29 / 73
Chapter 5
「大奥」の田中さん ⑥
しおりを挟む「……あの……わたしたち、今日、ほぼ初対面ですよね?」
田中 亜湖——亜湖が上目遣いで訊く。
「そうだな」
「『セクハラ対策』に報告されたら、とか思いません?わたし、担当の蓉子とは一番仲いいんですよ?」
少し、脅してみる。
「蓉子が相手だったら……速攻で論破してやる」
大地はいたずらっ子のように、ニヤッと笑った。そして、ダメ押しのように、もう一度亜湖にチュッ、とキスをした。
——ムダなことだったようだ。
そもそも亜湖は、大地の右腕に抱き寄せられて、おとなしく彼の肩に頭を預けていたからだ。これではなんの説得力もない。
つまり、なんだかあれよあれよという間に、こんなことになっているとはいえ、この状況が決して亜湖にとって不本意ではない、ということの表れだ。
亜湖自身——なぜだかわからないけれども……
彼女の名誉のために言っておくが、溺愛する父親がいることもあるが、今までの彼女自身のガードは鉄壁だった。
お嫁さんにしたい、と言われる名門女子大出身の彼女は、女子と生まれたからにはたとえ親の死に目に会えなくとも行かねばならぬ、医者や弁護士やIT社長たちとの合コンにも呼ばれたことがある。
今まで、どんなハイスペックな男が言い寄ってきても「絶対にオチない女」だったのに——
「今日の礼がしたいな。呑みに行こう。あ、今週の金曜の夜がいいな」
突然、大地が言い出す。
「連絡先、教えてくれ。今、スマホ持ってないのか?」
亜湖は身体を反転させて、制服のスカートからスマホを取り出す。そして、いつものように、蓉子のダミーのLINEのIDを言おうとしたら……
大地がひょいっと、背後から亜湖の手からスマホを取り上げた。
「あ……」
「いいから、いいから」
大地は「二人羽織」状態で、亜湖のスマホを勝手に操作しだした。
そして亜湖の手に、ほら、と返した。それから、スーツのジャケットから自分のスマホを取り出し、確認した。
「おまえとおれのLINEのIDとメルアド、交換できたぞ」
大地はいたずらっ子のように、ニヤッと笑った。
亜湖の鉄壁だったガードが、なす術もなく音を立てて崩れていく——
゜゜・*:.。. .。.:*・゜゜・*:.。. .。.:*・゜゜
翌日、きっと後世に語り継がれるであろう大地の「武勇伝」が、あさひ証券本店を駆け巡った。
追証を出した顧客が買値より下がったために売りたくても売れなくてそのままにしていた株を、大地が時間外取引によって、取引所で売買されている相場よりも、かなり高い株価で売り抜けたのである。
時間外取引とは、東証などの証券取引所が取引を終えたあとに、証券会社が取引所を通さずに独自に売買することである。大地は古巣である本社のトレーディングルームに話をつけて利用したのだ。
だが、時間外取引がいつも得するとは限らない。現に、ネット証券も時間外取引に乗り出していたが、思ったような収益が出なかったのか、撤退するところもある。
とはいえ、今回追証を出した顧客の負担はほぼなくなった。しかも、大地自身の顧客ではない。直属の部下、山田の顧客を救ったのだ。
大地は文字通り「救世主」——「正義のヒーロー」となったのである。
本店内の女子社員の上條課長に対する株が、ストップ高することなく、天井知らずに上昇した。
後場が引けて、いつもの営業部長や水島との会議が終わったあと、大地は一階の営業部 営業事務課——「大奥」に降り立った。
上條課長が「大奥」に来たのは、初めてかもしれない。書類や伝票はいつも課付きの事務サポートに渡して持って行かせていたからだ。
大地は激しく悔いていた。
——もっと早く「どストライク」の彼女と出逢えていたはずなのに……
営業事務課の事務職たちは、時の人である上條課長がわざわざやってきたので、いつになくざわざわしていた。
大地は辺りを見渡した。そもそもここは、専用のIDカードがないと入れない「結界」だ。たとえ、時間外取引で売り抜けて追証の顧客の大ピンチを救った「勇者」大地であっても、専用のIDカードを持たぬ者は結界をくぐれない。
その結界からさらに一番奥、まるで天の岩戸のような巨大な金庫の前に、大地の「お姫様」は鎮座していた。
——こんなとこにいたんだな。
大地と目が合ったお姫様——亜湖が席から立ち上がる。
大地は亜湖をしっかりと見据えて「田中主任!」と、よく通る低い声で亜湖を呼んだ。
「追証の顧客の入金処理がわからない。必要な伝票を持ってすぐ来てくれ。小会議室Bだ」
営業事務課の事務職たちの黄色い声で沸き立つ。
亜湖の隣にいた西村が紅潮させた顔で、
「きゃあー、亜湖さん、あの上條課長からのご指名ですよぉー」
と、亜湖の腕をバンバン叩いていた。
0
あなたにおすすめの小説
【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜
来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、
疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。
無愛想で冷静な上司・東條崇雅。
その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、
仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。
けれど――
そこから、彼の態度は変わり始めた。
苦手な仕事から外され、
負担を減らされ、
静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。
「辞めるのは認めない」
そんな言葉すらないのに、
無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。
これは愛?
それともただの執着?
じれじれと、甘く、不器用に。
二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。
無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です
朝陽七彩
恋愛
私は。
「夕鶴、こっちにおいで」
現役の高校生だけど。
「ずっと夕鶴とこうしていたい」
担任の先生と。
「夕鶴を誰にも渡したくない」
付き合っています。
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
神城夕鶴(かみしろ ゆづる)
軽音楽部の絶対的エース
飛鷹隼理(ひだか しゅんり)
アイドル的存在の超イケメン先生
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
彼の名前は飛鷹隼理くん。
隼理くんは。
「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」
そう言って……。
「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」
そして隼理くんは……。
……‼
しゅっ……隼理くん……っ。
そんなことをされたら……。
隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。
……だけど……。
え……。
誰……?
誰なの……?
その人はいったい誰なの、隼理くん。
ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。
その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。
でも。
でも訊けない。
隼理くんに直接訊くことなんて。
私にはできない。
私は。
私は、これから先、一体どうすればいいの……?
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
ちょっと大人な物語はこちらです
神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な短編物語集です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる