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最終章 恋のあとさき
60話
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年が明け、「新年なんだ」と意識はするものの、だからといって何が変わるわけでもなく……。
一般病棟ほど無機質さを感じる部屋ではない。けれども、絵画や目を瞠るような調度品が揃う部屋であっても病院の一室であり、病室であることに変わりはない。
身体中に取り付けられた管は術後四日目にほとんどが外された。けれど、三十八度台の熱が続いていることから面会は家族のみとされ、その家族ですら制限時間が設けられたまま。
そんな中、立派な花器にいけられたお花を蒼兄が持ってきてくれた。
誰から、と言われなくてもわかる。桃華さんだ。
花材は松に千両、朱色のアマリリスと黄色い葉牡丹。季節感はもちろんのこと、色味があたたかくて優しい。
「桃華さんは元気?」
「元気。……ただ、翠葉のことを心配してる」
「そう……」
「今日はクラスメイトからの伝言も預かってきてる」
「伝言……?」
「……お見舞いには来ないって。自分たちに会いたいなら早く元気になって学校に来い。待ってる、って」
「待ってる」という言葉に重みを感じ、心がじわりとあたたかくなる。
闇に引き込まれるような不安には襲われなかった。
「翠葉……」
「蒼兄、大丈夫。ちゃんと伝わってるから」
「…………」
「がんばらなくちゃ……。早くみんなに会いたいから、がんばらなくちゃ」
サイドテーブルにまとめて置いてある、クラスメイトから届いた年賀状を見てから蒼兄に視線を移し、にこりと笑うと驚いたような顔をされた。
「蒼兄?」
「あ、いや、なんでもない。……そうだな、がんばらないと……って、これも預かってきたんだった」
ボディーバッグから取り出したものはお守りだった。
「初詣のとき、翠葉の健康をみんなで祈ってくれたらしい」
手渡されたお守りを両手で持ってじっと見つめる。
白地の布に金糸の装飾がしてあり、オレンジの文字で神社の名前と「病気平癒」と書かれていた。
「……嬉しい。あとでみんなにメール送る」
「そうだな」
「……蒼兄」
「ん?」
「……もう、大丈夫だと思う。もう――休み明けの学校も、教室のドアも怖くないと思う」
蒼兄びっくりしたような顔をしていたけれど、すぐにとても柔らかい表情へと変わり、私が大好きな笑顔を見せてくれた。
術後七日目にしてようやく微熱といえる体温になったものの、今度は生理が始まった。
早くリハビリを開始したいのに思うようにスケジュールを組めない。
焦りを感じ始めた九日目――
一月七日に予期せぬ訪問客が訪れた。
コンコンコンコン――
私はドアを見つめる。けれど誰も入ってはこなかった。
ノック音自体は珍しくない。何が珍しいかと言うならば、ノック音のあとにドアが開かないこと。
先生や家族のノックは「入るための合図」でしかないため、こちらが答える前にドアが開く。
「空耳……?」
沈黙を守るドアを不思議に思って見ていると、「いますか?」という意味がこめられたかのようなノック音が再度聞こえてきた。
「はい……?」
「誰だろう?」というよりも、「なんだろう?」という気持ちで返事をすると、
「入っても良いかのぉ?」
のんびりとした口調は朗元さんのものだった。
「あっ、わっ……どうぞっ」
慌てて返事をすると、ようやくドアが開いた。
ドア枠内に立つ朗元さんが小さく見える。
これはドア枠が大きいのか朗元さんが小さいのか……。
そんなことを考えながら朗元さんを見ていた。
和装の出で立ちは過去三回と変わらず、首には柔らかそうな素材のストールがくるくると巻かれている。
ゆっくりではあるけれど、決して危なげな足取りではないそれでこちらへと歩いてくる。
顔色もいいし呼吸も普通。耳を澄ましても、あのとき聞いた苦しそうな音は聞こえない。
もう……大丈夫なの? 本当に、大丈夫なの?
本人を目の前にしても信じられない気持ちで胸がいっぱいになり、一歩一歩近づいてくる朗元さんを食い入るように見ていた。
朗元さんがベッド脇まで来ると、
「体調はどうかの?」
自分が尋ねたかったことを先に訊かれてしまい、すぐに反応することはできなかった。
「わしはこのとおり、今日退院じゃ。……じゃが、お嬢さんはまだかかるんじゃろうて……」
申し訳なさそうに瞳が揺れる。
「あっ……あの、大丈夫ですっ。術後熱がまだ引かないんですけど、ほかは順調に回復に向かっているみたいなのでっ」
羽毛布団をぎゅっと握りしめていた左手を、朗元さんの両手に包まれる。
「……すまなかったの。こんなことになってしまって。……苦しかったじゃろう? 痛かったじゃろう?」
そんなの、朗元さんだって同じだったはず。あんなに真っ青で、あんなに苦しそうで――
あの日私は、人が苦しむ姿を始めて目の当たりにした。
素人目にも明らかだった。あのままだったら朗元さんは命に関わる状態だったと。
いくら発作に対応できる施設があったとしても、人に知らせる術がなければ意味がない。私を気遣って防犯カメラを止めてさえいなければ、もっと早くに警備の人に気づいてもらえたのだ。
「防犯カメラを止めたのも人払いをしたのもわしじゃ。その責はわしにある。もし、お嬢さんが自分のことを責めているならそれは間違いじゃ。わしの責を取ってくれんでくれるかの?」
おっとりと話すものの、その声には有無を言わせない響きがあった。
「今回の入院でお嬢さんの進級に支障が出るようなことがあれば、わしがなんとかしよう」
「それはだめです」
「どうしてじゃ?」
きょとんとした顔で尋ねられる。
「うちの学園ならば学力さえ伴えばなんの問題もなかろうて」
「そういうことではなくて、私が嫌なんです。それに……ここで単位が取れる手はずを秋斗さんたちが整えてくださいました。だから、それをクリアして進級したいです」
「……相変わらず、お嬢さんは自分に厳しいんじゃの」
「そんなことはないです。ただ……無駄に負けず嫌いなだけだと思います」
「負けず嫌い、か……」
朗元さんは、ふっ、と笑った。
「わしの周りはどこを見ても負けず嫌いが多くて困るの」
「私、今のクラスメイトたちと一緒に進級したいんです……。絶対に」
「ならば――」
口を挟もうとする朗元さんをさらに遮る。
「もし一緒に進級できなかったとしてもっ、もう一度一年生をやってちゃんと二年生に進級したいです。この学校を卒業したい。ちゃんと、自分の力で」
ふとサイドテーブルに視線を移すと、あの日、パレスで朗元さんに涙を拭ってもらった手ぬぐいが目に入った。
「これ……」
お返ししようと思って手に取ると、朗元さんはその手ぬぐいを袂にしまい、懐から同じ手ぬぐいを取り出した。
「え? ……マジック?」
「ふぉっふぉっふぉ。わしはマジックはできぬ。ほれ、ここには今お嬢さんから返してもらった手ぬぐいがあるじゃろうて」
言いながら、袂から手ぬぐいを取り出した。
「これは今日お嬢さんに渡そうと思って持ってきたものじゃ」
「え……?」
「実はどちらでもかまわんのじゃ。本来ならパレスで渡す予定だったものでの」
言いながら袂から出した手ぬぐいを見つめた。
意味がわからなくて頭の中にクエスチョンマークがずらりと並ぶ。
「これは毎年五月にある藤の会の招待状代わりなんじゃ。面倒な人間も数多くいるが、お嬢さんが来るなら真白が喜ぶじゃろう。来てはくれぬかの?」
私は朗元さんの目を見ながらじっと考える。
「お嬢さんがあの手の集まりが苦手なのはわかっておるつもりじゃ。苦手なものは回を重ねても慣れぬじゃろう。真白がそのいい例じゃ。あれは幼少のころからあの手の会には何度も出ておる。じゃが、慣れることはのうての……。それでも立場上出席せぬわけにはいかぬものが多々ある。……真白を助けると思って来てはくれぬかの?」
「……真白さんと一緒にいられるのなら」
正直、先日のパレスの客層には気圧されてしまった。
以前、雅さんが口にした社交界とはああいうことを言うのだろう。
この場には馴染めない。瞬時にそう思った。
藤宮には関わっていく。けれど、それとこういう場に出席するしないはイコールではない。そう思いたくて、誰かに確認をしたいと思っていた。
「朗元さん……。藤宮に関わるということは、こういう会にも出席しないといけないのでしょうか……」
「お嬢さんが来ることで喜ぶ人間がおる。それだけじゃ。強制ではない」
言われてほっとした。
「事実、お嬢さんを招待できるパーティーは年にそう何度もあるわけじゃのうて。藤の会とわしの誕生パーティー、ほかにはパレスのプレオープン。そのくらいじゃろう。そして、お嬢さんを呼ぶ際には家族揃っての招待になるじゃろう」
それなら、と思えた。年に二回、家族も一緒なら、と思えた。
一般病棟ほど無機質さを感じる部屋ではない。けれども、絵画や目を瞠るような調度品が揃う部屋であっても病院の一室であり、病室であることに変わりはない。
身体中に取り付けられた管は術後四日目にほとんどが外された。けれど、三十八度台の熱が続いていることから面会は家族のみとされ、その家族ですら制限時間が設けられたまま。
そんな中、立派な花器にいけられたお花を蒼兄が持ってきてくれた。
誰から、と言われなくてもわかる。桃華さんだ。
花材は松に千両、朱色のアマリリスと黄色い葉牡丹。季節感はもちろんのこと、色味があたたかくて優しい。
「桃華さんは元気?」
「元気。……ただ、翠葉のことを心配してる」
「そう……」
「今日はクラスメイトからの伝言も預かってきてる」
「伝言……?」
「……お見舞いには来ないって。自分たちに会いたいなら早く元気になって学校に来い。待ってる、って」
「待ってる」という言葉に重みを感じ、心がじわりとあたたかくなる。
闇に引き込まれるような不安には襲われなかった。
「翠葉……」
「蒼兄、大丈夫。ちゃんと伝わってるから」
「…………」
「がんばらなくちゃ……。早くみんなに会いたいから、がんばらなくちゃ」
サイドテーブルにまとめて置いてある、クラスメイトから届いた年賀状を見てから蒼兄に視線を移し、にこりと笑うと驚いたような顔をされた。
「蒼兄?」
「あ、いや、なんでもない。……そうだな、がんばらないと……って、これも預かってきたんだった」
ボディーバッグから取り出したものはお守りだった。
「初詣のとき、翠葉の健康をみんなで祈ってくれたらしい」
手渡されたお守りを両手で持ってじっと見つめる。
白地の布に金糸の装飾がしてあり、オレンジの文字で神社の名前と「病気平癒」と書かれていた。
「……嬉しい。あとでみんなにメール送る」
「そうだな」
「……蒼兄」
「ん?」
「……もう、大丈夫だと思う。もう――休み明けの学校も、教室のドアも怖くないと思う」
蒼兄びっくりしたような顔をしていたけれど、すぐにとても柔らかい表情へと変わり、私が大好きな笑顔を見せてくれた。
術後七日目にしてようやく微熱といえる体温になったものの、今度は生理が始まった。
早くリハビリを開始したいのに思うようにスケジュールを組めない。
焦りを感じ始めた九日目――
一月七日に予期せぬ訪問客が訪れた。
コンコンコンコン――
私はドアを見つめる。けれど誰も入ってはこなかった。
ノック音自体は珍しくない。何が珍しいかと言うならば、ノック音のあとにドアが開かないこと。
先生や家族のノックは「入るための合図」でしかないため、こちらが答える前にドアが開く。
「空耳……?」
沈黙を守るドアを不思議に思って見ていると、「いますか?」という意味がこめられたかのようなノック音が再度聞こえてきた。
「はい……?」
「誰だろう?」というよりも、「なんだろう?」という気持ちで返事をすると、
「入っても良いかのぉ?」
のんびりとした口調は朗元さんのものだった。
「あっ、わっ……どうぞっ」
慌てて返事をすると、ようやくドアが開いた。
ドア枠内に立つ朗元さんが小さく見える。
これはドア枠が大きいのか朗元さんが小さいのか……。
そんなことを考えながら朗元さんを見ていた。
和装の出で立ちは過去三回と変わらず、首には柔らかそうな素材のストールがくるくると巻かれている。
ゆっくりではあるけれど、決して危なげな足取りではないそれでこちらへと歩いてくる。
顔色もいいし呼吸も普通。耳を澄ましても、あのとき聞いた苦しそうな音は聞こえない。
もう……大丈夫なの? 本当に、大丈夫なの?
本人を目の前にしても信じられない気持ちで胸がいっぱいになり、一歩一歩近づいてくる朗元さんを食い入るように見ていた。
朗元さんがベッド脇まで来ると、
「体調はどうかの?」
自分が尋ねたかったことを先に訊かれてしまい、すぐに反応することはできなかった。
「わしはこのとおり、今日退院じゃ。……じゃが、お嬢さんはまだかかるんじゃろうて……」
申し訳なさそうに瞳が揺れる。
「あっ……あの、大丈夫ですっ。術後熱がまだ引かないんですけど、ほかは順調に回復に向かっているみたいなのでっ」
羽毛布団をぎゅっと握りしめていた左手を、朗元さんの両手に包まれる。
「……すまなかったの。こんなことになってしまって。……苦しかったじゃろう? 痛かったじゃろう?」
そんなの、朗元さんだって同じだったはず。あんなに真っ青で、あんなに苦しそうで――
あの日私は、人が苦しむ姿を始めて目の当たりにした。
素人目にも明らかだった。あのままだったら朗元さんは命に関わる状態だったと。
いくら発作に対応できる施設があったとしても、人に知らせる術がなければ意味がない。私を気遣って防犯カメラを止めてさえいなければ、もっと早くに警備の人に気づいてもらえたのだ。
「防犯カメラを止めたのも人払いをしたのもわしじゃ。その責はわしにある。もし、お嬢さんが自分のことを責めているならそれは間違いじゃ。わしの責を取ってくれんでくれるかの?」
おっとりと話すものの、その声には有無を言わせない響きがあった。
「今回の入院でお嬢さんの進級に支障が出るようなことがあれば、わしがなんとかしよう」
「それはだめです」
「どうしてじゃ?」
きょとんとした顔で尋ねられる。
「うちの学園ならば学力さえ伴えばなんの問題もなかろうて」
「そういうことではなくて、私が嫌なんです。それに……ここで単位が取れる手はずを秋斗さんたちが整えてくださいました。だから、それをクリアして進級したいです」
「……相変わらず、お嬢さんは自分に厳しいんじゃの」
「そんなことはないです。ただ……無駄に負けず嫌いなだけだと思います」
「負けず嫌い、か……」
朗元さんは、ふっ、と笑った。
「わしの周りはどこを見ても負けず嫌いが多くて困るの」
「私、今のクラスメイトたちと一緒に進級したいんです……。絶対に」
「ならば――」
口を挟もうとする朗元さんをさらに遮る。
「もし一緒に進級できなかったとしてもっ、もう一度一年生をやってちゃんと二年生に進級したいです。この学校を卒業したい。ちゃんと、自分の力で」
ふとサイドテーブルに視線を移すと、あの日、パレスで朗元さんに涙を拭ってもらった手ぬぐいが目に入った。
「これ……」
お返ししようと思って手に取ると、朗元さんはその手ぬぐいを袂にしまい、懐から同じ手ぬぐいを取り出した。
「え? ……マジック?」
「ふぉっふぉっふぉ。わしはマジックはできぬ。ほれ、ここには今お嬢さんから返してもらった手ぬぐいがあるじゃろうて」
言いながら、袂から手ぬぐいを取り出した。
「これは今日お嬢さんに渡そうと思って持ってきたものじゃ」
「え……?」
「実はどちらでもかまわんのじゃ。本来ならパレスで渡す予定だったものでの」
言いながら袂から出した手ぬぐいを見つめた。
意味がわからなくて頭の中にクエスチョンマークがずらりと並ぶ。
「これは毎年五月にある藤の会の招待状代わりなんじゃ。面倒な人間も数多くいるが、お嬢さんが来るなら真白が喜ぶじゃろう。来てはくれぬかの?」
私は朗元さんの目を見ながらじっと考える。
「お嬢さんがあの手の集まりが苦手なのはわかっておるつもりじゃ。苦手なものは回を重ねても慣れぬじゃろう。真白がそのいい例じゃ。あれは幼少のころからあの手の会には何度も出ておる。じゃが、慣れることはのうての……。それでも立場上出席せぬわけにはいかぬものが多々ある。……真白を助けると思って来てはくれぬかの?」
「……真白さんと一緒にいられるのなら」
正直、先日のパレスの客層には気圧されてしまった。
以前、雅さんが口にした社交界とはああいうことを言うのだろう。
この場には馴染めない。瞬時にそう思った。
藤宮には関わっていく。けれど、それとこういう場に出席するしないはイコールではない。そう思いたくて、誰かに確認をしたいと思っていた。
「朗元さん……。藤宮に関わるということは、こういう会にも出席しないといけないのでしょうか……」
「お嬢さんが来ることで喜ぶ人間がおる。それだけじゃ。強制ではない」
言われてほっとした。
「事実、お嬢さんを招待できるパーティーは年にそう何度もあるわけじゃのうて。藤の会とわしの誕生パーティー、ほかにはパレスのプレオープン。そのくらいじゃろう。そして、お嬢さんを呼ぶ際には家族揃っての招待になるじゃろう」
それなら、と思えた。年に二回、家族も一緒なら、と思えた。
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