26 / 1,060
第一章 友達
24話
しおりを挟む
秋斗さんはにこにこと笑ったまま私の返事を待っていた。
来週には桃華さんたちにも話すつもりでいたし、秋斗さんにも話したほうがいいのだろうとは思っていた。でも、まさかこのタイミングで訊かれるとは思っていなくて……。
完全に虚をつかれた気分。
「だめ?」
だめ押しとはこういうことを言うのだろうか。
きれいな笑顔が少しの苦笑に変わる。
「無理に、とは思ってないけど、やっぱり気になるんだよね」
秋斗さんも桃華さんと同じなのかもしれない。
強引に訊きだそうとしているわけじゃない。ただ、心配だから知りたいだけ……。
家族以外の人にこういう感情を向けられたことがないから少し戸惑う。でも、中学のときのように知られたくないという気持ちとは違う感情。
申し訳なくて、心配をかけてしまう自分に自己嫌悪。でも、それとは別に胸があたたかくなるのを感じていた。
嬉しいというのとも違い、自分を思ってくれる人がいることを幸せだと、そう思えるようになっていた。
「あの……」
「うん?」
「どう話したらいいのかわらかなくて……。今朝、蒼兄に相談したばかりなんです。だから、わかりやすく説明できるかわからないけれど、それでもよければ……」
「教えてくれる?」
「……はい」
けれど、いざ話そうと思うとやっぱり言葉が出てこない。何から話したらいいのかがわからなくて。
「あの、紙に書いてもいいですか?」
「え? かまわないけど……」
許可を得て、かばんからルーズリーフとペンケースを取り出す。と、思いついたものを片っ端から書き出した。
――――――――――――――――――――――――――――――――――
【低血圧(起立性障害)】
・正常値 上120~130 下80~85
・私の通常値 80/60 → 制約を守れば安全圏
・少し具合が悪いとき 70/50 → 要安静
・さらに具合が悪いとき 70以下/40前後
意識不明になった場合は病院で処置が必要。
・血圧が低いため、血液循環量も少ない。
走ったり息が上がるような運動をすると血液循環量が追いつかず、貧血を起こしたり血圧低下を招く。
・急に立ち上がる、起き上がる、寒いところから暖かい屋内へ入る、涼しいところから暑い屋外に出る。このような状況には身体が順応できずに血圧低下を招く。
・ただ立っているだけで血圧が下がっていき、脳貧血になることも多い。
・昇圧剤を服用するも一定の効果は得られず。
【自律神経失調症】
・眩暈、頭痛、微熱、胃部不快感、冷え性、血圧の変動、動悸、不整脈。
【慢性胃炎】
・胸背部の痛みが起きる際に服用する鎮痛剤で常に胃が荒れ気味。
・現在は胃潰瘍後の経過観察中。
・カフェインや刺激物を摂取すると、ひどいときには嘔吐する。
【慢性疲労症】
・疲れやすく、夜の睡眠だけでは身体をリセットできないことがある。
・疲れが溜まると発熱、食欲不振、筋肉痛、リンパの腫れといった症状が現れる。
――――――――――――――――――――――――――――――――――
「これくらい……かな」
秋斗さんが私側のソファに掛けなおし、書き出したものに目を通す。
「ちょっと待って……。ねぇ、これだけ血圧が低いって普通じゃないでしょ? 下手したら心不全とか――」
秋斗さんは自分が口にしたことにはっとして口を噤んだ。
「……そうですね。油断したらそういう状況になることもあります」
暗い雰囲気なるのは嫌で、笑いを交えて答えると、
「笑わなくていいよ」
と、頭を優しく撫でられた。
手の重みが蒼兄のそれと似ていて、目を閉じていたら間違えてしまいそう。
「秋斗さんが入学式の日にしてくれたお話。あの日、蒼兄の携帯には『意識不明で運ばれた』ではなく、『心不全で運ばれた』と連絡が入ったはずです……」
秋斗さんは一度目を閉じてから、
「やっと合点がいった……。いつも冷静な蒼樹があれだけ血相を変えた理由が今わかった」
言って、細く長いため息をついた。
「病院まで蒼兄を送ってくれたのに、そのあとのことは何も聞かなかったんですか?」
「前にも言ったでしょう? 蒼樹は意識不明で運ばれたって言ったんだ。あんなときですら、口を滑らせはしなかったよ」
「でも、いくらなんでも病院まで送ってくれた秋斗さんに、そのあと何も説明してないはずは……」
秋斗さんは私の方へ向き直ると、
「数日後に会ったとき、お礼は言われた。けど、翠葉ちゃんの状態、容態については何も言わなかった。こっちも突っ込んで訊くようなことはしなかったしね。蒼樹は翠葉ちゃんの話をよくするけど、身体が弱いとか持病があるとか、そういう話をしたことはないんだ。ただ、ちょっと臆病で意地っ張りなところがあるけれど、素直でいい子なんだって話ばかり。あの日まで、何か持病があるとかそういったことは僕を含め、周りの人間は誰も何も知らなかったよ。あのあと、入院してるんだろうなってことは言われなくても気づいたけどね。蒼樹は大学が終わるとたいていはここに立ち寄るんだ。でも、あの日を境に七時を過ぎないと顔を出さなくなった。……お見舞いに行っていることは察しがついた」
私が入院している間、蒼兄は一日も欠かさずお見舞いに来てくれていた。そして、面会時間のギリギリ七時まで側についていてくれたのだ。
あのとき、蒼兄がいてくれなかったら、きっと私は孤独にも治療にも耐えられなかっただろう。
「そりゃさ、大事にしている妹が心不全で倒れたりしたら蒼白にもなるよ。それに、過保護にだってなるし、不注意で倒れようものなら怒鳴りもするだろう……」
先日のことを言われてるのだと思い、肩身が狭くなる。
「自分の不注意で倒れたとき、真先に怒るのは蒼兄の役目になっちゃいました。でも、普段はすごく優しいんですよ」
「そうだろうね」
秋斗さんはカップを取って一口お茶を含んだ。
「心臓に異常はないの?」
「はい。とくに手術が必要なものではないそうです」
秋斗さんは少し間を置いてから、
「それは、手術が必要なものではないけれど、あることはあるって話だよね?」
まさかそこまで突っ込まれるとは思っていなくて少し驚く。
「でも……こういう人もいることにはいるって言われているので、大したことでは……」
言葉を濁すと、「内容は?」と容赦なく追求された。
「僧帽弁逸脱症。弁膜がきちんと閉まらず、時々逆流するので不整脈が起きたりします。それが原因で失神することも……。でも、今すぐに人口弁に置換する必要はないそうなので、経過観察中です。あとは、弁膜自体もものすごく薄いらしくて、血圧が低いのは体質なのか、それとも弁膜が薄いからなのかはちょっとわからないみたいで……」
そこまで話し、さっきの説明では誤解を招きかねないと思い、少し補足することにした。
「蒼兄の携帯に『心不全』と連絡が入ったと言いましたけど、心不全の原因は様々です。私の場合は、ただでさえ低い血圧のところ、複数の要因でさらに血圧が下がる可能性があって――自律神経がきちんと働いていれば問題ないようなことでも、私の身体は調節機能がうまく働かないのでさらに下がります。結果、心筋などに異常がなくても血液循環量が足りなくなって心不全を招く。去年は急性低血圧と不整脈が重なって入院が長引いてしまったんです」
秋斗さんは、「なるほど」ともう一度ルーズリーフに目を落とした。
一息ついて、ソファの背もたれに身を預けた秋斗さんは、
「運動ができないのも、カフェインがNGなのも、昨日のお昼休みに倒れた理由も、全部わかった」
何か考えているような顔から穏やかな表情に戻る。
「蒼樹のことをシスコンなんて言ってきたけど、あいつの気持ちが少しわかったよ。これはさ、知っちゃうと目の届くところに置いておきたくなる」
「……秋斗さんまで蒼兄みたいなこと言わないでください」
言って、私は少し笑った。
「話しててつらくなかった? 大丈夫?」
そっと顔を覗き込まれる。
「そういえば……人に話すの、もっとつらいことだと思っていたんですけど……」
つらくなって全部話せないかもしれないとまで思っていたのに、意外と普通に話すことができた。
「なんだか普通に話せちゃいました。これなら来週、海斗くんたちにも話せそうです」
笑顔で答えると、秋斗さんの表情が固まった。
「どうか、しましたか?」
今度は私が秋斗さんの顔を覗き込む。
「……まいったな。翠葉ちゃん、今日はよく笑うね?」
「え?」
「至近距離で笑われると抱きしめたくなるんだけど」
「なんですか、それ」
「だってさ、会う度に困った顔や泣きそうな顔、そんな顔ばかり見てたからさ」
そう言われてみれば、と思い返してみる。
図書室前で初めて会ったときは困っている人だったし、体育教官室前で会ったときは具合が悪くて余裕がなかった。その次は病院だったな……。
あのときも、「他人行儀で寂しい」みたいなことを言われて困惑していたし、昨日は昨日で泣いていたし、倒れちゃったし……。
「本当ですね? 私、笑ってなかったかも?」
「でしょう?」
言われて肩を竦める。
少しだけ、秋斗さんが女の子に人気があるのがわかった気がした。
秋斗さんは職員じゃないし、生徒との接触も少ない。けれど、秋斗さんが姿を見せるだけでその場にいる女の子は色めき立つ。
「何? 僕の顔、何かついてる?」
訊かれて、「いいえ」と答える。
「秋斗さんが女の子に人気があるの、わかる気がして……」
「なんだろう?」
「だって、格好いいでしょう? それに、会えば優しい言葉をかけてくれるし、子ども扱いではなくて、女の子扱いしてくれるでしょう? 女の子なら誰でも嬉しいと思うんじゃないかな?」
「じゃ、翠葉ちゃんに好きになってもらうためにもっと甘い言葉を言おうかな?」
にこりと笑われて私は固まる。
「その笑顔は反則だし、ちょっと意地悪です」
「あれ? そう?」
クスクスと笑う様に警戒心が緩む。
「さ、そろそろ出ようか」
「はい」
条件反射のように立ち上がって、「しまった」と思う。
こめかみのあたりからす、と冷たくなり、目の前がチカチカとモザイクがかる。でも、このくらいなら大丈夫――次の瞬間、後ろに腕を引かれていた。
重心が傾き背中から落ちる。視界は戻らないものの、衝撃という衝撃はさほど感じなかった。
「大丈夫?」
耳元で秋斗さんの声がした。
それから数十秒して、ようやく視界が戻ったときには秋斗さんの顔がすぐ近くにあって絶句する。
背中からじんわりと体温が伝わってきて、秋斗さんの腕の中にいることに気づく。
「すみませんっ」
すぐに離れようとしたけれど、思うように身体に力が入らない。全体重が秋斗さんへかかっていて、どこに力を入れたら立ち上がれるのかがわからなかった。
しだいに顔が熱くなってくる。
赤面していることを隠したくて、体勢を変えることもできずに俯むく。と、
「いちいちリアクションがかわいいのも問題だな。翠葉ちゃん、異性苦手でしょう?」
訊かれて、小さくコクリと頷いた。
「高校に入るまで、男の人ってお父さんと蒼兄と病院の先生くらいしかきちんと話したことなくて……」
「それはそれは、紛うことなき箱入り娘だね。うちの学校に来てから色々変わったんじゃない?」
「……前の席に男子がいるとか、そのくらいは大丈夫なんですけど、目が合ったりじっと見られるのはちょっと……」
怖いのと、恥ずかしいのと両方。
ついでに、この状況も早くなんとかしたい。
「人に見られるのはかわいい子の宿命だから諦めなさい」
そう言われると、今度は立ち上がるために手を差し伸べられた。
「今までは誰も近寄れなかったんだろうね。あの蒼樹がつきっきりだったから。でも、僕は違うよ?」
不敵な笑みを見せられ、少しかまえる。
秋斗さんは人当たりがソフトで優しいからついつい油断して懐いてしまうけれど、実のところは違うのかな……?
話すたびにフェミニスト全開だから、心臓がいくつあっても足りない気がする。
できることなら今すぐ海斗くんに秋斗さん対策を訊きたいくらいだ。
私と秋斗さんはそれぞれ出かける準備をして図書室をあとにした。
来週には桃華さんたちにも話すつもりでいたし、秋斗さんにも話したほうがいいのだろうとは思っていた。でも、まさかこのタイミングで訊かれるとは思っていなくて……。
完全に虚をつかれた気分。
「だめ?」
だめ押しとはこういうことを言うのだろうか。
きれいな笑顔が少しの苦笑に変わる。
「無理に、とは思ってないけど、やっぱり気になるんだよね」
秋斗さんも桃華さんと同じなのかもしれない。
強引に訊きだそうとしているわけじゃない。ただ、心配だから知りたいだけ……。
家族以外の人にこういう感情を向けられたことがないから少し戸惑う。でも、中学のときのように知られたくないという気持ちとは違う感情。
申し訳なくて、心配をかけてしまう自分に自己嫌悪。でも、それとは別に胸があたたかくなるのを感じていた。
嬉しいというのとも違い、自分を思ってくれる人がいることを幸せだと、そう思えるようになっていた。
「あの……」
「うん?」
「どう話したらいいのかわらかなくて……。今朝、蒼兄に相談したばかりなんです。だから、わかりやすく説明できるかわからないけれど、それでもよければ……」
「教えてくれる?」
「……はい」
けれど、いざ話そうと思うとやっぱり言葉が出てこない。何から話したらいいのかがわからなくて。
「あの、紙に書いてもいいですか?」
「え? かまわないけど……」
許可を得て、かばんからルーズリーフとペンケースを取り出す。と、思いついたものを片っ端から書き出した。
――――――――――――――――――――――――――――――――――
【低血圧(起立性障害)】
・正常値 上120~130 下80~85
・私の通常値 80/60 → 制約を守れば安全圏
・少し具合が悪いとき 70/50 → 要安静
・さらに具合が悪いとき 70以下/40前後
意識不明になった場合は病院で処置が必要。
・血圧が低いため、血液循環量も少ない。
走ったり息が上がるような運動をすると血液循環量が追いつかず、貧血を起こしたり血圧低下を招く。
・急に立ち上がる、起き上がる、寒いところから暖かい屋内へ入る、涼しいところから暑い屋外に出る。このような状況には身体が順応できずに血圧低下を招く。
・ただ立っているだけで血圧が下がっていき、脳貧血になることも多い。
・昇圧剤を服用するも一定の効果は得られず。
【自律神経失調症】
・眩暈、頭痛、微熱、胃部不快感、冷え性、血圧の変動、動悸、不整脈。
【慢性胃炎】
・胸背部の痛みが起きる際に服用する鎮痛剤で常に胃が荒れ気味。
・現在は胃潰瘍後の経過観察中。
・カフェインや刺激物を摂取すると、ひどいときには嘔吐する。
【慢性疲労症】
・疲れやすく、夜の睡眠だけでは身体をリセットできないことがある。
・疲れが溜まると発熱、食欲不振、筋肉痛、リンパの腫れといった症状が現れる。
――――――――――――――――――――――――――――――――――
「これくらい……かな」
秋斗さんが私側のソファに掛けなおし、書き出したものに目を通す。
「ちょっと待って……。ねぇ、これだけ血圧が低いって普通じゃないでしょ? 下手したら心不全とか――」
秋斗さんは自分が口にしたことにはっとして口を噤んだ。
「……そうですね。油断したらそういう状況になることもあります」
暗い雰囲気なるのは嫌で、笑いを交えて答えると、
「笑わなくていいよ」
と、頭を優しく撫でられた。
手の重みが蒼兄のそれと似ていて、目を閉じていたら間違えてしまいそう。
「秋斗さんが入学式の日にしてくれたお話。あの日、蒼兄の携帯には『意識不明で運ばれた』ではなく、『心不全で運ばれた』と連絡が入ったはずです……」
秋斗さんは一度目を閉じてから、
「やっと合点がいった……。いつも冷静な蒼樹があれだけ血相を変えた理由が今わかった」
言って、細く長いため息をついた。
「病院まで蒼兄を送ってくれたのに、そのあとのことは何も聞かなかったんですか?」
「前にも言ったでしょう? 蒼樹は意識不明で運ばれたって言ったんだ。あんなときですら、口を滑らせはしなかったよ」
「でも、いくらなんでも病院まで送ってくれた秋斗さんに、そのあと何も説明してないはずは……」
秋斗さんは私の方へ向き直ると、
「数日後に会ったとき、お礼は言われた。けど、翠葉ちゃんの状態、容態については何も言わなかった。こっちも突っ込んで訊くようなことはしなかったしね。蒼樹は翠葉ちゃんの話をよくするけど、身体が弱いとか持病があるとか、そういう話をしたことはないんだ。ただ、ちょっと臆病で意地っ張りなところがあるけれど、素直でいい子なんだって話ばかり。あの日まで、何か持病があるとかそういったことは僕を含め、周りの人間は誰も何も知らなかったよ。あのあと、入院してるんだろうなってことは言われなくても気づいたけどね。蒼樹は大学が終わるとたいていはここに立ち寄るんだ。でも、あの日を境に七時を過ぎないと顔を出さなくなった。……お見舞いに行っていることは察しがついた」
私が入院している間、蒼兄は一日も欠かさずお見舞いに来てくれていた。そして、面会時間のギリギリ七時まで側についていてくれたのだ。
あのとき、蒼兄がいてくれなかったら、きっと私は孤独にも治療にも耐えられなかっただろう。
「そりゃさ、大事にしている妹が心不全で倒れたりしたら蒼白にもなるよ。それに、過保護にだってなるし、不注意で倒れようものなら怒鳴りもするだろう……」
先日のことを言われてるのだと思い、肩身が狭くなる。
「自分の不注意で倒れたとき、真先に怒るのは蒼兄の役目になっちゃいました。でも、普段はすごく優しいんですよ」
「そうだろうね」
秋斗さんはカップを取って一口お茶を含んだ。
「心臓に異常はないの?」
「はい。とくに手術が必要なものではないそうです」
秋斗さんは少し間を置いてから、
「それは、手術が必要なものではないけれど、あることはあるって話だよね?」
まさかそこまで突っ込まれるとは思っていなくて少し驚く。
「でも……こういう人もいることにはいるって言われているので、大したことでは……」
言葉を濁すと、「内容は?」と容赦なく追求された。
「僧帽弁逸脱症。弁膜がきちんと閉まらず、時々逆流するので不整脈が起きたりします。それが原因で失神することも……。でも、今すぐに人口弁に置換する必要はないそうなので、経過観察中です。あとは、弁膜自体もものすごく薄いらしくて、血圧が低いのは体質なのか、それとも弁膜が薄いからなのかはちょっとわからないみたいで……」
そこまで話し、さっきの説明では誤解を招きかねないと思い、少し補足することにした。
「蒼兄の携帯に『心不全』と連絡が入ったと言いましたけど、心不全の原因は様々です。私の場合は、ただでさえ低い血圧のところ、複数の要因でさらに血圧が下がる可能性があって――自律神経がきちんと働いていれば問題ないようなことでも、私の身体は調節機能がうまく働かないのでさらに下がります。結果、心筋などに異常がなくても血液循環量が足りなくなって心不全を招く。去年は急性低血圧と不整脈が重なって入院が長引いてしまったんです」
秋斗さんは、「なるほど」ともう一度ルーズリーフに目を落とした。
一息ついて、ソファの背もたれに身を預けた秋斗さんは、
「運動ができないのも、カフェインがNGなのも、昨日のお昼休みに倒れた理由も、全部わかった」
何か考えているような顔から穏やかな表情に戻る。
「蒼樹のことをシスコンなんて言ってきたけど、あいつの気持ちが少しわかったよ。これはさ、知っちゃうと目の届くところに置いておきたくなる」
「……秋斗さんまで蒼兄みたいなこと言わないでください」
言って、私は少し笑った。
「話しててつらくなかった? 大丈夫?」
そっと顔を覗き込まれる。
「そういえば……人に話すの、もっとつらいことだと思っていたんですけど……」
つらくなって全部話せないかもしれないとまで思っていたのに、意外と普通に話すことができた。
「なんだか普通に話せちゃいました。これなら来週、海斗くんたちにも話せそうです」
笑顔で答えると、秋斗さんの表情が固まった。
「どうか、しましたか?」
今度は私が秋斗さんの顔を覗き込む。
「……まいったな。翠葉ちゃん、今日はよく笑うね?」
「え?」
「至近距離で笑われると抱きしめたくなるんだけど」
「なんですか、それ」
「だってさ、会う度に困った顔や泣きそうな顔、そんな顔ばかり見てたからさ」
そう言われてみれば、と思い返してみる。
図書室前で初めて会ったときは困っている人だったし、体育教官室前で会ったときは具合が悪くて余裕がなかった。その次は病院だったな……。
あのときも、「他人行儀で寂しい」みたいなことを言われて困惑していたし、昨日は昨日で泣いていたし、倒れちゃったし……。
「本当ですね? 私、笑ってなかったかも?」
「でしょう?」
言われて肩を竦める。
少しだけ、秋斗さんが女の子に人気があるのがわかった気がした。
秋斗さんは職員じゃないし、生徒との接触も少ない。けれど、秋斗さんが姿を見せるだけでその場にいる女の子は色めき立つ。
「何? 僕の顔、何かついてる?」
訊かれて、「いいえ」と答える。
「秋斗さんが女の子に人気があるの、わかる気がして……」
「なんだろう?」
「だって、格好いいでしょう? それに、会えば優しい言葉をかけてくれるし、子ども扱いではなくて、女の子扱いしてくれるでしょう? 女の子なら誰でも嬉しいと思うんじゃないかな?」
「じゃ、翠葉ちゃんに好きになってもらうためにもっと甘い言葉を言おうかな?」
にこりと笑われて私は固まる。
「その笑顔は反則だし、ちょっと意地悪です」
「あれ? そう?」
クスクスと笑う様に警戒心が緩む。
「さ、そろそろ出ようか」
「はい」
条件反射のように立ち上がって、「しまった」と思う。
こめかみのあたりからす、と冷たくなり、目の前がチカチカとモザイクがかる。でも、このくらいなら大丈夫――次の瞬間、後ろに腕を引かれていた。
重心が傾き背中から落ちる。視界は戻らないものの、衝撃という衝撃はさほど感じなかった。
「大丈夫?」
耳元で秋斗さんの声がした。
それから数十秒して、ようやく視界が戻ったときには秋斗さんの顔がすぐ近くにあって絶句する。
背中からじんわりと体温が伝わってきて、秋斗さんの腕の中にいることに気づく。
「すみませんっ」
すぐに離れようとしたけれど、思うように身体に力が入らない。全体重が秋斗さんへかかっていて、どこに力を入れたら立ち上がれるのかがわからなかった。
しだいに顔が熱くなってくる。
赤面していることを隠したくて、体勢を変えることもできずに俯むく。と、
「いちいちリアクションがかわいいのも問題だな。翠葉ちゃん、異性苦手でしょう?」
訊かれて、小さくコクリと頷いた。
「高校に入るまで、男の人ってお父さんと蒼兄と病院の先生くらいしかきちんと話したことなくて……」
「それはそれは、紛うことなき箱入り娘だね。うちの学校に来てから色々変わったんじゃない?」
「……前の席に男子がいるとか、そのくらいは大丈夫なんですけど、目が合ったりじっと見られるのはちょっと……」
怖いのと、恥ずかしいのと両方。
ついでに、この状況も早くなんとかしたい。
「人に見られるのはかわいい子の宿命だから諦めなさい」
そう言われると、今度は立ち上がるために手を差し伸べられた。
「今までは誰も近寄れなかったんだろうね。あの蒼樹がつきっきりだったから。でも、僕は違うよ?」
不敵な笑みを見せられ、少しかまえる。
秋斗さんは人当たりがソフトで優しいからついつい油断して懐いてしまうけれど、実のところは違うのかな……?
話すたびにフェミニスト全開だから、心臓がいくつあっても足りない気がする。
できることなら今すぐ海斗くんに秋斗さん対策を訊きたいくらいだ。
私と秋斗さんはそれぞれ出かける準備をして図書室をあとにした。
32
あなたにおすすめの小説
光のもとで2
葉野りるは
青春
一年の療養を経て高校へ入学した翠葉は「高校一年」という濃厚な時間を過ごし、
新たな気持ちで新学期を迎える。
好きな人と両思いにはなれたけれど、だからといって順風満帆にいくわけではないみたい。
少し環境が変わっただけで会う機会は減ってしまったし、気持ちがすれ違うことも多々。
それでも、同じ時間を過ごし共に歩めることに感謝を……。
この世界には当たり前のことなどひとつもなく、あるのは光のような奇跡だけだから。
何か問題が起きたとしても、一つひとつ乗り越えて行きたい――
(10万文字を一冊として、文庫本10冊ほどの長さです)
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
【完結】イケメンが邪魔して本命に告白できません
竹柏凪紗
青春
高校の入学式、芸能コースに通うアイドルでイケメンの如月風磨が普通科で目立たない最上碧衣の教室にやってきた。女子たちがキャーキャー騒ぐなか、風磨は碧衣の肩を抱き寄せ「お前、今日から俺の女な」と宣言する。その真意とウソつきたちによって複雑になっていく2人の結末とは──
遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。
沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。
すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。
だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。
イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。
変わり果てた現実を前に、
夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。
深い後悔と悲しみに苛まれながら、
失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。
しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。
贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。
そして、母の心を知っていく子供たち。
イネスが求める愛とは、
そして、幸せとは――。
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
幼馴染が家出したので、僕と同居生活することになったのだが。
四乃森ゆいな
青春
とある事情で一人暮らしをしている僕──和泉湊はある日、幼馴染でクラスメイト、更には『女神様』と崇められている美少女、真城美桜を拾うことに……?
どうやら何か事情があるらしく、頑なに喋ろうとしない美桜。普段は無愛想で、人との距離感が異常に遠い彼女だが、何故か僕にだけは世話焼きになり……挙句には、
「私と同棲してください!」
「要求が増えてますよ!」
意味のわからない同棲宣言をされてしまう。
とりあえず同居するという形で、居候することになった美桜は、家事から僕の宿題を見たりと、高校生らしい生活をしていくこととなる。
中学生の頃から疎遠気味だったために、空いていた互いの時間が徐々に埋まっていき、お互いに知らない自分を曝け出していく中──女神様は何でもない『日常』を、僕の隣で歩んでいく。
無愛想だけど僕にだけ本性をみせる女神様 × ワケあり陰キャぼっちの幼馴染が送る、半同棲な同居生活ラブコメ。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
学園のアイドルに、俺の部屋のギャル地縛霊がちょっかいを出すから話がややこしくなる。
たかなしポン太
青春
【第1回ノベルピアWEB小説コンテスト中間選考通過作品】
『み、見えるの?』
「見えるかと言われると……ギリ見えない……」
『ふぇっ? ちょっ、ちょっと! どこ見てんのよ!』
◆◆◆
仏教系学園の高校に通う霊能者、尚也。
劣悪な環境での寮生活を1年間終えたあと、2年生から念願のアパート暮らしを始めることになった。
ところが入居予定のアパートの部屋に行ってみると……そこにはセーラー服を着たギャル地縛霊、りんが住み着いていた。
後悔の念が強すぎて、この世に魂が残ってしまったりん。
尚也はそんなりんを無事に成仏させるため、りんと共同生活をすることを決意する。
また新学期の学校では、尚也は学園のアイドルこと花宮琴葉と同じクラスで席も近くなった。
尚也は1年生の時、たまたま琴葉が困っていた時に助けてあげたことがあるのだが……
霊能者の尚也、ギャル地縛霊のりん、学園のアイドル琴葉。
3人とその仲間たちが繰り広げる、ちょっと不思議な日常。
愉快で甘くて、ちょっと切ない、ライトファンタジーなラブコメディー!
※本作品はフィクションであり、実在の人物や団体、製品とは一切関係ありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる