後宮化粧師は引く手あまた

七森陽

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油断大敵とはええまさにこの事です

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 太耀の右目の下に小さな黒子を書き込み、俊熙のそれと見比べて香月は頷いた。次は眉笔で少し太耀の眉を書き足す段だ。
「ねぇまだ終わらないの」
「何を言っておいでですか、ここからが大事なところですよ」
 未だふるふると震えながらくすぐったさに耐えている太耀の顎を固定し、俊熙の眉を確認しながら描き添えていく。
 見られている方の俊熙は、一旦自身への作業はないということで、例の報告書をでっち上げている所だった。
「呉香月、お前だったらどう殿下を手解きする?」
「ちょっと気が散るんでやめて下さい」
 気配りの欠片もない俊熙の質問を一刀両断する。
 嫁入り前の娘になんてことを聞くんだ。いや、後宮にいる時点で嫁入り前なのは当たり前なのだが。
 そもそもそんなにも詳しく報告されねばならぬなんて皇族は大変である。いつか自分の主である梦瑶も、こんな風に報告される時が来るのだろうか。願わくば想い人と…そう願ってしまうのは、この後宮の闇を思えばこそ当たり前の事であろう。
 そんなことを思いながら眉を描き終えると、今度は二人の目元を観察する。
 すると、ある事に気付いて香月は思わず目を見張った。
 この二人、目の構造が似ている。
 瞼は綺麗に二重で、睫毛も男性にしては長い方だ。瞳の色は、太耀の方が薄い茶色で俊熙が澄んだ黒と違いはあるが、少しつり気味の眦は凛とした鋭さを湛えている。
 さすがに瞳の色を変えることは出来ないから、目には加工することは難しそうである。
「んー、目は一番変装する上で大事なところなんですけど、お二人は違いがそれ程ないので難しそうですね」
 太耀と俊熙はそう言われ、お互いの顔を見合わせて「そうか?」という顔で小首を傾げている。
 仕方ない、あとは鼻筋と髪型を整えてから、歩き方や姿勢を指摘するしかない。
「失礼しますね」
 香月は少し濃いめに蜜粉を作ってから、俊熙の鼻筋に影をつけていく。
 やはり俊熙は顔に触れられても特にくすぐったさは感じないようで、平然とされるがままになっていた。手にはあと少しで欄が埋まりそうな報告書。
「いや本当なんでそんな慣れてるんだか」
 呆れたような羨ましいような、そんな声音で太耀が漏らしたが、その言葉が指したのは果たして化粧か、報告書か。何となく香月も同じ感想を抱いたが、まぁ知ったところでどうという事もないので作業に専念する。
「…さて、髪型もやってしまいますね」
 太耀は背中の中ほどで、その艶やかな髪を緩く髪紐で結んでいた。対して俊熙はきっちりと高い位置でお団子状に纏めている。髪型は対極なので大変やりやすい。
 髪飾を外すと、俊熙の髪がさらりと肩に落ちた。肩甲骨位まで伸びたそれを櫛で解くと、何度か流せば結び跡はなくなって真っ直ぐになる。
 こうして見ると、瞼を閉じてじっとしている俊熙は、やはり皇太子に負けず劣らず美丈夫だ。宦官にしておくのは勿体ないなぁと、香月はまたもや心の中で失礼なことを思った。
「…香月ちゃんさ、俺に興味ないって言ってたじゃん?」
 徐ろにそう太耀が問うてきて、俊熙の目がカッと開いた。目が一瞬合って、急いで香月はそれを逸らす。
「…あの時は大変失礼を…」
「いや別にそれは良いんだけど。それって歳下だから、だっけ?」
 改めて謝罪しようとするが、続く質問に阻まれる。
 不満そうな俊熙の視線が頬の辺りに刺さっている気がしていたたまれない。
「えーっと、まぁ、そう、ですね…」
 正直あの時はその場から離れようとして適当に言ったに過ぎないのだが、そもそも皇太子で主の想い人なんてどう考えてもそういった対象になり得ないので、とりあえずそういう事にしておく。
「じゃあ歳上だったらいいの?それとも同い歳?」
「えっと……あの、これは何の尋問なのでしょう…?」
「いーから教えてよ~」
 もうこの秘め事に飽きてしまったのだろうか、太耀は膝に肘をつき顎を乗せるといういつもの仕草で、真面目そうに香月を見上げている。
 香月は早くこの時間を終わらせるべく、俊熙の背後に回りその髪を髪紐で緩く結んだ。
「まぁ、そうですね」
 面倒なのでそういう事にしておく。
 そしてそのまま太耀の髪紐を解き、お団子状に整えていく。
「え~何歳までいける?」
「え、いや考えたことないですけど…」
「例えば二歳上とか」
「まぁ…それくらいがちょうど良いんじゃないですかね」
 段々と面倒くささが増してきて香月は最早なにも考えず応答した。が、その後の台詞で我に返る。
「じゃあ俊熙は守備範囲内かぁ~」
「は?」
「はっ!?」
 香月よりも心外だという声を出したのは俊熙である。いやちょっと失礼では?人のことは言えないけれど。
「殿下、お戯れも程々に…っ」
「ちぇ~、恋敵が俊熙じゃな~」
 本気か冗談か全く分からない物言いに、俊熙も混乱しているようだ。
 正直、香月にもそんな気は一切無いし、俊熙の方も以ての外だろうことは分かっているので、この話を早く切り上げたいという点で二人は自ずと結託していた。
「私は殿下の為に生きてますから、このような者とわざわざどうにかなるなど有り得ません」
「私だってこんな失礼極まりない方とだなんて無理ですよ」
「なんで二人共そんな必死なの」
「必死ではない、当たり前の事を申しているまでです」
「そうです、それに別に貶めてる訳では無いですけど、宦官の方とはそういった未来も考えづらいでしょうし本当に何とも思っておりません」
 香月はお団子に髪飾を被せて仕上げると、
「はい!出来ました!さぁお二人とも立ってください!」
そう言って話を無理矢理終わらせた。
「まだ聞きたいこと…」
「さぁ太耀さま、次は俊熙さまに似せた姿勢と歩き方の練習です」
 にこりと、笑みで続きを封殺する。
「…圧がすごい」
 そう言って諦めた太耀に俊熙が密やかにひと息ついたのが、香月にはありありと分かった。

 その後しばらく、お互いの姿勢や歩き方を練習すると、今回の『秘め事』の目的は粗方達成された。
「俊熙の姿勢は肩が凝る」
「それは筋肉が足りないからですよ。それより殿下ももう少し背筋を普段から伸ばして…」
「わーかったわかった、気をつけるから~」
 太耀は両耳に人差し指を当てて、うんざりしたように言う。普段の二人の雰囲気が察されて香月は微笑ましい気持ちになった。少し、梦瑶と水晶の雰囲気に似ていて、お互いが信頼で結ばれているのだなとわかった。
「さて、ひとまずこれで私の出来ることは全てです」
 香月は化粧品類を全て箱に仕舞いながらそう述べる。この後どうするか等は聞かされていないが、この『手解き中』である今夜のうちに何かの手を打つのは間違いないだろう。
「ああ、感謝する、呉香月」
 振り向くと、そこには少し気を抜いた姿勢の、雰囲気は太耀なのに驚くほど無愛想な俊熙が居る。
「…俊熙さま、」
 香月は少し呆れながら俊熙に近づくと、その両の人差し指を彼の口の端に当て、くいっと上に持ち上げた。
「…っ!」
「太耀さまはそんな無愛想な表情されませんよ、ほら、こうして笑って」
「わ、わあっあ、」
 わかった、と言ったのだろう俊熙に頷き返し、香月はその手を離す。少しぎこちなくはあるが微笑みを湛えたその表情は太耀によく似ていた。
「はい、上出来です」
 香月はその出来に満足し、そして同時にひどく安心した。初めての仕事内容だったが、思ったよりも上手く出来たように思う。あとは彼らの作戦が成功すれば、香月の初仕事も大成功だ。
「ふぅ……」
 香月はやり切った充実感のあとから大変な疲れが襲ってくるのを感じる。ちらりと、何か会話をしている二人を見遣ると、二人も心無しか疲れている表情をしていた。それもそうだろう、今は恐らく子の刻も半分を過ぎた頃だ。しかしこれから何か作戦があるのだろうから、ひと仕事終えた香月と違ってまだ二人は気が抜けないだろう。
 そう言えば水差しがあったんだっけ。
 香月は宮女が持ってきた水差しを扉の側の机に置いたことを思い出した。杯は二つあったし、二人に持ってきてあげよう。
 香月は屏風から出て寝台をぐるりと回り、扉まで行くとお盆ごと抱えあげ、また戻る。
「お二人、お水は如何ですか」
 先程まで化粧品を並べていた机に盆を置くと、伏せられていた二つの杯を裏返して置き直す。
「ああ、ありがとう香月ちゃん」
 二人は会話を止めると、香月の手元を見下ろした。
「でも俺は喉乾いてないから、香月ちゃん飲んでいいよ」
「え、そうでしたか」
 太耀はにこりと笑って手を振る。そう言われると、ものすごく喉が乾いてきたような気がして、香月は有難く水を頂くことにした。
「ではお言葉に甘えて頂きますね、ありがとうございます。俊熙さまは如何ですか?」
「いや、私も喉は…」
 妙に言葉を止めた俊熙に気付かず、香月はいそいそと二つの水差しに水を並々と注いだ。
「……何処にそんな水差しが?」
「そう言えば扉の側の机にあったね」
 太耀は、まだ俊熙がこの部屋にやってくる前、その水差しの置かれた机を見たのをなんとなく思い出して答える。
「…初めにきた時はそんなもの…」
 怪訝そうに呟く俊熙の声は、杯を持ち上げる香月には聞こえない。
「、ちょっと待て、呉香げ…」
 喉の乾きを潤すため、香月は一気にその杯を傾けた。喉から胃へ、水が流れ落ちるのがわかる。
 それを全て飲みきったあと、ようやく俊熙が漏らした言葉が香月の脳に届き、そして香月は妙な違和感を覚えた。
「……あれ、これ、俊熙さまのご指示で、って……」
 途端に、喉が焼け付くように熱を持った。
「!?」
 香月は驚いて杯を取り落とす。
 ガシャンと足元で割れた音がしたが、気にする余裕は無い。
 香月は両手で喉を抑える。
「呉香月!?」
「香月ちゃん!」
 息が、出来ない。
 世界がぐにゃりと曲がって、立っていられない。
 誰かの腕が背中を支えた気がしたけれど、香月は消えていく意識の中でその熱すら感じる事が出来なかった。


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