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最終章 恋のあとさき
61話
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「してからに……前にわしが言ったことは覚えておるかの?」
朗元さんに言われたこと……?
「白野で会うたときのことじゃ」
言われて思い出す。最後に交わした会話を。
――「お嬢さん、次に会うたときに教えてくれぬかの」。
――「何を、ですか?」。
――「お嬢さんの恋愛感情がどう変化したか、を」。
――「え……?」。
――「わしは『好き』という感情が意思でどうこうできるものとは思えんでのぉ……。じゃから、次に会うたときに教えておくれ」。
思い出して困惑する。
あのとき私は、ツカサを好きという気持ちを捨ててでもふたりの手を離したくないと思ったのだ。
けれど、実際はどうだろう。今、私の心はどうだろう……。
ツカサを強く意識するばかりで、「好き」という感情を捨てられてはいない。変化など、ない。
「……まだ変化はないようじゃの。気にする必要はなかろうて……。わしはただ、お嬢さんの気持ちに変化があったら知りたいのじゃ。何がどう変わったのかを」
変化――
変化はあったかもしれない。でも、それを認めることはできなかった。
もっとツカサを意識するようになってしまったとは、口が裂けても言えない。
口にしたら、「捨てる」ことができなくなりそうで。諦めることができなくなりそうで……。
欲張りだ――ふたりを手放したくないうえに、この気持ちも手放したくないだなんて……。
私、欲張りすぎる。
コンコンコンコン――
ノック音にはっとして顔を上げる。けれどドアは開かない。
今度は誰だろう……?
思いながらドアを見つめていると、
「誰ぞ」
私が答えない代わりに朗元さんが返事をしてくれた。
「秋斗です」
朗元さんは私を振り返り、
「わしの迎えじゃ。入れても良いかの?」
「……はい」
「やだったら断わってかまわんのじゃぞ?」
「えっ!? やだなんてそんなことはないですっ」
「そうかの?」
「はい……」
「入って良いぞ」
ドアに向かって朗元さんが一言放つと、ドアは静かに開いた。
「じーさん……迎えに来いって呼んでおきながら来たらいないとかやめてよ」
言いながら秋斗さんが入ってきた。そして、その後ろにツカサもいた。
「じゃが、わしが呼んだことで早々にお嬢さんに会えたじゃろ?」
「それはそうだけど……」
秋斗さんは黒のロングコートを腕にかけ、白いシャツにグレーのVネックセーターを着ていた。
ツカサはネイビーのコートを腕にかけている。フードがついていてボタンがトルグとなると、ダッフルコート、かな?
細身のパンツはコーデュロイ。トップスには黒いハイネックを着ていて、見るからに隙がない。
秋斗さんはベッドから少し離れた位置で足を止め、
「具合はどう?」
うかがうような目で私を見る。
言葉も声も表情も、動作も何もかもが私をうかがっていた。
ものすごく神経を遣って接してくれている――そんな感じ。
「今日から――今日から家族以外の面会も許可が下りました」
緊張しながら答えると、
「それは具合がいいのか悪いのかを答えていることにはならない」
容赦なくツカサに却下される。
「……術後熱も引いてきたので大丈夫、です?」
「五十点」
「……術後熱も引いてきて、とくにはだるくもないし、明後日にはリハビリが開始できる予定なので……大丈夫、です?」
「及第点」
一〇〇点を求めて言葉を探すものの、だんだん国語の添削をされている気分になってくる。さらには、及第点をもらえたならこれ以上は考えなくてもいいだろうか、という思いが浮上する始末。
頭の回転はいつだっていいとは言えない。でも、今はいつもに増して悪い気がする。
だって、朗元さんとあんな会話をした直後にこのふたりがやって来るとは思いもしなかったから。
話題を変えたくて、
「秋斗さん、ツカサ。明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いいたします」
新年の挨拶を強行してみた。
すると、秋斗さんからは同様の挨拶が返され、ツカサからは「この状況で新年の挨拶もないと思うけど?」と素っ気ない返事。
「そもそも、俺は新年の挨拶をしにきたわけでもじーさんを迎えに来たわけでもない」
「ほ?」
「「え?」」
「ほ?」と言ったのは朗元さん。私と声が重なったのは秋斗さん。
「じゃ、おまえ何しに来たの?」
秋斗さんが訊くと、ツカサは短く「説教」と答えた。
「はて……説教、とな。司は人を説教できるほど立派な人間だったかの?」
朗元さんが秋斗さんに訊くと、秋斗さんは「さぁ、どうかな」と首を傾け苦笑した。
「では、お嬢さんに訊くとするかの」
朗元さんが私に向き直り、秋斗さんと同じように首を傾げる。
「司に説教を食らうようなことをしたのかの?」
朗元さんに見つめられ、私はその視線から逃れるように手元を見た。
ツカサが怒っているのは私が走ったから。私が私を大切にしなかったからだと思う。
もちろん、走ったことは反省している。けれども、同じような状況に陥れば、私は何度でも同じ行動を取るだろう。
また、ツカサとケンカになるのかな……。
「ふむ。とりあえず、その説教とやらを聞かせてもらうとするかの?」
えっ?
朗元さんの言葉にびっくりして顔を上げると、
「じーさんには関係ない」
「関係なくとも興味がある」
「その無駄な好奇心、すごく迷惑なんだけど……」
嫌そうな顔をするツカサの正面で、朗元さんはケロリとした顔をしていた。
そんなふたりの間に秋斗さんが割って入り、
「じーさん、帰ろう」
「秋斗は気にならんのか?」
「まさか。……気にはなる。でも、司だからね。何に腹を立てているのかは察しがつくし、今の翠葉ちゃんの状態を理解してないわけもないと思う。それに、家で真白さんが待ってるんでしょ? 俺は真白さんを待たせた結果、涼さんに報復されることのほうが怖い」
秋斗さんはこちらに向き直り、
「明日、また来るね」
「え……?」
「迷惑?」
いっそう近くに寄られて身を引いてしまった。
すぐに否定を示す言葉を口にしたけれど、あまり信憑性はなかったかもしれない。
「……安心して。明日は授業で使うパソコンをセッティングしに来るだけだから」
秋斗さんは言ってすぐにベッドから離れた。
傷つけたかもしれない。そう思って背中を視線で追ったけれど、秋斗さんは振り返ることなく病室を出ていった。
「司も長居はせぬように。それと――何を話してもかまわぬが、お嬢さんが走ったことだけは責めるでないぞ」
朗元さんが病室を出たあと、ツカサが小さく零した。
「狸じじぃ……」
あまり聞かない言葉にびっくりしつつ、
「朗元さん……ツカサが怒っている理由を知っていたのね」
確認するように訊いてみると、ツカサが眉間にしわを寄せて振り向いた。
「まさかと思うけど……翠が走ったことを怒っていると思っているのか?」
「……違うの?」
「違うから……」
ツカサは腕にかけていたコートをソファの背にかけると、少々荒い仕草で革のかばんから包みをふたつ取り出した。
「走ったことを説教したところで根本の解決にはならないだろ」
言われてみればそうだけれど、では何を怒られるのだろう……。
ツカサは包みをひとつ開けると、細長い形状の紐を私の手元に投げてよこした。
「ストラップ変えろ」
「え……?」
「走ったことを反省しても同じことがあれば翠は何度でも走るだろ? ならどうしたらいいか――俺にできるのはそういう状況を回避させることくらい」
それでストラップ……?
私の手元に投げられたものは、シンプルなネックストラップ。
「それ、長さ調節できるから、斜めかけショルダーにもなる。もうひとつはショルダータイプの携帯ホルダー。こっちは学生証と薬が入れられるポケットつき」
まるで小さなポシェットのようなそれを押し付けられると、
「ここまでしたんだ。次に携帯不携帯が発覚したときには容赦なく怒っていいと思うんだけど」
「どう?」と真顔で訊かれたので真顔で返す。
「……うん、怒られても仕方がない気がしてきた」
「……この色なら制服にも合うだろ。素材もナイロンだから擦れて制服が毛羽立つこともない」
ふたつとも、制服に使われているリボンと同じ色の生地で作られており、どちらも重量を感じないほどに軽い。生地表面に指を滑らせるとサラッとしていた。
それにしても、学生証と薬が入る携帯ホルダーなんてよく見つけ――
「もしかして……オーダーメイド?」
ツカサは包みを片付けていた手を止めた。
「既製品を探すよりも早い。それに、オーダーメイドのもののほうが使わなかった際の罪悪感が増すと思わないか?」
唖然としてしまったけれど、前者はとても藤宮らしい考え方だし、後者においてはツカサらしさ全開だ。
若干複雑な気持ちではあるものの、ツカサが私のために用意してくれたことに変わりはなく、胸のあたりがじんわりとあたたかくなるのを感じる。
たぶん、嬉しいのだ。でも、嬉しいと感じることがとても悪いことのように思えて、髪の毛で顔を隠すように下を向いた。
「あり、がと。大切に使うね」
「……別に、どんな扱いをしてもかまわない。ただ、携帯だけは所持していてほしい」
「気をつける……」
会話が一段落つくと、ツカサがお茶を淹れてくれた。
カップに手を伸ばすと再度尋ねられる。
「体調は?」
「さっきのじゃだめ?」
「……翠が及第点でいいならいいけど?」
「やり直してみるけれど、あまり変わらないと思うよ?」
「……変わらないものをやり直したところで及第点を免れると思うのか?」
「思いません……」
「じゃぁ、その点善処して」
「はい……」
こんなやりとりにほっとする。
ツカサのきれいで隙のない笑顔は遠くから眺めている分にはいいけれど、それが自分に向けられるとなると話は別。
格好いいから困るのと、何を考えているのかわからなくて怖いから。
人によっては無表情で淡々と言葉を繰り出す今みたいな話し方のほうが怖く思えるかもしれない。けれど、私はこっちのほうが好き。
考えを深読みしなくてすむし、そもそも深読みする時間がない。
「熱は三十七度四分。血圧は九十の六十八。手術の傷はまだ痛むけど、手術前の苦しさと比べたらすごく楽」
「……当たり前。手術までして症状が改善されてなかったら詐欺だろ」
私は、「そうだね」と肩を竦めて苦笑した。
「来週からリハビリが始まるの。あとは……この身体しだいかな」
リハビリにどれくらい時間を要するのか、貧血がどのくらいで改善されるのか。まだ明確な時期はわからない。術後の容態が安定して、ようやく次のステップに進めるのだ。
術後二、三日でリハビリを開始できる人もいるというのだから、私はだいぶ出遅れている気がする。
そんなことを考えていると、ツカサがかばんからプリントを取り出しテーブルに広げた。
「学校の授業がここで受けられるようになるとは言え、リハビリや回復時間の間は授業を受けられない」
プリントには時間割が記されており、授業を受けられない部分には斜線が引かれていた。
「受けられなかった授業は、就寝までの時間を使って録画された授業を見て補う。その場合、次の授業始めにある小テストを前倒しで最後に受けることになる。回答は教諭宛にメール送信。採点の結果、理解不足が認められた箇所については俺の補習が入る」
頷きながら聞いていて、最後に頷いてからはっとした。
「……ツカサの、補習?」
「何か問題でも?」
「そういうことじゃなくて……。どうして?」
「俺が直談判したから。学園長と高校長の許可は下りている」
次にはそれを証明する書類を見せられた。
直筆と思われるサインふたつと学校印が押されている。書類があるのだから事実なのだろう。それはわかったけれど――
「三学期は進級試験のテスト勉強が大変なんじゃないの?」
藤宮のテストで一番ボリュームがあり、かつシビアなのは三学期の進級試験だと蒼兄から聞いていた。
一、二学期でどれほど優秀な成績をおさめていても、三学期の進級試験をパスできないと進級が危ぶまれるという。
「誰にものを言っている?」
無表情がより際立つ物言いにトクンと心臓が飛び跳ねた。
「俺の心配をするくらいなら自分の心配してくれないか? 少なくとも、俺は翠に時間を割く程度で進級できない事態に陥るとは思っていない」
さらりとそう言えてしまう自信が羨ましい。
「そもそも、翠はそれほど自分の理解能力が低いと思っているのか? 録画された授業を見て理解できない箇所がそれほどあると? うちの学校、そこまで程度の低い授業はしないはずなんだけど」
思わず頭を抱えたくなる。
レベルの高い授業だからこそ理解が追いつかない、という考えがないあたりがツカサらしい。
これ以上何か言うと、もっと明後日の方向へ行ってしまいそうで、私はおとなしく口を噤んだ。
ツカサが帰ったあと、いただいたばかりのネックストラップと携帯ホルダーを眺めていた。
今つけているストラップを外しても、ネックストラップと携帯ホルダーに取り付けられる金具が用意されている。大切なものたちに、ちゃんと指定席を用意してもらえていた。
ストラップも、補習を見てもらえることも、どちらも嬉しいと思うのに素直に喜べない。喜んではいけない気がする。
喜ぶことがとても悪いことのような気がして――心が重い。
自分でどうすることもできない感情は、いつどうやって変わるのだろう。
「時が経つのを待つだけなのかな……」
待っている間、何を感じても何も感じていないふうを装うのかな。
感情が風化する前に、自分の心が風化してしまう気がした。
朗元さんに言われたこと……?
「白野で会うたときのことじゃ」
言われて思い出す。最後に交わした会話を。
――「お嬢さん、次に会うたときに教えてくれぬかの」。
――「何を、ですか?」。
――「お嬢さんの恋愛感情がどう変化したか、を」。
――「え……?」。
――「わしは『好き』という感情が意思でどうこうできるものとは思えんでのぉ……。じゃから、次に会うたときに教えておくれ」。
思い出して困惑する。
あのとき私は、ツカサを好きという気持ちを捨ててでもふたりの手を離したくないと思ったのだ。
けれど、実際はどうだろう。今、私の心はどうだろう……。
ツカサを強く意識するばかりで、「好き」という感情を捨てられてはいない。変化など、ない。
「……まだ変化はないようじゃの。気にする必要はなかろうて……。わしはただ、お嬢さんの気持ちに変化があったら知りたいのじゃ。何がどう変わったのかを」
変化――
変化はあったかもしれない。でも、それを認めることはできなかった。
もっとツカサを意識するようになってしまったとは、口が裂けても言えない。
口にしたら、「捨てる」ことができなくなりそうで。諦めることができなくなりそうで……。
欲張りだ――ふたりを手放したくないうえに、この気持ちも手放したくないだなんて……。
私、欲張りすぎる。
コンコンコンコン――
ノック音にはっとして顔を上げる。けれどドアは開かない。
今度は誰だろう……?
思いながらドアを見つめていると、
「誰ぞ」
私が答えない代わりに朗元さんが返事をしてくれた。
「秋斗です」
朗元さんは私を振り返り、
「わしの迎えじゃ。入れても良いかの?」
「……はい」
「やだったら断わってかまわんのじゃぞ?」
「えっ!? やだなんてそんなことはないですっ」
「そうかの?」
「はい……」
「入って良いぞ」
ドアに向かって朗元さんが一言放つと、ドアは静かに開いた。
「じーさん……迎えに来いって呼んでおきながら来たらいないとかやめてよ」
言いながら秋斗さんが入ってきた。そして、その後ろにツカサもいた。
「じゃが、わしが呼んだことで早々にお嬢さんに会えたじゃろ?」
「それはそうだけど……」
秋斗さんは黒のロングコートを腕にかけ、白いシャツにグレーのVネックセーターを着ていた。
ツカサはネイビーのコートを腕にかけている。フードがついていてボタンがトルグとなると、ダッフルコート、かな?
細身のパンツはコーデュロイ。トップスには黒いハイネックを着ていて、見るからに隙がない。
秋斗さんはベッドから少し離れた位置で足を止め、
「具合はどう?」
うかがうような目で私を見る。
言葉も声も表情も、動作も何もかもが私をうかがっていた。
ものすごく神経を遣って接してくれている――そんな感じ。
「今日から――今日から家族以外の面会も許可が下りました」
緊張しながら答えると、
「それは具合がいいのか悪いのかを答えていることにはならない」
容赦なくツカサに却下される。
「……術後熱も引いてきたので大丈夫、です?」
「五十点」
「……術後熱も引いてきて、とくにはだるくもないし、明後日にはリハビリが開始できる予定なので……大丈夫、です?」
「及第点」
一〇〇点を求めて言葉を探すものの、だんだん国語の添削をされている気分になってくる。さらには、及第点をもらえたならこれ以上は考えなくてもいいだろうか、という思いが浮上する始末。
頭の回転はいつだっていいとは言えない。でも、今はいつもに増して悪い気がする。
だって、朗元さんとあんな会話をした直後にこのふたりがやって来るとは思いもしなかったから。
話題を変えたくて、
「秋斗さん、ツカサ。明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いいたします」
新年の挨拶を強行してみた。
すると、秋斗さんからは同様の挨拶が返され、ツカサからは「この状況で新年の挨拶もないと思うけど?」と素っ気ない返事。
「そもそも、俺は新年の挨拶をしにきたわけでもじーさんを迎えに来たわけでもない」
「ほ?」
「「え?」」
「ほ?」と言ったのは朗元さん。私と声が重なったのは秋斗さん。
「じゃ、おまえ何しに来たの?」
秋斗さんが訊くと、ツカサは短く「説教」と答えた。
「はて……説教、とな。司は人を説教できるほど立派な人間だったかの?」
朗元さんが秋斗さんに訊くと、秋斗さんは「さぁ、どうかな」と首を傾け苦笑した。
「では、お嬢さんに訊くとするかの」
朗元さんが私に向き直り、秋斗さんと同じように首を傾げる。
「司に説教を食らうようなことをしたのかの?」
朗元さんに見つめられ、私はその視線から逃れるように手元を見た。
ツカサが怒っているのは私が走ったから。私が私を大切にしなかったからだと思う。
もちろん、走ったことは反省している。けれども、同じような状況に陥れば、私は何度でも同じ行動を取るだろう。
また、ツカサとケンカになるのかな……。
「ふむ。とりあえず、その説教とやらを聞かせてもらうとするかの?」
えっ?
朗元さんの言葉にびっくりして顔を上げると、
「じーさんには関係ない」
「関係なくとも興味がある」
「その無駄な好奇心、すごく迷惑なんだけど……」
嫌そうな顔をするツカサの正面で、朗元さんはケロリとした顔をしていた。
そんなふたりの間に秋斗さんが割って入り、
「じーさん、帰ろう」
「秋斗は気にならんのか?」
「まさか。……気にはなる。でも、司だからね。何に腹を立てているのかは察しがつくし、今の翠葉ちゃんの状態を理解してないわけもないと思う。それに、家で真白さんが待ってるんでしょ? 俺は真白さんを待たせた結果、涼さんに報復されることのほうが怖い」
秋斗さんはこちらに向き直り、
「明日、また来るね」
「え……?」
「迷惑?」
いっそう近くに寄られて身を引いてしまった。
すぐに否定を示す言葉を口にしたけれど、あまり信憑性はなかったかもしれない。
「……安心して。明日は授業で使うパソコンをセッティングしに来るだけだから」
秋斗さんは言ってすぐにベッドから離れた。
傷つけたかもしれない。そう思って背中を視線で追ったけれど、秋斗さんは振り返ることなく病室を出ていった。
「司も長居はせぬように。それと――何を話してもかまわぬが、お嬢さんが走ったことだけは責めるでないぞ」
朗元さんが病室を出たあと、ツカサが小さく零した。
「狸じじぃ……」
あまり聞かない言葉にびっくりしつつ、
「朗元さん……ツカサが怒っている理由を知っていたのね」
確認するように訊いてみると、ツカサが眉間にしわを寄せて振り向いた。
「まさかと思うけど……翠が走ったことを怒っていると思っているのか?」
「……違うの?」
「違うから……」
ツカサは腕にかけていたコートをソファの背にかけると、少々荒い仕草で革のかばんから包みをふたつ取り出した。
「走ったことを説教したところで根本の解決にはならないだろ」
言われてみればそうだけれど、では何を怒られるのだろう……。
ツカサは包みをひとつ開けると、細長い形状の紐を私の手元に投げてよこした。
「ストラップ変えろ」
「え……?」
「走ったことを反省しても同じことがあれば翠は何度でも走るだろ? ならどうしたらいいか――俺にできるのはそういう状況を回避させることくらい」
それでストラップ……?
私の手元に投げられたものは、シンプルなネックストラップ。
「それ、長さ調節できるから、斜めかけショルダーにもなる。もうひとつはショルダータイプの携帯ホルダー。こっちは学生証と薬が入れられるポケットつき」
まるで小さなポシェットのようなそれを押し付けられると、
「ここまでしたんだ。次に携帯不携帯が発覚したときには容赦なく怒っていいと思うんだけど」
「どう?」と真顔で訊かれたので真顔で返す。
「……うん、怒られても仕方がない気がしてきた」
「……この色なら制服にも合うだろ。素材もナイロンだから擦れて制服が毛羽立つこともない」
ふたつとも、制服に使われているリボンと同じ色の生地で作られており、どちらも重量を感じないほどに軽い。生地表面に指を滑らせるとサラッとしていた。
それにしても、学生証と薬が入る携帯ホルダーなんてよく見つけ――
「もしかして……オーダーメイド?」
ツカサは包みを片付けていた手を止めた。
「既製品を探すよりも早い。それに、オーダーメイドのもののほうが使わなかった際の罪悪感が増すと思わないか?」
唖然としてしまったけれど、前者はとても藤宮らしい考え方だし、後者においてはツカサらしさ全開だ。
若干複雑な気持ちではあるものの、ツカサが私のために用意してくれたことに変わりはなく、胸のあたりがじんわりとあたたかくなるのを感じる。
たぶん、嬉しいのだ。でも、嬉しいと感じることがとても悪いことのように思えて、髪の毛で顔を隠すように下を向いた。
「あり、がと。大切に使うね」
「……別に、どんな扱いをしてもかまわない。ただ、携帯だけは所持していてほしい」
「気をつける……」
会話が一段落つくと、ツカサがお茶を淹れてくれた。
カップに手を伸ばすと再度尋ねられる。
「体調は?」
「さっきのじゃだめ?」
「……翠が及第点でいいならいいけど?」
「やり直してみるけれど、あまり変わらないと思うよ?」
「……変わらないものをやり直したところで及第点を免れると思うのか?」
「思いません……」
「じゃぁ、その点善処して」
「はい……」
こんなやりとりにほっとする。
ツカサのきれいで隙のない笑顔は遠くから眺めている分にはいいけれど、それが自分に向けられるとなると話は別。
格好いいから困るのと、何を考えているのかわからなくて怖いから。
人によっては無表情で淡々と言葉を繰り出す今みたいな話し方のほうが怖く思えるかもしれない。けれど、私はこっちのほうが好き。
考えを深読みしなくてすむし、そもそも深読みする時間がない。
「熱は三十七度四分。血圧は九十の六十八。手術の傷はまだ痛むけど、手術前の苦しさと比べたらすごく楽」
「……当たり前。手術までして症状が改善されてなかったら詐欺だろ」
私は、「そうだね」と肩を竦めて苦笑した。
「来週からリハビリが始まるの。あとは……この身体しだいかな」
リハビリにどれくらい時間を要するのか、貧血がどのくらいで改善されるのか。まだ明確な時期はわからない。術後の容態が安定して、ようやく次のステップに進めるのだ。
術後二、三日でリハビリを開始できる人もいるというのだから、私はだいぶ出遅れている気がする。
そんなことを考えていると、ツカサがかばんからプリントを取り出しテーブルに広げた。
「学校の授業がここで受けられるようになるとは言え、リハビリや回復時間の間は授業を受けられない」
プリントには時間割が記されており、授業を受けられない部分には斜線が引かれていた。
「受けられなかった授業は、就寝までの時間を使って録画された授業を見て補う。その場合、次の授業始めにある小テストを前倒しで最後に受けることになる。回答は教諭宛にメール送信。採点の結果、理解不足が認められた箇所については俺の補習が入る」
頷きながら聞いていて、最後に頷いてからはっとした。
「……ツカサの、補習?」
「何か問題でも?」
「そういうことじゃなくて……。どうして?」
「俺が直談判したから。学園長と高校長の許可は下りている」
次にはそれを証明する書類を見せられた。
直筆と思われるサインふたつと学校印が押されている。書類があるのだから事実なのだろう。それはわかったけれど――
「三学期は進級試験のテスト勉強が大変なんじゃないの?」
藤宮のテストで一番ボリュームがあり、かつシビアなのは三学期の進級試験だと蒼兄から聞いていた。
一、二学期でどれほど優秀な成績をおさめていても、三学期の進級試験をパスできないと進級が危ぶまれるという。
「誰にものを言っている?」
無表情がより際立つ物言いにトクンと心臓が飛び跳ねた。
「俺の心配をするくらいなら自分の心配してくれないか? 少なくとも、俺は翠に時間を割く程度で進級できない事態に陥るとは思っていない」
さらりとそう言えてしまう自信が羨ましい。
「そもそも、翠はそれほど自分の理解能力が低いと思っているのか? 録画された授業を見て理解できない箇所がそれほどあると? うちの学校、そこまで程度の低い授業はしないはずなんだけど」
思わず頭を抱えたくなる。
レベルの高い授業だからこそ理解が追いつかない、という考えがないあたりがツカサらしい。
これ以上何か言うと、もっと明後日の方向へ行ってしまいそうで、私はおとなしく口を噤んだ。
ツカサが帰ったあと、いただいたばかりのネックストラップと携帯ホルダーを眺めていた。
今つけているストラップを外しても、ネックストラップと携帯ホルダーに取り付けられる金具が用意されている。大切なものたちに、ちゃんと指定席を用意してもらえていた。
ストラップも、補習を見てもらえることも、どちらも嬉しいと思うのに素直に喜べない。喜んではいけない気がする。
喜ぶことがとても悪いことのような気がして――心が重い。
自分でどうすることもできない感情は、いつどうやって変わるのだろう。
「時が経つのを待つだけなのかな……」
待っている間、何を感じても何も感じていないふうを装うのかな。
感情が風化する前に、自分の心が風化してしまう気がした。
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また新学期の学校では、尚也は学園のアイドルこと花宮琴葉と同じクラスで席も近くなった。
尚也は1年生の時、たまたま琴葉が困っていた時に助けてあげたことがあるのだが……
霊能者の尚也、ギャル地縛霊のりん、学園のアイドル琴葉。
3人とその仲間たちが繰り広げる、ちょっと不思議な日常。
愉快で甘くて、ちょっと切ない、ライトファンタジーなラブコメディー!
※本作品はフィクションであり、実在の人物や団体、製品とは一切関係ありません。
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