常務の愛娘の「田中さん」を探せ!

佐倉 蘭

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Chapter 5

「大奥」の田中さん ⑥

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「……あの……わたしたち、今日、ほぼ初対面ですよね?」
 田中 亜湖——亜湖が上目遣いで訊く。
「そうだな」
「『セクハラ対策』に報告されたら、とか思いません?わたし、担当の蓉子とは一番仲いいんですよ?」
 少し、脅してみる。

「蓉子が相手だったら……速攻で論破してやる」
 大地はいたずらっ子のように、ニヤッと笑った。そして、ダメ押しのように、もう一度亜湖にチュッ、とキスをした。

 ——ムダなことだったようだ。
 そもそも亜湖は、大地の右腕に抱き寄せられて、おとなしく彼の肩に頭を預けていたからだ。これではなんの説得力もない。

 つまり、なんだかあれよあれよという間に、こんなことになっているとはいえ、この状況が決して亜湖にとって不本意ではない、ということの表れだ。
 亜湖自身——なぜだかわからないけれども……

 彼女の名誉のために言っておくが、溺愛する父親がいることもあるが、今までの彼女自身のガードは鉄壁だった。
 お嫁さんにしたい、と言われる名門女子大出身の彼女は、女子と生まれたからにはたとえ親の死に目に会えなくとも行かねばならぬ、医者や弁護士やIT社長たちとの合コンにも呼ばれたことがある。
 今まで、どんなハイスペックな男が言い寄ってきても「絶対にオチない女」だったのに——


「今日の礼がしたいな。呑みに行こう。あ、今週の金曜の夜がいいな」
 突然、大地が言い出す。
「連絡先、教えてくれ。今、スマホ持ってないのか?」

 亜湖は身体からだを反転させて、制服のスカートからスマホを取り出す。そして、いつものように、蓉子のダミーのLINEのIDを言おうとしたら……

 大地がひょいっと、背後から亜湖の手からスマホを取り上げた。
「あ……」
「いいから、いいから」
 大地は「二人羽織」状態で、亜湖のスマホを勝手に操作しだした。

 そして亜湖の手に、ほら、と返した。それから、スーツのジャケットから自分のスマホを取り出し、確認した。
「おまえとおれのLINEのIDとメルアド、交換できたぞ」
 大地はいたずらっ子のように、ニヤッと笑った。

 亜湖の鉄壁だったガードが、なすすべもなく音を立てて崩れていく——


 ゜゜・*:.。. .。.:*・゜゜・*:.。. .。.:*・゜゜


 翌日、きっと後世に語り継がれるであろう大地の「武勇伝」が、あさひ証券本店を駆け巡った。

 追証を出した顧客が買値より下がったために売りたくても売れなくてそのままにしていた株を、大地が時間外取引P T Sによって、取引所で売買されている相場よりも、かなり高い株価で売り抜けたのである。

 時間外取引P T Sとは、東証などの証券取引所が取引を終えたあとに、証券会社が取引所を通さずに独自に売買することである。大地は古巣である本社のトレーディングルームに話をつけて利用したのだ。
 だが、時間外取引P T Sがいつも得するとは限らない。現に、ネット証券も時間外取引P T Sに乗り出していたが、思ったような収益が出なかったのか、撤退するところもある。

 とはいえ、今回追証を出した顧客の負担はほぼなくなった。しかも、大地自身の顧客ではない。直属の部下、山田の顧客を救ったのだ。

 大地は文字通り「救世主」——「正義のヒーロー」となったのである。
 本店内の女子社員の上條課長に対する株が、ストップ高することなく、天井知らずに上昇した。


 後場が引けて、いつもの営業部長や水島との会議が終わったあと、大地は一階の営業部 営業事務課——「大奥」に降り立った。

 上條課長が「大奥」に来たのは、初めてかもしれない。書類や伝票はいつも課付きの事務サポートに渡して持って行かせていたからだ。

 大地は激しく悔いていた。
 ——もっと早く「ストライク」の彼女と出逢えていたはずなのに……

 営業事務課大奥事務職奥女中たちは、時の人である上條課長がわざわざやってきたので、いつになくざわざわしていた。

 大地は辺りを見渡した。そもそもここは、専用のIDカードがないと入れない「結界」だ。たとえ、時間外取引P T Sで売り抜けて追証の顧客の大ピンチを救った「勇者」大地であっても、専用のIDカードを持たぬ者は結界をくぐれない。

 その結界からさらに一番奥、まるで天の岩戸のような巨大な金庫の前に、大地の「お姫様」は鎮座していた。
 ——こんなとこにいたんだな。

 大地と目が合ったお姫様——亜湖が席から立ち上がる。

 大地は亜湖をしっかりと見据えて「田中主任!」と、よく通る低い声で亜湖を呼んだ。
「追証の顧客の入金処理がわからない。必要な伝票を持ってすぐ来てくれ。小会議室Bだ」
 営業事務課大奥事務職奥女中たちの黄色い声で沸き立つ。

 亜湖の隣にいた西村が紅潮させた顔で、
「きゃあー、亜湖さん、あの上條課長からのご指名ですよぉー」
と、亜湖の腕をバンバン叩いていた。

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