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迫りくる混沌編
第九十四章 十番目の神
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違う。
否、違う。
ちゃんと理解しているつもりだった。
モルガの人生を──彼がこの先、生きて、感じて、経験する予定であったもの事象を、自分が奪ってしまった事実を。
だから、自分は決めた。
彼の代わりに、出来得る限り、人間として存在しようと。
そう──決めた。はずだった。
しかし。
師匠も。相棒も。妹も。兄姉も。
彼らが求めているのは彼であって、自分じゃない。
そう──あのときも──自分は彼の真似事を、ちゃんとしたつもりだった。
でも、すぐにバレてしまった。当たり前だ。
ルクレツィアにも、モリオンにも、チェーザレにも……。
違う。
自分は彼じゃない。
自分は彼にはなれない。
そう──なれるはずが、無いのだから──。
◆◇◆
「これでよし……っと。ゴメンね。ウチの愚弟が」
地上──宮殿に戻った一同。
医務室があふれ、臨時の救護所となっていた部屋で、ルクレツィアの首の怪我の処置をしたカイヤが、申し訳なさそうに首を下げる。
「いえ……大丈夫です。私は……」
少し離れた場所にある寝台の上──ルクレツィアの視線の先には、横たえられたモルガの姿。すぐそばで兄と弟が付き添って、様子を見ているようだった。
「アックス、どうだ?」
ルクレツィアの問いに、アックスは「わからん!」と、両手をあげた。
邪神の暴走──カイが倒れたにも関わらず、地の精霊機に直接回収されることは無かったが、しかし、あれから、彼の意識が回復する様子もない。
倒れる前──いや、その前から、カイが何かしらの混乱を起こしていたことは感じていたが、不可解な状況に、ルクレツィアは眉を顰めることしか出来なかった。
「ふむ、どうやらまたしても、調整が必要なようであるな」
不意に声がし、足元から唐突に現れた黒いローブの塊に、思わずルクレツィアは尻餅をついた。
「だ、ダァトッ!」
急に出てくるんじゃないッ! と、震える声で、アックスが叫ぶ。
度肝を抜かれたのは皆同様で、スフェーンに至っては彼らしからぬ悲鳴をあげながら、アックスにしがみついていた。
「調整……以前のアレか?」
ルクレツィアの問いに、ダァトは頭を横に振る。
「いや。今回は、あそこまで大掛かりなことをしなくとも大丈夫だ。それに……」
ダァトの言葉の最中、部屋の明かりが一気に消えた。
途端、スフェーンとカイヤが倒れる。
ルクレツィアが慌てて駆け寄ったところ、二人とも、規則正しく寝息をたてていた。
『結界展開とは、随分と、我らを、警戒しているのだな。ダァトよ』
頭の中に、直接響くような、モルガの声。
ざわり……と、ルクレツィアの背筋に、悪寒が走る。
「なに。お前も、人の目が気になるだろうから、少し気を利かせただけだ。それに、我も、お前と話をしてみたかった。アィーアツブス」
いや……と、ダァトは再度、頭を横に振った。
「アドナイ・メレクよ。それとも、反転している状態だというのなら、キムラヌートと呼んだ方が良いか?」
『……まず、その問いの答えは、是であり、否である』
ゆっくりと、モルガの瞼が開かれる。
仄暗く、深く、濃い、真紅の瞳。
『……いつ、我らの存在に、気付いた』
「光の神と、エロヒム・ツァバオトの事があったからな。もしかしたらと、思ったまで」
エロハに、会ってきた……と、審判長と名乗るだけあり、ダァトは自らの行動を、正直に口にする。
なるほど、と、モルガは小さくため息を吐いた。
『アドナイ・メレクとキムラヌートは、エロヒム・ツァバオト以上に、不完全だ。反転の機能はもちろん、根本的な人格すら、単独では形成できなかった……。隣接する地の神の人格が確立する前に、抵抗する術も無く、吸収されてしまった、ただの精霊の集合体に過ぎぬ』
「……ヘルメガータの頑丈さや、底なしの精神力の原因はそこか」
うっへ……と、呆れたようにアックスが頭を抱えた。
二柱ぶんの権能を、自覚なくフルに使っていたのだ。そりゃー、根本的な出力が、エヘイエーとは違う。
創造主はあの時、邪神の『自己進化』と称したが、今の話からすると、どちらかというと──。
「じゃあ、お前さんは、兄ちゃん本人ではなく、兄ちゃん取り込むことで独立した人格を得た、アドナイ・メレク兼、キムラヌートって事か?」
『それは、否と答えよう』
モルガが、ゆっくりと起き上がり、寝台の上に座った。
そして何かを呟きながら、そっと、両手を自分の胸のあたりに置く。
両目を瞑ると、彼の周囲に、ぼんやりと映像が浮かび上がった。
「なんじゃこりゃ……」
『我らの魂の構造を、モルガナイト=ヘリオドールの有する知識を使い、便宜的に、可視化してみた』
それは、ルクレツィアが思い描いていた魂とは、まったくもって違う形をしていた。
どちらかというと、ヴァイオレントドールの外装を外した内部構造に、よく似ている。
四つの球体と、そこから伸びる神経が、複雑に絡み合っている。よくよく見ると、他のものより少し小さな球体のうち二つは、球体自体が直接くっついて、一つになっているようにも見えた。
そして、少し離れたところに存在する五つ目の球体が、一部の球体と、神経で繋がれていた。
『離れた位置で半独立しているのが、我らとは独立した人格を持ったシャダイ・エル・カイ。癒着している小さなものが、アドナイ・メレクと、キムラヌート。こちらがシャダイ・エル・カイの半身、そして……』
「全ての魂につながり、一番複雑に絡まっているのが、モルガナイト=ヘリオドール……」
ルクレツィアの言葉に、一瞬、言葉を詰まらせたが、モルガは是と答え、ゆっくりと再び、目を開いた。
映像はぷつりと消えて、元の薄暗い空間に戻る。
『アックス。しいて言うなら、今の我らは……モルガナイト=ヘリオドールを含めて、やはり、人間世界に混乱をもたらす者なのだと思う。もっとも……創造主が欲した人を滅ぼす邪神とは、あり方が違うかもしれないが』
──地の神ではない、本来の邪神を内包した、それ以外の存在の集合体という意味では、間違ってはいないだろう。
モルガの言葉に、思わず、ルクレツィアは彼を抱きしめた。
「……先ほど、カイが邪神になりかけた」
『間に合わず、すまなかった。シャダイ・エル・カイも、初めて抱いた自己嫌悪……自身の存在のあり方に、混乱し、戸惑っている』
「……邪神を止めたのは?」
『我らだ』
涙を見せないよう、ルクレツィアはモルガの肩に、顔を押し付ける。
「モルガ……もし……私がお前だけを望めば、元のお前に、戻るのか?」
『その問いの答えは、現在においては、否だ』
躊躇いなく、モルガは答えた。
『シャダイ・エル・カイとアィーアツブスが持つことができなかった肉体、アドナイ・メレクとキムラヌートが形成できなかった人格、壊れてしまったモルガナイト=ヘリオドールの魂。全てが全て、無いモノを補い合って、今の我らは存在している』
覆水盆に返らず。
落花枝に返らず。
破鏡再び照らさず。
『我ら──否、モルガナイト=ヘリオドールが、邪神と完全に同化したことで、邪神の制御がある程度可能となったように、今後我らの性質が変わる可能性は、もちろんあるかもしれないが……』
一度壊れてしまったものは、もう、元の綺麗な形には、戻らない。
『だから、どうか……酷なことは、望まないで欲しい』
否、違う。
ちゃんと理解しているつもりだった。
モルガの人生を──彼がこの先、生きて、感じて、経験する予定であったもの事象を、自分が奪ってしまった事実を。
だから、自分は決めた。
彼の代わりに、出来得る限り、人間として存在しようと。
そう──決めた。はずだった。
しかし。
師匠も。相棒も。妹も。兄姉も。
彼らが求めているのは彼であって、自分じゃない。
そう──あのときも──自分は彼の真似事を、ちゃんとしたつもりだった。
でも、すぐにバレてしまった。当たり前だ。
ルクレツィアにも、モリオンにも、チェーザレにも……。
違う。
自分は彼じゃない。
自分は彼にはなれない。
そう──なれるはずが、無いのだから──。
◆◇◆
「これでよし……っと。ゴメンね。ウチの愚弟が」
地上──宮殿に戻った一同。
医務室があふれ、臨時の救護所となっていた部屋で、ルクレツィアの首の怪我の処置をしたカイヤが、申し訳なさそうに首を下げる。
「いえ……大丈夫です。私は……」
少し離れた場所にある寝台の上──ルクレツィアの視線の先には、横たえられたモルガの姿。すぐそばで兄と弟が付き添って、様子を見ているようだった。
「アックス、どうだ?」
ルクレツィアの問いに、アックスは「わからん!」と、両手をあげた。
邪神の暴走──カイが倒れたにも関わらず、地の精霊機に直接回収されることは無かったが、しかし、あれから、彼の意識が回復する様子もない。
倒れる前──いや、その前から、カイが何かしらの混乱を起こしていたことは感じていたが、不可解な状況に、ルクレツィアは眉を顰めることしか出来なかった。
「ふむ、どうやらまたしても、調整が必要なようであるな」
不意に声がし、足元から唐突に現れた黒いローブの塊に、思わずルクレツィアは尻餅をついた。
「だ、ダァトッ!」
急に出てくるんじゃないッ! と、震える声で、アックスが叫ぶ。
度肝を抜かれたのは皆同様で、スフェーンに至っては彼らしからぬ悲鳴をあげながら、アックスにしがみついていた。
「調整……以前のアレか?」
ルクレツィアの問いに、ダァトは頭を横に振る。
「いや。今回は、あそこまで大掛かりなことをしなくとも大丈夫だ。それに……」
ダァトの言葉の最中、部屋の明かりが一気に消えた。
途端、スフェーンとカイヤが倒れる。
ルクレツィアが慌てて駆け寄ったところ、二人とも、規則正しく寝息をたてていた。
『結界展開とは、随分と、我らを、警戒しているのだな。ダァトよ』
頭の中に、直接響くような、モルガの声。
ざわり……と、ルクレツィアの背筋に、悪寒が走る。
「なに。お前も、人の目が気になるだろうから、少し気を利かせただけだ。それに、我も、お前と話をしてみたかった。アィーアツブス」
いや……と、ダァトは再度、頭を横に振った。
「アドナイ・メレクよ。それとも、反転している状態だというのなら、キムラヌートと呼んだ方が良いか?」
『……まず、その問いの答えは、是であり、否である』
ゆっくりと、モルガの瞼が開かれる。
仄暗く、深く、濃い、真紅の瞳。
『……いつ、我らの存在に、気付いた』
「光の神と、エロヒム・ツァバオトの事があったからな。もしかしたらと、思ったまで」
エロハに、会ってきた……と、審判長と名乗るだけあり、ダァトは自らの行動を、正直に口にする。
なるほど、と、モルガは小さくため息を吐いた。
『アドナイ・メレクとキムラヌートは、エロヒム・ツァバオト以上に、不完全だ。反転の機能はもちろん、根本的な人格すら、単独では形成できなかった……。隣接する地の神の人格が確立する前に、抵抗する術も無く、吸収されてしまった、ただの精霊の集合体に過ぎぬ』
「……ヘルメガータの頑丈さや、底なしの精神力の原因はそこか」
うっへ……と、呆れたようにアックスが頭を抱えた。
二柱ぶんの権能を、自覚なくフルに使っていたのだ。そりゃー、根本的な出力が、エヘイエーとは違う。
創造主はあの時、邪神の『自己進化』と称したが、今の話からすると、どちらかというと──。
「じゃあ、お前さんは、兄ちゃん本人ではなく、兄ちゃん取り込むことで独立した人格を得た、アドナイ・メレク兼、キムラヌートって事か?」
『それは、否と答えよう』
モルガが、ゆっくりと起き上がり、寝台の上に座った。
そして何かを呟きながら、そっと、両手を自分の胸のあたりに置く。
両目を瞑ると、彼の周囲に、ぼんやりと映像が浮かび上がった。
「なんじゃこりゃ……」
『我らの魂の構造を、モルガナイト=ヘリオドールの有する知識を使い、便宜的に、可視化してみた』
それは、ルクレツィアが思い描いていた魂とは、まったくもって違う形をしていた。
どちらかというと、ヴァイオレントドールの外装を外した内部構造に、よく似ている。
四つの球体と、そこから伸びる神経が、複雑に絡み合っている。よくよく見ると、他のものより少し小さな球体のうち二つは、球体自体が直接くっついて、一つになっているようにも見えた。
そして、少し離れたところに存在する五つ目の球体が、一部の球体と、神経で繋がれていた。
『離れた位置で半独立しているのが、我らとは独立した人格を持ったシャダイ・エル・カイ。癒着している小さなものが、アドナイ・メレクと、キムラヌート。こちらがシャダイ・エル・カイの半身、そして……』
「全ての魂につながり、一番複雑に絡まっているのが、モルガナイト=ヘリオドール……」
ルクレツィアの言葉に、一瞬、言葉を詰まらせたが、モルガは是と答え、ゆっくりと再び、目を開いた。
映像はぷつりと消えて、元の薄暗い空間に戻る。
『アックス。しいて言うなら、今の我らは……モルガナイト=ヘリオドールを含めて、やはり、人間世界に混乱をもたらす者なのだと思う。もっとも……創造主が欲した人を滅ぼす邪神とは、あり方が違うかもしれないが』
──地の神ではない、本来の邪神を内包した、それ以外の存在の集合体という意味では、間違ってはいないだろう。
モルガの言葉に、思わず、ルクレツィアは彼を抱きしめた。
「……先ほど、カイが邪神になりかけた」
『間に合わず、すまなかった。シャダイ・エル・カイも、初めて抱いた自己嫌悪……自身の存在のあり方に、混乱し、戸惑っている』
「……邪神を止めたのは?」
『我らだ』
涙を見せないよう、ルクレツィアはモルガの肩に、顔を押し付ける。
「モルガ……もし……私がお前だけを望めば、元のお前に、戻るのか?」
『その問いの答えは、現在においては、否だ』
躊躇いなく、モルガは答えた。
『シャダイ・エル・カイとアィーアツブスが持つことができなかった肉体、アドナイ・メレクとキムラヌートが形成できなかった人格、壊れてしまったモルガナイト=ヘリオドールの魂。全てが全て、無いモノを補い合って、今の我らは存在している』
覆水盆に返らず。
落花枝に返らず。
破鏡再び照らさず。
『我ら──否、モルガナイト=ヘリオドールが、邪神と完全に同化したことで、邪神の制御がある程度可能となったように、今後我らの性質が変わる可能性は、もちろんあるかもしれないが……』
一度壊れてしまったものは、もう、元の綺麗な形には、戻らない。
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