後宮化粧師は引く手あまた

七森陽

文字の大きさ
6 / 39

まるで蛇に睨まれた蛙の心地ですが

しおりを挟む

 コンコン、扉を二回叩く音が聞こえて香月は寝台から立ち上がった。太耀かと思いそのまま待ってみるが、しばらく経っても扉は開かない。
 あれ、これって出迎えなきゃいけない作法でもあったんだっけ?
 何せ手解き役など初めての経験なので(当たり前だが)、勝手がわからず戸惑う。
 するともう一度、コンコン、と先程より強めに音がする。
「…はい、」
 出迎えるべきなのかも、と、香月は何重にもなる天幕をくぐり抜け、扉へと急いだ。なんせ広い部屋なので小走りである。
「はい、お待たせしました」
 扉を押し開けると、そこには太耀、ではなく、先程香月を案内してくれていた宮女がいた。
 あがりではなかったのかと香月は驚く。
「こちらをお持ちするようにと、俊熙様に言付かって参りました」
 頭を下げた状態で差し出されたのは、硝子の水差しと細かい装飾の杯が二つだった。何だと理解できないままにとりあえずそのお盆を受け取る。
「では、失礼いたします」
 しっかりと渡し終えると、これでようやく仕事が終わったというような顔をして宮女は去っていく。
 杯が二つというのがなんだか妙に生々しい気がして、扉近くの机に急いでそれを置いた。先程俊熙が放った紙の束を変わりに手に取り、なんとはなしにぱらりとめくる。それは日付を書く欄だけが端に設けられているだけの、ただの紙だった。何に使うのだろう?と考えていると、扉の向こうから足音が聞こえる。
 わ、来た!
 忘れかけていたがまた無駄に心臓が鳴ってくる。
「入るね」
 柔和な声は太耀のものだ。その声から間もなくすぐに扉は開かれて、扉のそばにいた香月とまだ半分しか開けていない戸の隙間から目が合う。
「…お出迎え?」
「ちがいますっ」
 少しびっくりした顔の太耀につっこみを入れてから、香月は少し扉から離れた。
「ごめんねー、待たせちゃって」
 太耀はカラカラと笑いながらするりと部屋に入り、そのまま惑うことなく寝台へ向かう。
 まぁ座れる場所が、そことこの出口付近の机しかないのだから、まぁ仕方ないのだが。
「…俊熙さまはいらっしゃらないんですか?」
 妙に気恥ずかしくてそんなことを聞くと、
「ああそのうち来るよ~」
天幕をくぐり寝台に辿り着いた皇太子がのんびり答える。
「それまで話でもしようよ」
 にこにこと手招きする彼に、香月は断る理由も見当たらないので、胸に紙の束を抱えたまま近寄る。
 ぽんぽんと寝台の端を叩かれて、おずおずとそこに座った。
「…何持ってるの?」
「あ、これはさっき俊熙さまがそこに置いてて」
 香月が今は水差しが置いてある机を指さすと、そちらに目をやったあと太耀が「ああ」と頷く。
「確かこれ書かなきゃいけないんだよね」
 香月の手からその紙を抜き取ると、寝台の横にある台から筆を取り出した。そして日付や何かを書き付け始める。
「…何を書くんですか?」
 よく理解できないまま聞くと、太耀は紙に目を落としたままうーんと唸る。
「そうだなぁ…」
 そして顔を上げ、スッと目を細める。
「香月ちゃんはどうされたい?」
「…………へ?」
 にこり、と感情の読めない笑顔を向けられる。
「これ、今夜の詳細書かなきゃなんだよね」
 しばらくその言葉の意味を咀嚼し…香月は顔から火を噴いた。
「…っ!?」
「あははは!おもしろ~!」
 完全にからかわれた。四つも歳下のまだ加冠もしてない皇太子に。
 自分がまるで初心な少女みたいで恥ずかしい。
「まぁ、これを偽造しなきゃいけないのは本当だからさ」
 太耀は未だ笑いながら筆をくるくる器用に回している。
「今回、宗正みたいな役割を俊熙が買って出てるからこの作戦が成り立ってるんだよね」
 宗正とは、嫡子の順位を定める役職だ。配下の宦官が後宮での閨の様子をきちんと記録する事で、妃達が同時期に妊娠したとしても嫡子の序列をつけることが出来るという仕組みだ。
 後宮で皇太子と閨に入るとはそういう事である。またもや生々しい現実に直面して、いっそう恥ずかしさに拍車がかかった。
「ま、なんとか上手いこと書いておくよ」
 堂々としている太耀に、加冠もまだの十六歳のくせして、言う事が一丁前すぎるのでは?と妙に疑ってしまう。本当に手解き役なんてちっとも必要なさそうなのだが…。
「なんでそんな百戦錬磨みたいな台詞が言えるんですかね…」
「まあまあ、そんなことは気にせず…」
 太耀が誤魔化そうとしたのか、真正面から香月の姿を捉えて――
「……」
止まった。
「…?」
「……」
 じっと、見つめられる。
「…あの、何か…」
「…本当に香月ちゃん?」
「え?…はい、そうですけど」
「うっわー、すごい!もしや化粧師って魔術師の仲間なの!?」
 部屋の醸す妖艶な空気をぶち壊すかのように、太耀が大きな声を出した。
 えっ今更?
「さっき逆光でよく見えなくてさー!」
 変わらず大きな声の太耀は、寝台をドスドス揺らしている。
「すごいすごい!!」
 喜んでいるのか、わからないが、とても笑顔だ。
 すると部屋の扉がギィと音を立てて開き、
「ちょっと殿下、外に聞こえてきましたよ!」
何してるんですか!と俊熙が慌てて押し入ってきた。
「えー、だって!俊熙も見た!?」
 咎められてもものともせず、興奮しきった太耀はその勢いのままズイズイと香月に詰め寄る。
「すごい、別人みたいだけど、近寄るとちゃんと香月ちゃんってわかるね!」
 寝台の上で図らずも至近距離まで近寄られてしまい、香月は無駄にドギマギしてしまう。
「あの、とりあえず離れて…」
 余りにも綺麗なご尊顔に近寄られると、いくら主の想い人とは言えどドキリとしてしまう。いやこれは仕方ない、誰だって綺麗な顔には弱い。
「殿下、とりあえずそれを」
 俊熙が見かねたように二人の間に割って入り、太耀の手元の紙束を取り上げた。書き途中のそれは筆と一緒に俊熙の手に収まる。
「え~でも……なんか本当に勿体ないなぁ」
 空いた手で自身の太ももに肘を立て、顎を乗せた状態で太耀は香月を見上げた。
「これが嘘なんてなぁ」
「? 化けた姿ってこと?ですか」
 まぁこの姿は香月だと絶対にバレないように必死で固めた嘘の姿であるから、間違いないが。
「ちっがうよ!そうじゃなくて」
 しかしその言葉を大きく否定しながら、太耀が目をスーッと細めて妖艶に笑む。
「本当に食べちゃいたいなぁ」
「…………っ!?」
 未だかつて無い程の『やばい』空気に充てられて、香月は身動きが取れなかった。あれだ、蛇に睨まれた蛙だ。
 本当にこの男、加冠前の十六歳だろうか。手解き役を探しているような段階ではないように思うのだが。
 何も言えないままの香月を助けるように、俊熙が溜息をつきながら太耀を諌める。
「殿下、そろそろ本題に」
 その言葉で、太耀はにーっと湛えていた笑みを崩して少し真面目な表情になった。
 それを見て香月はほっと一息つく。
「呉香月、ここから今一度、化粧師としての腕の見せ所だ」
 いよいよ始まるらしい。
 そう、ここからが本当の『秘め事』なのである。




しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜

来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。 望んでいたわけじゃない。 けれど、逃げられなかった。 生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。 親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。 無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。 それでも――彼だけは違った。 優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。 形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。 これは束縛? それとも、本当の愛? 穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です

朝陽七彩
恋愛
 私は。 「夕鶴、こっちにおいで」  現役の高校生だけど。 「ずっと夕鶴とこうしていたい」  担任の先生と。 「夕鶴を誰にも渡したくない」  付き合っています。  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  神城夕鶴(かみしろ ゆづる)  軽音楽部の絶対的エース  飛鷹隼理(ひだか しゅんり)  アイドル的存在の超イケメン先生  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  彼の名前は飛鷹隼理くん。  隼理くんは。 「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」  そう言って……。 「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」  そして隼理くんは……。  ……‼  しゅっ……隼理くん……っ。  そんなことをされたら……。  隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。  ……だけど……。  え……。  誰……?  誰なの……?  その人はいったい誰なの、隼理くん。  ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。  その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。  でも。  でも訊けない。  隼理くんに直接訊くことなんて。  私にはできない。  私は。  私は、これから先、一体どうすればいいの……?

暴君幼なじみは逃がしてくれない~囚われ愛は深く濃く

なかな悠桃
恋愛
暴君な溺愛幼なじみに振り回される女の子のお話。 ※誤字脱字はご了承くださいm(__)m

人狼な幼妻は夫が変態で困り果てている

井中かわず
恋愛
古い魔法契約によって強制的に結ばれたマリアとシュヤンの14歳年の離れた夫婦。それでも、シュヤンはマリアを愛していた。 それはもう深く愛していた。 変質的、偏執的、なんとも形容しがたいほどの狂気の愛情を注ぐシュヤン。異常さを感じながらも、なんだかんだでシュヤンが好きなマリア。 これもひとつの夫婦愛の形…なのかもしれない。 全3章、1日1章更新、完結済 ※特に物語と言う物語はありません ※オチもありません ※ただひたすら時系列に沿って変態したりイチャイチャしたりする話が続きます。 ※主人公の1人(夫)が気持ち悪いです。

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

ヤンデレにデレてみた

果桃しろくろ
恋愛
母が、ヤンデレな義父と再婚した。 もれなく、ヤンデレな義弟がついてきた。

Melty romance 〜甘S彼氏の執着愛〜

yuzu
恋愛
 人数合わせで強引に参加させられた合コンに現れたのは、高校生の頃に少しだけ付き合って別れた元カレの佐野充希。適当にその場をやり過ごして帰るつもりだった堀沢真乃は充希に捕まりキスされて…… 「オレを好きになるまで離してやんない。」

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

処理中です...