと呟き始めたダァトに、「もしもーし」と、アックスが呼びかける。
「此処で今悩むのはやめてつかぁーさい。とにかく、創造主の件同様、これはお前が介入するべき『異常事態』とみて、大丈夫かの?」
「も・ち・ろ・ん・だ!」
顔をあげるダァトの、フードの奥の口が、ニヤリと笑った。
「おのれエロハにエロヒム・ツァバオトッ! 二千年もの間、審判の我が目を欺くとは、いい度胸ではないか……」
「怖ッ!」
覚悟しておれッ! べきべきと指を鳴らすダァトに、アックスはぶるりと肩を震わせた。
◆◇◆
「………………」
スルーズとアウルの件で、一時、心乱したものの、暴れて落ち着いたユーディン。
間もなく通された、新たな謁見相手を前にし、彼は懸命に、かける言葉を探した。
「………………」
跪いた相手も、無言で、ジッと、自分を見上げている。
ユミル=バーミリオン。
母ライラが死んだ後、父帝の後添えとして迎えられた新皇后ヘイムとの間に生まれた、今年十二歳になる、異母弟。
もちろん、母が死んだ理由が理由なので、ユーディン自身、新皇后やその一派には警戒していたし、また、相手側も積極的にユーディンに関わろうとせず。
また、歳も離れており、ユミル自身がいまだ未成年であることから、異母兄弟とはいえ、これまでまともに顔を合わせたことが、ほとんど無かった。
ユーディンは一生懸命記憶をたどったが、大体ヘイムの後ろにくっついて歩いている姿しか、思い出せない。
「………………」
「………………」
気まずく重い、無言の時間が過ぎる。
「あのぉ……陛下?」
限界を感じたギードが、おそるおそる声をかけた。
「なんだ。うるさいぞ。黙れ! 空気を読めッ!」
「空気読んだから声かけたんでしょうがッ!」
ひどいッ! と、ギードは批難の声をあげる。
その態度にムッときたユーディンの口から、思わず本音が飛び出した。
「大体さっきから、なんで貴様が此処にいるんだ!」
「ひでぇ。隊長が死んで、二等騎士・ビリジャンも班長もダメで、とりあえず自由に動けて陛下の補佐できそうなの、ガチでオレしかいないからくっついてたのに!」
痛い事実を突き付けられたユーディンは、ギリッと歯を食いしばって黙る。
決して、ユーディン自身に人望が無いわけではない(ハズな)のだが、信頼ができ、かつ、社会的な地位を持つ者たちが、メタリアの援軍と今回の反乱で、立て続けにいなくなってしまったことは、大ダメージ極まりない。
「……ぷぷッ」
ん? と、ユーディンとギードは顔を見合わせた。
同時、ずっと無言を貫いていたユミルが、我慢の限界とばかりに、顔を赤く染めて、ケラケラと笑い始めた。
「ぷはははッ! なーんだ、兄上って、ものすごく面白い人じゃない!」
面白い……? 弟から予想外な感想を口にされ、思わずユーディンの目が、点になる。
「母上も伯父上も、ものすごく怖い人だって言ってたから。身構えて損しちゃった!」
あ、いや、その評価、間違ってないです……。そう言いかけたギードの頬を、ユーディンはつねり上げた。
「兄上。僕、良い子にします。母上の言う事も、守ります」
ユミルは嬉しそうに立ち上がると、ユーディンに近づく。
慌ててギードが制止したが、構うことなく、ユーディンにじゃれつくように飛びついた。
「だから、安心して、僕を後継者に、指名してください」
そのまま、ユーディンの膝の上よじ登るように、ユミルは座った。
まるで普段から、そうやって、誰かの膝に座っていたかのように、実に、自然な振る舞いで。
しかし、ユミルの方は、ユーディンが義足であることを知らず、金属製の大腿の座り心地が思いのほか悪かったのか、顔をしかめた。
「兄上。皇帝の椅子って、本物は、ものすごく堅いんですね。お尻、痛くなりそう……」
「………………」
純真無垢な、赤い瞳。
きっと、彼の言葉に、他意はないのだろう。
この後自分は、一体、どんな顔をして──どんな対応したのか、正直、ユーディンは憶えていない。
父が──先帝が、精神を病んだ自分を、廃嫡しなかった理由。
否、廃嫡、できなかった理由──。
(単純明快、相対的にみて、余の方がマシだった……ということか)
天真爛漫、と、言ってしまえば、きこえはいい。
まだ、子どもだという、免罪符もあるだろう。
けれども。
生まれながらに甘やかされた所以か。
それとも、元々傀儡とするつもりで、本人に教育を施すことなど、微塵も考えもしなかったのか。
ユーディンの目から見ても、異母弟に、国を治める技量や才覚は、無かった。
彼が想う、居心地の良い空間を反映してか、それは、今までとは異なる様相であった。
ルツはゆっくり、彼に近づく。
彼は仰向けに横たわり、目を瞑り、小さく寝息を立てていた。
彼の周囲に、陽炎のような映像が、ぼんやりと浮かんでは、消え、それが幾度も繰り返される。
それが周囲の艶やかな鉱物に反射して、幻想的に煌めいた。
『主様』
ルツの声に、瞼がゆっくりと開き、赤い、宝石のような瞳が、鈍く輝く。
同時に映像は消え、周囲は──洞窟は、暗闇に戻った。
静かに、モルガが口を開く。
『……最初は、美しい機体を、作ってみたかった』
初めて、戦場に出て、そして……。
『生還率の高い機体を、作りたいとおもった……』
『主様! もしかして、記憶が!』
嬉しそうな声をあげるルツを制止するよう、モルガは首を横に振った。
『確かにかつて、そういうことが、あった。そう、あの時、自分は、心の底からそう、思ったはずなのだ……。なのに、今の自分は、そこに、なんの感情も、湧かないのだよ……』
微かに目を伏せ、モルガは小さくため息を吐く。
明確な記憶はあるのに、それを、自分の事として受け止めることができない。
喜びも、悲しみも、怒りも、複雑に絡み合う感情の全てが、今は遠く──脆く──。
それはまるで、劇場で過去の記録映像を繰り返し見ている、観客のような感覚で──。
知っているはずなのに、共感ができない。
『だから自分は、師匠にむかって、あんな残酷な提案をすることが、出来たのだ……』
おいで……と、モルガはルツに手招きをし、小さな彼女を抱きしめる。
『ルツ。君は、君の役目を、果たすのだ』
『主様』
泣きそうな小さな少女の頭を、そっとモルガは撫でる。
『主様は、本当に、それで、良いのですか……?』
ルツの問いに、ほんの微かではあるが、モルガの表情が翳りを見せる。
それはまるで、心の底から、答えに困っているような。
『理解できない。判断できない』
けれど……。
『わからないなりに、今、できることを、しなければならない。……それだけは、わかるよ』
◆◇◆
「エロヒム・ツァバオトだと!」
宮殿の一室。誰かが突然入ってこないよう、内側から鍵をかけ、アックスはダァトと対峙する。
「まさか……そんな……馬鹿な……」
「そんだけ狼狽えとるっちゅーことは、本気で知らんかったって事じゃな……」
腕を組み、じっとりと睨むアックスに、ぶんぶんとダァトは両手を振って否定した。
「創造神が作りし生命の木に宿った実は十。うち、光を宿した実は七つ。それが……」
「精霊機に宿る神っちゅーことは、わかっとる」
うんうんと、アックスはうなずいた。
「問題は、その宿らんかった実は、その後、どうなったんかっちゅうことなんじゃが……」
「もちろん、生命の木ごと、我が神殿にて管理しておる……既に望みは薄いが、今後、光が宿らないとも限らない故な」
しかし……と、ダァトは腕を組み、うんうんと唸る。
「にわかには、信じられないな……」
「ワシは伝聞で会っとらんが、兄ちゃ……シャダイ・エル・カイと、エロヒムは直に見たそうじゃ」
光の精霊機に宿る、二柱の神を。
「一つの機体に、二つの神……そんなことをして……しかし……だが……あるいは……」
ぶつぶつと呟き始めたダァトに、「もしもーし」と、アックスが呼びかける。
「此処で今悩むのはやめてつかぁーさい。とにかく、創造主の件同様、これはお前が介入するべき『異常事態』とみて、大丈夫かの?」
「も・ち・ろ・ん・だ!」
顔をあげるダァトの、フードの奥の口が、ニヤリと笑った。
「おのれエロハにエロヒム・ツァバオトッ! 二千年もの間、審判の我が目を欺くとは、いい度胸ではないか……」
「怖ッ!」
覚悟しておれッ! べきべきと指を鳴らすダァトに、アックスはぶるりと肩を震わせた。
◆◇◆
「………………」
スルーズとアウルの件で、一時、心乱したものの、暴れて落ち着いたユーディン。
間もなく通された、新たな謁見相手を前にし、彼は懸命に、かける言葉を探した。
「………………」
跪いた相手も、無言で、ジッと、自分を見上げている。
ユミル=バーミリオン。
母ライラが死んだ後、父帝の後添えとして迎えられた新皇后ヘイムとの間に生まれた、今年十二歳になる、異母弟。
もちろん、母が死んだ理由が理由なので、ユーディン自身、新皇后やその一派には警戒していたし、また、相手側も積極的にユーディンに関わろうとせず。
また、歳も離れており、ユミル自身がいまだ未成年であることから、異母兄弟とはいえ、これまでまともに顔を合わせたことが、ほとんど無かった。
ユーディンは一生懸命記憶をたどったが、大体ヘイムの後ろにくっついて歩いている姿しか、思い出せない。
「………………」
「………………」
気まずく重い、無言の時間が過ぎる。
「あのぉ……陛下?」
限界を感じたギードが、おそるおそる声をかけた。
「なんだ。うるさいぞ。黙れ! 空気を読めッ!」
「空気読んだから声かけたんでしょうがッ!」
ひどいッ! と、ギードは批難の声をあげる。
その態度にムッときたユーディンの口から、思わず本音が飛び出した。
「大体さっきから、なんで貴様が此処にいるんだ!」
「ひでぇ。隊長が死んで、二等騎士・ビリジャンも班長もダメで、とりあえず自由に動けて陛下の補佐できそうなの、ガチでオレしかいないからくっついてたのに!」
痛い事実を突き付けられたユーディンは、ギリッと歯を食いしばって黙る。
決して、ユーディン自身に人望が無いわけではない(ハズな)のだが、信頼ができ、かつ、社会的な地位を持つ者たちが、メタリアの援軍と今回の反乱で、立て続けにいなくなってしまったことは、大ダメージ極まりない。
「……ぷぷッ」
ん? と、ユーディンとギードは顔を見合わせた。
同時、ずっと無言を貫いていたユミルが、我慢の限界とばかりに、顔を赤く染めて、ケラケラと笑い始めた。
「ぷはははッ! なーんだ、兄上って、ものすごく面白い人じゃない!」
面白い……? 弟から予想外な感想を口にされ、思わずユーディンの目が、点になる。
「母上も伯父上も、ものすごく怖い人だって言ってたから。身構えて損しちゃった!」
あ、いや、その評価、間違ってないです……。そう言いかけたギードの頬を、ユーディンはつねり上げた。
「兄上。僕、良い子にします。母上の言う事も、守ります」
ユミルは嬉しそうに立ち上がると、ユーディンに近づく。
慌ててギードが制止したが、構うことなく、ユーディンにじゃれつくように飛びついた。
「だから、安心して、僕を後継者に、指名してください」
そのまま、ユーディンの膝の上よじ登るように、ユミルは座った。
まるで普段から、そうやって、誰かの膝に座っていたかのように、実に、自然な振る舞いで。
しかし、ユミルの方は、ユーディンが義足であることを知らず、金属製の大腿の座り心地が思いのほか悪かったのか、顔をしかめた。
「兄上。皇帝の椅子って、本物は、ものすごく堅いんですね。お尻、痛くなりそう……」
「………………」
純真無垢な、赤い瞳。
きっと、彼の言葉に、他意はないのだろう。
この後自分は、一体、どんな顔をして──どんな対応したのか、正直、ユーディンは憶えていない。
父が──先帝が、精神を病んだ自分を、廃嫡しなかった理由。
否、廃嫡、できなかった理由──。
(単純明快、相対的にみて、余の方がマシだった……ということか)
天真爛漫、と、言ってしまえば、きこえはいい。
まだ、子どもだという、免罪符もあるだろう。
けれども。
生まれながらに甘やかされた所以か。
それとも、元々傀儡とするつもりで、本人に教育を施すことなど、微塵も考えもしなかったのか。
ユーディンの目から見ても、異母弟に、国を治める技量や才覚は、無かった。
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