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第八章 自己との対峙
19話
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「見てっ、きれいな生地でしょうっ!?」
見せられたのは薄い素材のリネン。
「すごくきれいだけど……」
「これ、翠葉にお土産よ」
「え……?」
「このベッドに天蓋をつけたくて、出張のついでにリネンを片っ端から見ていたのっ」
そこへひょっこりと顔を覗かせた人がいた。きっと、お母さんが「りっちゃん」と呼んでいた人だろう。
私の視線がドアの方を見ていることに気づき、お母さんが振り返ってその人に「おいでおいで」と手招きをした。
「碧さんの愛娘、翠葉ちゃんですね」
にこりと笑うと頬の一番高いところがまぁるく赤くなっていてかわいい人。髪の毛は頭のトップの部分でラフなお団子を作っており、服装もカジュアル。
「本当に碧さんそっくりですね?」
言いながら私とお母さんを見比べた。ちょこちょことベッドの脇にやってきたその人は、
「私、向後律子です。今回のお仕事で碧さんのサポートに就かせてもらっています」
向後さんはにこりと笑った。私が身体を起こそうとすると、
「そのままでいいですよっ」
と、止められる。
「大丈夫なら起きなさい」
お母さんに言われて、私はゆっくりと身体を起こした。
「母がいつもお世話になっています。娘の翠葉です。……母の代理で出張に行っていただいたみたいですみません」
頭を下げると、
「あああああ、ちょっと待って待って待ってっ! あのね、毎回ふたりで行っていたから勝手はわかっていたの。それにひとりで行くのも私の経験には必要なことなので、むしろ感謝ですっ」
機関銃の如く喋りだす向後さんに私はびっくりし、お母さんは吹きだした。
「りっちゃんと私は感性が似ているの。だからひとりでも任せられたのよ」
「ややや、現地には黄さんもいましたし」
黄とはお母さんの弟で私の叔父にあたる人だ。お母さんの実家は家具屋さん。輸入した家具を販売していることもあり、おじいちゃんや叔父さんはしょっちゅう海外を飛びまわっているのだ。
そんな話をしながら三人でお茶を飲んだ。
「格好いいお母さんだよね。憧れちゃう」
向後さんは人懐こい顔でにこりと笑う。その笑顔は表情が麻痺し始めていた私の表情筋を緩める力があって、気づけば私もほんの少し笑うことができた。
「自慢の母です。母のようになれたらいいけど、私はどうでしょう……」
自信なんてこれっぽっちもないし、お母さんのようにバイタリティ溢れる人間にはなれそうにもない。
「翠葉ちゃん、私ね、臓器がひとつないんです」
「……え?」
「人間の身体には腎臓が二個あるでしょう? それがひとつしかないの。色々つらいこともあったけど、今はこんなに元気だし碧さんと一緒に仕事できるほど普通に生活してるよ」
目の前にいる人に腎臓が一個ないなんて、全然そんなふうには思えなくて、でも、過去にはつらい時期を過ごしていたのかもしれないと思うと、こんなふうに未来を切り開くことができる人もいるのだな、と思った。
だからといって、それが自分にも当てはまるとは一ミリほども思えず、呑み込むこともできず、私は薄く笑うに留めた。
お魚の小骨が喉に引っかかっている、そんな感じ……。
そんな私の心境を察したのか、
「今はわからなくていいよ。でもね、いつかわかる日が来ると思う。だから、心のどこかに置いておいて?」
向後さんはそう言って笑った。
そのあとは、お母さんと向後さんが天蓋を取り付けると奮闘し始めた。結局、どうやっても手が届かないことが発覚し、蒼兄が帰ってきてから付けてもらうことになった。
中途半端に取り付けられた天蓋は、ベージュがかった白いリネン。この生地の薄さなら、天蓋を閉めても家具や人が透けて見えるだろう。
なんの飾り気もないというわけではなく、生地の縁には光沢のある糸で刺繍が施されている。お姫様のようなレースではないけれど、ちょっと御伽噺に出てきそうなベッドに見えなくもない。
夕方にはお父さんも帰ってきた。
蒼兄よりも早く帰ってきたこともあり、お父さんが天蓋を取り付けてくれた。
家族が揃うと向後さんを交えての夕飯が始まり、夕飯が終わると向後さんは現場へに戻ると立ち上がった。けれども、お父さんとお母さんは向後さんを見送る側として声をかけている。
「……お父さんとお母さんは?」
不思議にも不安にも思っていたことを訊くと、「え?」とお母さんが私を振り返った。ちょっとした沈黙をお父さんの大きな声がかき消す。
「父さんはさっき帰ってきたばかりだぞー? もう仕事に戻れとか言わないでくれよ」
別に追い返すとか、そういうことではなくて……。
「……娘が具合悪いのに、全部蒼樹に丸投げして仕事なんてしていられるわけないでしょう?」
やっぱり――
「私、大丈夫よ? 痛いのなんて日常茶飯事だし、毎年のことだし……。ほら、今はバングルもついてるし。……ね?」
自分で口にしていてもどこか頼りない。
どうしたらいいのかな……。
「でも、家からでも指示は出せるから、こっちのことは気にしなくていいのよ」
「お母さん、私はお母さんが仕事してるのが好き……。出来上がったものを見に行くのが好き」
そう言うと、お母さんは黙ってしまった。
「碧さん、明日はまだ日曜日です! 翠葉ちゃんも、もう少し考えてみて? 親なら子どもの具合が悪くて放っておける人なんていないんだから。それは自然の摂理です。翠葉ちゃんも受け入れるように!」
向後さんの明るい声がその場を仕切り、玄関を出ていった。
気まずい空気がその場に残る。その空気を一掃したのは唯兄だった。
「リィっ! 痛みがないなら今のうちにお風呂! お湯張ってきてあげるからお風呂の準備してなっ」
そう言って背中を押された。それに乗じた蒼兄が、
「はいはい、そこのふたりは夕飯の片付け。テーブルにあるものキッチンに運んできて。そしたら俺が洗うから。母さんは食後のコーヒーの準備」
唯兄と蒼兄に呆気に取られた私と両親は、なんとなしに顔を見合わせて少し笑った。
おうちだ……。あたたかい家族だ――
見せられたのは薄い素材のリネン。
「すごくきれいだけど……」
「これ、翠葉にお土産よ」
「え……?」
「このベッドに天蓋をつけたくて、出張のついでにリネンを片っ端から見ていたのっ」
そこへひょっこりと顔を覗かせた人がいた。きっと、お母さんが「りっちゃん」と呼んでいた人だろう。
私の視線がドアの方を見ていることに気づき、お母さんが振り返ってその人に「おいでおいで」と手招きをした。
「碧さんの愛娘、翠葉ちゃんですね」
にこりと笑うと頬の一番高いところがまぁるく赤くなっていてかわいい人。髪の毛は頭のトップの部分でラフなお団子を作っており、服装もカジュアル。
「本当に碧さんそっくりですね?」
言いながら私とお母さんを見比べた。ちょこちょことベッドの脇にやってきたその人は、
「私、向後律子です。今回のお仕事で碧さんのサポートに就かせてもらっています」
向後さんはにこりと笑った。私が身体を起こそうとすると、
「そのままでいいですよっ」
と、止められる。
「大丈夫なら起きなさい」
お母さんに言われて、私はゆっくりと身体を起こした。
「母がいつもお世話になっています。娘の翠葉です。……母の代理で出張に行っていただいたみたいですみません」
頭を下げると、
「あああああ、ちょっと待って待って待ってっ! あのね、毎回ふたりで行っていたから勝手はわかっていたの。それにひとりで行くのも私の経験には必要なことなので、むしろ感謝ですっ」
機関銃の如く喋りだす向後さんに私はびっくりし、お母さんは吹きだした。
「りっちゃんと私は感性が似ているの。だからひとりでも任せられたのよ」
「ややや、現地には黄さんもいましたし」
黄とはお母さんの弟で私の叔父にあたる人だ。お母さんの実家は家具屋さん。輸入した家具を販売していることもあり、おじいちゃんや叔父さんはしょっちゅう海外を飛びまわっているのだ。
そんな話をしながら三人でお茶を飲んだ。
「格好いいお母さんだよね。憧れちゃう」
向後さんは人懐こい顔でにこりと笑う。その笑顔は表情が麻痺し始めていた私の表情筋を緩める力があって、気づけば私もほんの少し笑うことができた。
「自慢の母です。母のようになれたらいいけど、私はどうでしょう……」
自信なんてこれっぽっちもないし、お母さんのようにバイタリティ溢れる人間にはなれそうにもない。
「翠葉ちゃん、私ね、臓器がひとつないんです」
「……え?」
「人間の身体には腎臓が二個あるでしょう? それがひとつしかないの。色々つらいこともあったけど、今はこんなに元気だし碧さんと一緒に仕事できるほど普通に生活してるよ」
目の前にいる人に腎臓が一個ないなんて、全然そんなふうには思えなくて、でも、過去にはつらい時期を過ごしていたのかもしれないと思うと、こんなふうに未来を切り開くことができる人もいるのだな、と思った。
だからといって、それが自分にも当てはまるとは一ミリほども思えず、呑み込むこともできず、私は薄く笑うに留めた。
お魚の小骨が喉に引っかかっている、そんな感じ……。
そんな私の心境を察したのか、
「今はわからなくていいよ。でもね、いつかわかる日が来ると思う。だから、心のどこかに置いておいて?」
向後さんはそう言って笑った。
そのあとは、お母さんと向後さんが天蓋を取り付けると奮闘し始めた。結局、どうやっても手が届かないことが発覚し、蒼兄が帰ってきてから付けてもらうことになった。
中途半端に取り付けられた天蓋は、ベージュがかった白いリネン。この生地の薄さなら、天蓋を閉めても家具や人が透けて見えるだろう。
なんの飾り気もないというわけではなく、生地の縁には光沢のある糸で刺繍が施されている。お姫様のようなレースではないけれど、ちょっと御伽噺に出てきそうなベッドに見えなくもない。
夕方にはお父さんも帰ってきた。
蒼兄よりも早く帰ってきたこともあり、お父さんが天蓋を取り付けてくれた。
家族が揃うと向後さんを交えての夕飯が始まり、夕飯が終わると向後さんは現場へに戻ると立ち上がった。けれども、お父さんとお母さんは向後さんを見送る側として声をかけている。
「……お父さんとお母さんは?」
不思議にも不安にも思っていたことを訊くと、「え?」とお母さんが私を振り返った。ちょっとした沈黙をお父さんの大きな声がかき消す。
「父さんはさっき帰ってきたばかりだぞー? もう仕事に戻れとか言わないでくれよ」
別に追い返すとか、そういうことではなくて……。
「……娘が具合悪いのに、全部蒼樹に丸投げして仕事なんてしていられるわけないでしょう?」
やっぱり――
「私、大丈夫よ? 痛いのなんて日常茶飯事だし、毎年のことだし……。ほら、今はバングルもついてるし。……ね?」
自分で口にしていてもどこか頼りない。
どうしたらいいのかな……。
「でも、家からでも指示は出せるから、こっちのことは気にしなくていいのよ」
「お母さん、私はお母さんが仕事してるのが好き……。出来上がったものを見に行くのが好き」
そう言うと、お母さんは黙ってしまった。
「碧さん、明日はまだ日曜日です! 翠葉ちゃんも、もう少し考えてみて? 親なら子どもの具合が悪くて放っておける人なんていないんだから。それは自然の摂理です。翠葉ちゃんも受け入れるように!」
向後さんの明るい声がその場を仕切り、玄関を出ていった。
気まずい空気がその場に残る。その空気を一掃したのは唯兄だった。
「リィっ! 痛みがないなら今のうちにお風呂! お湯張ってきてあげるからお風呂の準備してなっ」
そう言って背中を押された。それに乗じた蒼兄が、
「はいはい、そこのふたりは夕飯の片付け。テーブルにあるものキッチンに運んできて。そしたら俺が洗うから。母さんは食後のコーヒーの準備」
唯兄と蒼兄に呆気に取られた私と両親は、なんとなしに顔を見合わせて少し笑った。
おうちだ……。あたたかい家族だ――
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