後宮化粧師は引く手あまた

七森陽

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うちの可愛い香月に何してくれた?

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「なぁ芳馨、ひとつ聞いていいか」
「何かしら俊熙」
「私は呉香月には知らせるなと言った筈だったんだが」
「言ってたわねぇ確かに」
 俊熙と芳馨は、太燿が座る豪奢な椅子の横に侍り、前を向いたままやり取りをしている。それを香月は何とも言えない気持ちで部屋の後方からじっと見つめていた。
「…なら何故、ここに居るんだ?呉香月が」
 ちらりと香月を振り返った俊熙の表情は、怒っているというより、どうしたもんかと悩んでいるようなものだった。
「そりゃあ、ワタシが連れてきたからよ」
「……」
 暖簾に腕押しな芳馨の回答に、俊熙は深く溜息をついた。
 香月は居心地の悪さを感じながらも、そこにじっと立っているしかない。なんせこれからこの広い謁見室に、姜子豪がやって来るからである。来客対応中のこの厳戒態勢の空気の中、それではこれで!と辞せる勇気は流石に香月には無い。
「…誘拐犯と被害者を同室に置いておくことがどういうことか、理解してるのか?」
「理解してるけど、今回の場合はそれ以前に『幼馴染』で『取引相手』じゃない。俊熙が思ってるようなことにはならないわよ」
「お前、それは楽観的すぎるだろう。相手は東宮に忍び込んで拉致をやってのける奴らだぞ?」
「だからって箱入りにしてたって、先に進むもんも進まないわよ。姜子豪の機微に聡いのは香月だってこと、俊熙も納得してたじゃない」
「あ~ハイハイ、二人ともそこまで。ギッスギスしてるの俺嫌だからさぁ」
 淡々と繰り広げられた舌戦を制したのは、豪奢な椅子に肩肘ついて剣呑な視線を二人に送っていた太燿だ。
 主に止められて、二人は押し黙る。
「俊熙の心配も分かるけど、ここには磊飛もいるし芳馨・雲嵐だって、何なら俊熙だっているんだからさ。どうとでもなるよ」
 香月は口を挟めないままだったが、自分の去就について談義されていてひたすら気まずい。
 今朝、芳馨が桔梗殿の香月の部屋まで呼びに来た時は驚いたものだ。子豪に虚言が無いように目を光らせろと言われたが、根拠のないただの幼馴染の勘を信じてくれたということがどうにも不思議でならなかった。
 それに。
『俊熙の心配も分かるけど』
 たぶん、自惚れではなく、俊熙は香月を心配してくれているのだと思う。
 たとえただの罪悪感や責任感からくるそれだとしても。
 それだけで何でも出来るような、それこそ絶対に子豪の一挙手一投足を見逃さないぞ、というやる気に満ち溢れるくらいには嬉しくなってしまうのである。
 あぁ、これは完全にやられている。
 静かになった謁見室の片隅で、香月は熱くなった頬をそっと抑えて黙ることしか出来なかった。


「よく来たね、姜子豪殿」
 郎官に連れられてやってきた子豪は、珍しく少し緊張した面持ちだった。
 太燿の前まで来ると正しい作法で平伏する。
「ああ、いいよ解いて。顔見ながら話したいから顔上げてもらえる?」
 香月から太燿の表情は見えないが、何やらいつもとは雰囲気が違う気がする。これが『皇太子』の時の姿なのだろうか。
 香月が珍しい二人分の空気を観察していると、平伏を解いて視線を上げた子豪に、太燿は直球を投げた。
「で、うちの可愛い香月に何してくれたんだっけ?」
 今まで聞いた事の無いような、冷たい声だった。
 香月は太燿の後頭部を見つめて固まる。
 その場の空気が一瞬凍った気がした。
「あれま、あれは完全に切れてるねぇ」
「!」
 唐突に上から聞こえた囁きに、香月の心臓が飛び出そうになる。そっと真上を伺うと、器用に天井板に両脚を引っ掛け逆さまにぶら下がった雲嵐の茶色い髪が見えた。
「雲嵐さん」
 こそっと呼びかけると、逆さまのままその隠密は香月に目線を合わせる。
「殿下って、身内に手ェ出されんのめっちゃ嫌がるんだよね」
 広い謁見室は静かで、少し遠くから聞こえる武官たちの訓練の声が先程よりも大きく聞こえる気がした。その中でこそこそと当事者たちに聞こえないように、雲嵐は言葉を続ける。
「俊熙はさぁ、良くも悪くも結構割り切れるんだけど、殿下はダメ。割り切れないの。若いのか、情に厚いのか…ってかんじ?」
 太燿とほぼほぼ同じ歳の頃と思うが、そんな物言いをする雲嵐に吹き出しそうになる。が、そんな空気ではないので堪える。
「ま、だからみんなついて行きたいって思っちゃうんだけどさぁ~」
 呆れたような言葉尻でまた雲嵐は天井裏へ戻っていったが、そう言う雲嵐こそ、そう思っているんだろうなということが窺えた。
 確かに分かる気がする。
 俊熙をはじめ、芳馨も磊飛もそれこそ雲嵐も、ひとつの目的の元に集まっているらしい。芳馨の話からするとそれは太燿を皇帝に押し上げることだろう。
 ただそれは、決して政治的な思惑とか打算なんかから生まれる思想ではない。純粋に『太燿が皇帝に相応しいと思っているから』そうしているのだろうということは、この短い関わりの中でも香月には良く解った。
 人たらしってああいう人のことを言うのだろう。
 そんな方が、香月を『身内』に入れてくれていたということが、香月にとっては擽ったく、畏れ多くも光栄なことであった。
「東宮への侵入、女官の拉致。明らかな皇族への反逆罪な訳なんだけど、何か申し開きは? 処される覚悟だって勿論してきてるんだよね?」
「……」
 太燿の流れるような圧を、子豪は目を逸らさずじっと受け止めている。
 何も答えない様子に少し離れて見ている香月の方が何故がハラハラしてくるが、しばらく見ていると漸く子豪がゆっくりと口を開いた。
「夏蕾国の存続の前では、瑣末な事だと思ったんですよ」
 子豪がきちんと敬語を話していることと、夏蕾の存続という物騒な文言が重なったことで、香月は驚きに目を見開く。
「……姜子豪」
 ピリっとした空気の中、次に言を発したのは俊熙だった。
「皇族への反逆になってでも、必要なことだった、と?」
「……そうだよ」
「は、商家の次男坊風情が、『この国の存続』だなどと、随分大きく出たものだな」
「…あァン?」
 おいおい。
 香月は思わず心の中でツッコミを入れる。何故そんな煽るような物言いを…?
 椅子に座ったままの太燿が何か口を挟もうとしていたが、少しして諦めたのか、ふぅと溜息をついて椅子に深く座り込んだので香月からは姿が見えなくなる。
 俊熙の横に立っている芳馨は落ち着き払った様子で、椅子を挟んで反対に侍る磊飛も特に何かする様子は無い。
 誰も止めに入らないので、どんどん室内の空気は厳しさを増していた。
「おい、お役人がどンだけ偉いんだか知らねェけどよ、めんどくせェつっかかり方してくんじゃねェよ」
「そちらこそ、そんな風に威圧することでしか人を動かせない商人など、たかが知れているな」
「あァ!?」
 自尊心の高い子豪は、俊熙の高慢な上から目線発言に今にも掴みかかりそうだ。
 ここでそんな事件を起こしてしまったら、流石にやばい。あっという間に地下牢行きか、下手したら処刑である。
 止めた方が…と香月が身を乗り出した時、子豪が発した言葉により部屋の空気ががらりと変わった。
「舐めんじゃねェ、能無しが冬胡の侵略突き止められるかってンだよ!」
 ……冬胡の、侵略?
 またもや物騒中の物騒な言葉。
 しん、と静まり返った謁見室には、いつからか武官たちの訓練の声も聞こえなくなっていた。休憩だろうか。妙な沈黙がそこに降りた。
「……なるほど、それがお前の持ち得た『切り札』か」
 とても冷静に、俊熙がそう呟く。
 数瞬後、子豪は悔しそうに顔を歪めて舌打ちをした。
「くっそ」
「めちゃくちゃ簡単に乗ってくれちゃったね」
 あっけらかんと太燿が投げると、跪いていた子豪は開き直ったようにそこで胡座をかいた。皇太子の御前で大変に失礼な態度だが、誰もそれを咎めようとはしない。
「別に乗せられた訳じゃねェ、どうせ話すつもりだったんだからよ」
「でも、取引材料にしようとしてたんでしょ?」
 太燿のツッコミに子豪は黙り込む。
 そこで香月は漸く気づく。なるほど、あの俊熙の態度は、取引ではなく無条件で情報を吐露させる為にわざと取っていたのかと。
「存外、堪え性が無かったな」
「あァン!?」
 ……いや、前言撤回、素だったのかも。
 そう言えば出会った頃の香月への態度も、なかなかに上から目線だった事を思い出す。最近はそう感じることも無かったが、それは香月の気持ちが変わったからなのか、内に入れた者には甘くなる俊熙の性質故か。
 どちらにしろ、俊熙と子豪の相性はすこぶる良くないということは解った。


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