後宮化粧師は引く手あまた

七森陽

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閨の秘め事はマジの秘め事なんです

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「じゃあ今夜やって欲しいことなんだけど」
 太耀は改まって香月へ向き直ると(場所は未だ寝台の上だが)、神妙にそう話し出した。
「結論から言うと、俺を『俊熙』にして欲しいんだ」
「…へ」
「そして私を『殿下』にして欲しい」
 間抜けな声をかき消すように、俊熙からも声が重ねられる。
 つまり、お互いを入れ替える変装を施して欲しい、という――
「む、無理ですよ!」
「なぜだ」
 慌てて香月はかぶりを振るが、俊熙がズイと詰め寄ってくる。俊熙は立ったままであるから、威圧感がすごい。
「私がやってたのはあくまでもその人を活かす為の化粧であって、そういう『誰かに似せる』みたいなのは専門外です!」
 そう、化粧師を名乗る者の中にもそういった『隠密向け』を生業にしている同業者も居たが、香月の一族が専門にしていたのは純粋に宴や式典などで重宝される類のものである。
「技術的には似て非なるものなんですよ…!」
 香月は必死で説明をするが、俊熙の表情は一切崩れない。それどころかじわりと口角が上がってきた、ような。
「…それでも、お前は化粧師の『呉』だろう?」
 挑戦的な、その視線が、香月の背筋をぞわりと粟立たせる。
「化粧師の呉と言えば、数少ない化粧師の中でも最たる技術を持つ皇室唯一のお抱え化粧師だった家だ。確か分家には造形師もいただろう?」
 …そう、だったけれども!
「…ごめんね、香月ちゃんのこともちょっとだけ調べさせてもらったんだ。君、何度も皇太后に呼ばれて祭事の支度役になっていたよね?」
 申し訳なさそうな声で太耀が言ってくるが、その顔は全く申し訳なさそうではない。目が「出来るよね?」と、そう言っている。
 確かに三、四年前は、呉家の一員として当時皇后であった玉燕妃のお世話をしていたこともあった、が。だからってそれとこれとは別である。
「…だって、やったことないですよ、そんな化粧…」
「俺たちはやれると見込んで内情を話してる」
 太耀は香月が何を言おうとも納得してくれる様子はない。俊熙も頷き、言葉を続ける。
「それに、あの時姓が『呉』だと聞いていなければ、例え梦瑶妃の言であってもすぐに化粧師として信頼するものか」
 『呉』だから頼んでいる。
 そういう風に実家の名前を盾にとられると香月も強く『できない』とは言いづらくなっていく。
 ああ、これは逃げられないやつだ。香月は悟った。
「呉香月、お前に断る道はない」
 ピシャリとそう、追い詰められた。俊熙を見上げ、そして太耀を見る。
 二人とも逃がす気のない自信満々の笑みだ。
 少し気軽げで人あたりの良い太耀と、無愛想で真面目な俊熙。まるで正反対の二人だと思っていたけれど。
 ……タチが悪いところはそっくりだわ!
 香月は逃げることは諦めて、覚悟を決めるしか無かった。


 その部屋の寝台の裏側には屏風で仕切られた空間があり、棚にはいくつかの化粧品と男性用の衣装が掛けられていた。
 準備の良いことで。
 香月は、あれよあれよと断れずにここまで来たこの数日間を思い返す。どちらにしろ、目をつけられてしまったからには高貴な方の命に逆らうことなんて出来ないのだが、それでも何かうまく逃げられる方法があったのではないかとさえ思う。
 と言っても、はじまりは自身の失言からに変わりはないのでどうしようもないが。
「俺たちはどうすればいい?」
 屏風の辺りに二人が近寄ってきて手持ち無沙汰に棒立ちしている。
「ひとまずこのご準備されている衣装にお着替えください」
「ん、わかった」
 そう言うや否や、太耀が自身の腰紐を解き始めるから香月は目を見開く。
「ちょっと!ここで脱がないでください!」
「えーめんどくさい」
「だめです!これ持って、あっちで着替えてください!」
 突然のことで頬に熱が集まっているが、それを振り払うように『官吏の漢服』を太耀に押し付ける。
 これだから日頃支度を侍従に手伝って貰うような尊人は厄介だ。
 基本的に化粧師は同性を担当する。正直言って香月は、化粧師の研修として男性の支度についても学んではいるが、依頼として受けたことはないので慣れている訳では無い。
 しかしそんなことを配慮しろ、とは言えるはずもなく、失礼ではあるが押し出すしかない。
 俊熙の方はなんとなく理解してくれてはいるのか、無言で自分が着る方の衣装を手に取り、太耀を伴って寝台の方へ移動してくれた。
 ほ、と一息つき、香月は棚から化粧品を取り出し机へと広げる。ある程度のものは揃っているようなので、特に苦労することはないだろう。
「さて、と」
 誰かに似せる化粧は、初めてだ。
 ただし今回は似せる対象がその場に居るので比べやすい。二人を並べて同時に作業することが出来る。
 例えば隠密向けのこういった依頼だと、姿絵か記憶を元に、隠密や影武者に貴人の変装をさせたりする。それに比べれば難易度はぐっと下がる、だろう。まぁやったことはないので全て想像だが。
「着替えたぞ」
 思ったよりも早く衣替えを完了した二人が、また屏風のこちら側に戻ってくる。
 官吏の服を着た皇太子と、高価すぎる夜着を着た宦官。見慣れない様に一瞬混乱する。
 私がこれを、しっくりくる姿にしなければならない。
 今一度責任の重さにヒヤリとするが、受けたからには化粧師の『呉』の名に懸けて、必ず完遂させて見せる!と香月は意気込んだ。
「ではこちらに並んでお座りいただけますか」
 椅子を二つ並べて促すと、香月から向かって右に俊熙、左に太耀が座った。
 各人の顔の特徴と、違いを観察する。
 肌の色は俊熙の方が少し日に焼けているようなので、太耀に少し濃いめの粉底を、俊熙には白めの粉底を調整すべきか。ただ今はもう夜であるし、そこまで厳密に色を合わせなくとも篝火や月明かりでははっきりとわからないだろうから、あるもので済ますのでも良さそうだ。
 眉は俊熙の方がすこし凛々しいので、太耀に眉笔を入れよう。
 目元を見てみると、小さいけれど俊熙の右目の下に黒子を見つける。こういう分かりやすい特徴はとてもありがたい。
 と、いうような感じで香月が二人を見比べながらすべき作業を精査しているが、ただ見られているだけの二人は手持ち無沙汰のため、興味深そうに雑談を始めた。
「なんかこんなにじっくり観察されることがないから新鮮だなぁ」
「そうですね、普段こんな風に殿下をジロジロ見ている者がいればしばらくの入牢ですかね」
「お前は手厳しすぎるよ」
 実際じっくり観察している香月としては聞き捨てならない会話だが、これも仕事だからと心を強く持つ。
「しかし本当に化けたよね、香月ちゃん」
「呉家の腕は相当ということですね」
「いやいや、違うでしょ俊熙」
「…何が違うんです」
「これは、香月ちゃんが元々美人だったが故の結果だよ」
「へっ!?」
 香月は思わぬ会話の行方に、手の甲で練っていた粉と油をぐにゃりと潰して間抜けな声を出してしまう。急に人の顔のことを言い出したぞ?
「…それは…化粧映えする素朴な顔だったということなのでは」
「まぁそうとも言うかな!」
 しかし褒めたかと思えば結局貶されて、香月は少しイラッとした。から、人差し指に取った粉餅をぞんざいに俊熙の頬に擦り付けた。
「っおい、ちょっと乱暴じゃないか?」
「いーえ、そんなことございません、我慢してくださいませ!」
 そのまま顔全体に広げて俊熙の肌の色を少し薄くする。そして少し厚めに目元の黒子に塗り、それをほとんど見えない程までに隠す。
 続けて今度は濃いめの粉餅を作り目を瞑った太耀の肌に広げるが、施術される方の太耀はその手の感触に驚いたのか、肩をびくりと揺らした。しばらくそのまま目を閉じていたが、突然目を見開き顔を後ろに引いて叫ぶ。
「無理!くすぐったい!」
 頬を両手で隠した太耀を見て、香月はポカンと口を開ける。
「俊熙よくこんなの耐えられるね!?くすぐったくて我慢出来ないんだけど!」
「え、太耀さまってお化粧のご経験は…」
「無いよ~!式典の時にちょっと紅さされたくらいで…」
 そう言いながら太耀は指で自身の頬を擦る。
「ああっ!だめです殿下、擦らないでください!」
「ちょっと声が大きいのでお二人お静かに」
「ねぇまじでこんなのずっと我慢するのとか無理なんだけど」
 口に人差し指をあてて窘める俊熙を横目に、太耀は少し涙目である。
「大丈夫です殿下、慣れたらどうってことありませんよ」
「何でお前はそんな慣れてる風なんだよ~!」
 ヤダヤダと首を振る太耀を見て、香月は思わず吹き出す。
「……何で笑うの」
 太耀は少し頬を染めて、心外だとでも言うように香月を睨めつける。
「だって、太耀さま、そうしてると本当に十六歳なんだなって…」
 ふふふと笑うと、太耀は頬を膨らませる。
「ちょっと失礼だよ香月ちゃん。そんな可愛い顔してそんな酷いこと言うと、本当に手解き役にしちゃうよ!」
「えっそれは困ります!」
 太耀の突然の脅しに思わず返すと、香月と太耀の間に腕が差し込まれた。俊熙の右腕だ。
 顔を見遣ると、俊熙はその左人差し指を口元に当てて二人を交互に見てこう言う。
「お二人、とにかくお静かに。分かっていますか?これが『秘め事』だと言う事を」
 そうだった。
 香月と太耀はバツの悪そうな顔で、そっと元の位置に戻り、作業を再開するのだった。



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