光のもとで1

葉野りるは

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18~23 Side 秋斗 02話

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 彼女のポケットで携帯が震え始めた。きっと湊ちゃんか蒼樹だろう。
 彼女は俺から離れて携帯を取り出すと、立て膝の状態ですぐ近くのソファ脇まで移動した。
 彼女の髪は立て膝になっても床につきそうなくらいに長い。
 手入れ大変だろうな……。でも、艶やかで柔らかく傷み知らずのその髪は切らずにいてほしい。
「あ……えと、具合が悪いわけではないのですが――」
 この受け答えは蒼樹じゃない、湊ちゃんだ。
「先生、違うのっ――本当に、痛みは少しだけで……」
 くっ……その答え、俺が昨日車の中でもらったものとほぼ同じだ。
「一段回目の薬で抑えられているし。……強いて言うなら絶賛動揺中デス」
 そうか、あのときからすでに動揺していたんだ。それは惜しいことをした。携帯の脈拍を振動のほうに変えておくんだったな。
「――そうです」
 答えた次の瞬間、急に彼女の脈拍が速まった。
 何を言われた……?
「あの――えと……湊先生の意地悪……」
 湊ちゃんも基本はいじめっ子だからなぁ……。いじめっ子というよりは、気に入った子をいじりたくて仕方がない人、か。
「これ、本当に心臓壊れたり破れたりしませんかっ!?」
 くっ……神妙な顔をして何を言うかと思えば。
 翠葉ちゃん、君は本当にかわいいね。でも、ちょっと限界……。この笑いは抑えられそうにない。
 吹きだして笑うと、こちらを振り返った彼女が「ひどい」って顔をして少しむくれた。けれど、携帯から湊ちゃんの声がしたようで、すぐにそちらへ意識を戻す。
「――良かったです……」
 っていうか、これくらいで心臓が壊れるなら、世の人間誰もが恋愛できなくなっちゃうよ。本当におかしい子だね。
 天然記念物や絶滅危惧種っていうのも間違いないけど、純粋培養って言葉のほうが君にはしっくりくる気がする。
 さっきから続けざまにツボをつかれていて、腹筋がヒクヒクいっているし涙は出てくるし、このままでは俺が壊れてしまいそうだ。

 通話を切った彼女はソファに上がりこみ、背もたれの部分からこちらをじっとうかがっていた。睨まれているわけではなく、ただ観察。
 何なに? 今度は俺って人間の生態についてでも考え始めてくれたのかな?
 何かを考えたり不思議に思ったとき、彼女は右に小首を傾げる。そんな癖をも愛おしく思う。
「今度は何を考え始めたの?」
「悔しいから秘密です」
 彼女は少しの笑みを添えて答えた。それはいつもの笑みとは少し異なり、「宣戦布告」っぽい笑みだった。
 ふーん、そんなふうにも笑えるんだね。君にはあと何種類の笑みがあるのだろう。それを全部見せてほしい。見てみたい。
「それは残念。片鱗だけでいいから教えてくれない?」
「……海斗くんのほうがアラビアンナイトっぽいなって思っただけです」
 今度はクスリと笑って答えてくれた。でも、アラビアンナイトってどこから出てきたのかな……?
「くっ、失敗した! それ、全容を知りたくなる欠片だよね?」
 笑いの止まらない俺を見ると、
「秋斗さん……笑い茸か何か食べましたか?」
 ソファの背もたれに顎を乗せ、こちらを見るその顔が無防備すぎてからかいたくなる。
「食べたとしたら翠葉茸かな」
 笑顔で答えれば、彼女はソファの背もたれに隠れてしまった。きっと、また真っ赤になっているのだろう。
 さて、いじめるのはここまで。お詫びに彼女の好きなお茶を淹れよう。
 さっきコーヒーを淹れたばかりだからポットに入っているお湯はまだ温かい。少し温め直せばすぐに沸くだろう。
 その間も何度か彼女を振り返ったけれど、まだソファの上で丸くなっている。
 今日のハーブティーは先日ホテルで買ってきたカモミールティー。
 彼女専用のガラスカップに沸騰したお湯を注いでティーパックを煮出す。と、りんごのような優しい香りが漂ってきた。
「はい、お詫びのカモミールティー」
 カップを差し出すと、彼女は両手でそれを受け取り堪能するように湯気を吸い込む。
 この瞬間、彼女はとても柔らかい表情になる。その顔を見てほっとするのだから不思議だね。
「蒼樹が五時に大学を出ることになっているから、僕たちは三十分ずらして五時半に出よう。あと三十分弱。仮眠室で休んでいてもいいし、この部屋の中なら何をしていてもいいよ」
「はい」
「じゃ、僕は少し仕事させてもらうね」
 本当は仕事という仕事は終わってしまって何も残っていない。でも、このまま彼女と向かい合っていると、たまらなくいじめたくなるか、抱きしめたくなる。抱き締めたらキスだってしたくなる。さらにはその先も――
 しょせん、男なんてそんな生き物だ。だから自主規制。

 彼女は少し考えてからかばんを開け、見覚えのあるノートを取り出した。
 あぁ、昨日海斗に言っておいたノート、早速渡してくれたのか。
 俺が十年前に作ったノート。その二冊のノートをどこか嬉しそうに眺め、大切なものを扱うようにページをめくる。
 それはまるで、自分が大切に扱われているようでくすぐったい気持ちになる。
 見ているうちに、首が右に傾き始めた。そのままノートを見ているかと思えば、携帯を手に取りメールを打ち始める。
 覗けるものなら君の頭の中を覗いてみたい。
 こんなにも何を考えているのか知りたくなる人間なんてそういるものじゃない。
 誰にメールしたんだろう?
 メールを送るとすぐに笑顔になる。嬉しいっていうか……何かすごく楽しいことを思い浮かべてるような、そんな表情。
 程なくして返信が来たようで、それを見ると「……鋭い」と小さく零した。
「翠葉ちゃん、ひとり百面相?」
 声をかけるとものすごくびっくりした顔でこちらを見た。
「いえ……秋斗さん、このノートありがとうございます。すごく見やすいしわかりやすいです」
 あ、はぐらかされたかな……。
「どういたしまして。十年前のものだから今のテストにどの程度対応できるかは不明だけど。でも、司も使ってたし海斗も使ってるみたいだから意外と大丈夫なのかもね」
 彼女はまたノートに視線を落とした。どうやら古典の勉強をすることにしたらしい。
 ずっと見ていても飽きないんだけど、この視線に気づいて居心地が悪いと思われるよりは適当に仕事をしているほうがいいだろう。
 明日は午前中に会議が入っている。その資料にでも目を通すか……。
 そろそろ新入社員の研修が一段落し、各方々へと異動させる時期だ。少しは使い物になっているといいけれど……。
 そんなことを考えながら新入社員のデータと研修結果を見比べていた。
 すると、胸元で規則正しく振動していた携帯が不規則な動きをした。モニターの合間から彼女を見ればこちらを見ている。何か用があるというわけではなく、ただうかがい見ている、という感じ。
 目が合うとすぐに逸らされてしまう。そんなことをさっきから数回繰り返していた。
 かわいいな、と思えばこちらも自然と頬が緩む。
 そんな俺を見て、「あ」って顔をしては恥ずかしそうに下を向いてしまうんだ。
 君はさ、俺を意識してくれた……というよりは恋をしてくれたよね? だって、そう勘違いしてもおかしくないような行動ばかりを君は取るんだ。
 さっきのキスだって嫌がりはしなかった。
 翠葉ちゃん、俺と恋愛しようよ。俺は君を誰よりも大切にするし、誰よりも幸せにすると約束する。生涯をかけて、君を愛すから――

 帰りの車中で、彼女が何か訊きたそうにしていたから、「何?」と訊いてみた。
「あの……秋斗さんが高校生のときってどんなでしたか?」
 小動物のような目で遠慮気味に訊かれた。
 この上目遣いが計算された行動ならうんざりするけれど、彼女からはそういうものは一切感じられない。媚とか駆け引きとは無縁の子。
「どんな高校生だったか……?」
「はい……」
 興味津々って顔で訊かれる。
「自分では今とそんなに変わらないつもりなんだけど……」
「でも、十年前ですよ?」
 ははは……それ、意外と酷な言葉だよ? 俺と君の年の差が九つと言っているのとそう変わらない。
「そうだよね……。十年前なんだよね」
 以前、湊っちゃんに言われた「淫行罪」の文字が頭をよぎる。
 あと三年経たないと君は二十歳にならないんだよな。そしたら俺は二十九……三十歳一歩手前か。
「年をとったな、っていうのが十年の実感かな。それでも徹夜の仕事はできるしまだ若いつもりではいるんだけど……」
 あと三年か……。あと三年も禁欲生活――俺、耐えられるのかな?
「翠葉ちゃんは十年後に何をしていると思う?」
「さっき少し考えたんですけど、まったく想像ができなくて……」
「きっと、そういうものなんだろうね。十年経ってもそんなに変わってないと思うものなんじゃないかな」
 高校生のとき、年を重ねたからといって何が変わるでもないだろうと思っていた。そして、現に俺は何が変わったとは思っていないわけで……。
 彼女から見た二十五歳はどう見えるのかな。「大人」に見えるのかな。
 そんなことを思いながら彼女に視線をやると、彼女はまたしても何か考えているような顔をしていた。相変らず小首を右に傾けて。
「僕が予想しようか?」
「え?」
 前方の信号が黄色になったことを確認すると、車を停止させるのと同時に彼女の顔を見る。
「翠葉ちゃんはきっとすごいきれいになって僕のお嫁さんになっているよ」
 彼女は目を大きく見開いた。反対に口は小さく開けた状態。
 ポカン、とした表情とはこういう顔のことを言うのだろう。
「何か反応してくれると嬉しいんだけど」
 促してみるものの反応はなし。仕方がないから会話を逸らしてあげる。
「翠葉ちゃん。誕生日は試験日前日で午前授業でしょう?」
 話を変えると、彼女は慌てた様子で返事をした。
「その日、帰りにランチを食べて帰らない?」
「え?」
「誕生日のお祝いをさせてほしい」
「……いいんですか?」
 どうしてそんなふうに訊くのかな?
「僕が訊いたんだけどな。……それくらいさせてもらえるでしょ?」
 帰り際にランチくらいなら問題ないだろう。
 彼女は少し遅れて「はい」と答え、そのあとに「嬉しい」という言葉も添えてくれた。
 こういう部分では割と思ったことを口にしてくれるんだな……。
 信号が青に変わり、車を発進させる。
 何度かちら、と彼女を見たけれど、その目はまるで赤ちゃんの目のようにキラキラと輝いていた。
 初めて目にするものを見るような、そんな目で外を眺めていた。……かと思えば、ギアを変える俺の手元を見て首を傾げるのだから、何を考えているのか、と気になる。全然興味はなさそうだけれど、車の運転にでも興味を持っただろうか。

 彼女の家の前に着くと車の音に気づいたのか、すぐに蒼樹が出てくる。
「翠葉ちゃん、着いたよ」
 声をかけるも無反応。首はまだ右に傾げたままだ。またしても思考の世界へ旅立ち中だろうか。
 助手席側の窓を開けてみるも、まだ気づきはしない。蒼樹が、「翠葉?」と声をかけてもそれすら届かない。
「……家に着いたのに、翠葉ちゃんはいったい何を考えているんだろうね?」
 ハンドルにもたれて蒼樹に話しかけるとようやく気がついたようだ。
 はっとした感じで顔を上げ、まずは俺を見る。そして窓に腕を乗せている蒼樹の方を振り向きさも驚いた、といったふうのリアクションをした。
「翠葉は本当に見てて飽きないよ」
 くつくつと笑いながら蒼樹が言えば、
「声っ、声かけてくれたら良かったのにっ」
 と、小さく抗議。
「何度もかけた」
「何度もかけたよ」
 蒼樹と俺が声を揃えれば、彼女はしゅんと小さくなった。
 本当に見ていて飽きない。飽きないどころかどんどん好きになるよ。
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