14 / 26
再逢〈壱〉
しおりを挟む門口の方を向いて立つ男は、無骨な袴姿の上に左腰には大小二本の刀を差していた。まさしく武家の形である。
そして、其の後ろ姿には見覚えがあった。
鬢をきつく結い上げた武家の男とふっくらと膨らませた町家の男とでは容易く見分けはつこうが、武家同士ではせいぜい若い者が好む本多髷のごとく細く束ねる髷か否かの違いくらいしかないゆえ、後ろ姿なぞ皆同じに見える。
されども、男の頸の毛並みや首から肩への肉付き、さらには着物の奧襟のちょっとした抜き加減などから、与岐には見間違えようもなかった。
「——御武家様、何用にてござんすか。長らく町家暮らしのわっちにはとんと心当たりはござらんゆえ……何卒お引き取りを」
心底凍てついた声を、与岐は男の背に放った。
すると、懐手をして与岐の仕舞屋をあまねく眺めていた男が、すっと此方に振り返った。
さすれば、やはり——かつての夫、進藤 又十蔵であった。
「そなたには用はあらぬかもしれんが、当方にはござってな」
「お言葉でござんすが、わっちは町家に移ってこの方、御武家様との縁は切れて久しゅうござんす。今さら何を……」
与岐は胡乱げな目をして又十蔵を見据えた。
今となっては町家の気風のよい云い回しとともに動きやすい小袖姿が板につき、武家の御新造(若妻)であった頃の面影はすっかり消え果てた。
「かような門口で話してござると、軒を連ねる町家では向こう三軒両隣が聞き耳を立てておるのではあるまいか。家の中に入れてござらぬか」
「云うに事欠いて、家に上げろとは——」
与岐はあまりのことに絶句した。
「離縁後、そなたは町家で『おなごの公事師』なるものを騙って生計を立ててござると聞くが……」
そこから先、又十蔵は声を潜めた。
「——先般、奉行所にある男より訴えがござってな。
そなたは奉行所の赦しを得ずして公事師なる生業をしておるのではあるまいかと」
実家の兄に勧められて「おなごの公事師」になりはしたが、確かに与岐は奉行所から直々に認められた公事師ではなかった。そもそも、公事宿を通して奉行所と百姓たちとの間を取り持つ正式な公事師は男ばかりだ。
——もしや……奉行所からの下知(命令)によってお取調べに……
真っ青になった与岐はあわてて仕舞屋の戸口に駆け寄って引き戸を引き開け、又十蔵を家の中へ入れた。
゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚
又十蔵を座敷に案内すると、与岐は麦湯を差し出した。
「本日は公事宿へ行く用があって通いの下女はもう帰っちまったゆえ、かようなもんしか……」
実のところ、家に上げるのは引き戸の内にある三和土の処までにして、供するのも麦湯ではなくただの白湯にしてやろうかとも考えたが、奉行所からのお取調べでやってきたのであらば、子どもじみた当て擦りをして又十蔵の気を悪うさせるのは得策ではないと思い止まった。
さすれとも、進藤の家に嫁していた折には麦湯なぞ以ての外で、姑の指図で又十蔵が寝起きに使っていた座敷まで与岐が運んでいたのは、いつも馥郁とした香りの上茶であった。
又十蔵は外で待っている間に喉が渇いていたのか、町家の者が普段遣いする大きめの湯呑みであったにもかかわらず、麦湯をくーっと一気に飲み干した。
与岐は呆れ顔を隠しつつ、もう一杯注いでやる。
「——進藤様、わっちが手前勝手に『おなごの公事師』と名乗り始めたわけじゃござんせん。いつの間にやら、町家の者からさような通り名で呼ばれるようになっちまっただけでござんす」
向こうから問い質される前に、与岐は自ら切り出した。
57
あなたにおすすめの小説
与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし
かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし
長屋シリーズ一作目。
第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。
頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。
一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。
【完結】限界離婚
仲 奈華 (nakanaka)
大衆娯楽
もう限界だ。
「離婚してください」
丸田広一は妻にそう告げた。妻は激怒し、言い争いになる。広一は頭に鈍器で殴られたような衝撃を受け床に倒れ伏せた。振り返るとそこには妻がいた。広一はそのまま意識を失った。
丸田広一の息子の嫁、鈴奈はもう耐える事ができなかった。体調を崩し病院へ行く。医師に告げられた言葉にショックを受け、夫に連絡しようとするが、SNSが既読にならず、電話も繋がらない。もう諦め離婚届だけを置いて実家に帰った。
丸田広一の妻、京香は手足の違和感を感じていた。自分が家族から嫌われている事は知っている。高齢な姑、離婚を仄めかす夫、可愛くない嫁、誰かが私を害そうとしている気がする。渡されていた離婚届に署名をして役所に提出した。もう私は自由の身だ。あの人の所へ向かった。
広一の母、文は途方にくれた。大事な物が無くなっていく。今日は通帳が無くなった。いくら探しても見つからない。まさかとは思うが最近様子が可笑しいあの女が盗んだのかもしれない。衰えた体を動かして、家の中を探し回った。
出張からかえってきた広一の息子、良は家につき愕然とした。信じていた安心できる場所がガラガラと崩れ落ちる。後始末に追われ、いなくなった妻の元へ向かう。妻に頭を下げて別れたくないと懇願した。
平和だった丸田家に襲い掛かる不幸。どんどん倒れる家族。
信じていた家族の形が崩れていく。
倒されたのは誰のせい?
倒れた達磨は再び起き上がる。
丸田家の危機と、それを克服するまでの物語。
丸田 広一…65歳。定年退職したばかり。
丸田 京香…66歳。半年前に退職した。
丸田 良…38歳。営業職。出張が多い。
丸田 鈴奈…33歳。
丸田 勇太…3歳。
丸田 文…82歳。専業主婦。
麗奈…広一が定期的に会っている女。
※7月13日初回完結
※7月14日深夜 忘れたはずの思い~エピローグまでを加筆修正して投稿しました。話数も増やしています。
※7月15日【裏】登場人物紹介追記しました。
※7月22日第2章完結。
※カクヨムにも投稿しています。
屈辱と愛情
守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。
無用庵隠居清左衛門
蔵屋
歴史・時代
前老中田沼意次から引き継いで老中となった松平定信は、厳しい倹約令として|寛政の改革《かんせいのかいかく》を実施した。
第8代将軍徳川吉宗によって実施された|享保の改革《きょうほうのかいかく》、|天保の改革《てんぽうのかいかく》と合わせて幕政改革の三大改革という。
松平定信は厳しい倹約令を実施したのだった。江戸幕府は町人たちを中心とした貨幣経済の発達に伴い|逼迫《ひっぱく》した幕府の財政で苦しんでいた。
幕府の財政再建を目的とした改革を実施する事は江戸幕府にとって緊急の課題であった。
この時期、各地方の諸藩に於いても藩政改革が行われていたのであった。
そんな中、徳川家直参旗本であった緒方清左衛門は、己の出世の事しか考えない同僚に嫌気がさしていた。
清左衛門は無欲の徳川家直参旗本であった。
俸禄も入らず、出世欲もなく、ただひたすら、女房の千歳と娘の弥生と、三人仲睦まじく暮らす平穏な日々であればよかったのである。
清左衛門は『あらゆる欲を捨て去り、何もこだわらぬ無の境地になって千歳と弥生の幸せだけを願い、最後は無欲で死にたい』と思っていたのだ。
ある日、清左衛門に理不尽な言いがかりが同僚立花右近からあったのだ。
清左衛門は右近の言いがかりを相手にせず、
無視したのであった。
そして、松平定信に対して、隠居願いを提出したのであった。
「おぬし、本当にそれで良いのだな」
「拙者、一向に構いません」
「分かった。好きにするがよい」
こうして、清左衛門は隠居生活に入ったのである。
今宵は遣らずの雨
佐倉 蘭
歴史・時代
★第7回歴史・時代小説大賞 奨励賞受賞★
小夜里は代々、安芸広島藩で藩主に文書を管理する者として仕える「右筆」の御役目を担った武家に生まれた。
十七のときに、かなりの家柄へいったんは嫁いだが、二十二で子ができぬゆえに離縁されてしまう。 婚家から出戻ったばかりの小夜里は、急逝した父の遺した「手習所」の跡を継いだ。
ある雨の降る夜、小夜里は手習所の軒先で雨宿りをする一人の男と出逢う。 それは……「運命の出逢い」だった。
※歴史上の人物が登場しますがすべてフィクションです。
花嫁御寮 ―江戸の妻たちの陰影― :【第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞】
naomikoryo
歴史・時代
名家に嫁いだ若き妻が、夫の失踪をきっかけに、江戸の奥向きに潜む権力、謀略、女たちの思惑に巻き込まれてゆく――。
舞台は江戸中期。表には見えぬ女の戦(いくさ)が、美しく、そして静かに燃え広がる。
結城澪は、武家の「御寮人様」として嫁いだ先で、愛と誇りのはざまで揺れることになる。
失踪した夫・宗真が追っていたのは、幕府中枢を揺るがす不正金の記録。
やがて、志を同じくする同心・坂東伊織、かつて宗真の婚約者だった篠原志乃らとの交錯の中で、澪は“妻”から“女”へと目覚めてゆく。
男たちの義、女たちの誇り、名家のしがらみの中で、澪が最後に選んだのは――“名を捨てて生きること”。
これは、名もなき光の中で、真実を守り抜いたひと組の夫婦の物語。
静謐な筆致で描く、江戸奥向きの愛と覚悟の長編時代小説。
全20話、読み終えた先に見えるのは、声高でない確かな「生」の姿。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる