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最終章 恋のあとさき
18話
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人と距離を置くのは一処世術で、使い方を誤るとただの壁になり、ただのひどい人になる。
桃華さんたちが何も訊いてこないのは、私が話さないから。私が何もない素振りを装っているから。
携帯事件からこちら、何も話さずにきた。
ひとつ隠しごとができると、そのあとどうしたらいいのかわからなくなる。
あの日、私は佐野くんを巻き込んだくせに、佐野くんにすら事情を話せなかった。
久先輩は全容を知っているみたいだったけど、学校で会うことはなかったし、自分から会いに行こうと思うこともなかった。
結果、誰ともその話をせずにきた。
何事もなかったかのように振舞う秋斗さんやツカサ、湊先生たちを見て、気持ち悪いと思うほどの違和感を覚えたのに、それが普通ならそれで――と私は……とても私らしくないことをした。
むしろ、その場に流されることは私らしいことだったのだろうか。
そんな私を誰も何も言わないから、これが普通なんだ、と思うことにした。
でも、本当は違った。みんなの優しさだっただけなのに……。
それに甘えて、気づけばあと数日で冬休み――
「オーイ。モドッテコーイ。ソーナンスルゾー」
単調な呼びかけに視線を上げる。
「ほら、吐いちゃいなって」
言われて、言葉ではないものが口に溢れる。
この感じはよくない。ものすごくよくない。
私は左手で口元を押さえ、「待ってて」を伝えるために右の手の平を果歩さんに見せ、ダッと病室を飛び出た。それが精一杯だった。
後ろ手にドアを閉め、静かな廊下に膝をつく。
口から生唾が溢れ出る。どうにもできない分量の生唾が。
手で受け止めるのには無理があった。サラサラとした液体はあっという間に指をすり抜け焦げ茶色の絨毯に吸い込まれていく。
突如、胃がビクビクと痙攣を起こし、食道を伝ってきた熱いもの――嘔吐。
「御園生さんっ!?」
少し離れたところから小枝子さんの声がした。
そのあとバタバタ、と足音が聞こえ、今度は「お嬢様っ!?」と声をかけられた。
騒がないでほしい。病室にいる果歩さんに心配をかけたくない。
自分が病室から走り出てしまった時点でアウトかもしれない。果歩さんがベッドから下りてしまったらどうしよう――
そんなことばかりが頭をよぎる。なのに、胃はまったく別の動きをしている。
胃におさまっていたものすべてを吐き出してしまった。目の前に、お昼に食べたものが消化されることなく広がっていた。
「すみませ……」
「戻せるなら全部戻してすっきりしちゃいなさい」
小枝子さんが背中をさすってくれていた。と、そのとき――小枝子さんのPHSが鳴り出す。
小枝子さんは背を撫でながらPHSに出た。
「はい――大丈夫、とは言いがたいですね。今、私の隣にいます。――果歩さん、ここは病院ですよ。たいていのことには対処できるものです」
会話の内容に、私は視線のみを右にやる。小枝子さんの通話相手って――
「果歩さんはベッドにいらっしゃいますね? ――えぇ、わかっています。御園生さんが心配しているようでしたので……」
小枝子さんがちらりと私を見た。次の瞬間――ドアの向こうから大きな声が聞こえた。
「翠葉ちゃーんっ!? 私、ベッドから下りてないからっ。翠葉ちゃん、待っててって言いたかったんでしょ? 大丈夫だからっ。ちゃんとベッドでお座りして待ってるっ。落ち着いたらまたおいで――って、今日はともかく、かばんやコートは楓さんにでも届けてもらうから。安心してっ」
果歩さんの声が止むと、私の息遣いのみがその場に響いた。
「……だそうですよ?」
小枝子さんはにこりと笑ってPHSを切った。
「そんなに周りを気にしなくて大丈夫」
安心したからか、まだ治まりきらない胃の痙攣が再度強まる。
もう、戻すものなどないのに、それでも胃の痙攣は止まらなかった。
あまりにもつらくて、何を考えることなくその場に横たわる。
気づいたときには、身体にスーツの上着がかけられていた。
「汚れちゃ……」
自分でそれをどうにかできればよかった。けれど、私の手はすでに汚れていて、それを避ける術はない。
「かまいません。今はご自身のことをお考えください」
警備員さんはコンシェルジュの人たちと同じような言葉遣いで接してくれた。
小さな電子音が数回鳴ったと思ったら、
「看護部長藤原です――今、十階に御園生さんがいらしてるのですが、御園生さんの嘔吐が止まりません。――えぇ、果歩さんではなく御園生さんです。ストレッチャーで下に下ろしますので、手の空いてるドクターに……え? あ、お願いできますか? ――ではお待ちしております」
短い電子音が鳴ると、今度はこちらに向かって声が降ってきた。
「今、涼先生がいらしてくださるから、もう少し我慢しましょうね。ただ、場所だけは移動しましょう」
確かに、ずっと果歩さんの病室の前を塞いでいるわけにはいかないだろう。けれども、もう身体を起こせそうにはない。こみ上げる吐き気に対応するのでいっぱいいっぱい。
「隣に運んでもらえるかしら?」
小枝子さんが言うと、警備員さんの手が右肩に触れる。
ゾクリ――吐き気とは違う感覚。――嫌悪感。
「やっ――」
怖いっ。
反射的に身体を縮こめる。
こんなときだって吐き気は止んでくれない。
息が見事に上がっていて、「あぁ、これはコントロールができないかも」と思う。
すると、
「ちゃんと息を吐ききりましょう。吐いて……吸って……吐いて……吸って……」
小枝子さんは優しく肩を叩きながら過呼吸のオーソドックスな対応を始めた。
「大丈夫よ。先生、すぐにいらしてくださるから。手も顔も、あとできれいに拭こうね」
言いながら、吸って吐いて……と繰り返し声をかけてくれた。時折顔に張り付いた髪を払い、背をさすりながら。
あとどのくらいこの苦しいのを繰り返せばいいのか……。
そう思ったとき――涙が滲む向こうにツカサが現れた。
「大丈夫、ではさそうですね」
いつもよりも丁寧な言葉を喋り、クスリと笑う。
まるで険を含まない笑顔。
私は思わず、「助けて」と手を伸ばす。手はしっかりと握られた。
「えぇ、助けますよ。医者ですから」
その言葉を最後に意識を失った。
目を覚ますと見慣れた病室にいた。
暗くても、確認しなくてもわかる。
今夏を過ごした九階の病室。相馬先生の診察で使っている病室。
視界に点滴のパックが目に入った。いつも、私に水分を補給してくれる輸液パック。
胃部不快感は多分に残っている。それでも、さっきよりは楽になっていて、今は痛みのほうが強い。
「失礼します」
え……?
声がツカサなのに、言葉がツカサではない。
目を凝らすと、暗い空間に白衣が浮かび上がる。
「電気、点けますね」
ベッド脇に立ったのは、ツカサと同じ顔をした違う人――涼先生だった。
「お久しぶりです」
かけられた言葉にポカンとしていると、クスクスと笑われる。
「そんなに司と似ていますか?」
私は気恥ずかしくも、コクリと頷いた。
「点滴に吐き気止めを入れたのですが、吐き気は治まりましたか?」
「……戻しそうな吐き気はないです。胃の痙攣も、治まったみたいです」
「それはよかった。では、診察をしましょうか」
「はい」
身体を起こそうとしたら、トン、と優しく肩を押さえられた。
「寝たままで結構ですよ」
涼先生はにこり、と笑う。
困ったことに、私はそれだけで赤面してしまう。
涼先生は何も見なかったように脈を取り診察を始めた。
私は訊かれたことに答え、先生は身体のあちこちに聴診器をあてる。
「こちらに背を向けて、横になれますか?」
言われたとおりにすると、その状態で背中の音を聴いてくれた。触診のあと、
「相馬先生も仰っていましたが、胃の調子がよくありませんね。最近、鎮痛剤の服用回数はどんな具合ですか?」
「……ちゃんと処方指示は守っています」
それはきっと今日まで。明日からは、テスト後に――とずらした生理が始まる。
生理が始まれば鎮痛剤の乱用をすることになる。
ピルを飲み始めたからといって、すぐに痛みが軽減することはなかった。その代わり、生理期間が二週間に及ぶことはなく、一週間できちんと終わるようになった。
涼先生は手元のタブレットを見て、
「分量どおり飲んでいてもこれだけたくさんの薬を服用していますからね、胃も悲鳴をあげることでしょう。――あぁ、以前胃潰瘍になったことがあるようですね。そのときから胃薬は継続処方されていた、と。そうでしたか……」
涼先生はディスプレイから視線を上げ、
「近々、胃カメラをやりませんか?」
私は間をおかずにフルフルと首を横に振る。
「どうやら胃カメラが苦手なようですね」
涼先生はふっと笑った。
「まぁ、この検査を好まれる方は稀でしょう。……ですが、診ておいたほうがいいと思いますよ?」
今、この調子で胃カメラを飲むこともつらければ、検査後の胃の不調に耐えられる気もしない。少し考えただけでも恐ろしい。
「胃カメラなら、夏休み前にも受けています」
私は必死の抵抗を試みる。
「えぇ、データがありますね。……御園生さん、人体は案外と脆いものでして、一晩で胃壁に穴が開いてしまうこともあるんですよ?」
知らないわけではない。でも――
「もうすぐ冬休みですね」
声を発したのは私ではなく涼先生だった。
「血便もないようですし……なるべく消化のいいものを食べるように心がけてください。それと、次に嘔吐した際には消化器科にかかるように。湊にもご家族にも伝えておきます。いいですね?」
それはつまり――今回は見逃してもらえる、ということだろうか。
何歳なのかわからない。それでもツカサや湊先生より明らかに年を重ねているであろう端整な顔立ちを見ていると、涼先生が口を開いた。
「先日は――」
その言葉に身体が硬直する。しかし、続く言葉は予想していたものとは違った。
「自宅までお越しいただいたようで、妻がとても喜んでいました」
優しげな笑みを向けられたけれど、私はまだ緊張の中にいて、何を返すこともできずにいた。
「もしよろしければまた遊びにいらしてください。ハナも喜びます」
「……はい」
「御園生さん――あまり『藤宮』に振り回されすぎないように」
「っ……」
「私が言うのもおかしな話ですが……。点滴はあと一時間ほどです。ご自宅には私から連絡を入れましたので、そのころにはご家族がお迎えにいらっしゃるでしょう」
お礼を言わなくてはいけないのに、私はそのまま涼先生の背を見送ってしまった。
桃華さんたちが何も訊いてこないのは、私が話さないから。私が何もない素振りを装っているから。
携帯事件からこちら、何も話さずにきた。
ひとつ隠しごとができると、そのあとどうしたらいいのかわからなくなる。
あの日、私は佐野くんを巻き込んだくせに、佐野くんにすら事情を話せなかった。
久先輩は全容を知っているみたいだったけど、学校で会うことはなかったし、自分から会いに行こうと思うこともなかった。
結果、誰ともその話をせずにきた。
何事もなかったかのように振舞う秋斗さんやツカサ、湊先生たちを見て、気持ち悪いと思うほどの違和感を覚えたのに、それが普通ならそれで――と私は……とても私らしくないことをした。
むしろ、その場に流されることは私らしいことだったのだろうか。
そんな私を誰も何も言わないから、これが普通なんだ、と思うことにした。
でも、本当は違った。みんなの優しさだっただけなのに……。
それに甘えて、気づけばあと数日で冬休み――
「オーイ。モドッテコーイ。ソーナンスルゾー」
単調な呼びかけに視線を上げる。
「ほら、吐いちゃいなって」
言われて、言葉ではないものが口に溢れる。
この感じはよくない。ものすごくよくない。
私は左手で口元を押さえ、「待ってて」を伝えるために右の手の平を果歩さんに見せ、ダッと病室を飛び出た。それが精一杯だった。
後ろ手にドアを閉め、静かな廊下に膝をつく。
口から生唾が溢れ出る。どうにもできない分量の生唾が。
手で受け止めるのには無理があった。サラサラとした液体はあっという間に指をすり抜け焦げ茶色の絨毯に吸い込まれていく。
突如、胃がビクビクと痙攣を起こし、食道を伝ってきた熱いもの――嘔吐。
「御園生さんっ!?」
少し離れたところから小枝子さんの声がした。
そのあとバタバタ、と足音が聞こえ、今度は「お嬢様っ!?」と声をかけられた。
騒がないでほしい。病室にいる果歩さんに心配をかけたくない。
自分が病室から走り出てしまった時点でアウトかもしれない。果歩さんがベッドから下りてしまったらどうしよう――
そんなことばかりが頭をよぎる。なのに、胃はまったく別の動きをしている。
胃におさまっていたものすべてを吐き出してしまった。目の前に、お昼に食べたものが消化されることなく広がっていた。
「すみませ……」
「戻せるなら全部戻してすっきりしちゃいなさい」
小枝子さんが背中をさすってくれていた。と、そのとき――小枝子さんのPHSが鳴り出す。
小枝子さんは背を撫でながらPHSに出た。
「はい――大丈夫、とは言いがたいですね。今、私の隣にいます。――果歩さん、ここは病院ですよ。たいていのことには対処できるものです」
会話の内容に、私は視線のみを右にやる。小枝子さんの通話相手って――
「果歩さんはベッドにいらっしゃいますね? ――えぇ、わかっています。御園生さんが心配しているようでしたので……」
小枝子さんがちらりと私を見た。次の瞬間――ドアの向こうから大きな声が聞こえた。
「翠葉ちゃーんっ!? 私、ベッドから下りてないからっ。翠葉ちゃん、待っててって言いたかったんでしょ? 大丈夫だからっ。ちゃんとベッドでお座りして待ってるっ。落ち着いたらまたおいで――って、今日はともかく、かばんやコートは楓さんにでも届けてもらうから。安心してっ」
果歩さんの声が止むと、私の息遣いのみがその場に響いた。
「……だそうですよ?」
小枝子さんはにこりと笑ってPHSを切った。
「そんなに周りを気にしなくて大丈夫」
安心したからか、まだ治まりきらない胃の痙攣が再度強まる。
もう、戻すものなどないのに、それでも胃の痙攣は止まらなかった。
あまりにもつらくて、何を考えることなくその場に横たわる。
気づいたときには、身体にスーツの上着がかけられていた。
「汚れちゃ……」
自分でそれをどうにかできればよかった。けれど、私の手はすでに汚れていて、それを避ける術はない。
「かまいません。今はご自身のことをお考えください」
警備員さんはコンシェルジュの人たちと同じような言葉遣いで接してくれた。
小さな電子音が数回鳴ったと思ったら、
「看護部長藤原です――今、十階に御園生さんがいらしてるのですが、御園生さんの嘔吐が止まりません。――えぇ、果歩さんではなく御園生さんです。ストレッチャーで下に下ろしますので、手の空いてるドクターに……え? あ、お願いできますか? ――ではお待ちしております」
短い電子音が鳴ると、今度はこちらに向かって声が降ってきた。
「今、涼先生がいらしてくださるから、もう少し我慢しましょうね。ただ、場所だけは移動しましょう」
確かに、ずっと果歩さんの病室の前を塞いでいるわけにはいかないだろう。けれども、もう身体を起こせそうにはない。こみ上げる吐き気に対応するのでいっぱいいっぱい。
「隣に運んでもらえるかしら?」
小枝子さんが言うと、警備員さんの手が右肩に触れる。
ゾクリ――吐き気とは違う感覚。――嫌悪感。
「やっ――」
怖いっ。
反射的に身体を縮こめる。
こんなときだって吐き気は止んでくれない。
息が見事に上がっていて、「あぁ、これはコントロールができないかも」と思う。
すると、
「ちゃんと息を吐ききりましょう。吐いて……吸って……吐いて……吸って……」
小枝子さんは優しく肩を叩きながら過呼吸のオーソドックスな対応を始めた。
「大丈夫よ。先生、すぐにいらしてくださるから。手も顔も、あとできれいに拭こうね」
言いながら、吸って吐いて……と繰り返し声をかけてくれた。時折顔に張り付いた髪を払い、背をさすりながら。
あとどのくらいこの苦しいのを繰り返せばいいのか……。
そう思ったとき――涙が滲む向こうにツカサが現れた。
「大丈夫、ではさそうですね」
いつもよりも丁寧な言葉を喋り、クスリと笑う。
まるで険を含まない笑顔。
私は思わず、「助けて」と手を伸ばす。手はしっかりと握られた。
「えぇ、助けますよ。医者ですから」
その言葉を最後に意識を失った。
目を覚ますと見慣れた病室にいた。
暗くても、確認しなくてもわかる。
今夏を過ごした九階の病室。相馬先生の診察で使っている病室。
視界に点滴のパックが目に入った。いつも、私に水分を補給してくれる輸液パック。
胃部不快感は多分に残っている。それでも、さっきよりは楽になっていて、今は痛みのほうが強い。
「失礼します」
え……?
声がツカサなのに、言葉がツカサではない。
目を凝らすと、暗い空間に白衣が浮かび上がる。
「電気、点けますね」
ベッド脇に立ったのは、ツカサと同じ顔をした違う人――涼先生だった。
「お久しぶりです」
かけられた言葉にポカンとしていると、クスクスと笑われる。
「そんなに司と似ていますか?」
私は気恥ずかしくも、コクリと頷いた。
「点滴に吐き気止めを入れたのですが、吐き気は治まりましたか?」
「……戻しそうな吐き気はないです。胃の痙攣も、治まったみたいです」
「それはよかった。では、診察をしましょうか」
「はい」
身体を起こそうとしたら、トン、と優しく肩を押さえられた。
「寝たままで結構ですよ」
涼先生はにこり、と笑う。
困ったことに、私はそれだけで赤面してしまう。
涼先生は何も見なかったように脈を取り診察を始めた。
私は訊かれたことに答え、先生は身体のあちこちに聴診器をあてる。
「こちらに背を向けて、横になれますか?」
言われたとおりにすると、その状態で背中の音を聴いてくれた。触診のあと、
「相馬先生も仰っていましたが、胃の調子がよくありませんね。最近、鎮痛剤の服用回数はどんな具合ですか?」
「……ちゃんと処方指示は守っています」
それはきっと今日まで。明日からは、テスト後に――とずらした生理が始まる。
生理が始まれば鎮痛剤の乱用をすることになる。
ピルを飲み始めたからといって、すぐに痛みが軽減することはなかった。その代わり、生理期間が二週間に及ぶことはなく、一週間できちんと終わるようになった。
涼先生は手元のタブレットを見て、
「分量どおり飲んでいてもこれだけたくさんの薬を服用していますからね、胃も悲鳴をあげることでしょう。――あぁ、以前胃潰瘍になったことがあるようですね。そのときから胃薬は継続処方されていた、と。そうでしたか……」
涼先生はディスプレイから視線を上げ、
「近々、胃カメラをやりませんか?」
私は間をおかずにフルフルと首を横に振る。
「どうやら胃カメラが苦手なようですね」
涼先生はふっと笑った。
「まぁ、この検査を好まれる方は稀でしょう。……ですが、診ておいたほうがいいと思いますよ?」
今、この調子で胃カメラを飲むこともつらければ、検査後の胃の不調に耐えられる気もしない。少し考えただけでも恐ろしい。
「胃カメラなら、夏休み前にも受けています」
私は必死の抵抗を試みる。
「えぇ、データがありますね。……御園生さん、人体は案外と脆いものでして、一晩で胃壁に穴が開いてしまうこともあるんですよ?」
知らないわけではない。でも――
「もうすぐ冬休みですね」
声を発したのは私ではなく涼先生だった。
「血便もないようですし……なるべく消化のいいものを食べるように心がけてください。それと、次に嘔吐した際には消化器科にかかるように。湊にもご家族にも伝えておきます。いいですね?」
それはつまり――今回は見逃してもらえる、ということだろうか。
何歳なのかわからない。それでもツカサや湊先生より明らかに年を重ねているであろう端整な顔立ちを見ていると、涼先生が口を開いた。
「先日は――」
その言葉に身体が硬直する。しかし、続く言葉は予想していたものとは違った。
「自宅までお越しいただいたようで、妻がとても喜んでいました」
優しげな笑みを向けられたけれど、私はまだ緊張の中にいて、何を返すこともできずにいた。
「もしよろしければまた遊びにいらしてください。ハナも喜びます」
「……はい」
「御園生さん――あまり『藤宮』に振り回されすぎないように」
「っ……」
「私が言うのもおかしな話ですが……。点滴はあと一時間ほどです。ご自宅には私から連絡を入れましたので、そのころにはご家族がお迎えにいらっしゃるでしょう」
お礼を言わなくてはいけないのに、私はそのまま涼先生の背を見送ってしまった。
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