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きみは運命の人
§ 3 ①
しおりを挟む「……なんだ、青山。入社式は無事終わったっていうのに、その仏頂面は?」
MD課へと戻る道すがら、智史の隣で歩く魚住課長が怪訝な顔で訊く。
とりあえず、新入社員へのスピーチは難なくこなしたものの、先刻の「稍」の姿を思い出すと、智史は腸が、ぐつぐつと煮えくり返る思いであった。
エレベーターでこのフロアに降りたときまでの稍は、確かに「普通に」美しかったはず。
なのに、渡辺に連れられて現れた「八木 梢」と名乗った女は、黒いスーツはそのままだったものの……
ぱっつん前髪に、後ろは引っ詰め髪の一つくくりで、でっかい黒のセルフレームの眼鏡をかけた、世にもイケてない姿だった。
——あいつ、あんな姑息な「変装」するほど、そんなにおれに会いたないのかっ⁉︎
それに……
——これ幸いと「八木 梢」を名乗ってやがるやんけっ!
人事部のデータにあった「八木 稍」を、「八木 梢」へと(勝手に)改名したのは、智史だった。
魚住のタブレットを見せてもらったとき、管理者パスワードを使って書き換えたのだ。
彼の保持するパスワードなんて、もちろん智史は知らない。適当にフリック入力した【misakilove320】が一発でヒットしたのだ。三月二十日が魚住の妻、美咲の誕生日だった。
——こんな脆弱なセキュリティ、おれがシステム開発におったら、速攻で全面リニューアルやけどな。
社長の葛城 謙二からは顔を合わすたびに、一刻も早く情報システム課に異動して梃入れをしてほしい、と言われているのだが……
そのとき、脳内に、
『青山っ』
かつて、TOMITAで同僚だった同期の女子社員の声が甦ってきた。
『「さとくん」って呼ばれてた初恋の人と、もしも、また出逢えるようなことがあったら……もう二度と離れるんじゃないわよっ!』
彼女——水野 七海とは、当時オンナ関係にだらしなかった智史にしてはめずらしく「ただの同期」として清い関係のままだった。
T大出身のエリート官僚と結婚した水野は、産休・育休を経て、今もTOMITAで働いている。
頼りなさげな「夢見る夢子」の外見を裏切って、実はサバサバしていて言いたい放題の彼女は、今では重役の専属秘書の業務の傍ら、後輩のグループ秘書への指導にもあたっていた。
さらに、結婚して立て続けに年子で三人、子どもを成したにもかかわらず、エリート官僚のダンナを未だに「諒くん」と呼んでいるらしいから、夫婦仲も順調そうだ。
——わかってるさ、水野。
稍の「あの格好」を見て、却って智史の腹が決まった。
——こうなったら、稍がおれのチームに入ることが決まって以来企ててきた「計画」を、意地でも遂行してやるからな。
名前を見たとき、ふと思いついて「八木 稍」を「八木 梢」に書き換えたのが、そのはじめの一歩となった。
しかも、好都合なことに……どうやら、稍自身もそれを「訂正」する気が、まったくないようだった。
——生憎やけどな、稍。おまえには、もう「逃げ場」はあらへんぞ。
「……青山?」
隣を歩く魚住が、ますます怪訝な顔になっていた。
「ちょっと、来い」
そう言って、MD課のミーティングルームに入って行く。
「なんですか?まさか、入社式の『反省会』なんかするんじゃないでしょうね?」
あとから入った智史が、チェアに腰かけながら訊く。
「するわきゃ、ねえだろ」
すでにどかっと座っている魚住が、吐き捨てるように言った。
そして、二人きりしかいないにもかかわらず、
「なぁ……おまえ……」
魚住が突然膝を詰めてきて、さらに声まで潜める。
「……『運命の相手』に会ってみないか?」
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