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最終章 恋のあとさき
23話
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十二月十六日木曜日――昨夜の雨空が嘘のようにカラリと晴れていた。
マンションを出ると、曇っていた昨日の朝より数段寒く感じる。
終業式前日、授業は午前中だけでお昼を食べたあとは学校の大掃除。みんなジャージに着替えていつもよりも念入りに教室や廊下、窓を磨く。
その中、各クラス十人が共用スペースの清掃に駆り出されるのだ。
共用スペースとは、特教棟を含まない桜林館や小体育館の掃除。
海斗くんのほか八人が立候補して、もうひとりは飛鳥ちゃんになるのかな、と思っていた。けれども、声は自分にかけられた。
「翠葉、一緒に行かない?」
「え、私?」
「うん。移動時はちょっと寒いかもしんないけど、普段あまり桜林館行かないでしょ? 今日、天気いいしさ」
海斗くんにつられて空を見上げると、冬らしい澄んだ空が視界いっぱいに広がった。
きれいな水色……。
「ね? 行こうよ」
「……うん」
「よっしゃ、決まりっ! じゃ、みんな行こうっ!」
海斗くんに手を引かれて教室を出る間際、
「海斗ストップっ!」
飛鳥ちゃんの言葉にキュッと床が鳴り、私は海斗くんの背中に激突した。
「ごめん……」
「いや、急に止まった俺が悪いっていうか……引き止めた飛鳥が悪くね? ……大丈夫?」
「ん、大丈夫」
そこに呆れ顔の飛鳥ちゃんがやって来て、
「翠葉連れてくんだったらちゃんと防寒対策していくべしっ!」
飛鳥ちゃんは私の首にマフラーを巻きつけ、手には飛鳥ちゃん愛用の派手なピンクの手袋を装着してくれた。
「寒いの我慢できなかったら連絡して? 代わるからね?」
「……ありがとう」
廊下に出ると、
「飛鳥、やりすぎだし」
海斗くんが肩を竦めておかしそうに笑う。
「確かに……桜林館だって教室棟と変わらず空調管理されてんのにね?」
河野くんが言いながら私たちを追い越した。
私はふと感じた疑問を口にする。
「飛鳥ちゃんじゃなくて良かったの?」
「なんで?」
「……なんとなく?」
「変な気は遣いなさんなって。飛鳥となら部活でも会えるし冬休み入ってからでも会える」
「……そっか」
「そうです」
自分が変に意識していたのかと思えば頬が熱を持つわけで、あまりの恥ずかしさに、私の視線は足元へ落ちていた。
考えてみれば、海斗くんと飛鳥ちゃんが付き合い始めても、これといった大きな変化は見られなかった。
クラスでは相変わらず五人でいることが多かったし、その中でふたりにしかわからない会話が混じることはなかったから。
授業が終われば部活一直線。そんなところも、それまでと何ひとつ変わらなかった。
移動教室のとき、ほかのクラスの人に冷やかされることはあったけれど、うちのクラスでふたりを冷やかす人はいなかった。
それはきっと、誰もが佐野くんの気持ちを知っていたから。香乃子ちゃんの気持ちを知っていたからだと思う。
このクラスの人たちは優しい人ばかりだ。
「翠葉は冬休み入ったら幸倉に戻るんだろ?」
「うん、その予定」
「でも、クリスマスはパレスのお披露目パーティーで会えるな」
言われて、そういうことになってるのか、と知る。
湊先生と静さんの結婚式は未だ伏せられたままなのだ。
お父さんの話によると、挙式に呼ばれているのは両家の家族と親しい友人のみとのことだった。けれど、事情を話さずどうやってその場に来てもらうのか、とずっと不思議に思っていた。
でも、「パレスのお披露目」という名目なら怪しまれることもない。この理由なら、栞さんも疑問に思わずパレスに行くだろう。
「あれ? 来ないの?」
「あ、ううん。行くよ。家族みんなで」
「俺、今から楽しみなんだよねー! 半球体の建物ってどんなかな?」
海斗くんはにこにこしながら話す。
先日、写真を選ぶ際に内装の写真はいくつか見せてもらったけれど、外観はまだ私も見たことがない。
お父さん、今度はどんな建物つくったのかな? 半球体の建物ってなんだろう。見るのが楽しみ……。
「二十五日のじーちゃんの誕生パーティーも出席?」
その言葉に脳が停止する。それはきちんと身体へ伝達され、階段を下っていた足も止まった。
海斗くんは四段ほど下ったところで振り返り、
「あれ? 聞いてない? クリスマス、うちのじーちゃんの誕生日なんだ。クリスマスは毎年ホテルでパーティーなんだけど、今年はパレスお披露目会の翌日。だから、そのままパレスでやるんだって」
海斗くんのおじいさんはツカサのおじいさんでもある。ツカサをあんなふうに試した人――
「翠葉?」
「あ、ごめん」
慌てて歩くことを再開し、海斗くんの隣に並ぶ。
「私、その件は聞いてないからちょっとわからないかな……」
パレスには二泊すると聞いている。結婚式前日に移動して泊まり、翌日二十四日の結婚式に出席。二十四日は宿泊予定だけど、その翌日の二十五日に宿泊予定はない。
「そっか……でも、パレスのお披露目にも来ると思うから、そのときにじーちゃんのこと紹介できるかな」
海斗くんは明るく話すけれど、私の心は複雑だ。
今の今まで考えなかったけれど、湊先生の結婚式におじいさんがいらっしゃらないわけがない。そのときには顔を合わせることになるのだろう。
「海斗くん……ぜひ、おじいさんに紹介してね」
にこりと笑みを添えてお願いした。
「おう! 任せとけっ」
ツカサのおじいさんには伝えたいことがある。
二度と選択権などいらない――
そう伝えたい。
半年以上「藤宮」に関わってきて、普通とは少し違う家であることはわかったし、独特な教育方針があることもわかった。
よその家のことに口出しするつもりはない。でも――私に関して言うならば、もう二度と選択権はいらないと伝えたい。
「伝えたい」というよりは、「宣言」かもしれない。気分的には「宣戦布告」――
会ったことがあるわけではない。でも、そんなふうに思うくらいには、ツカサのおじいさんにいい印象はなかった。
一階に着くと、下駄箱前の掲示板に人が群がっていた。
そこにどこのクラスがどこを掃除する、という分担が書かれているためだ。
私は思わず後ずさる。
夏ほどではないにしても、身体に痛みがあるとき、人ごみに入りたいとは思わない。
私に気づいた海斗くんが、「大丈夫」と口にして携帯を取り出した。
「和総ー、うちどこだった?」
背をかがめてくれて、一緒に携帯からの反応を待つ。
『うちのクラスは桜林館半月ステージだって』
海斗くんは「サンキュ」と言って携帯を切り、
「じゃ、先に移動しますか」
私たちは人ごみに入ることなく桜林館へと進行方向を変えた。それと一緒に少しだけ話の進行方向も変える。
「海斗くん、訊いてもいいかな」
「ん?」
ジャージのポケットに両手を突っ込み、少し前かがみになって「何?」って感じの目で見られる。
「飛鳥ちゃんにも護衛の人がついているの?」
騒がしい廊下で話すには音量が小さすぎたかもしれない。けど、海斗くんはちゃんと聞き取ってくれた。
「ついてるよ。でも、翠葉とはわけが違う。だから、翠葉ほどの警護がついてるわけじゃない」
「そっか……。婚約とか……するの?」
「したいのは山々なんだけどね。とりあえず、高校卒業するまではなんの確約もなし。お互いの気持ちが卒業するまで変わることがないか証明しろってじーちゃんに言われちゃったからさ」
言葉がツキン、と心に刺さる。
「ずっと好きでいてもらえるように……努力しなくちゃね」
海斗くんは無理やり口角を引き上げるみたいにして、にっ、と笑った。
ねぇ、海斗くん……人の心は変わらずにいられるの? どうしたらそういられるの? どうして私の心は変わってしまったの? どうして――
知りたいのに、訊きたいのに訊けない――
マンションを出ると、曇っていた昨日の朝より数段寒く感じる。
終業式前日、授業は午前中だけでお昼を食べたあとは学校の大掃除。みんなジャージに着替えていつもよりも念入りに教室や廊下、窓を磨く。
その中、各クラス十人が共用スペースの清掃に駆り出されるのだ。
共用スペースとは、特教棟を含まない桜林館や小体育館の掃除。
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「翠葉、一緒に行かない?」
「え、私?」
「うん。移動時はちょっと寒いかもしんないけど、普段あまり桜林館行かないでしょ? 今日、天気いいしさ」
海斗くんにつられて空を見上げると、冬らしい澄んだ空が視界いっぱいに広がった。
きれいな水色……。
「ね? 行こうよ」
「……うん」
「よっしゃ、決まりっ! じゃ、みんな行こうっ!」
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「海斗ストップっ!」
飛鳥ちゃんの言葉にキュッと床が鳴り、私は海斗くんの背中に激突した。
「ごめん……」
「いや、急に止まった俺が悪いっていうか……引き止めた飛鳥が悪くね? ……大丈夫?」
「ん、大丈夫」
そこに呆れ顔の飛鳥ちゃんがやって来て、
「翠葉連れてくんだったらちゃんと防寒対策していくべしっ!」
飛鳥ちゃんは私の首にマフラーを巻きつけ、手には飛鳥ちゃん愛用の派手なピンクの手袋を装着してくれた。
「寒いの我慢できなかったら連絡して? 代わるからね?」
「……ありがとう」
廊下に出ると、
「飛鳥、やりすぎだし」
海斗くんが肩を竦めておかしそうに笑う。
「確かに……桜林館だって教室棟と変わらず空調管理されてんのにね?」
河野くんが言いながら私たちを追い越した。
私はふと感じた疑問を口にする。
「飛鳥ちゃんじゃなくて良かったの?」
「なんで?」
「……なんとなく?」
「変な気は遣いなさんなって。飛鳥となら部活でも会えるし冬休み入ってからでも会える」
「……そっか」
「そうです」
自分が変に意識していたのかと思えば頬が熱を持つわけで、あまりの恥ずかしさに、私の視線は足元へ落ちていた。
考えてみれば、海斗くんと飛鳥ちゃんが付き合い始めても、これといった大きな変化は見られなかった。
クラスでは相変わらず五人でいることが多かったし、その中でふたりにしかわからない会話が混じることはなかったから。
授業が終われば部活一直線。そんなところも、それまでと何ひとつ変わらなかった。
移動教室のとき、ほかのクラスの人に冷やかされることはあったけれど、うちのクラスでふたりを冷やかす人はいなかった。
それはきっと、誰もが佐野くんの気持ちを知っていたから。香乃子ちゃんの気持ちを知っていたからだと思う。
このクラスの人たちは優しい人ばかりだ。
「翠葉は冬休み入ったら幸倉に戻るんだろ?」
「うん、その予定」
「でも、クリスマスはパレスのお披露目パーティーで会えるな」
言われて、そういうことになってるのか、と知る。
湊先生と静さんの結婚式は未だ伏せられたままなのだ。
お父さんの話によると、挙式に呼ばれているのは両家の家族と親しい友人のみとのことだった。けれど、事情を話さずどうやってその場に来てもらうのか、とずっと不思議に思っていた。
でも、「パレスのお披露目」という名目なら怪しまれることもない。この理由なら、栞さんも疑問に思わずパレスに行くだろう。
「あれ? 来ないの?」
「あ、ううん。行くよ。家族みんなで」
「俺、今から楽しみなんだよねー! 半球体の建物ってどんなかな?」
海斗くんはにこにこしながら話す。
先日、写真を選ぶ際に内装の写真はいくつか見せてもらったけれど、外観はまだ私も見たことがない。
お父さん、今度はどんな建物つくったのかな? 半球体の建物ってなんだろう。見るのが楽しみ……。
「二十五日のじーちゃんの誕生パーティーも出席?」
その言葉に脳が停止する。それはきちんと身体へ伝達され、階段を下っていた足も止まった。
海斗くんは四段ほど下ったところで振り返り、
「あれ? 聞いてない? クリスマス、うちのじーちゃんの誕生日なんだ。クリスマスは毎年ホテルでパーティーなんだけど、今年はパレスお披露目会の翌日。だから、そのままパレスでやるんだって」
海斗くんのおじいさんはツカサのおじいさんでもある。ツカサをあんなふうに試した人――
「翠葉?」
「あ、ごめん」
慌てて歩くことを再開し、海斗くんの隣に並ぶ。
「私、その件は聞いてないからちょっとわからないかな……」
パレスには二泊すると聞いている。結婚式前日に移動して泊まり、翌日二十四日の結婚式に出席。二十四日は宿泊予定だけど、その翌日の二十五日に宿泊予定はない。
「そっか……でも、パレスのお披露目にも来ると思うから、そのときにじーちゃんのこと紹介できるかな」
海斗くんは明るく話すけれど、私の心は複雑だ。
今の今まで考えなかったけれど、湊先生の結婚式におじいさんがいらっしゃらないわけがない。そのときには顔を合わせることになるのだろう。
「海斗くん……ぜひ、おじいさんに紹介してね」
にこりと笑みを添えてお願いした。
「おう! 任せとけっ」
ツカサのおじいさんには伝えたいことがある。
二度と選択権などいらない――
そう伝えたい。
半年以上「藤宮」に関わってきて、普通とは少し違う家であることはわかったし、独特な教育方針があることもわかった。
よその家のことに口出しするつもりはない。でも――私に関して言うならば、もう二度と選択権はいらないと伝えたい。
「伝えたい」というよりは、「宣言」かもしれない。気分的には「宣戦布告」――
会ったことがあるわけではない。でも、そんなふうに思うくらいには、ツカサのおじいさんにいい印象はなかった。
一階に着くと、下駄箱前の掲示板に人が群がっていた。
そこにどこのクラスがどこを掃除する、という分担が書かれているためだ。
私は思わず後ずさる。
夏ほどではないにしても、身体に痛みがあるとき、人ごみに入りたいとは思わない。
私に気づいた海斗くんが、「大丈夫」と口にして携帯を取り出した。
「和総ー、うちどこだった?」
背をかがめてくれて、一緒に携帯からの反応を待つ。
『うちのクラスは桜林館半月ステージだって』
海斗くんは「サンキュ」と言って携帯を切り、
「じゃ、先に移動しますか」
私たちは人ごみに入ることなく桜林館へと進行方向を変えた。それと一緒に少しだけ話の進行方向も変える。
「海斗くん、訊いてもいいかな」
「ん?」
ジャージのポケットに両手を突っ込み、少し前かがみになって「何?」って感じの目で見られる。
「飛鳥ちゃんにも護衛の人がついているの?」
騒がしい廊下で話すには音量が小さすぎたかもしれない。けど、海斗くんはちゃんと聞き取ってくれた。
「ついてるよ。でも、翠葉とはわけが違う。だから、翠葉ほどの警護がついてるわけじゃない」
「そっか……。婚約とか……するの?」
「したいのは山々なんだけどね。とりあえず、高校卒業するまではなんの確約もなし。お互いの気持ちが卒業するまで変わることがないか証明しろってじーちゃんに言われちゃったからさ」
言葉がツキン、と心に刺さる。
「ずっと好きでいてもらえるように……努力しなくちゃね」
海斗くんは無理やり口角を引き上げるみたいにして、にっ、と笑った。
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