960 / 1,060
最終章 恋のあとさき
32話
しおりを挟む
九階の天井を見ながら廊下を歩く。
果歩さん、退院できたかな……。
いつもなら午前中に届くメールが今日は届かなかった。気にはなっているけど確認はしていない。
エレベーターに乗り十階のボタンを見たけれど、私の指は迷わず「1」のボタンを押した。
会計を済ませ携帯使用可能ゾーンへと移動し、蒼兄に連絡を入れる。
電話がつながると、すでに駐車場にいるとのことだった。
『車、正面玄関に回すからそこで待ってて』
「うん」
携帯を切ると一件のメールを受信する。それは、三十分ほど前に果歩さんから送られてきたものだった。
件名 :果歩でーすっ!
本文 :治療、今終わったくらいかな?
もし良かったら、愚痴話に付き合ってくれない?
年内には退院できる予定なんだけど、まだココにいるんだ。
タイミングがいいのか悪いのか……。
もし九階でメールチェックをしていたら、私は十階へ行っただろうか。
自分に問い、緩く頭(かぶり)を振る。
ううん、行ってない――行けない。
果歩さんの真っ直ぐな目に見られるのが怖いから。
ツカサのそれとは違うけど、あの真っ直ぐで強い眼差しを向けられたら、私は目を逸らしてしまう気がする。
果歩さんに対して後ろめたいことがあるわけではない。でも今は――誰が相手でも目を合わせるのが怖い……。
人前でどんなふうに振舞ったらいいのかがわからない。どんな自分が「自然」だったのかが思い出せない。
どうしたら人を傷つけないでいられるのか、どうしたらずるくない人になれるのか。どうしたら何もかもがもとどおりになるのか。
そもそも、私が望む「もとどおり」とはどういう形をしていたのか――
完全に自分を見失っている状況で、人と言葉や視線を交わすことが怖かった。
正面玄関を出ると冷たい風に頬を叩かれ、髪は縦横無尽に舞い上がる。
日中よりも風が強い。空はどんよりと曇り、今にも雨が降りだしそう。
「朝はいい天気だったのに……」
蒼兄の運転する車が私よりも数メートル先で停車した。
足早に駆け寄り、内側から開けられた助手席にすばやく乗り込む。
車の中は程よくあたたまっていて、冷たくなった頬をふわりと優しく包まれた気がした。
「おかえり」
「ただいま。……空、真っ暗だね」
「あぁ、これは降ってくるだろうな。……何かあったのか?」
「え……?」
蒼兄は空を指差しながら、
「翠葉の表情もこの空みたい」
何も答えられないでいると、後ろの車にクラクションを鳴らされ心臓が止まるかと思った。
蒼兄は慌てて車を発進させた。
事前清算を済ませた駐車券を黄色い清算機に通すと、赤と白のバーが上がる。
カチカチと方向指示器の音が鳴り、車が曲がるときの遠心力でほんの少し身体が右に振られた。
一般道に出て走行が安定すると、
「で? 何かあった?」
改めて訊かれる。
「……涼先生に捕まっただけ」
「え?」
「……九階に行ったらいらしたの」
「そっかそっか。……でも、『捕まった』って表現はちょっと……」
苦笑しながら指摘されたけれど、何度考えてもほかの言葉は見つかりそうにない。
「本当に捕まったんだもの……。右手、掴まれたまま問診受けたんだよ?」
そのときのことを詳しく話すと、蒼兄はクスクスと笑いだす。
「涼先生、間違いなく司のお父さんだな」
「うん……」
「で? その憂鬱そうな顔は胃カメラの予約でも入れられた?」
「うん……」
「年内?」
「ううん、そこは譲歩してもらって年明け早々」
「翠葉は嫌かもしれないけど、俺らはそのほうが安心かな」
会話が一段落したとき、パタパタ、とフロントガラスに水滴が張り付いた。
撥水加工の効果で、雨は垂れることなくまん丸の雫を維持している。
それらは走行風に従い、次々と上方へ移動した。
「降ってきちゃったな」
「ん……明日も雨なのかな」
「……家に帰ったら天気予報を確認しよう」
家――
今の言葉が指す家はマンションのゲストルーム。
「蒼兄……幸倉に帰るのは今日? それとも、明日?」
今日でも明日でも大きな差はない。でも、できることなら早くおうちに帰りたかった。
「……幸倉が恋しい?」
私は手元を見たまま小さく頷く。
「……じゃ、家に帰ったら用意して、夕飯食べたらみんなで帰ろう」
「本当?」
蒼兄がにこりと笑ってくれた。
「もし、唯や母さんが帰る用意に時間がかかるって言うんだったら、俺と翠葉が先に帰るんでも問題ないし」
「……ありがとう」
「そんなに気にすることじゃないよ」
蒼兄の左手が頭にポンと乗った。
お母さんの今年の仕事はパレス一本。つまり、最終確認が終わった今はとくに仕事がない状況。
お父さんはパレスのほか、来年手がける仕事の準備で朝から夕方までは幸倉で仕事をしている。
夕飯の時間になるとマンションに来て、夕飯を食べるとまた幸倉へ帰る。
家族が帰る場所、休む場所が別々の生活を続けていた。
私の学校が休みに入れば生活の基盤は幸倉へ戻り、そんな生活をしなくてもすむ。
それに、幸倉へ帰れば、長いことしていなかった趣味のひとつひとつを再開できる気がした。
大好きなことをして過ごせば、自分らしさを取り戻せる気がした。
ゲストルームに帰ると、迎え出てくれたお母さんに今日幸倉へ帰れるかを尋ねる。と、
「別にいいわよ? じゃ、夕飯食べたら帰る用意しなくちゃね」
何を訊かれるでもなく、すんなりと了承してもらえた。
蒼兄とお母さんに何も言われなくてほっとしていたら、思わぬところから痛い質問を投げられる。
「今夜帰るも明日の午前に帰るも大差なくない? なら、ゆっくり準備できるから明日にすれば?」
キッチンから顔を出した唯兄だ。
唯兄の提案がもっともすぎて、反論や説得のひとつも出てこない。
すると、ダイニングからお父さんの声が挙がった。
「唯ー? 差ならあるぞー? おっきな差が」
「たとえば?」
「明日、父さんが起きたら幸倉の家には家族がいるっ。したがって、寒い朝にひとりでご飯を食べずにすむ。これは大きな変化だ」
うむ、と腕を組み真顔で主張し、そのあとはひとり頭に花を咲かせたように話を続けた。
「よぉーしっ! 明日の朝はホットプレート出してみんなでホットケーキを焼こう! で、昼はお好み焼きだっ! 碧さん、帰りにスーパーで材料買って帰ろう!」
話の主導権がお父さんに移り、私はそっとリビングを出て洗面所へ向った。
大きな鏡に情けない顔をした自分が映る。
こんな顔をしていたら心配をかける――理由を訊かれる。
奥歯に力をこめ、唾と一緒に涙もため息も何もかも全部一緒くたに飲みこんだ。
飲み込めたところで消化できるかは不明。でも、これ以上情けない顔になるよりは断然いい。
そんな私の隣に蒼兄が並び、水道のコックを捻った。
「ほら、手洗ってうがいして」
「ん……」
あたたかいお湯に触れたら、飲み込んだものが再度溢れてきた。
石鹸を泡立てる手をじっと見ながら必死に堪えていると、頭を二回叩かれる。
「大丈夫」のおまじない。
弾みで涙が二粒落ちた。でも、お湯に紛れて一瞬で消えた。
言葉がなくても優しい空気に包まれているのがわかる。
今、隣にいるのが蒼兄で良かった。
安心したはずなのになんとも言えない苦いものが心にあって、胃が……きゅ、と音を立てた。
夕飯が食べ終わると各々幸倉に帰る準備をし始めた。けれど、私の用意はすぐに終わってしまう。
本来の家に帰るのだから、持ってきたものすべてを持って帰る必要はない。
教材と楽譜、あとは毎日使う身の回りの細々したものだけ。
一方、レポートや仕事の資料を持ち帰らなくてはいけない蒼兄と唯兄のほうが大変そうだ。
様子を見に行ってみると、蒼兄が資料や書類などの振り分けをしていて、唯兄は洋服をボストンバックに詰めているところだった。
「あ……そっか。唯兄の洋服、冬服は幸倉にないものね?」
「そうそう。ホテルからこっちには持ってきたけど、幸倉には夏服がちょろっと置いてある程度だからさ。あ、あんちゃん、そこの赤いファイルも入れといて」
「っていうか、ここに積んであるの全部だろ?」
「うん。よろしく」
部屋にはすでに三つのダンボールが陣取っていた。
九時になるとみんなの用意が整い、お母さんがコンシェルジュへ連絡すると、高崎さんがカートを持って来てくれた。
家族揃って一階へ下りると、ロータリーにお父さんと蒼兄の車が横付けされていた。さらには、美波さんと拓斗くんが見送りに出てきてくれている。
「んもう、急に幸倉に帰るとか言うんだからっ」
美波さんはどこか拗ねた感じだ。
「だって、翠葉が帰りたいって言うんだもの。それに、明日には帰るって話してたでしょう?」
おどけた調子で返すのはお母さん。それでも、美波さんはまだ頬を膨らませている。
「私のサプライズプランが台無しですっ! 明日、帰る前に翠葉ちゃんと碧さんにネイル施術しようと思ってたのにっ」
「え?」
急に自分の名前が出てびっくりした。
「ちょっと早いけど、クリスマスプレゼントにネイルしようと思ってたんですよ!?」
「あら、それはもったいないことしたわ……。美波ちゃん、月曜日の予定は?」
「え? 空いてますけど……」
「じゃぁ、月曜日にお邪魔するわ。月曜日は翠葉の病院だから」
ふたりの会話を聞いていると、拓斗くんがちょこちょこっと走り寄ってくる。
「月曜日、会える?」
一言一言区切った話し方がとてもかわいくて笑みが漏れる。
「うん。お母さんが寄るって言ってるから、きっと来るよ」
「約束っ」
小指を目の前に出され、私は拓斗くんの前に座って小指を絡めた。
「うん、約束ね」
にこりと笑う顔がとても無垢に思えて、その純粋さが羨ましくなった。
拓斗くんにだって悩みはあるだろう。でも、今の私ほどではないはずと思ってしまう。
人の悩みの重さが自分にわかるはずはないのに。
年齢なんて関係ない。抱えてる問題の大きさは抱えてる人にしかわかりようがないのに――
お父さんたちはスーパーで買出しをして帰ることになり、私たちは真っ直ぐ家に帰ることになった。
帰宅したのは十時前。
学校から帰ってきてからお風呂に入っていたこともあり、心身共に疲れきっていた私は、お父さんとお母さんが帰ってくるのを待つことなく、洗面だけ済ませて先に休んだ。
果歩さん、退院できたかな……。
いつもなら午前中に届くメールが今日は届かなかった。気にはなっているけど確認はしていない。
エレベーターに乗り十階のボタンを見たけれど、私の指は迷わず「1」のボタンを押した。
会計を済ませ携帯使用可能ゾーンへと移動し、蒼兄に連絡を入れる。
電話がつながると、すでに駐車場にいるとのことだった。
『車、正面玄関に回すからそこで待ってて』
「うん」
携帯を切ると一件のメールを受信する。それは、三十分ほど前に果歩さんから送られてきたものだった。
件名 :果歩でーすっ!
本文 :治療、今終わったくらいかな?
もし良かったら、愚痴話に付き合ってくれない?
年内には退院できる予定なんだけど、まだココにいるんだ。
タイミングがいいのか悪いのか……。
もし九階でメールチェックをしていたら、私は十階へ行っただろうか。
自分に問い、緩く頭(かぶり)を振る。
ううん、行ってない――行けない。
果歩さんの真っ直ぐな目に見られるのが怖いから。
ツカサのそれとは違うけど、あの真っ直ぐで強い眼差しを向けられたら、私は目を逸らしてしまう気がする。
果歩さんに対して後ろめたいことがあるわけではない。でも今は――誰が相手でも目を合わせるのが怖い……。
人前でどんなふうに振舞ったらいいのかがわからない。どんな自分が「自然」だったのかが思い出せない。
どうしたら人を傷つけないでいられるのか、どうしたらずるくない人になれるのか。どうしたら何もかもがもとどおりになるのか。
そもそも、私が望む「もとどおり」とはどういう形をしていたのか――
完全に自分を見失っている状況で、人と言葉や視線を交わすことが怖かった。
正面玄関を出ると冷たい風に頬を叩かれ、髪は縦横無尽に舞い上がる。
日中よりも風が強い。空はどんよりと曇り、今にも雨が降りだしそう。
「朝はいい天気だったのに……」
蒼兄の運転する車が私よりも数メートル先で停車した。
足早に駆け寄り、内側から開けられた助手席にすばやく乗り込む。
車の中は程よくあたたまっていて、冷たくなった頬をふわりと優しく包まれた気がした。
「おかえり」
「ただいま。……空、真っ暗だね」
「あぁ、これは降ってくるだろうな。……何かあったのか?」
「え……?」
蒼兄は空を指差しながら、
「翠葉の表情もこの空みたい」
何も答えられないでいると、後ろの車にクラクションを鳴らされ心臓が止まるかと思った。
蒼兄は慌てて車を発進させた。
事前清算を済ませた駐車券を黄色い清算機に通すと、赤と白のバーが上がる。
カチカチと方向指示器の音が鳴り、車が曲がるときの遠心力でほんの少し身体が右に振られた。
一般道に出て走行が安定すると、
「で? 何かあった?」
改めて訊かれる。
「……涼先生に捕まっただけ」
「え?」
「……九階に行ったらいらしたの」
「そっかそっか。……でも、『捕まった』って表現はちょっと……」
苦笑しながら指摘されたけれど、何度考えてもほかの言葉は見つかりそうにない。
「本当に捕まったんだもの……。右手、掴まれたまま問診受けたんだよ?」
そのときのことを詳しく話すと、蒼兄はクスクスと笑いだす。
「涼先生、間違いなく司のお父さんだな」
「うん……」
「で? その憂鬱そうな顔は胃カメラの予約でも入れられた?」
「うん……」
「年内?」
「ううん、そこは譲歩してもらって年明け早々」
「翠葉は嫌かもしれないけど、俺らはそのほうが安心かな」
会話が一段落したとき、パタパタ、とフロントガラスに水滴が張り付いた。
撥水加工の効果で、雨は垂れることなくまん丸の雫を維持している。
それらは走行風に従い、次々と上方へ移動した。
「降ってきちゃったな」
「ん……明日も雨なのかな」
「……家に帰ったら天気予報を確認しよう」
家――
今の言葉が指す家はマンションのゲストルーム。
「蒼兄……幸倉に帰るのは今日? それとも、明日?」
今日でも明日でも大きな差はない。でも、できることなら早くおうちに帰りたかった。
「……幸倉が恋しい?」
私は手元を見たまま小さく頷く。
「……じゃ、家に帰ったら用意して、夕飯食べたらみんなで帰ろう」
「本当?」
蒼兄がにこりと笑ってくれた。
「もし、唯や母さんが帰る用意に時間がかかるって言うんだったら、俺と翠葉が先に帰るんでも問題ないし」
「……ありがとう」
「そんなに気にすることじゃないよ」
蒼兄の左手が頭にポンと乗った。
お母さんの今年の仕事はパレス一本。つまり、最終確認が終わった今はとくに仕事がない状況。
お父さんはパレスのほか、来年手がける仕事の準備で朝から夕方までは幸倉で仕事をしている。
夕飯の時間になるとマンションに来て、夕飯を食べるとまた幸倉へ帰る。
家族が帰る場所、休む場所が別々の生活を続けていた。
私の学校が休みに入れば生活の基盤は幸倉へ戻り、そんな生活をしなくてもすむ。
それに、幸倉へ帰れば、長いことしていなかった趣味のひとつひとつを再開できる気がした。
大好きなことをして過ごせば、自分らしさを取り戻せる気がした。
ゲストルームに帰ると、迎え出てくれたお母さんに今日幸倉へ帰れるかを尋ねる。と、
「別にいいわよ? じゃ、夕飯食べたら帰る用意しなくちゃね」
何を訊かれるでもなく、すんなりと了承してもらえた。
蒼兄とお母さんに何も言われなくてほっとしていたら、思わぬところから痛い質問を投げられる。
「今夜帰るも明日の午前に帰るも大差なくない? なら、ゆっくり準備できるから明日にすれば?」
キッチンから顔を出した唯兄だ。
唯兄の提案がもっともすぎて、反論や説得のひとつも出てこない。
すると、ダイニングからお父さんの声が挙がった。
「唯ー? 差ならあるぞー? おっきな差が」
「たとえば?」
「明日、父さんが起きたら幸倉の家には家族がいるっ。したがって、寒い朝にひとりでご飯を食べずにすむ。これは大きな変化だ」
うむ、と腕を組み真顔で主張し、そのあとはひとり頭に花を咲かせたように話を続けた。
「よぉーしっ! 明日の朝はホットプレート出してみんなでホットケーキを焼こう! で、昼はお好み焼きだっ! 碧さん、帰りにスーパーで材料買って帰ろう!」
話の主導権がお父さんに移り、私はそっとリビングを出て洗面所へ向った。
大きな鏡に情けない顔をした自分が映る。
こんな顔をしていたら心配をかける――理由を訊かれる。
奥歯に力をこめ、唾と一緒に涙もため息も何もかも全部一緒くたに飲みこんだ。
飲み込めたところで消化できるかは不明。でも、これ以上情けない顔になるよりは断然いい。
そんな私の隣に蒼兄が並び、水道のコックを捻った。
「ほら、手洗ってうがいして」
「ん……」
あたたかいお湯に触れたら、飲み込んだものが再度溢れてきた。
石鹸を泡立てる手をじっと見ながら必死に堪えていると、頭を二回叩かれる。
「大丈夫」のおまじない。
弾みで涙が二粒落ちた。でも、お湯に紛れて一瞬で消えた。
言葉がなくても優しい空気に包まれているのがわかる。
今、隣にいるのが蒼兄で良かった。
安心したはずなのになんとも言えない苦いものが心にあって、胃が……きゅ、と音を立てた。
夕飯が食べ終わると各々幸倉に帰る準備をし始めた。けれど、私の用意はすぐに終わってしまう。
本来の家に帰るのだから、持ってきたものすべてを持って帰る必要はない。
教材と楽譜、あとは毎日使う身の回りの細々したものだけ。
一方、レポートや仕事の資料を持ち帰らなくてはいけない蒼兄と唯兄のほうが大変そうだ。
様子を見に行ってみると、蒼兄が資料や書類などの振り分けをしていて、唯兄は洋服をボストンバックに詰めているところだった。
「あ……そっか。唯兄の洋服、冬服は幸倉にないものね?」
「そうそう。ホテルからこっちには持ってきたけど、幸倉には夏服がちょろっと置いてある程度だからさ。あ、あんちゃん、そこの赤いファイルも入れといて」
「っていうか、ここに積んであるの全部だろ?」
「うん。よろしく」
部屋にはすでに三つのダンボールが陣取っていた。
九時になるとみんなの用意が整い、お母さんがコンシェルジュへ連絡すると、高崎さんがカートを持って来てくれた。
家族揃って一階へ下りると、ロータリーにお父さんと蒼兄の車が横付けされていた。さらには、美波さんと拓斗くんが見送りに出てきてくれている。
「んもう、急に幸倉に帰るとか言うんだからっ」
美波さんはどこか拗ねた感じだ。
「だって、翠葉が帰りたいって言うんだもの。それに、明日には帰るって話してたでしょう?」
おどけた調子で返すのはお母さん。それでも、美波さんはまだ頬を膨らませている。
「私のサプライズプランが台無しですっ! 明日、帰る前に翠葉ちゃんと碧さんにネイル施術しようと思ってたのにっ」
「え?」
急に自分の名前が出てびっくりした。
「ちょっと早いけど、クリスマスプレゼントにネイルしようと思ってたんですよ!?」
「あら、それはもったいないことしたわ……。美波ちゃん、月曜日の予定は?」
「え? 空いてますけど……」
「じゃぁ、月曜日にお邪魔するわ。月曜日は翠葉の病院だから」
ふたりの会話を聞いていると、拓斗くんがちょこちょこっと走り寄ってくる。
「月曜日、会える?」
一言一言区切った話し方がとてもかわいくて笑みが漏れる。
「うん。お母さんが寄るって言ってるから、きっと来るよ」
「約束っ」
小指を目の前に出され、私は拓斗くんの前に座って小指を絡めた。
「うん、約束ね」
にこりと笑う顔がとても無垢に思えて、その純粋さが羨ましくなった。
拓斗くんにだって悩みはあるだろう。でも、今の私ほどではないはずと思ってしまう。
人の悩みの重さが自分にわかるはずはないのに。
年齢なんて関係ない。抱えてる問題の大きさは抱えてる人にしかわかりようがないのに――
お父さんたちはスーパーで買出しをして帰ることになり、私たちは真っ直ぐ家に帰ることになった。
帰宅したのは十時前。
学校から帰ってきてからお風呂に入っていたこともあり、心身共に疲れきっていた私は、お父さんとお母さんが帰ってくるのを待つことなく、洗面だけ済ませて先に休んだ。
3
あなたにおすすめの小説
光のもとで2
葉野りるは
青春
一年の療養を経て高校へ入学した翠葉は「高校一年」という濃厚な時間を過ごし、
新たな気持ちで新学期を迎える。
好きな人と両思いにはなれたけれど、だからといって順風満帆にいくわけではないみたい。
少し環境が変わっただけで会う機会は減ってしまったし、気持ちがすれ違うことも多々。
それでも、同じ時間を過ごし共に歩めることに感謝を……。
この世界には当たり前のことなどひとつもなく、あるのは光のような奇跡だけだから。
何か問題が起きたとしても、一つひとつ乗り越えて行きたい――
(10万文字を一冊として、文庫本10冊ほどの長さです)
【完結】イケメンが邪魔して本命に告白できません
竹柏凪紗
青春
高校の入学式、芸能コースに通うアイドルでイケメンの如月風磨が普通科で目立たない最上碧衣の教室にやってきた。女子たちがキャーキャー騒ぐなか、風磨は碧衣の肩を抱き寄せ「お前、今日から俺の女な」と宣言する。その真意とウソつきたちによって複雑になっていく2人の結末とは──
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。
沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。
すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。
だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。
イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。
変わり果てた現実を前に、
夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。
深い後悔と悲しみに苛まれながら、
失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。
しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。
贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。
そして、母の心を知っていく子供たち。
イネスが求める愛とは、
そして、幸せとは――。
幼馴染が家出したので、僕と同居生活することになったのだが。
四乃森ゆいな
青春
とある事情で一人暮らしをしている僕──和泉湊はある日、幼馴染でクラスメイト、更には『女神様』と崇められている美少女、真城美桜を拾うことに……?
どうやら何か事情があるらしく、頑なに喋ろうとしない美桜。普段は無愛想で、人との距離感が異常に遠い彼女だが、何故か僕にだけは世話焼きになり……挙句には、
「私と同棲してください!」
「要求が増えてますよ!」
意味のわからない同棲宣言をされてしまう。
とりあえず同居するという形で、居候することになった美桜は、家事から僕の宿題を見たりと、高校生らしい生活をしていくこととなる。
中学生の頃から疎遠気味だったために、空いていた互いの時間が徐々に埋まっていき、お互いに知らない自分を曝け出していく中──女神様は何でもない『日常』を、僕の隣で歩んでいく。
無愛想だけど僕にだけ本性をみせる女神様 × ワケあり陰キャぼっちの幼馴染が送る、半同棲な同居生活ラブコメ。
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
学園のアイドルに、俺の部屋のギャル地縛霊がちょっかいを出すから話がややこしくなる。
たかなしポン太
青春
【第1回ノベルピアWEB小説コンテスト中間選考通過作品】
『み、見えるの?』
「見えるかと言われると……ギリ見えない……」
『ふぇっ? ちょっ、ちょっと! どこ見てんのよ!』
◆◆◆
仏教系学園の高校に通う霊能者、尚也。
劣悪な環境での寮生活を1年間終えたあと、2年生から念願のアパート暮らしを始めることになった。
ところが入居予定のアパートの部屋に行ってみると……そこにはセーラー服を着たギャル地縛霊、りんが住み着いていた。
後悔の念が強すぎて、この世に魂が残ってしまったりん。
尚也はそんなりんを無事に成仏させるため、りんと共同生活をすることを決意する。
また新学期の学校では、尚也は学園のアイドルこと花宮琴葉と同じクラスで席も近くなった。
尚也は1年生の時、たまたま琴葉が困っていた時に助けてあげたことがあるのだが……
霊能者の尚也、ギャル地縛霊のりん、学園のアイドル琴葉。
3人とその仲間たちが繰り広げる、ちょっと不思議な日常。
愉快で甘くて、ちょっと切ない、ライトファンタジーなラブコメディー!
※本作品はフィクションであり、実在の人物や団体、製品とは一切関係ありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる