光のもとで1

葉野りるは

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第八章 自己との対峙

08話

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 コンコンコンコン――
 ノックの音……。
「入るよ」
 ドアを開けて入ってきたのは静さんだった。
 窓から差し込む光はすでに薄暗い。けれど電気は点けずに入ってくる。
「身体の具合はどうだい?」
「例年と同じです……」
「そうか……。じゃぁつらい時期なのだろうね」
「……両親から聞いているんですか?」
「あぁ、非常に大まかにだけどね。湊も楓も守秘義務とかで教えてはくれないからな」
 お医者様だものね……。
「そろそろ夕飯なんだが起きられるかい?」
「はい」
 でも、食卓が怖い――
「……どうかした?」
「いえ……食欲がなくて」
「須藤の料理だ。きっと大丈夫だよ」
 静さんに大丈夫だよ、と言われると、根拠はなくても大丈夫な気がしてくるから不思議。そういう要素を持っているからこそ、人を率いることができるのだろうか。
 促されるままにダイニングへ行くと、サンドイッチからオードブル、サラダにビーフシチュー、より取り見取りに料理が並んでいた。
 ローテーブルだけれど、立食パーティーみたいなメニュー。
 器に最初から盛られていて、これだけは絶対に食べなさい、という一人前仕立てではなく、好きなものを好きなだけどうぞ、のスタイル。
 フォークやナイフ、お箸、スプーンなどのカトラリーはカウンターにまとめて置いてあり、必要なものを手にすればいいようになっていた。
 カウンターの中には須藤さんが立っていて、みんなに飲み物を振舞っている。
「翠葉ちゃんは何にする?」
 静さんに訊かれてミネラルウォーターをお願いした。
 静さんや唯兄を見るとお酒を飲んでいて、そういうところを見て唯兄が成人していることを認識する。
 唯兄は大人だけど、どこか自分に近いものを感じていて、大人という気がしない。唯兄と蒼兄はふたつしか変わらないけれど、蒼兄は大人に見えて、唯兄はなんとなく自分寄りの気がしてしまうのだ。

 オードブルやサンドイッチを少しつまむとお腹はすぐいっぱいになる。でも、サンドイッチ一切れと小さなオードブルをふたつ……。カロリー的には全然足りていない。
「もう少し食べないか?」
 蒼兄に勧められるけど、食べられる気がしない。
「お嬢様、せめてこちらはお飲みください」
 すかさず須藤さんに差し出されたのはお昼のスープだった。
「少しだけご飯の分量とオリーブオイルを足してあります。これからお勉強をなさるのでしょう?」
 控え目にカップを手渡される。
「たんぱく質はブドウ糖へ変わり、脳の栄養にもなります。裏ごしもしましたので口当たりも滑らかですよ」
「須藤さん、お手数かけて申し訳ないです」
 蒼兄が謝ると、
「私は好きで料理をしていますから」
 須藤さんはにこりと笑ってカウンターの中へと戻っていった。
 スープは熱すぎず飲みやすい温度で、本当に口当たりが滑らかでクリーミーだった。
「飲みやすい……」
「……良かった、何か少しでも口にしてくれると助かる」
「……いつも心配かけてばかりでごめんなさい」
「気にしなくていい。でも、少しでも食べ物を口にしててほしいんだ」
「……うん」

 いつもならこの会食にいる人がふたりいない。
 栞さんと秋斗さん……。
 それでも会食は普通に行われ、誰もそのことに触れない。それが不思議で、少し寂しくて、つい口にしてしまったの。
「静さん……栞さんは大丈夫?」
「あぁ……この時期は誰でも体調を崩しやすい季節なんだよ。少し実家でゆっくりしていれば大丈夫だ」
 静さんは穏やかな表情でそう言った。
 大丈夫――さっきは安心できたのに、今は全然安心できない。
「浮かない顔だね?」
 浮いた顔などできるわけがない。
「テストが終わったら一緒に実家へ行くかい?」
「……いいんですか?」
「あぁ、かまわないよ」
「行きたい……――でも、やっぱりいいです」
 迂闊に思ったことを口にするんじゃなかった……。
「どうしてだい?」
「今の私が行ったら、栞さん、無理して出てきちゃうから」
 栞さんは優しいから、人のためになることをするのが好きな人だから。具合が悪い私を見たら放っておけなくなる。
 そんな自分が会いにいくべきではない……。
「君は色々と先回りして考えるのが得意だね? そんなことだと損をするよ?」
 静さんは覗き込むように私の顔を見た。
 秋斗さんや司先輩とは違う顔立ち。でも、誰が見ても格好良く見えて、絶対に四十代半ばには見えないと思う。
「君はうちのホテルのお姫様なんだよ? もう少しわがままになってもいい。今の君はちょっと聞き分けが良すぎる。全部を呑み込もうとするとお腹がいっぱいになって、余計にものが食べられなくなるよ」
 そんなふうに言ってはポンポンと頭を二回軽く叩かれた。
 二回のポンポンは私と蒼兄の合図……。「大丈夫だよ」の合図。静さんはそんなことは知らないはずだけど、私は意図も簡単に術中にかかる。そして、甘えが出てきた私はこんなことまで訊いてしまったのだ。
「秋斗さんはお仕事が忙しいのでしょうか……」
「少し前にトラブルは解消したって聞いたから、そのうちひょっこり帰ってくるだろう」
 ……唯兄と同じ答え。
「秋斗がいないと寂しい?」
 少し離れたところから湊先生に訊かれた。
 寂しいというか、気になる……。
「よくわからないんですけど、気にはなります。普段いる人がいないと気になる……」
「なるほどねぇ……。とっとと帰って来いって翠葉がメールしたら飛んで帰ってくるんじゃないの? あんたたち、一応付き合ってるんでしょう?」
 湊先生はソファに身体を預けたままそう口にし、海斗くんは「今回はどこに行ったのかな?」なんて疑問を口にする。
「どこでもいいからうまいチョコ買って来てくんねーかなー」
 携帯をいじりだしたところを見ると、お土産でもねだるのかもしれない。
 チョコレートといえば、蒼兄が学会から帰ってきたときに口の中に入れてもらった。それは付き合えないと断わった日の出来事。
 何がどうして今付き合っていることになっているんだっけ……。何がどうして、素直に会いたいって思えないし口にできなくなっちゃったのかな……。
 何がどうして――好きなはずなのに近くにいたら怖いって思うようになっちゃったんだろうこんなはずじゃなかったのに……。
「――翠っっっ」
「……え?」
「鎌倉幕府は何年に誰が作った?」
「……一一九二年に源頼朝が征夷大将軍になって――だった気がする」
「インフレとデフレの違いを簡潔に答えよ」
「……インフレはものの値段が上昇し続けることで、デフレはものの値段が下がり続けること。それによりデフレスパイラルが発生することがある……?」
 これはいったいなんの押し問答だっただろうか、と司先輩の顔を見ていると、周りの様相に変化があったことに気づく。
 横を向けば私は蒼兄に支えられていて、反対の左側には静さんと唯兄がいる。司先輩の後ろには湊先生と楓先生。その並びに海斗くんがいる。ダイニングで、みんなが私を見ていた。
「……何?」
 私の質問には目の前にいた司先輩が答えてくれた。
「どうにかしろよ……その魂だけで散歩に行く癖」
 先輩は明らかに呆れていて、膝立ちしていたのに、そのまま後ろにお尻をついて胡坐をかいた。
 魂だけで散歩に行く癖なんて持ってはいないけど……。
「今日はまだいいじゃない。ハープ弾いてないし、時間だってものの数分よ」
 そう言ったのは湊先生だった。
 はっとして時計を見る。と、
「数分だよ。五分もしないくらい」
 教えてくれたのは楓先生だった。
 最近はあまりこういうことなかったのに……。
「心配かけてごめんなさい。……私、お部屋で勉強してきますね」
 そう言って立ち上がると、唯兄が一緒に立ち上がった。
「唯兄、大丈夫……。たぶん、勉強を始めたらまた同じような状態になるから、声をかけられても答えないのが普通だと思ってね」
 心配そうな唯兄の先手を打ち、「お先に失礼します」とその場をあとにした。
 カウンター内から視線を感じ、須藤さんのもとへ行く。
「須藤さん、お昼のフルーツサンドもお夕飯もとても美味しかったです。ごちそうさまでした」
「いえ、試験期間は毎日こちらにお邪魔することになっておりますので、食べたいものなどございましたらなんなりと」
 白い制服に身を包み、大きな手をしている須藤さん。その大きな手があの繊細な料理を作り出すというのはなんとも不思議だ。
「……野菜のスープ。あれならたくさん飲めそうです。それからフルーツサンドも普通のサンドイッチも美味しかったです」
 極力自分が食べやすいものを伝える。
「ご飯よりもパンのほうが食べやすいですか?」
 訊かれて即座に「はい」と答えた。
「それでは明日はパンの種類を少し増やしましょう。ホテルブレッドやライ麦パン、ピザがお好きなようでしたら、ピザやカルツォーネも……」
「明日、楽しみにしています」
「かしこまりました。スープは小分けにして冷凍庫に入れてありますのでいつでもお飲みいただけます」
 須藤さんにお礼を述べて部屋へ戻り、ドアを閉めるとほっとした。
 気を遣わなくちゃいけない人たちではないのに、どこか身体に力が入っている自分がいる。そのくせ、頭がいっぱいで周りの音や声が聞こえなくなってしまったり。
 なんだか、自分が自分じゃないみたいだ――
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