265 / 1,060
Side View Story 06
27~28 Side 秋斗 02話
しおりを挟む
さっき冷蔵庫に入れたばかりのタルトとサンドイッチをトレイに載せ、電気ケトルを稼動させて寝室へ戻る。と、大泣きしている彼女がいた。
慌てて駆け寄り、
「痛みっ!?」
「違っ……ごめんなさい、違うの――自分が……嫌――」
自分が嫌って何……!?
そんなに俺に触れられるのが、キスをされるのが嫌だったんだろうか――
どう対応しようか考えていると、俺の携帯が鳴り出した。
こんなときに誰だ……。
ディスプレイを見れば湊ちゃんからだった。
「はい」
『翠葉は?』
「今は俺の寝室」
『何かあった?』
「ちょっと情緒不安定っぽい」
『脈が乱れたけど大丈夫なのね?』
「うん、大丈夫。何かあれば連絡する」
そう言うと通話を切ってベッドの上に携帯を放った。
「ちょっと待っててね」
持ってきたトレイを持ってキッチンへ戻ると、トレイはそのまま冷蔵庫へ入れ、代わりにミネラルウォーターを取り出す。
いったい何が原因であんなに泣いている?
ミネラルウォーターを持って戻ると、さっきと同じようにベッドへ腰掛けた。
「少しこれを飲んで落ち着こう」
ストローを挿したペットボトルを顔の近くに差し出すと、彼女は両手で持って小さく喉を上下させた。
「……キスが嫌だった? それとも、触れられるのが嫌だった?」
訊くのは怖かった。でも、訊かないことには始まらない。
「……違うんです……ドキドキしちゃうから――」
彼女の目から涙が一筋零れる。
「でも、それって恋の醍醐味だと思うんだけど」
「……だって、みんなに知られてしまうのはすごく恥ずかしい――」
「――バングルか」
今は袖で隠れて見えないシルバーの装置に目をやる。
彼女はコクリと頷いてまた涙を零した。
「ちょっと待ってね」
俺はさっき放った携帯を手に取り、いくつかの操作を済ませた。
ディスプレイ表示が変わったところで彼女にそれを見せる。
彼女は不安そうな顔のままディスプレイに視線を移した。
詳しい説明はいらないだろう。
ディスプレイの上部にはリアルタイムの数値が表示され、そのバックアップは別の領域に保存される。そして、下部に表示されているのはバイタルチェッカーに送信されていた安静時の彼女の数値。それは一時間ループから六時間ループまで設定時間を変えられるようになっている。
湊ちゃんや栞ちゃんであっても気づきはしないだろう。
実のところ、これはとても簡単な操作で彼女の携帯からも設定可能な機能だ。
このバングルをいつまでつけているかは彼女しだい。けれど、こういうことで脈拍が上がるのを複数人に知られるのは年頃の女の子には酷だろう、とそこまで考えて作ったものを作った自分がすっかり忘れていた。
「今、みんなに送信されているのは下に表示されている数値。これは安定期の翠葉ちゃんの数値四時間をループさせているもの。上は実際の数値のバックアップ」
「……え?」
「すっかり忘れていたけど、こういうときのためにそういう機能も作ってあったんだ。安心した?」
返事は得られない。
恥ずかしいのに変わりはないということだろうか。……でも、慣れてもらわないとね。
俺がベッドへ上がるとよりいっそう驚いた顔をされる。
そんな彼女のごく近くに横になり、彼女を胸にしまうように背中に腕を回した。
「泣くときはさ、俺のとこで泣いてよ」
返事はない。けれど、その代わりと言っていいだろうか。
彼女の身体から力が抜け、俺の胸にぴたりとくっつく。
「そう……力を抜いて? せっかく側にいるのにそんなに緊張していたら疲れちゃうでしょ?」
こうしていると森林浴に行ったときのことを思い出す。
あのころは、こんなにも彼女のことを欲するようになるとは思いもしなかった。むしろ、司と付き合うことにならないか、と望んでいたくらいなのだから。
彼女は俺の胸元で深い呼吸を繰り返していた。
彼女にとっての緊張を解くための儀式なのかもしれない。
少しすると、
「……なんの香りですか?」
「……あぁ、ケンゾーのローパケンゾーって香水。嫌い?」
「いえ……水みたい。森林浴をしているときに感じるような香り……」
「それは嬉しいかな。……そういえば、今日はシャンプーの香りしかしないけど、いつも何かつけてるよね?」
ずっと気になっていた彼女の香りについて尋ねてみる。と、
「え……香り、きつかったですか? 寝る前に一吹きしかしないんですけど……」
「いや、至近距離じゃないとわからないくらいだったけど……」
今度は俺の言葉で真っ赤になってしまった。
至近距離、って言葉に反応したかな?
「入院していたとき、消毒薬の匂いが嫌で……。看護師さんがくれた香水を愛用してるんです。エラミカオのユージンゴールド――」
「あの香り、好き。フルーツとフローラルの香りがバランス良くて翠葉ちゃんに合ってるよ」
なんて普通に答えているけど、その首筋に吸い付きたくて仕方がない。
白く細い首筋もそそるけど、赤味を帯びるとそれが増す。
しかし、彼女の顔を見れば頬を緩ませ少し落ち着いた感じだった。
今仕掛けるわけにはいかないだろ……しっかりしろ、俺――
「落ち着いたかな?」
彼女は少しびっくりして俺を見上げると、はにかんだ表情で「はい」と答えた。
「不安なことはひとりで抱えなくていいから。話してくれさえすれば今みたいにすぐに解決してあげられることもある」
「でも、それは甘えすぎじゃないですか?」
「……あのさ、俺は甘えてほしいんだけど?」
「……でも、それは怖いです」
「どうして?」
「……だって、秋斗さんがいなくなって自分ひとりで立てなくなったら困るもの……」
「どうして俺がいなくなることが前提かな……。そんなこと考えなくていいよ」
「それでも、不安なんです……」
彼女は自信なさげに目を伏せた。
「大丈夫だよ。毎日だって好きだ愛してるって伝える。毎日伝えても伝えきれいないくらいだ」
もしかしたら言葉で伝えるだけじゃ足りないのかもしれない。
「秋斗さんは蒼兄以上に甘い気がします」
「蒼樹と一緒にされるのは嫌だな。俺は兄じゃない。彼氏だよ? 俺に誰が相応しいかは俺が決めることだし、翠葉ちゃんに誰が相応しいのかは翠葉ちゃんが決めることだ。ほかの誰の意思も介入しないよ」
言って彼女を抱き寄せた。
華奢だけれど女性らしい身体つきの彼女。何度こうして抱きしめたいと思ったことか……。
君が許してくれるなら、何度でも身体ごと愛して持てるすべての愛情を注ぐんだけど……。
そしたら君は安心できるんじゃないのかな。
言葉だけではなく、全身で伝えることができれば――
……でも、その前に色々交通整理をしなくてはいけない。
彼女のご両親にも交際を認めてもらわなくてはいけないし……。
それから、彼女には俺にもう少し慣れてもらわないといけない。
愛撫ともいえないような域であの怯えようだ。最後までたどり着くのにどれだけの時間を要すことか――
本当に攻略しがいのあるお姫様だ。
そんなことを考えていると、胸元からクスクスと笑いが聞こえてきた。
「どうかした?」
「いえ、秋斗さんの鼓動がお母さんの心音だとしたら、私はさしずめ赤ちゃんだな、と思って」
「君らしいけど、もう少し色気のあるたとえがいいなぁ……」
つい本音が漏れる。
「今度こそ本当にお昼にしよう? 戻ってきたら泣いてるなんてやめてね」
漏らした言葉をごまかすように立ち上がると、彼女は笑顔で「はい」と答えてくれた。
心からの笑顔――そう、俺はこれが見たいんだ。
この笑顔のためならなんだってできる気がする。
彼女と結婚することに親戚がうるさく言うようなら、すぐにでも藤宮の一切から手を引く。会社を辞めてもかまわない。もともとそんなものに固執はしていないのだから。
彼女の平穏を守るためならなんでもできる。
君は、俺がここまで考えていることなんてまったく知らないんだろうね。
寝室へ戻ると、彼女はベッドの上でだるそうに身体を起こしていた。
「大丈夫なの?」
「……今は大丈夫みたいです」
「良かった」
副作用が少しずつ落ち着き始めているのかもしれない。それでもまだずいぶんとだるそうだけど……。
彼女には苺タルトが乗ったプレートを、自分にはサンドイッチを用意した。そして、自分にはコーヒー、彼女には果汁百パーセントのリンゴジュース。
「秋斗さん、グラスを貸していただけますか?」
遠慮気味に訊かれた。
「ちょっと待っててね」
すぐに席を立ったものの意味は理解できていない。
たかだか二百ミリリットルの小さな紙パックだけど、それすら全部を飲むことができないのだろうか。
グラスを手に戻ると、彼女はそれに水を入れてから半々になるようにリンゴジュースを注いだ。
「あ……味が濃い?」
彼女は苦笑いで頷いた。
そっか……だから校内で飲めるものがミネラルウォーターだけなのか。
「……そういうの、遠慮しないで言ってね?」
「はい……」
彼女のことをひとつずつ知っていきたい。彼女を見て、彼女の口から聞いて、少しずつ、少しずつ……。
そんな時間がひどく大切なものに思えた。
彼女は嬉しそうに苺タルトを口にし、咀嚼して飲み込めば今度はグラスに手を伸ばす。
グラスやカップを両手で持つのは癖なのかもしれない。その仕草がかわいい。
「妖艶」なんて言葉からはほど遠い彼女なのに、どうしてかこんなにも「男」である自分を意識させられる。
それは司もなのだろうか……。
いや、あいつはまだそこまでたどり着いていないような気がする。もし、それに気づいてしまったのなら彼女の側に近づけたくはない。
葵は? ――いや、あれは除外だな。
彼女があそこまで普通に接することができるのは蒼樹だけだ。つまり、兄と同等にしか見ていないということ。
でも、葵のほうはどうだろうか……。まさか親友の妹に手は出さないか。
――俺、自分のこと棚に上げてるかも……。
そんなことを考えていれば彼女がピルケースから薬を取り出すところだった。
「秋斗さん、ごめんなさい……。これを飲むとどうしても眠くなっちゃうんです」
申し訳なさそうに俺を見る。
「かまわないよ。そこのドアの向かいの部屋で仕事してるから。ドアは開けたままにしておく。定期的に見にくるから何かあればそのときに言って?」
「はい」
キッチンで洗い物を済ませ寝室に戻ると、早くも彼女はとろんとしていた。
「……ゆっくりおやすみ」
俺は優しく声をかけ、額にキスを落とした。
慌てて駆け寄り、
「痛みっ!?」
「違っ……ごめんなさい、違うの――自分が……嫌――」
自分が嫌って何……!?
そんなに俺に触れられるのが、キスをされるのが嫌だったんだろうか――
どう対応しようか考えていると、俺の携帯が鳴り出した。
こんなときに誰だ……。
ディスプレイを見れば湊ちゃんからだった。
「はい」
『翠葉は?』
「今は俺の寝室」
『何かあった?』
「ちょっと情緒不安定っぽい」
『脈が乱れたけど大丈夫なのね?』
「うん、大丈夫。何かあれば連絡する」
そう言うと通話を切ってベッドの上に携帯を放った。
「ちょっと待っててね」
持ってきたトレイを持ってキッチンへ戻ると、トレイはそのまま冷蔵庫へ入れ、代わりにミネラルウォーターを取り出す。
いったい何が原因であんなに泣いている?
ミネラルウォーターを持って戻ると、さっきと同じようにベッドへ腰掛けた。
「少しこれを飲んで落ち着こう」
ストローを挿したペットボトルを顔の近くに差し出すと、彼女は両手で持って小さく喉を上下させた。
「……キスが嫌だった? それとも、触れられるのが嫌だった?」
訊くのは怖かった。でも、訊かないことには始まらない。
「……違うんです……ドキドキしちゃうから――」
彼女の目から涙が一筋零れる。
「でも、それって恋の醍醐味だと思うんだけど」
「……だって、みんなに知られてしまうのはすごく恥ずかしい――」
「――バングルか」
今は袖で隠れて見えないシルバーの装置に目をやる。
彼女はコクリと頷いてまた涙を零した。
「ちょっと待ってね」
俺はさっき放った携帯を手に取り、いくつかの操作を済ませた。
ディスプレイ表示が変わったところで彼女にそれを見せる。
彼女は不安そうな顔のままディスプレイに視線を移した。
詳しい説明はいらないだろう。
ディスプレイの上部にはリアルタイムの数値が表示され、そのバックアップは別の領域に保存される。そして、下部に表示されているのはバイタルチェッカーに送信されていた安静時の彼女の数値。それは一時間ループから六時間ループまで設定時間を変えられるようになっている。
湊ちゃんや栞ちゃんであっても気づきはしないだろう。
実のところ、これはとても簡単な操作で彼女の携帯からも設定可能な機能だ。
このバングルをいつまでつけているかは彼女しだい。けれど、こういうことで脈拍が上がるのを複数人に知られるのは年頃の女の子には酷だろう、とそこまで考えて作ったものを作った自分がすっかり忘れていた。
「今、みんなに送信されているのは下に表示されている数値。これは安定期の翠葉ちゃんの数値四時間をループさせているもの。上は実際の数値のバックアップ」
「……え?」
「すっかり忘れていたけど、こういうときのためにそういう機能も作ってあったんだ。安心した?」
返事は得られない。
恥ずかしいのに変わりはないということだろうか。……でも、慣れてもらわないとね。
俺がベッドへ上がるとよりいっそう驚いた顔をされる。
そんな彼女のごく近くに横になり、彼女を胸にしまうように背中に腕を回した。
「泣くときはさ、俺のとこで泣いてよ」
返事はない。けれど、その代わりと言っていいだろうか。
彼女の身体から力が抜け、俺の胸にぴたりとくっつく。
「そう……力を抜いて? せっかく側にいるのにそんなに緊張していたら疲れちゃうでしょ?」
こうしていると森林浴に行ったときのことを思い出す。
あのころは、こんなにも彼女のことを欲するようになるとは思いもしなかった。むしろ、司と付き合うことにならないか、と望んでいたくらいなのだから。
彼女は俺の胸元で深い呼吸を繰り返していた。
彼女にとっての緊張を解くための儀式なのかもしれない。
少しすると、
「……なんの香りですか?」
「……あぁ、ケンゾーのローパケンゾーって香水。嫌い?」
「いえ……水みたい。森林浴をしているときに感じるような香り……」
「それは嬉しいかな。……そういえば、今日はシャンプーの香りしかしないけど、いつも何かつけてるよね?」
ずっと気になっていた彼女の香りについて尋ねてみる。と、
「え……香り、きつかったですか? 寝る前に一吹きしかしないんですけど……」
「いや、至近距離じゃないとわからないくらいだったけど……」
今度は俺の言葉で真っ赤になってしまった。
至近距離、って言葉に反応したかな?
「入院していたとき、消毒薬の匂いが嫌で……。看護師さんがくれた香水を愛用してるんです。エラミカオのユージンゴールド――」
「あの香り、好き。フルーツとフローラルの香りがバランス良くて翠葉ちゃんに合ってるよ」
なんて普通に答えているけど、その首筋に吸い付きたくて仕方がない。
白く細い首筋もそそるけど、赤味を帯びるとそれが増す。
しかし、彼女の顔を見れば頬を緩ませ少し落ち着いた感じだった。
今仕掛けるわけにはいかないだろ……しっかりしろ、俺――
「落ち着いたかな?」
彼女は少しびっくりして俺を見上げると、はにかんだ表情で「はい」と答えた。
「不安なことはひとりで抱えなくていいから。話してくれさえすれば今みたいにすぐに解決してあげられることもある」
「でも、それは甘えすぎじゃないですか?」
「……あのさ、俺は甘えてほしいんだけど?」
「……でも、それは怖いです」
「どうして?」
「……だって、秋斗さんがいなくなって自分ひとりで立てなくなったら困るもの……」
「どうして俺がいなくなることが前提かな……。そんなこと考えなくていいよ」
「それでも、不安なんです……」
彼女は自信なさげに目を伏せた。
「大丈夫だよ。毎日だって好きだ愛してるって伝える。毎日伝えても伝えきれいないくらいだ」
もしかしたら言葉で伝えるだけじゃ足りないのかもしれない。
「秋斗さんは蒼兄以上に甘い気がします」
「蒼樹と一緒にされるのは嫌だな。俺は兄じゃない。彼氏だよ? 俺に誰が相応しいかは俺が決めることだし、翠葉ちゃんに誰が相応しいのかは翠葉ちゃんが決めることだ。ほかの誰の意思も介入しないよ」
言って彼女を抱き寄せた。
華奢だけれど女性らしい身体つきの彼女。何度こうして抱きしめたいと思ったことか……。
君が許してくれるなら、何度でも身体ごと愛して持てるすべての愛情を注ぐんだけど……。
そしたら君は安心できるんじゃないのかな。
言葉だけではなく、全身で伝えることができれば――
……でも、その前に色々交通整理をしなくてはいけない。
彼女のご両親にも交際を認めてもらわなくてはいけないし……。
それから、彼女には俺にもう少し慣れてもらわないといけない。
愛撫ともいえないような域であの怯えようだ。最後までたどり着くのにどれだけの時間を要すことか――
本当に攻略しがいのあるお姫様だ。
そんなことを考えていると、胸元からクスクスと笑いが聞こえてきた。
「どうかした?」
「いえ、秋斗さんの鼓動がお母さんの心音だとしたら、私はさしずめ赤ちゃんだな、と思って」
「君らしいけど、もう少し色気のあるたとえがいいなぁ……」
つい本音が漏れる。
「今度こそ本当にお昼にしよう? 戻ってきたら泣いてるなんてやめてね」
漏らした言葉をごまかすように立ち上がると、彼女は笑顔で「はい」と答えてくれた。
心からの笑顔――そう、俺はこれが見たいんだ。
この笑顔のためならなんだってできる気がする。
彼女と結婚することに親戚がうるさく言うようなら、すぐにでも藤宮の一切から手を引く。会社を辞めてもかまわない。もともとそんなものに固執はしていないのだから。
彼女の平穏を守るためならなんでもできる。
君は、俺がここまで考えていることなんてまったく知らないんだろうね。
寝室へ戻ると、彼女はベッドの上でだるそうに身体を起こしていた。
「大丈夫なの?」
「……今は大丈夫みたいです」
「良かった」
副作用が少しずつ落ち着き始めているのかもしれない。それでもまだずいぶんとだるそうだけど……。
彼女には苺タルトが乗ったプレートを、自分にはサンドイッチを用意した。そして、自分にはコーヒー、彼女には果汁百パーセントのリンゴジュース。
「秋斗さん、グラスを貸していただけますか?」
遠慮気味に訊かれた。
「ちょっと待っててね」
すぐに席を立ったものの意味は理解できていない。
たかだか二百ミリリットルの小さな紙パックだけど、それすら全部を飲むことができないのだろうか。
グラスを手に戻ると、彼女はそれに水を入れてから半々になるようにリンゴジュースを注いだ。
「あ……味が濃い?」
彼女は苦笑いで頷いた。
そっか……だから校内で飲めるものがミネラルウォーターだけなのか。
「……そういうの、遠慮しないで言ってね?」
「はい……」
彼女のことをひとつずつ知っていきたい。彼女を見て、彼女の口から聞いて、少しずつ、少しずつ……。
そんな時間がひどく大切なものに思えた。
彼女は嬉しそうに苺タルトを口にし、咀嚼して飲み込めば今度はグラスに手を伸ばす。
グラスやカップを両手で持つのは癖なのかもしれない。その仕草がかわいい。
「妖艶」なんて言葉からはほど遠い彼女なのに、どうしてかこんなにも「男」である自分を意識させられる。
それは司もなのだろうか……。
いや、あいつはまだそこまでたどり着いていないような気がする。もし、それに気づいてしまったのなら彼女の側に近づけたくはない。
葵は? ――いや、あれは除外だな。
彼女があそこまで普通に接することができるのは蒼樹だけだ。つまり、兄と同等にしか見ていないということ。
でも、葵のほうはどうだろうか……。まさか親友の妹に手は出さないか。
――俺、自分のこと棚に上げてるかも……。
そんなことを考えていれば彼女がピルケースから薬を取り出すところだった。
「秋斗さん、ごめんなさい……。これを飲むとどうしても眠くなっちゃうんです」
申し訳なさそうに俺を見る。
「かまわないよ。そこのドアの向かいの部屋で仕事してるから。ドアは開けたままにしておく。定期的に見にくるから何かあればそのときに言って?」
「はい」
キッチンで洗い物を済ませ寝室に戻ると、早くも彼女はとろんとしていた。
「……ゆっくりおやすみ」
俺は優しく声をかけ、額にキスを落とした。
5
あなたにおすすめの小説
光のもとで2
葉野りるは
青春
一年の療養を経て高校へ入学した翠葉は「高校一年」という濃厚な時間を過ごし、
新たな気持ちで新学期を迎える。
好きな人と両思いにはなれたけれど、だからといって順風満帆にいくわけではないみたい。
少し環境が変わっただけで会う機会は減ってしまったし、気持ちがすれ違うことも多々。
それでも、同じ時間を過ごし共に歩めることに感謝を……。
この世界には当たり前のことなどひとつもなく、あるのは光のような奇跡だけだから。
何か問題が起きたとしても、一つひとつ乗り越えて行きたい――
(10万文字を一冊として、文庫本10冊ほどの長さです)
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
【完結】イケメンが邪魔して本命に告白できません
竹柏凪紗
青春
高校の入学式、芸能コースに通うアイドルでイケメンの如月風磨が普通科で目立たない最上碧衣の教室にやってきた。女子たちがキャーキャー騒ぐなか、風磨は碧衣の肩を抱き寄せ「お前、今日から俺の女な」と宣言する。その真意とウソつきたちによって複雑になっていく2人の結末とは──
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。
沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。
すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。
だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。
イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。
変わり果てた現実を前に、
夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。
深い後悔と悲しみに苛まれながら、
失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。
しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。
贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。
そして、母の心を知っていく子供たち。
イネスが求める愛とは、
そして、幸せとは――。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
幼馴染が家出したので、僕と同居生活することになったのだが。
四乃森ゆいな
青春
とある事情で一人暮らしをしている僕──和泉湊はある日、幼馴染でクラスメイト、更には『女神様』と崇められている美少女、真城美桜を拾うことに……?
どうやら何か事情があるらしく、頑なに喋ろうとしない美桜。普段は無愛想で、人との距離感が異常に遠い彼女だが、何故か僕にだけは世話焼きになり……挙句には、
「私と同棲してください!」
「要求が増えてますよ!」
意味のわからない同棲宣言をされてしまう。
とりあえず同居するという形で、居候することになった美桜は、家事から僕の宿題を見たりと、高校生らしい生活をしていくこととなる。
中学生の頃から疎遠気味だったために、空いていた互いの時間が徐々に埋まっていき、お互いに知らない自分を曝け出していく中──女神様は何でもない『日常』を、僕の隣で歩んでいく。
無愛想だけど僕にだけ本性をみせる女神様 × ワケあり陰キャぼっちの幼馴染が送る、半同棲な同居生活ラブコメ。
学園のアイドルに、俺の部屋のギャル地縛霊がちょっかいを出すから話がややこしくなる。
たかなしポン太
青春
【第1回ノベルピアWEB小説コンテスト中間選考通過作品】
『み、見えるの?』
「見えるかと言われると……ギリ見えない……」
『ふぇっ? ちょっ、ちょっと! どこ見てんのよ!』
◆◆◆
仏教系学園の高校に通う霊能者、尚也。
劣悪な環境での寮生活を1年間終えたあと、2年生から念願のアパート暮らしを始めることになった。
ところが入居予定のアパートの部屋に行ってみると……そこにはセーラー服を着たギャル地縛霊、りんが住み着いていた。
後悔の念が強すぎて、この世に魂が残ってしまったりん。
尚也はそんなりんを無事に成仏させるため、りんと共同生活をすることを決意する。
また新学期の学校では、尚也は学園のアイドルこと花宮琴葉と同じクラスで席も近くなった。
尚也は1年生の時、たまたま琴葉が困っていた時に助けてあげたことがあるのだが……
霊能者の尚也、ギャル地縛霊のりん、学園のアイドル琴葉。
3人とその仲間たちが繰り広げる、ちょっと不思議な日常。
愉快で甘くて、ちょっと切ない、ライトファンタジーなラブコメディー!
※本作品はフィクションであり、実在の人物や団体、製品とは一切関係ありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる