光のもとで1

葉野りるは

文字の大きさ
961 / 1,060
最終章 恋のあとさき

33話

しおりを挟む
 翌朝、目が覚めたのは四時半過ぎ。胃がキリキリと痛みだして目が覚めたのだ。
 外も暗ければ部屋も暗い。おまけに凍えそうなくらいに寒かった。
 二度寝してやり過ごしたいと思うのに寝つけない。
 冬の朝、寒くてお布団から出たくないな、と思うまどろみの時間も好きだけど、今日は時間がもったいない気もしていた。
 思い切って身体を起こしフリースのガウンを羽織ると、部屋の照明とヒーターの電源を入れた。
 簡易キッチンでお茶を淹れる準備をしながら耳を澄ませる。
 ドアの向こう、リビングではまったく音がしない。まだ誰も起きていないのだろう。
「だって四時半だものね……」
 レモングラスとミント、カモミール、ローズペタルをブレンドしたお茶を淹れ、ヒーターの前でゆっくりとすする。
「美味しい……」
 大好きな香りを楽しんでいるのに胃がキリキリと痛みを訴える。
「……何か食べたら楽になるのかな」
 部屋を抜け出てキッチンへ向うと、そこは冷蔵庫の中かと思うほどに寒かった。
 冷たすぎるタイルが足裏に触れて、失敗したと思った。部屋を出るならガウンだけではなく靴下も履いてくるべきだった。さらには、マンションから室内ブーツを持ち帰ることを忘れたことに気づく。
 気を取り直して冷蔵庫を開けると、昨日買ってこられたであろうプリンとヨーグルト、ゼリーがあった。
 あまりにも寒くて一度冷蔵庫を閉じたものの、足裏が限界を告げたため、その場で足踏みを始める。
 頭に三つのカップを浮かべながら、何を食べるべきかと逡巡する。
 どれが食べたいかと言われたらみかん入りのゼリーだけど、冷たい固形物を胃に入れるのはどうなんだろう……。
 少し考え、ほかのふたつと比べてみる。
 ヨーグルトは乳製品だけれど酸があるから却下。
 ふと思い立ち、再度冷蔵庫を開ける。
 三つの成分表を見ると一番カロリーの高いものはプリンで、内容的にも胃にも優しそうだったからプリンに決めた。
 スプーンとプリンを持って自室に戻り、またしてもヒーターの前に座る。
 部屋は大分暖まったけれどもまだ十七度しかない。
 プリンを食べ、二杯目のハーブティーが飲み終わるころには胃の痛みが軽減していた。
 ガウンを脱ぎ洋服に着替えると、コンコンコン、とノック音が響く。
「はい……?」
 返事をするとドアが開き、蒼兄が顔を覗かせた。
「起きてたのか?」
「昨日、寝たのが早かったからかな? 四時半に目が覚めちゃったの」
 反射的に、胃が痛くて起きたことは伏せてしまう。
「蒼兄はこれからランニング?」
「そう」
「あ……今日はロード? それとも公園……?」
 蒼兄はその日の気分で街中を走ったり、幸倉運動公園内のジョギングコースを走っている。
「今日は公園に行こうかと思ってるけど……?」
「それ……ついて行ってもいい?」
「翠葉……わかってると思うけど、間違いなく寒いぞ?」
「うん。そう思う……」
 ほんの少し頬を引きつらせながら窓から外を見る。
 外気との温度差で曇った窓の外はまだ暗い。それでも――
「朝陽が……見たいの」
「朝陽なら俺がランニングから帰ってくる六時でも間に合う」
「…………」
「翠葉?」
「時間を……無駄に過ごしたくないの。冬の寒さを感じたい。霜の降りた土を見たり、草についた露を見たり、外の空気を吸いたい」
「昨日も訊いたけど……何かあったか?」
「……ごめん、上手に話せない――」
 蒼兄を正視できなくて視線を床へ落とす。
 すると、肩に重力を感じた。それは蒼兄の手。
 少し押されて蒼兄が部屋に入ると、片手でドアを閉めた。
「上手になんて話さなくていいよ。聞く時間がないわけじゃないし」
 私はゆっくりと息を吐き出す。
「あの、ね……泣きたくないの。自分が弱いせいで……泣きたく、ないの」
「……今日はランニング休むよ」
「それもやなのっ」
「翠葉?」
「自分のせいで人の予定や何かを狂わせるのも嫌……。あと、ここに留まったままなのも嫌」
 蒼兄は諦めたように息を吐き出した。
「じゃ、あと二十分したら出てきて。ちゃんとあったかい格好してジョギングコースから大体育館に行く道の分岐地点。そこで待ち合わせ」
「でも、そしたらいつもより走る時間短くなっちゃう……」
「大丈夫。いつもよりハイペースで走るから」
「え?」
「本気で走れば十キロ三十分台で走れる。あと二十分後に翠葉が家を出ればちょうどいい。そしたら翠葉にクールダウン付き合ってもらえる」
「……あり、がと」
「その代わり、翠葉はちゃんと防寒対策してこいよ?」
「うん。お腹と背中にカイロ張って、タイツにレッグウォーマーと肘までの手袋とダウンコート着る」
 そこまで言うと、
「残念。ふたつ漏れてる」
 ドアの外から声がした。
 すぐにドアが開き、
「マフラーとイヤーマフがついたら完璧」
 唯兄が面白くなさそうな顔をして立っていた。
 驚きに声を失う。
 それは蒼兄も同じだった。
「俺だけ除け者とかやめてよね。……寂しいじゃん」
 除け者にしたつもりはない。でも、唯兄がそう感じたのならそういう状況だったのかもしれない。
 そんなつもりはなかった、と答えていいのか悪いのか……。
 自分の言動で相手を不快にさせたり傷つけたり――私はわかっているつもりでまるでわかっていなかったから。
 咄嗟に否定することもできず、考えてみたところでこれといった言葉も浮かばない。
 どんな言葉を返したらいいものか……。
「別に除け者にしたつもりはないよ。ただ、俺が起きてきたら翠葉が起きてたからさ。その流れで話しててこうなってるだけ」
 蒼兄が説明すると唯兄はあっさり納得し、防寒対策の念を押すとふたり揃って部屋を出ていった。
「言葉って……難しい」
 もしかしたらそれ以前の問題で、人と話すこと、人と接することを難しいと感じてしまっている気がしなくもない。
「家族なのに……」

 私は防寒対策一式をクローゼットから取り出しベッドに並べた。
 カイロを貼り終えると、コーヒーとスティックシュガーを持った唯兄が入ってきた。
 さっきはパジャマ代わりのスウェット姿だったけど、今はちゃんと洋服に着替えている。
「こんな寒い中、よくランニングとか行く気になるよね? リィもだよ。なんでこんな時間に散歩かなぁ……あー、さむっ」
 唯兄はヒーター近くに腰を下ろし、スティックシュガーの端の部分を一気に千切って四本同時にカップへ投入する。
 唯兄が甘党なのはわかっているのでそこをとやかく言うつもりはない。けれど、服装が気になって仕方ない。
 今の格好は家の中ならともかく、外へ行くには極めて薄着だ。
「唯兄……その格好で外に出るの?」
 深みあるグリーンのコーデュロイパンツに、綿素材らしき黒のタートル。その上に焦げ茶のザックリとした半袖ニットを着ている。アンティックゴールドの三日月型トップは茶色の皮紐に通されていた。
 小物使いも色の組み合わせも好きだな、と思う。けれど、この上にコートを着るだけでは心もとない。
 どうしても寒そうに見えるのだ。
「リビングにダウンジャケットとストール、帽子が置いてある。あと手袋もね」
 それを聞いても、大丈夫かな、と思ってしまう。
 細身の人を見ると寒そうに見えるのは、刷り込みや単なる錯覚なのだろうか。
 じっと唯兄を見ていると、
「リィ、できれば俺にもカイロを恵んでください」
 言われてすぐに貼るカイロを渡した。
「ポケットに入れる用の貼らないカイロはないの?」
 言われてそれも引き出しから取り出す。と、
「ブッブー。二個じゃ足んない。四つが正解です」
「え?」
「リィのポケットにも入れるから」
 言われて四つ取り出し、内ふたつは私のダウンコートのポケットに入れられた。
 手袋をはめながら唯兄の隣に座る。
「蒼兄のランニングは習慣なんだよ。走らないと一日のリズムが狂うみたい」
「じゃ、雨の日は大変だ」
「んー……前は雨の日でも走りに行ってたよ? 今でこそ毎回ではないけれど、それでも時々行ってる」
「ますますもって理解に苦しむ……」
「唯兄は一日の始まりに必ずすることってある?」
「んーーー……ベッドの上で伸び? そのほか必ずっていうと……コレ」
 カップを指差し、「カフェインと糖分摂取」と答えた。
「じゃぁ、それ。蒼兄にとってのカフェインと糖分がランニングなの」
「ふーん。……俺は天と地がひっくり返ってもコレの代替案がランニングになることはないけど、あんちゃんがって言うなら納得。で、リィは?」
「私?」
 唯兄はずずっとコーヒーをすすりながら頷く。
 私が起きてからすることと言ったら――
「基礎体温を計る、かなぁ……?」
 しっくりこないままに答えると、
「それは体調管理に必要なことであって、リィがやりたくてやってるわけじゃないでしょ? それ以外にはないの?」
 それ以外……。
 言われて目に映るものを口にした。それは窓の外――
「空……」
「ん?」
「ずっとね……朝起きたら空を見るのが日課だったの」
 朝起きたら一番に窓の外を見て、その日の天気を確認する。
 空が青いのか水色なのか白っぽいのか。雲があるのかないのか。風は吹いているか、蕾だった花は咲いているか。
 寒い冬や暑い夏は窓に触れて外気温を感じる。それが、この家にいたときの日課だった。
「だった、か……。マンションのあの部屋じゃできないもんね」
「…………」
 私が使わせてもらっている部屋の窓は通りに面していることから曇りガラスになっている。
 外の景色を見ることはできないし、もし見えたとしても、風の強さを知る指針になるようなものはなく、草花が目に入るわけでもない。
 ただ、明るいか暗いかがわかるだけ。
「メリットデメリットってなんにでもあるよね。通学が楽になっても毎日の日課ができないとか」
「でも……身体を起こしてリビングまで行けば空は見ることができたよ」
「けど、ここから見える風景と九階の窓から見える風景は全然別物でしょ?」
 少しびっくりした。
 私は「空を見る」としか話していないのに、風景が違うと指摘されるとは思ってはいなくて。
 何よりも、空を見る日課なんて通学の負担が軽くなったことに比べたらとても些細なことだと思っていた。
「うっし、二十分経ったから行こうっ!」
 唯兄が元気よく立ち上がる。
 完全武装で自室を出ると、温度差のせいかさっきよりもリビングの空気が冷たく思えた。
 けれど、それ以上に冷たかったのは外の空気。
 外に出た唯兄はブルブルッと震える。
 普段から、唯兄は動物にたとえるなら猫だなとは思っていたけれど、こういった仕草を見ると余計にそう思う。
 さらには、平均台を歩くみたいに歩道の縁石を歩くからますますもって猫っぽい。
 縁石と言っても車道からは二十センチほどの高さがあるだけで、歩道とは同じ高さであり、ただただ歩道の端を歩いているにすぎないのだけど……。
 そこからぴょん、と弾みをつけて私の隣へジャンプした。私の右手を取ると、
「幸倉に帰ってきたから日課が再開できるね」
 唯兄はにっこりと笑って前を向いた。
しおりを挟む
感想 24

あなたにおすすめの小説

光のもとで2

葉野りるは
青春
一年の療養を経て高校へ入学した翠葉は「高校一年」という濃厚な時間を過ごし、 新たな気持ちで新学期を迎える。 好きな人と両思いにはなれたけれど、だからといって順風満帆にいくわけではないみたい。 少し環境が変わっただけで会う機会は減ってしまったし、気持ちがすれ違うことも多々。 それでも、同じ時間を過ごし共に歩めることに感謝を……。 この世界には当たり前のことなどひとつもなく、あるのは光のような奇跡だけだから。 何か問題が起きたとしても、一つひとつ乗り越えて行きたい―― (10万文字を一冊として、文庫本10冊ほどの長さです)

【完結】イケメンが邪魔して本命に告白できません

竹柏凪紗
青春
高校の入学式、芸能コースに通うアイドルでイケメンの如月風磨が普通科で目立たない最上碧衣の教室にやってきた。女子たちがキャーキャー騒ぐなか、風磨は碧衣の肩を抱き寄せ「お前、今日から俺の女な」と宣言する。その真意とウソつきたちによって複雑になっていく2人の結末とは──

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。

沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。 すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。 だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。 イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。 変わり果てた現実を前に、 夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。 深い後悔と悲しみに苛まれながら、 失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。 しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。 贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。 そして、母の心を知っていく子供たち。 イネスが求める愛とは、 そして、幸せとは――。

幼馴染が家出したので、僕と同居生活することになったのだが。

四乃森ゆいな
青春
とある事情で一人暮らしをしている僕──和泉湊はある日、幼馴染でクラスメイト、更には『女神様』と崇められている美少女、真城美桜を拾うことに……? どうやら何か事情があるらしく、頑なに喋ろうとしない美桜。普段は無愛想で、人との距離感が異常に遠い彼女だが、何故か僕にだけは世話焼きになり……挙句には、 「私と同棲してください!」 「要求が増えてますよ!」 意味のわからない同棲宣言をされてしまう。 とりあえず同居するという形で、居候することになった美桜は、家事から僕の宿題を見たりと、高校生らしい生活をしていくこととなる。 中学生の頃から疎遠気味だったために、空いていた互いの時間が徐々に埋まっていき、お互いに知らない自分を曝け出していく中──女神様は何でもない『日常』を、僕の隣で歩んでいく。 無愛想だけど僕にだけ本性をみせる女神様 × ワケあり陰キャぼっちの幼馴染が送る、半同棲な同居生活ラブコメ。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

学園のアイドルに、俺の部屋のギャル地縛霊がちょっかいを出すから話がややこしくなる。

たかなしポン太
青春
【第1回ノベルピアWEB小説コンテスト中間選考通過作品】 『み、見えるの?』 「見えるかと言われると……ギリ見えない……」 『ふぇっ? ちょっ、ちょっと! どこ見てんのよ!』  ◆◆◆  仏教系学園の高校に通う霊能者、尚也。  劣悪な環境での寮生活を1年間終えたあと、2年生から念願のアパート暮らしを始めることになった。  ところが入居予定のアパートの部屋に行ってみると……そこにはセーラー服を着たギャル地縛霊、りんが住み着いていた。  後悔の念が強すぎて、この世に魂が残ってしまったりん。  尚也はそんなりんを無事に成仏させるため、りんと共同生活をすることを決意する。    また新学期の学校では、尚也は学園のアイドルこと花宮琴葉と同じクラスで席も近くなった。  尚也は1年生の時、たまたま琴葉が困っていた時に助けてあげたことがあるのだが……    霊能者の尚也、ギャル地縛霊のりん、学園のアイドル琴葉。  3人とその仲間たちが繰り広げる、ちょっと不思議な日常。  愉快で甘くて、ちょっと切ない、ライトファンタジーなラブコメディー! ※本作品はフィクションであり、実在の人物や団体、製品とは一切関係ありません。

処理中です...