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Chapter 7

私と彼は破談の危機を迎えてます ②

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 ところが突然、不機嫌だった顔を潜めて、
「……昨日は、急に帰って悪かった」

 将吾さんが殊勝にも謝る。わたしの髪を搔き上げていた手も下ろされた。

 わたしは首を振った。
 わたしが常識知らずなことを申し出たのだ。決して、将吾さんが悪いわけじゃない。

「おまえ……まさか、マリアさま以来の処女受胎を狙ってるわけじゃないよな?」
 将吾さんはちょっと呆れたように訊く。

 ——とっくに処女じゃないし。
 わたしはまた、首を振った。

「なにか……理由というか……事情があるんだろ?」

 将吾さんのカフェ・オ・レの瞳が、わたしのヘイゼルの瞳を覗き込む。

 わたしは目を伏せてしまう。

「彩乃……もし、病気とかだったら……」

 ——はぁ!? 

「おれも一緒に……」

 ——まさか、

「病院へ行ってやるから」

 ——もしかして……

「わたしっ」

 顔を上げて、部屋中に響く大声で叫ぶ。

「性病じゃないわよおっ!」


 将吾さんが、ぎょっ、とした顔になる。
「……い、いや……そ、それなら、いいんだけど」

 わたしは将吾さんをぎろり、と睨んだ。
 ——やっぱり、そう思ってたなっ。


「だったら……過去に……酷いこと、されたとか?」

 将吾さんが真っ暗な夜道を、手探りで歩むような感じで尋ねる。

「違う。過去に枕を並べたひとたちの名誉のためにも言うけど……」

 わたしは必死になって言った。

「すべて、合意の上の同意だったからっ」

 すると、将吾さんから、すーっと表情が消えた。

「『過去に枕を並べた男たち』……?」

 彼の顳顬こめかみに血管が浮き出ている。

「えっ…あっ…その……」 

 ——もしかして、地雷踏んじゃった?

 今、非常にマズい事態に陥っちゃったと思う。このあと、きっと、大音声だいおんじょうで怒鳴られる……

 わたしは、目を伏せて、耳を塞ごうとした。
 

 ところが——将吾さんはいっさい声を荒げたりはしなかった。

「過去のそいつらが、おまえとセックスできたのに……」

 ただ、自嘲気味に、ポツッとつぶやいただけだった。

「夫になるおれは……おまえとセックスできないんだな?」

 わたしは伏せていた目を上げた。

 将吾さんは片方の口角を上げて笑っていたが、その瞳はブリザードなくらい冷たい色をたたえていた。
 そして、うつろで、寂しげにも見えた。


 その瞬間、わたしは悟った。

 ——あ、もう、ダメだな。

 男の人がこういう目をするときは……わたしとの未来がないときだ。

 海洋もあのとき……わたしが、別れよう、と告げたとき……どうしても別れたいと、泣き叫んだあのとき……彼もまた……そんな目をしていたように思う。


「……もう、終業後にこの部屋に来なくていいから」
 将吾さんは「副社長」の声でそう言った。

 わたしは「承知しました」と「秘書」の声で答えて、一礼した。

 そして、彼のプライベートルームから出て行った。

  
 ゜゜・*:.。. .。.:*・゜゜・*:.。. .。.:*・゜゜


 その週末、父から結納の日が決まった、と告げられた。あのお見合いのときのホテルで、今月の半ばに執りおこなわれることになった。

 お仲人は、本来ならばこのお見合いのお世話をしてくださった、あさひ証券の水島夫妻になるところだ。

 だが、親戚のおじさまとおばさまだといえど、グループ内では形式上傘下の会社の社長とその妻となる。    
   また、結納の相手が世界的な規模のグループの令息であり副社長だ。

 だから、お仲人には経済界の親睦団体の会長夫妻が快く引き受けてくださったらしい。

 将吾さんから父へは、今のところ何の「変更」の申し出もないようだ。


 あれから……わたしたちは出会った頃のような、つまりお見合い直後のような、よそよそしい関係に戻った。

 わたしの左手の薬指には、まだ毎日エンゲージリングのピヴォワンヌが輝いているが、このリングを受け取ったときの高揚感はカケラもなくなった。

 将吾さんも一応、わたしがお返しで贈ったグランドセ◯コーを毎日つけてはいるが、新品の黒革バンドを腕に馴染なじませるためだと思う。
 わたしのおじいさまが一目置いたことで、この時計が重鎮たちにかなり効き目があることを悟ったのであろう。

 ——とてもこんな冷え冷えした空々しい関係では、いくら政略結婚でもたない。

 将吾さんのことだから、結納のときに自分の口からみんなに「話す」ことでケジメをつけるつもりなのかもしれない。

 わたしとの婚約を……解消することを。

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