光のもとで1

葉野りるは

文字の大きさ
676 / 1,060
Side View Story 12

12~13 Side 秋斗 01話

しおりを挟む
 時計に目をやり、そろそろだ、と思う。
 ドアに視線を移すと、ちょうどインターホンが鳴った。
 タイピングをやめ「はい」と答えると、彼女ではない声が聞こえてきた。
『姫の休憩時間です』
 滑舌よく聞き取りやすい言葉を発するのは放送委員の男子だろうか。
 ドアを開けると、相変わらず申し訳なさそうな顔をした彼女が立っていた。
 俺はそんな彼女の背を押し、やんわりと中へ促す。
 カウンター内にいた生徒たちにあたたかな言葉をかけられても、彼女の目尻は下がったまま。
 特別扱いが嫌いな彼女は、この休憩時間には納得がいっていないのだろう。
 けど、自分の体調を考えたらこうするしかない。そんな境地。
 すでに羽毛布団が用意してあるソファに目をやると、
「いつもすみません……」
 謝る必要なんてどこにもない。むしろ、俺は嬉しいくらいなのに。
「なかなか会えないからね。俺はこんな時間でもすごく嬉しいよ」
 素直に気持ちを伝えてみるものの、返ってくる言葉といえば、
「お仕事の邪魔になりませんか?」
「邪魔というなら俺のほうじゃないかな。タイピングの音、結構うるさいでしょう?」
 苦笑して答えた俺に、彼女は柔からな笑みを向けた。
「いえ……どちらかというと、蒼兄も唯兄も同じキーボードを使うから、自宅と錯覚して安心してしまうみたいです」
「なら良かった。今日も四十五分でいいのかな?」
 なんて平然と答えてみたけれど少し悔しい。
 あの笑顔は俺が引き出したものではなく、蒼樹と若槻を頭に思い浮かべて自然とできた笑顔。
 笑顔の起因は俺じゃない。
「はい。あっ、でも、携帯でアラーム鳴らすので大丈夫です」
「起こす手伝いくらいさせて?」
 彼女が苦手とする笑顔を向けると、予想どおりに顔を赤らめ、少し困った顔になる。
 俺自身に困っているのか、この笑顔だけに困っているのか、それともこの会話自体に困っているのか――全部だったりするのかな。
 彼女はソファに腰掛け、そのまま横になる。
 ここからは小さな頭のてっぺんと、長い髪しか見えなくなった。
 今、この部屋にはパソコンが唸る音と適当に仕事をしている俺の手元から聞こえるタイピング音のみ。
 本当は、彼女がこの部屋にいるこの時間はすべての仕事を放棄してしまいたいくらいだ。
 けど、そうすると彼女が気にするから……。
 だから、根詰めなくちゃいけないようなものではなく、さらっと適当にできる仕事だけに手をつける。
 なるべくパソコンを使わなくていいもの。たとえば、書類に目を通すだとか、サインを書くとか。
 そうして、彼女の寝息が聞こえてくるのを待つんだ。
 彼女の寝息はとても小さいけれど、その音を聞くだけで幸せな気持ちになれる。
 寝息が聞こえてこないときはたいてい眠れていない。
 そんなときには彼女が好きそうな音楽を小さなボリュームでかけることにしていた。
 先日、「眠くないから休憩はいらない」と休憩を取ることを拒んだ彼女は、湊ちゃんに「横になるだけでも十分身体は休まるのよ」と言われ、司には「目を瞑るだけでも視神経が休まる」と追い討ちをかけられた。
 彼女は唇をきゅ、と引き結び、自分の気持ちを呑みこんだ。
 その場にはほかの生徒もいて、長時間の休憩を取ることが彼女の本意ではなく、本当はみんなと作業をしていたいのだと知るのには十分だった。
 誰からともなく、「姫休んでおいでよ」「休んだ分がんばってもらうからね」――そんな言葉がところどころからかけられたものの、彼女はそれらに一言も答えず、振り向きもせず、目に涙を溜めたままこの部屋に入った。
 彼女にしてみたら「悔しい」の一言なのだろう。もしくは、「情けない」か「どうして自分だけが……」かな。
 彼女がみんなと同じように行動できたらどんな顔をして笑うのだろうか。
 今、どれほど悔しい思いをして心の中ではどんな思いが渦巻いているのだろうか。
 色々考えてみるものの、俺はここで休憩してくれる現状に救われている。
 この時間がなければ、俺は彼女と顔を合わせる機会が作れず、精神的に病んでいたかもしれない。

 寝息はなかなか聞こえてこなかった。だから、そっとインストを流した。
 彼女の健康を願う反面、俺はこの子だからいいのか、と思わなくもない。
 病弱な子が好きというわけではないけれど、翠葉ちゃんがそういう子でなければ、俺は彼女に出逢うことはなかった。
 この学校へ来ることもなく、彼女は違う人生を歩んでいたのかもしれない。
 そして、俺も未だに不特定多数の女と関係を持ち続け、何を思うこともなく、感じることもなく、なんの障害もない道を淡々と歩いていたのだろう。
 起業なんて考えもしなかっただろうな。
 自分の人生はそういうものだと思っていた。
 君に出逢って俺の価値観や考え方が覆されたんだ。
 もう二十歳を過ぎていて、人格形成が出来上がっている人間を変える影響力を君は持っているんだよ。
 それって何気にすごいことだと思うんだけど、君はどう思う?
「四十五分なんてすぐだな……」
 俺は四十四分になると席を立ち、ソファの脇へと移動する。
 そして、携帯のアラームが鳴る寸前にそれを止め、彼女に声をかけた。
「時間だよ」
 軽く頭に手を添えて言えば、
「あ、はい……」
 少し間のある返事をしてゆっくりと身体を起こす。俺はその背に手を添えた。
 こうやって君に触れられることが今の俺の幸せだと言ったら、君は笑うだろうか。
 いや、君は笑わずに顔を赤らめるんだろうな。
 笑うとすれば、俺の素行を見てきた人間たちか。
「少しは休めた?」
「はい。お茶、淹れますね。リクエストはありますか?」
「リフレッシュしたいから、モーニングティーがいいな」
「……秋斗さん、ラベンダーティーがお好きですよね?」
「…………」
「私に合わせなくても大丈夫ですよ」
 彼女はクスリと笑った。でもね――
「ラベンダーティーは好きだよ。けど、ちょっと頭を切り替えて仕事をしなくちゃいけないからミントベースのお茶のほうが都合がいいんだ」
「あ、それでしたらモーニングティーを淹れますね」
 お湯はものの数分で沸くし、お茶を淹れるのにも時間はかからない。
 五分もせずにすべての工程を終える。
「はい、どうぞ」
 ダイニングテーブルに置かれたカップから、彼女の手が離れる前にカップに手を伸ばす。
 少しでも彼女に触れたくて。
「ありがとう。ここに仕事場を作って良かった」
 その言葉に彼女は少し困った顔をする。
 俺の気持ちはちゃんと届いているんだな、と思うのと同時に、胸が締め付けられる思いでもあり――

 お茶を淹れたあと、なかなか席に着かない彼女を見ると、彼女は部屋の掛け時計を気にしていた。
 これもいつものこと。
「あと十分。まだ大丈夫だよ。……ここに居づらい?」
「いえ、そういうことではなくて……」
 ありがとう……その言葉で十分。
 本当は君が何を気にしているのかなんてわかっているんだ。
「自分だけ休憩時間が長くて気が引ける?」
 スツールに腰掛けた彼女は両手でカップを包み、それを見つめたまま口を開いた。
「……はい。もし、自分ではない人が生徒会に入っていれば、こんな対応をする必要はなかったんじゃないかな、と思うから……」
 どうしたら君に自信を持たせられるのか。どうしたら君が少しでも胸を張れるようになるのか。
 わからないわけじゃないけど、その手助けができる位置に俺はいない。
「じゃぁさ、休んだ分がんばればいいんだよ」
 彼女はがんばるということの上限を知らない。がんばらないことの下限を知らない。
 そんな彼女に俺が教えてあげられること。
「司が校内の見回りに出てるって聞いた」
「あ、はい」
 表情はまだ曇ったまま。
「今までならそんなことはしなかったはずだよ」
 その言葉に彼女の表情が変わる。
「つまり、背中を預けられる人間がここにいるってことじゃないかな?」
「背中、ですか……?」
 彼女は不思議そうな顔をして首を傾げた。
 さらりと動く髪には、司からもらったというとんぼ玉が見え隠れ。
 でも、安心して……。もう取り上げたりなんてしないから。
「そう、自分が全部やらなくても任せられる人間がいるからほかのことができる。……きっと、そういうことだよ」
 にこりと笑うと彼女の瞳が揺れた。
「だから、翠葉ちゃんはそんなに不安がらなくて大丈夫」
 大切そうにカップを包む白い手を、自分の手で包み覆った。
「翠葉ちゃんはちゃんと必要とされてるんだよ」
 ここにも君を必要としている人間がいる。そのことに気づいてほしい――
 手に力をこめようとしたら、俺の手の内側で彼女の手が縮こまった。
 縮こまった、というのは俺からしてみたら、で彼女は自分の手に力を入れただけだろう。
 その意味は――?
「あ」
 掛け時計の長針が十二を跨ぎ、新たなる時間を刻み出す。
 六時、タイムオーバーか――
「時間だね。行っておいで」
 俺は久しぶりに触れた彼女の手を放した。
「カップはそのままでいいよ」
 君がここにいたという痕跡を残しておきたいから。
「……はい。お邪魔しました。あと、ご馳走様でした。……それから、ありがとうございます」
 瞳を揺らしながらも目を合わせてお礼を口にする彼女が愛しい。
「そんな恐縮しないで?」
 彼女は浅くお辞儀をして部屋を出ていった。
「そんなにたくさんのことをしてあげられているわけでもないのにね……」
 ドアから視線をダイニングテーブルに移し、まだ湯気の上がるカップを見ては、そこに彼女の残像を求めた。
しおりを挟む
感想 24

あなたにおすすめの小説

光のもとで2

葉野りるは
青春
一年の療養を経て高校へ入学した翠葉は「高校一年」という濃厚な時間を過ごし、 新たな気持ちで新学期を迎える。 好きな人と両思いにはなれたけれど、だからといって順風満帆にいくわけではないみたい。 少し環境が変わっただけで会う機会は減ってしまったし、気持ちがすれ違うことも多々。 それでも、同じ時間を過ごし共に歩めることに感謝を……。 この世界には当たり前のことなどひとつもなく、あるのは光のような奇跡だけだから。 何か問題が起きたとしても、一つひとつ乗り越えて行きたい―― (10万文字を一冊として、文庫本10冊ほどの長さです)

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。

沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。 すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。 だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。 イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。 変わり果てた現実を前に、 夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。 深い後悔と悲しみに苛まれながら、 失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。 しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。 贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。 そして、母の心を知っていく子供たち。 イネスが求める愛とは、 そして、幸せとは――。

【完結】イケメンが邪魔して本命に告白できません

竹柏凪紗
青春
高校の入学式、芸能コースに通うアイドルでイケメンの如月風磨が普通科で目立たない最上碧衣の教室にやってきた。女子たちがキャーキャー騒ぐなか、風磨は碧衣の肩を抱き寄せ「お前、今日から俺の女な」と宣言する。その真意とウソつきたちによって複雑になっていく2人の結末とは──

幼馴染が家出したので、僕と同居生活することになったのだが。

四乃森ゆいな
青春
とある事情で一人暮らしをしている僕──和泉湊はある日、幼馴染でクラスメイト、更には『女神様』と崇められている美少女、真城美桜を拾うことに……? どうやら何か事情があるらしく、頑なに喋ろうとしない美桜。普段は無愛想で、人との距離感が異常に遠い彼女だが、何故か僕にだけは世話焼きになり……挙句には、 「私と同棲してください!」 「要求が増えてますよ!」 意味のわからない同棲宣言をされてしまう。 とりあえず同居するという形で、居候することになった美桜は、家事から僕の宿題を見たりと、高校生らしい生活をしていくこととなる。 中学生の頃から疎遠気味だったために、空いていた互いの時間が徐々に埋まっていき、お互いに知らない自分を曝け出していく中──女神様は何でもない『日常』を、僕の隣で歩んでいく。 無愛想だけど僕にだけ本性をみせる女神様 × ワケあり陰キャぼっちの幼馴染が送る、半同棲な同居生活ラブコメ。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

学園のアイドルに、俺の部屋のギャル地縛霊がちょっかいを出すから話がややこしくなる。

たかなしポン太
青春
【第1回ノベルピアWEB小説コンテスト中間選考通過作品】 『み、見えるの?』 「見えるかと言われると……ギリ見えない……」 『ふぇっ? ちょっ、ちょっと! どこ見てんのよ!』  ◆◆◆  仏教系学園の高校に通う霊能者、尚也。  劣悪な環境での寮生活を1年間終えたあと、2年生から念願のアパート暮らしを始めることになった。  ところが入居予定のアパートの部屋に行ってみると……そこにはセーラー服を着たギャル地縛霊、りんが住み着いていた。  後悔の念が強すぎて、この世に魂が残ってしまったりん。  尚也はそんなりんを無事に成仏させるため、りんと共同生活をすることを決意する。    また新学期の学校では、尚也は学園のアイドルこと花宮琴葉と同じクラスで席も近くなった。  尚也は1年生の時、たまたま琴葉が困っていた時に助けてあげたことがあるのだが……    霊能者の尚也、ギャル地縛霊のりん、学園のアイドル琴葉。  3人とその仲間たちが繰り広げる、ちょっと不思議な日常。  愉快で甘くて、ちょっと切ない、ライトファンタジーなラブコメディー! ※本作品はフィクションであり、実在の人物や団体、製品とは一切関係ありません。

処理中です...