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三段目
逢瀬の場〈肆〉
しおりを挟む——『好いた男』
もし、かような殿方が我が身を『慈しんでくれ』なんしことがあらば……
わっちも、かのお方のために美しゅうなりんす、と思うようになりしなんしかえ。
廓では、遊女や女郎が惚れた男のことを「間夫」と云う。
見世の客として知り合うのがほとんどだが、中には見世に出入りの商い人や、稀に故郷に置いてきた幼なじみなどがある。
いずれにしても、もし見世にとって鐚一文にもならぬ「逢引」であらば、御法度である。見つかり次第、ただでは済まされぬ。
二人が如何ほど心を通わせていようが——哀しいことに、たいていは妓の方が逆上せて舞い上がっているだけだが——お構いなしに引き離される。
間夫は見世が用心棒に雇った荒くれ者から半殺しの目に遭わされて、二度と吉原の大門を潜れなくなり、妓も罰として目を覆うほどのきつい折檻を受け、しばらく働けぬ間にますます負い目(借金)が嵩んで年季明けが遠くなる。
それは、ほかの妓たちに観念させるせるための「見せしめ」でもあった。
されども、そもそも舞ひつるは、久喜萬字屋の主人やお内儀から、町家の豪商の娘に負けず劣らずの「箱入り」で育てられていた。
たとえ見世の男衆であっても、おいそれとは近づけない。
ゆえに、さような我が身に、とても「好いた男」が現れる折が訪れるとは思えぬ。
——お祖母さまも、おっ母さんも、好いた殿方の子を産みなんしたと聞いとりんすが……
二人とも、廓の最高峰「呼出」の身であった。外に出ることなど、とんとなかったであろう。
にもかかわらず、如何ように子の「父」となる者に出逢ったのか、その経緯は両方ともこの世におらぬ今、知る術はない。
——きっと「客」として来なんしたお人にてありんす。
育ててくれた見世を裏切るような度胸なぞ、微塵もない舞ひつるには、とうてい客以外の者に身を任せる心持ちになんてなれなかった。
やはり、我が身の初花を散らせるのは、初見世で買われた客としか思えなかった。
「ところでよ、おめぇさん……名はなんて云うんでぇ」
——若さまは、名も知らぬおなごに、毎朝「供」をしなんしかえ。
舞ひつるは驚きながらも、
「……舞ひつるでありんす」
と、名乗った。
すると、間髪入れずに、
「そないな名は知ってるさ。おれが知りてぇのは、おめぇが親から授けられた『真の名』だ」
——『真の名』
廓の妓は「夢の女」だ。ゆえに、客に決して「現」を見せぬのが心意気である。
その「現」の最たるものが、親から名付けられた「真名」であろう。
見世がわざわざ「源氏名」を名乗らせてまで客の前に出すのは、かような由縁である。
にもかかわらず……
——若さまは、わっちに、真名を名乗らしなんし気でありんすかえ。
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