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最終章 恋のあとさき
17話
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ふたり揃って黙々と紙を破いていた。
傍から見たらかなり異様な光景だったと思う。誰にも見られていないことだけが幸い。
ふたりは紙を破いているわけだけど、破き方は大きく異なる。
果歩さんが一気に数枚ビリッ――バリバリ、と破くのに対し、私は薄っぺらいページを一枚ずつペリペリと破く。
自分にしか聞こえないくらいの音を立て、ペリペリと。チリチリジリジリ――指先に破く衝撃が感じられ、それと共に音が鳴る。
写真を黒く塗りつぶすだけでは足りなくて、何かを壊したくて、その衝動を抑えられずに取った行動だった。
極力痛みに障らない方法で、なおかつ実感できる方法がこれしか思い浮かばなかったのだ。
なんとも稚拙な……。
あのときの自分を振り返りつつ、今目の前にいる果歩さんについて考える。
楓先生は、果歩さんが赤ちゃんを産むかどうするか悩んでいると言っていたけれど、果歩さんの中で答えは出ているのだ。「産む」と。
だから、言いつけを守ってベッドの上で安静にしているのだろうし、ストレスを感じていてもこの部屋から出て行こうとはしない。
「産科の先生の許可が出ないから退院できない」という現況に反発はする。でも、結果的には受け入れている。
それなら、どうしてこんなにも不機嫌なのか……。
「果歩さん……どうして果歩さんは不機嫌なんですか?」
疑問を口にすると、
「ザックリストレートにきたねぃ」
……やっぱり、どこか唯兄と似た返しがくる。
私たちは手元の作業は止めずに話す。会話の間にベリ、ビリ、バリ、など様々な音を織り交ぜて。
「そりゃ、色んなことに不満や不安があるからだよ」
「でも、もう産むと決めているのでしょう?」
果歩さんはびっくりした顔を見せ、豪快に破いていた手の動作も止まる。
「私、まだ何も言ってないよ?」
まじまじと見られたので、私もまじまじと見返す。
私は手作業は止めず、相変わらずペリペリ、と小さな音を立てて話を続けた。
「言ってないけど……でも、この部屋にいるから。いつもベッドの上にいるから」
「っ……」
「それはつまり、お腹の子が大切だから、ですよね? 守るためにここにいるんですよね?」
「……でもそれは、今は――かもしれないよ?」
「……私、動物を飼ったことがないからわからないんですけど……」
視線が宙を彷徨いそうになって、急いで手元に落とす。
ペリペリペリリ――
「一度守ろうと思った命を、途中で捨てられるもの、ですか?」
自分が発した言葉で部屋の酸素濃度が一気に薄まった気がした。
果歩さんが息を止めこちらを見ているのがわかる。視線と酸素に、私も息苦しさを覚えた。さすがに手も止まる。
私は急に焦り始める。焦ったら、紙を持っていた手に力が入ってくしゃり、と違う音が鳴った。
違う音が紛れ込んだことに、さらに動揺する。
「すみませんっ……あの、ごめんなさい。産むか産まないかは果歩さんの人生に大きく関わることで、あの、私が何を言える立場でもないのに――自分勝手な考え、というか、余計なことを言ってしまって、本当にごめんなさい」
ソファに座ったまま土下座の体勢。質量の軽いビニール袋が小さな音を立てて絨毯に落ちた。
ビニール袋から零れた紙吹雪を見ながら思う。
これは第三者が口にしてはいけない言葉だったのではないか、と。
一秒ごとに拍車がかかる。罪悪感が増していく。
私、どうして果歩さんにはこんなことを言ってばかりなのかな……。初めて会った日から、浅はかなことばかりを訊いている気がする。
すると、ポンポン、と頭を叩かれた。
「ゆっくりね。ゆっくり身体起こして?」
かけられた声は優しかった。
言われたとおり、少しずつ上体を戻す。と、果歩さんは前傾姿勢だった身体をぐん、と伸ばす。
クッション代わりの枕に背を預け、こっちを見て苦笑した。
「翠葉ちゃんには敵わんなぁ……」
果歩さんは美人さんだけど口調はざっくばらんで、去年入院していたときに私を担当してくれた看護師さん、水島さんを彷彿とさせる。
「ねぇ、黙っててあげるから白状しない?」
「……何を、ですか?」
「翠葉ちゃんって実は楓さんに送り込まれた伏兵でしょう?」
言われて驚く。
「そんなっ……私が兵力の足しになるとは思えませんっ。……でも、伏兵って……? あれ? 果歩さん、楓先生と戦争しているんですか?」
毎日のように口喧嘩しているとは聞いていたけれど……。
果歩さんは急に笑いだす。
「あははっ、ははははっ」
何がおかしかったのかはわからないけれど、果歩さんがこんなに大声で笑うところを見たのは初めてだった。
果歩さんはよく笑う。よく怒るけど、同じくらいよく笑う。
私がどれほど浅慮な言葉を口にしてしても、果歩さんはいつだって笑顔で流してくれる。そのときに応じた笑顔で、その場の雰囲気をカラッと変えてくれる。
そんなところも唯兄と似ていると思った。
笑いがおさまると、グビグビッとリンゴジュースを飲み干し、
「おかわりもらっていい?」
「はい」
ソファを立ち上がろうとしたら、手を掴まれた。
「翠葉ちゃんのグラスも空けちゃおうか? で、一緒におかわりしよう」
私のグラスにはまだ半分近くジュースが残っている。一気飲みはちょっときついな、と思いながらもがんばって飲み干した。
おかわりを注いでくると、果歩さんが話しだす。
「翠葉ちゃんの言うとおり。たぶん、私はこの子を堕ろすなんてできない。今ここにいるのも、結局はこの子を守るためだと思う。意識してたわけじゃないんだけど、翠葉ちゃんに言葉にされたら、そっか、って思った。そのとおりだな、って」
実際に、抜け出そうとしたことはあるらしい。けれど、そこに果歩さんのお母さんがいらしたのだとか……。
「うちの母、ここのオペ看なの。あぁ、オペ看って、つまりは手術室専任の看護師なんだけど……。その母がね、看護部長の手を煩わせるな、って言うのよ。私の担当看護師さんって、どうやら母の上司らしくて……」
「はぁ……」
「楓さんと付き合ってるのってさ、公になっていいこと何もないじゃない? 母だって職場でやな思いするかもしれないし。今のところ、看護部長しか知らないみたいだけど」
「……公になっていいことが何もないっていうのは、悪いことがある、ということですか?」
訊くと、「悪いことしかないでしょ」と言われた。
「あの……たとえばどんなことですか……? あ……って訊いてもいいですか?」
「翠葉ちゃん。ソレ、すでに訊いてるって言うんだよ?」
「ごめんなさいっ」
「いいいい。別に気にしてないから。つまりさ、見目麗しく? 頭脳明晰? お家柄もご立派で? そんな人が目ぇ惹かないわけないじゃない? その隣に分不相応な女が並べばいいようには見られないって話」
わかりたくない……。でも、わかってしまう。
「分不相応」という言葉の意味が。
秋斗さんの申し込みを断わった最初の理由がそれだったから。痛いほどに、わかってしまう。
「翠葉ちゃん……?」
「…………」
「そーんなつらそうな顔しなくていいよ? うち、母子家庭だからそういう目で見られるの多少免疫あるし」
言われて思う。私、つらそうな顔しているんだ、と。
頬に手を添えてみたけど、どんな顔をしているのか自分ではわからなかった。
「おーいっ! 聞こえてますかぁっ!?」
正面よりちょっと上から声をかけられ、私は答える。いつもよりも早口で、いつもより饒舌に。
「あ、聞こえています。あのですね、私の周りも何分藤宮だらけなので、その気持ちは少しだけわかるような気がしなくもなくて、だからきっとこんな顔で――」
慣れないことはするものではない。言葉に詰まって後悔する。
なんか、果歩さんの前ではこんなことばかり。
――違う。
果歩さんの前でだけ、こうなんだ。
今は学校でも家でも、自分が自分ではないような振る舞いをしているから。
ただ、なんとなく笑って、なんとなく言葉を交わして、なんとなく勉強をして、なんとなく過ごして――
ここに来ると、そういうのが全部剥がれて素の自分になる。だから、だからこんな――
「なーんで止まっちゃうかね? そのまま全部吐き出しちゃえばいいのに」
「え……?」
「ここに来るのは三回目。前回も今みたいにわーって話しだして止まっちゃったでしょ? で、その先は言わない。私みたいに全部言っちゃえばいいのに。言うだけならタダだよ? 楓さんは、翠葉ちゃんが何か内に抱えてるものがあって、それを吐き出させたいがためにここに連れて来たんでしょ? 翠葉ちゃんはちゃんと役目を果たしているのに、私は役目を果たせてないんですけど?」
ちょっと、ツンとした感じの話し方。
でも、初対面のときのようなものではなく、「ツン」の中に優しさが感じられた。
優しくされると困るから、優しい人の側には近づかないようにしていたのに。
なかなかうまくいかない。
私の周りにいる人は、いつだってみんな優しい人たちだった。付き合えば付き合うほどにそれがわかるから、時々距離が欲しくなる。
自分が甘えないように、甘えすぎないように、自分ひとりで立てなくならないように。
……あぁ、そうか。私、またひとりよがりになっているのね……。
傍から見たらかなり異様な光景だったと思う。誰にも見られていないことだけが幸い。
ふたりは紙を破いているわけだけど、破き方は大きく異なる。
果歩さんが一気に数枚ビリッ――バリバリ、と破くのに対し、私は薄っぺらいページを一枚ずつペリペリと破く。
自分にしか聞こえないくらいの音を立て、ペリペリと。チリチリジリジリ――指先に破く衝撃が感じられ、それと共に音が鳴る。
写真を黒く塗りつぶすだけでは足りなくて、何かを壊したくて、その衝動を抑えられずに取った行動だった。
極力痛みに障らない方法で、なおかつ実感できる方法がこれしか思い浮かばなかったのだ。
なんとも稚拙な……。
あのときの自分を振り返りつつ、今目の前にいる果歩さんについて考える。
楓先生は、果歩さんが赤ちゃんを産むかどうするか悩んでいると言っていたけれど、果歩さんの中で答えは出ているのだ。「産む」と。
だから、言いつけを守ってベッドの上で安静にしているのだろうし、ストレスを感じていてもこの部屋から出て行こうとはしない。
「産科の先生の許可が出ないから退院できない」という現況に反発はする。でも、結果的には受け入れている。
それなら、どうしてこんなにも不機嫌なのか……。
「果歩さん……どうして果歩さんは不機嫌なんですか?」
疑問を口にすると、
「ザックリストレートにきたねぃ」
……やっぱり、どこか唯兄と似た返しがくる。
私たちは手元の作業は止めずに話す。会話の間にベリ、ビリ、バリ、など様々な音を織り交ぜて。
「そりゃ、色んなことに不満や不安があるからだよ」
「でも、もう産むと決めているのでしょう?」
果歩さんはびっくりした顔を見せ、豪快に破いていた手の動作も止まる。
「私、まだ何も言ってないよ?」
まじまじと見られたので、私もまじまじと見返す。
私は手作業は止めず、相変わらずペリペリ、と小さな音を立てて話を続けた。
「言ってないけど……でも、この部屋にいるから。いつもベッドの上にいるから」
「っ……」
「それはつまり、お腹の子が大切だから、ですよね? 守るためにここにいるんですよね?」
「……でもそれは、今は――かもしれないよ?」
「……私、動物を飼ったことがないからわからないんですけど……」
視線が宙を彷徨いそうになって、急いで手元に落とす。
ペリペリペリリ――
「一度守ろうと思った命を、途中で捨てられるもの、ですか?」
自分が発した言葉で部屋の酸素濃度が一気に薄まった気がした。
果歩さんが息を止めこちらを見ているのがわかる。視線と酸素に、私も息苦しさを覚えた。さすがに手も止まる。
私は急に焦り始める。焦ったら、紙を持っていた手に力が入ってくしゃり、と違う音が鳴った。
違う音が紛れ込んだことに、さらに動揺する。
「すみませんっ……あの、ごめんなさい。産むか産まないかは果歩さんの人生に大きく関わることで、あの、私が何を言える立場でもないのに――自分勝手な考え、というか、余計なことを言ってしまって、本当にごめんなさい」
ソファに座ったまま土下座の体勢。質量の軽いビニール袋が小さな音を立てて絨毯に落ちた。
ビニール袋から零れた紙吹雪を見ながら思う。
これは第三者が口にしてはいけない言葉だったのではないか、と。
一秒ごとに拍車がかかる。罪悪感が増していく。
私、どうして果歩さんにはこんなことを言ってばかりなのかな……。初めて会った日から、浅はかなことばかりを訊いている気がする。
すると、ポンポン、と頭を叩かれた。
「ゆっくりね。ゆっくり身体起こして?」
かけられた声は優しかった。
言われたとおり、少しずつ上体を戻す。と、果歩さんは前傾姿勢だった身体をぐん、と伸ばす。
クッション代わりの枕に背を預け、こっちを見て苦笑した。
「翠葉ちゃんには敵わんなぁ……」
果歩さんは美人さんだけど口調はざっくばらんで、去年入院していたときに私を担当してくれた看護師さん、水島さんを彷彿とさせる。
「ねぇ、黙っててあげるから白状しない?」
「……何を、ですか?」
「翠葉ちゃんって実は楓さんに送り込まれた伏兵でしょう?」
言われて驚く。
「そんなっ……私が兵力の足しになるとは思えませんっ。……でも、伏兵って……? あれ? 果歩さん、楓先生と戦争しているんですか?」
毎日のように口喧嘩しているとは聞いていたけれど……。
果歩さんは急に笑いだす。
「あははっ、ははははっ」
何がおかしかったのかはわからないけれど、果歩さんがこんなに大声で笑うところを見たのは初めてだった。
果歩さんはよく笑う。よく怒るけど、同じくらいよく笑う。
私がどれほど浅慮な言葉を口にしてしても、果歩さんはいつだって笑顔で流してくれる。そのときに応じた笑顔で、その場の雰囲気をカラッと変えてくれる。
そんなところも唯兄と似ていると思った。
笑いがおさまると、グビグビッとリンゴジュースを飲み干し、
「おかわりもらっていい?」
「はい」
ソファを立ち上がろうとしたら、手を掴まれた。
「翠葉ちゃんのグラスも空けちゃおうか? で、一緒におかわりしよう」
私のグラスにはまだ半分近くジュースが残っている。一気飲みはちょっときついな、と思いながらもがんばって飲み干した。
おかわりを注いでくると、果歩さんが話しだす。
「翠葉ちゃんの言うとおり。たぶん、私はこの子を堕ろすなんてできない。今ここにいるのも、結局はこの子を守るためだと思う。意識してたわけじゃないんだけど、翠葉ちゃんに言葉にされたら、そっか、って思った。そのとおりだな、って」
実際に、抜け出そうとしたことはあるらしい。けれど、そこに果歩さんのお母さんがいらしたのだとか……。
「うちの母、ここのオペ看なの。あぁ、オペ看って、つまりは手術室専任の看護師なんだけど……。その母がね、看護部長の手を煩わせるな、って言うのよ。私の担当看護師さんって、どうやら母の上司らしくて……」
「はぁ……」
「楓さんと付き合ってるのってさ、公になっていいこと何もないじゃない? 母だって職場でやな思いするかもしれないし。今のところ、看護部長しか知らないみたいだけど」
「……公になっていいことが何もないっていうのは、悪いことがある、ということですか?」
訊くと、「悪いことしかないでしょ」と言われた。
「あの……たとえばどんなことですか……? あ……って訊いてもいいですか?」
「翠葉ちゃん。ソレ、すでに訊いてるって言うんだよ?」
「ごめんなさいっ」
「いいいい。別に気にしてないから。つまりさ、見目麗しく? 頭脳明晰? お家柄もご立派で? そんな人が目ぇ惹かないわけないじゃない? その隣に分不相応な女が並べばいいようには見られないって話」
わかりたくない……。でも、わかってしまう。
「分不相応」という言葉の意味が。
秋斗さんの申し込みを断わった最初の理由がそれだったから。痛いほどに、わかってしまう。
「翠葉ちゃん……?」
「…………」
「そーんなつらそうな顔しなくていいよ? うち、母子家庭だからそういう目で見られるの多少免疫あるし」
言われて思う。私、つらそうな顔しているんだ、と。
頬に手を添えてみたけど、どんな顔をしているのか自分ではわからなかった。
「おーいっ! 聞こえてますかぁっ!?」
正面よりちょっと上から声をかけられ、私は答える。いつもよりも早口で、いつもより饒舌に。
「あ、聞こえています。あのですね、私の周りも何分藤宮だらけなので、その気持ちは少しだけわかるような気がしなくもなくて、だからきっとこんな顔で――」
慣れないことはするものではない。言葉に詰まって後悔する。
なんか、果歩さんの前ではこんなことばかり。
――違う。
果歩さんの前でだけ、こうなんだ。
今は学校でも家でも、自分が自分ではないような振る舞いをしているから。
ただ、なんとなく笑って、なんとなく言葉を交わして、なんとなく勉強をして、なんとなく過ごして――
ここに来ると、そういうのが全部剥がれて素の自分になる。だから、だからこんな――
「なーんで止まっちゃうかね? そのまま全部吐き出しちゃえばいいのに」
「え……?」
「ここに来るのは三回目。前回も今みたいにわーって話しだして止まっちゃったでしょ? で、その先は言わない。私みたいに全部言っちゃえばいいのに。言うだけならタダだよ? 楓さんは、翠葉ちゃんが何か内に抱えてるものがあって、それを吐き出させたいがためにここに連れて来たんでしょ? 翠葉ちゃんはちゃんと役目を果たしているのに、私は役目を果たせてないんですけど?」
ちょっと、ツンとした感じの話し方。
でも、初対面のときのようなものではなく、「ツン」の中に優しさが感じられた。
優しくされると困るから、優しい人の側には近づかないようにしていたのに。
なかなかうまくいかない。
私の周りにいる人は、いつだってみんな優しい人たちだった。付き合えば付き合うほどにそれがわかるから、時々距離が欲しくなる。
自分が甘えないように、甘えすぎないように、自分ひとりで立てなくならないように。
……あぁ、そうか。私、またひとりよがりになっているのね……。
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