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第八章 自己との対峙
07話
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フルーツサンドはいつもと違うものだった。サンドされているクリームが生クリームではなくてカスタードクリーム。
須藤さんのお手製なのかな、と思いながら口に運ぶ。
さて、私はどうやってここまで帰って来たのだろうか……。とりあえず、起きたときに側に付いてくれていた人に訊くのが良さそう。
「楓先生……」
医学書らしき本を読んでいる先生に声をかけると、
「どうかした?」
「私、ここまでどうやって帰ってきたのかご存知でしょうか……?」
「あぁ、自分が若槻くんと迎えに行ったんだ」
「え……?」
「姉さんから電話があって、起きるまでついててほしいって言われたんだけど、それならマンションに連れて帰るよって話をして若槻くんに連絡をとった」
きっと、湊先生は職員会議か何かがあったのだろう。それで、楓先生に連絡したのだ。
「ご迷惑おかけしてすみません……」
あまりにも申し訳ない状態だ。せっかくのお休みなのに、患者を見ている羽目になるなんて……。
「……ずるいよねぇ? 若槻くんはちゃっかりとお兄さんにおさまったのに、俺は先生だもんね?」
「……え?」
「俺も翠葉ちゃんみたいな妹ならぜひ欲しいよ」
「……私も、楓先生みたいなお兄さんなら大歓迎です」
真面目に答えたつもりだったけど、楓先生はクスクスと笑いだした。そのとき、どこからか私の携帯が鳴る音がした。
「あ、これ」
楓先生が胸ポケットから取り出したのは私の携帯だった。ディスプレイには「藤宮司」の文字。
「もしもし……?」
『具合は? っていうか、昼は食べられたのか?』
「はい、今食べ終わりました。痛みは少しだけ……」
『今からマッサージしに下りるから』
「えっ!? でもっ、先輩勉強はっ!?」
『一時間くらい問題ない。じゃ』
携帯からは、ツーツーツーツーという音が虚しく響くのみ。通話時間は二十四秒……。
「逆探知とか絶対無理そう……」
思ったことを口にすると、「司か……」と楓先生が面白そうに笑った。
「マッサージに来るんでしょ?」
「……だそうです。でも、私お薬飲んだら寝ちゃうんですけど……」
今、正に薬を飲む直前だったのだ。薬をじっと見ていると、
「リラックスして寝ちゃってるくらいがちょうどいいよ」
そういうものなのだろうか……。
玄関で音がすると、司先輩は一枚の紙を手に持って入ってきた。
「とっとと薬飲んで横になれ」
「……それ、なんですか?」
「今、海斗に解かせてる問題の答え」
司先輩は回答用紙をヒラリ、と見せてくれた。
「あいつ、今回の数学はやたらめったら出来が悪い」
ぶつくさ口にするけれど、司先輩が言うところの「出来が悪い」とはどのあたりにボーダーラインがあるのだろう。テストの点数でいうところの一〇〇点以下がすべて該当しそうで怖い。
しまいには、「翠と海斗の頭を足して二で割れたらちょうどいいのにな」と言いだした。
「因みに、翠のテストの出来は?」
鋭い目で訊かれ、
「訊かないでください……」
私は思わず耳を塞いでしまう。気分的には日光の三猿状態だ。
見ざる聞かざる言わざる……。
「二十位切ったら覚えてろよ?」なんて言葉は聞かなかったことにする。それから、爽やかで凍てつくような笑顔も見なかったことにしよう。もちろん、出来が悪かったなんて申しません……。
薬を飲むと、やっぱりうとうとしてきた。
「寝てもかまわない」
そうは言われても落ち着かない。腰のマッサージが終わり背中に移るとき――
「先輩っっっ」
痛い箇所を押されて息が止まるかと思った。
「悪い……痛かった?」
「ごめんなさい……そこは痛いから今日は嫌です」
「わかった。……首元に触れる」
前置きをされ、本当に触れるだけ。手の平を当てられた。
首の擦過傷は少し前に治っていて、痕はほとんど残らないくらいきれいに治った。でも、先輩はマッサージをするとき、肩や首付近に触れる際には必ずこうやって前置きをしてくれる。
「首は大丈夫みたい……」
「少しずつ力を入れるから」
首元の靭帯に親指が触れ、徐々に両手が肩の方へと移っていく。と、ざわり、と嫌な感じがした。左側よりも先に右側の肩に手が触れたそのとき、身体中から血の気が引く思いだった。
「い、やっ――」
咄嗟に手をどけられるものの、身体が小刻みに震え出す。
「……翠?」
痛みじゃない……。この感覚は痛みじゃない――
「翠っ!?」
「ごめ、なさい……」
「痛み?」
「違っ――」
「……翠、呼吸を落ち着けよう」
先輩に促され、うつ伏せの状態から蹲るように横向きに丸くなった。左手で右肩をぎゅっと掴んだまま。
「兄さんか若槻さん呼ぼうか?」
私は断わるために首を振った。
「……手は?」
司先輩の手がそっと目の前に差し出される。その手にゆっくりと自分の右手を重ねた。
「……わかった」
先輩はそう言うと、ずっと手を握っていてくれた。
呼吸がそれ以上ひどくなることはなく、薬のせいか少しずつ少しずつ意識が薄れていく。
耳に響くは司先輩の声。単調に、静かに数を数える司先輩の声。
一、二、三、四、五、六、七、八、九、十……。
一、二、三、四、五、六、七、八、九、十……。
一、二、三、四、五、六、七、八、九、十……。
繰り返し繰り返し、その声をずっと聞いていた気がした。それは記憶が織り成す幻聴なのか、実際の声なのか……。
泡沫の数は泡沫の思考。泡沫の数は泡沫の想い――
須藤さんのお手製なのかな、と思いながら口に運ぶ。
さて、私はどうやってここまで帰って来たのだろうか……。とりあえず、起きたときに側に付いてくれていた人に訊くのが良さそう。
「楓先生……」
医学書らしき本を読んでいる先生に声をかけると、
「どうかした?」
「私、ここまでどうやって帰ってきたのかご存知でしょうか……?」
「あぁ、自分が若槻くんと迎えに行ったんだ」
「え……?」
「姉さんから電話があって、起きるまでついててほしいって言われたんだけど、それならマンションに連れて帰るよって話をして若槻くんに連絡をとった」
きっと、湊先生は職員会議か何かがあったのだろう。それで、楓先生に連絡したのだ。
「ご迷惑おかけしてすみません……」
あまりにも申し訳ない状態だ。せっかくのお休みなのに、患者を見ている羽目になるなんて……。
「……ずるいよねぇ? 若槻くんはちゃっかりとお兄さんにおさまったのに、俺は先生だもんね?」
「……え?」
「俺も翠葉ちゃんみたいな妹ならぜひ欲しいよ」
「……私も、楓先生みたいなお兄さんなら大歓迎です」
真面目に答えたつもりだったけど、楓先生はクスクスと笑いだした。そのとき、どこからか私の携帯が鳴る音がした。
「あ、これ」
楓先生が胸ポケットから取り出したのは私の携帯だった。ディスプレイには「藤宮司」の文字。
「もしもし……?」
『具合は? っていうか、昼は食べられたのか?』
「はい、今食べ終わりました。痛みは少しだけ……」
『今からマッサージしに下りるから』
「えっ!? でもっ、先輩勉強はっ!?」
『一時間くらい問題ない。じゃ』
携帯からは、ツーツーツーツーという音が虚しく響くのみ。通話時間は二十四秒……。
「逆探知とか絶対無理そう……」
思ったことを口にすると、「司か……」と楓先生が面白そうに笑った。
「マッサージに来るんでしょ?」
「……だそうです。でも、私お薬飲んだら寝ちゃうんですけど……」
今、正に薬を飲む直前だったのだ。薬をじっと見ていると、
「リラックスして寝ちゃってるくらいがちょうどいいよ」
そういうものなのだろうか……。
玄関で音がすると、司先輩は一枚の紙を手に持って入ってきた。
「とっとと薬飲んで横になれ」
「……それ、なんですか?」
「今、海斗に解かせてる問題の答え」
司先輩は回答用紙をヒラリ、と見せてくれた。
「あいつ、今回の数学はやたらめったら出来が悪い」
ぶつくさ口にするけれど、司先輩が言うところの「出来が悪い」とはどのあたりにボーダーラインがあるのだろう。テストの点数でいうところの一〇〇点以下がすべて該当しそうで怖い。
しまいには、「翠と海斗の頭を足して二で割れたらちょうどいいのにな」と言いだした。
「因みに、翠のテストの出来は?」
鋭い目で訊かれ、
「訊かないでください……」
私は思わず耳を塞いでしまう。気分的には日光の三猿状態だ。
見ざる聞かざる言わざる……。
「二十位切ったら覚えてろよ?」なんて言葉は聞かなかったことにする。それから、爽やかで凍てつくような笑顔も見なかったことにしよう。もちろん、出来が悪かったなんて申しません……。
薬を飲むと、やっぱりうとうとしてきた。
「寝てもかまわない」
そうは言われても落ち着かない。腰のマッサージが終わり背中に移るとき――
「先輩っっっ」
痛い箇所を押されて息が止まるかと思った。
「悪い……痛かった?」
「ごめんなさい……そこは痛いから今日は嫌です」
「わかった。……首元に触れる」
前置きをされ、本当に触れるだけ。手の平を当てられた。
首の擦過傷は少し前に治っていて、痕はほとんど残らないくらいきれいに治った。でも、先輩はマッサージをするとき、肩や首付近に触れる際には必ずこうやって前置きをしてくれる。
「首は大丈夫みたい……」
「少しずつ力を入れるから」
首元の靭帯に親指が触れ、徐々に両手が肩の方へと移っていく。と、ざわり、と嫌な感じがした。左側よりも先に右側の肩に手が触れたそのとき、身体中から血の気が引く思いだった。
「い、やっ――」
咄嗟に手をどけられるものの、身体が小刻みに震え出す。
「……翠?」
痛みじゃない……。この感覚は痛みじゃない――
「翠っ!?」
「ごめ、なさい……」
「痛み?」
「違っ――」
「……翠、呼吸を落ち着けよう」
先輩に促され、うつ伏せの状態から蹲るように横向きに丸くなった。左手で右肩をぎゅっと掴んだまま。
「兄さんか若槻さん呼ぼうか?」
私は断わるために首を振った。
「……手は?」
司先輩の手がそっと目の前に差し出される。その手にゆっくりと自分の右手を重ねた。
「……わかった」
先輩はそう言うと、ずっと手を握っていてくれた。
呼吸がそれ以上ひどくなることはなく、薬のせいか少しずつ少しずつ意識が薄れていく。
耳に響くは司先輩の声。単調に、静かに数を数える司先輩の声。
一、二、三、四、五、六、七、八、九、十……。
一、二、三、四、五、六、七、八、九、十……。
一、二、三、四、五、六、七、八、九、十……。
繰り返し繰り返し、その声をずっと聞いていた気がした。それは記憶が織り成す幻聴なのか、実際の声なのか……。
泡沫の数は泡沫の思考。泡沫の数は泡沫の想い――
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