光のもとで2+

葉野りるは

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April

キスのその先 Side 翠葉 02話

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「シャワー浴びてくる」
「うん、いってらっしゃい」
 かろうじて目を合わせることはできたけど、添えた笑みは引きつっていたように思う。けれど、ツカサは何も疑問に思わなかったらしく、そのままリビングをあとにした。
 廊下の先で洗面所のドアが閉まる音がして、私はバッグからメモ用紙を取り出す。
「急用を思い出したので帰ります、翠葉……」
 あとは、自分が使っていたカップを洗えばいいだけ。
 そのまま帰るつもりでバッグとカップを持ってキッチンへ向かうと、洗面所に入ったはずのツカサが廊下の壁を背にして立っていた。
 驚きのあまりカップを落としてしまい、さらに動揺する。
 幸いカップは割れなかったけれど――
「今日も帰るの?」
「っ……」
「最近、俺がシャワー浴びてる間に帰ること多いけど、なんで?」
 切れ長の目が、容赦なく問い詰めてくる。
「今日は夕飯を一緒に食べる約束だったはずだし、そもそも会う約束している日に急用が発生する率が高すぎない?」
 どうしよう、何も答えられない……。
「俺の勘違いじゃなければ、こういう帰り方するときって、俺が執拗にキスした日だと思うんだけど」
 ピタリと言い当てられ言葉に詰まっていると、腕を掴まれリビングへと連れ戻された。
「座って」
 そうは言われても、座ること自体に抵抗がある。
 今でもショーツは濡れたままだし、ワンピースに染みができていないかと気が気ではない。
 ツカサはテーブルに置いてあったメモに視線を落とし、
「今日の急用って何? 前回は? その前は?」
 詰め寄られたところで答えられるわけがない。今回も前回もその前も、「急用」などなかったのだから。
 こんなことなら、「疲れたから帰る」と書き残せばよかっただろうか。そしたら、こんなことにはならなかった……?
 でもその場合、不必要に心配をかけることになるし、次の日からは間違いなく各練習、勉強の間に休憩を取らされることになるだろう。それでもなお「疲れたから帰る」というメモを残せば、「無理をしすぎだ」と怒られスケジュールを見直すよう言われるに違いない。本当はそうじゃないのに……。
「キスが好きって言ったけど、本当?」
「っ……それは本当っ」
「それなら、なんでキスをした日はすぐに帰ろうとするの?」
 ツカサの目は「嘘をつくな」と言っていた。
 この目には見覚えがある。以前、「ひとつの嘘で信用数値は五十ずつ減る」と言われたときと同様のもの。
 そんな事態は回避したい。でも、事実を話すのは恥ずかしすぎる。
「……ごめん、答えられない」
 やっとの思いで口にしたけれど、ツカサは機嫌悪そうにソファへ腰を下ろした。
 私、このまま帰るしかないのかな。
 春休みはあと数日しかないのに。決してケンカをしたいわけでも、険悪なムードになりたいわけでもないのに。
 でも、何を話せる気もしなければ、腰を下ろすこともできないほどに余裕がない。
 このまま帰ったらどうなるのかな。明日も会う約束をしているのに……。
 こんな状況で別れて、次の日に普通に会えるわけがない。
 じゃあ、どうすればいいの?
 考えようとしても、建設的な考えなど浮かんではこない。
 こんな状況でもワンピースのことが気になっているし、あとのことは考えずにツカサの家を出てしまいたいと思っている。
 そんな気持ちの表れだったのか、廊下へ向けて一歩を踏み出していた。
 このまま帰りたいわけじゃないけれど、申し訳ないけれど、今日は帰らせてもらおう。
 そう思って数歩歩いたところで声をかけられた。
「翠……ワンピースに染みができてる」
 はっとして、染みができていると思われる場所へ手を伸ばす。と、指先に湿り気のあるリネンが触れた。
 スカートを前へ持ってくると、ブルーグレイのリネンの一部が水分を含んでネイビーに変色していた。
 恥ずかしいっ――
「生理……は、もう終わってるよな」
 ツカサはワンピースに視線を定めて冷静に分析を始める。
 そんなツカサに抗議したくてできなくて、泣きたくなるほど恥ずかしくてすぐに帰ろうと思った。
 震える足をもう一歩踏み出したとき、背後からツカサに手首を掴まれ引き寄せられる。
 バランスを崩した私はラグに、ツカサの前に膝をつく。と、
「なんでそんな泣きそうな顔――」
 ツカサの言葉が途中で止まってしまったのは、私が泣き出してしまったから。
 ポツポツと落ちる涙は、ツカサのジーパンに丸い染みを作っていく。
「翠……?」
 こちらをうかがうツカサの声に、これ以上黙っていられないことを悟る。
「最近、身体がおかしいの……」
「え……?」
 ツカサは私の顔が見えるよう、片方の髪を耳にかけた。
「翠、おかしいって、具体的には?」
「恥ずかしくて言えない」
「別に笑ったりしないし、必要があれば姉さんに相談すればいい」
 ツカサが本気で心配してくれているのは声音でわかる。
「でも、湊先生は循環器内科の先生でしょう? 私のこれは――たぶん婦人科。でも、婦人科に毎月かかっていても、怖くて話せなかったの……」
「……婦人科?」
「……おりものが、たくさん出るの……」
「……それ、普通の? それとも、白濁した湿り気が少ないもの? 痒みは?」
 問診のような問いかけをひとつひとつ考える。
「……たぶん、普通の……。白濁はしてないし、痒くもない……」
「毎日?」
「……ううん。ツカサと会った日だけ。たくさん、キスした日だけ……。だから、一緒にいるとき気が気じゃなくて……」
 追加で涙が出てきて困っていると、正面からぎゅ、と抱きしめられた。
「それ、たぶん病気じゃないから」
「……え?」
 ツカサの言葉に疑問を持ち、ほんの少し顔を上げる。と、次なる質問が降ってきた。
「それ、いつごろから?」
「……わからない。最初はこんなにたくさんじゃなかったの。でも、最近は驚くほどで……」
 ツカサは少し間をおいてから、
「翠、俺たちの関係、一歩前に進めないか?」
 言われている意味がわからなくて困惑する。
「一歩前へって……?」
「……キスのその先」
「……どうして? 今、そんな話してないのに」
 こんなに恥ずかしい思いをして話しているのに、ツカサはいったい何を言い出すのか――
 身を引こうとしたら、
「いや、たぶんそういう話だと思う」
「意味わからないっ」
 ツカサは腕の力を緩めると、静かに視線を合わせてきた。
「翠はキスに感じたんじゃないの?」
 キスに、感じる……?
 どういう、こと……?
 ツカサの目をじっと見ていると、
「時間はあるんだよな?」
「……あるけど」
「なら、そのワンピース洗うから脱いで。俺のシャツを貸す」
「えっ!?」
 ツカサは私の手を掴んだまま、ずいぶんと長らく立ち入っていないベッドのある部屋へ向かった。
 部屋に入るなりクローゼットから白いシャツを取り出す。
「つ、ツカサっ!?」
「いいから」
 今度は洗面所へ連れて行かれ、シャツを押し付けられるとドアを閉められた。
「一分経っても出てこなかったら問答無用で開けるから」
「なっ――」
 私はパニックを起こしながらもリネンのワンピースを脱ぎ、渡されたシャツを羽織る。
 サイズが違うから当たり前なのだけど、袖から手は出ないし、第一ボタンまで留めてもシャツの中で身体が泳いでしまう。
 さらには、鏡に映った自分の姿に戸惑う。
「ツカサっ。シャツの丈短いっ。開けられたら困るっ」
 前身ごろの丈は膝上あたりまであるものの、両サイドの短くなっている部分は太ももの半分ほどしかない。
 自分が着てきたワンピースと比べると、格段に短いのだ。
 どうして今日に限ってレギンスをはいてこなかったのか、と今さらしても遅い後悔ばかりが頭をめぐる。
「俺は別にかまわない」
「私がかまうのっ」
 抗議したけれど、無常にもドアは開けられた。
「やだっ、ツカサのえっちっ」
「なんとでも」
 ツカサは表情を変えずに私からワンピースを取り上げ、投げるように洗濯機へ放り込んだ。
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