異世界列車囚人輸送

先川(あくと)

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1章 哀れな牧人

2、ホテルに入る

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 アンナがユーゴを連れてきたのは宿屋だった。
 ヴァスケイルの開拓に伴って急場しのぎに発展したアヴィリオンは、粗雑な木造建築ながらかつては六軒も宿屋があった。

 今では宿屋は町に一軒だけ。

 以前は近隣の集落から新婚夫婦がハネムーンに立ち寄ったという観光ホテルが、今では人夫宿同然に流れ者を受け入れていた。

 アンナは宿屋の前まで来ると、ユーゴを引き寄せて、まっすぐに彼の目を見た。

 そして、小さい子どもに言い聞かせるように言った。

「良い? 私が宿屋の主人と話をつけるから、その間、あなたは一言も口をきかないこと。約束してくれるよね?」
「話をつけるってなんだよ」
「見てれば分かるわ。とにかく、ユーゴは一言も口をきかないで。何があっても、どうなってもじっと黙っててほしいの。その後のことは全部任せて」
「おい、どうしたんだ? 一体、何をしようって言うんだ?」
「あとで説明するから」

 アンナはそう言って、覚悟を決めたように後ろ髪をなでつけた。
 ユーゴは動揺しきっていた。
 彼の知っているアンナはそれほど大胆な女ではなかった。どちらかというと奥手な方で、いつだったか半裸で馬を洗っていた彼を見て赤面するほどだった。

 それが今日のアンナは二年ぶりに会ったというのに、どこか心配になるほど強引だった。

「アンナ、大丈夫か。君は……」
「一生に一度のお願いだから、付き合ってくれない?」
 アンナはまっすぐとユーゴを見返した。
「わ、分かった」
 ユーゴはその気迫に圧されて頷いた。
 アンナは彼の手を引くと、宿屋のドアを開けて中に入っていった。

「二人でお願い。新婚用のスイートはあいてるかしら?」

「あいてますよ。ようこそ、お越しで」
 宿屋の主人はカウンターの奥で帳簿に視線を落としており、爽やかな笑顔とともにカギを取り出した。

 そのときはまだ二人のことを微笑ましい新婚夫婦としか思っておらず、辺境の集落からどこか新婚旅行に向かう途中なのだろうと考えていた。
 最近では新婚用のスイートに泊まりたがる客はほとんどいなかった。
 宿屋の主人は不器用ながら愛想のいい笑みを浮かべ、カギを持って、二人の方に向き直った。

 だが、アンナと目を合わせ、それが誰であるかを認識した途端、宿屋の主人は露骨に表情を曇らせた。

「ちょっとアンナさん、どういうつもりですか?」
「この人と、新婚用のスイートに泊まるのよ。空いてるわよね」
「悪い冗談はよしてくださいよ」
「私は本気よ」
「本気なら余計に渡せませんよ」
「どうして?」
「言わなくても分かるでしょう」
「ううん、言ってみなさいよ」

 アンナは頬を強張らせながら言った。

「困らせないでくださいな」

 宿屋の主人は泣きそうな表情になった。
「気にしないわ。言ってみなさい」

「こんなことを言うのは心苦しいんですがね、アンナさんはトウセキと一緒になったんでしょう。アンナさんを殿方とお泊めしたなんてことが知れたら、わたしはトウセキに殺される」

「じゃあ、黙ってることね」

 アンナはそういうと宿屋の主人の手からカギを奪い取り、ユーゴの手を引いて階段をあがりはじめた。

「ちょ、ちょっと、アンナさん!」

 宿屋の主人の顔色が変わった。

 カウンターから慌てて飛び出すと、壁に立てかけてあった猟銃を掴み取る。

 年代物の術式銃で、長い銃身の割に構造は原始的だ。

 結晶化された魔力を爆発させ、銃弾に推進力を与えるほかは、装填も排莢も手動で行わなければいけない。
 それでも人を殺すには十分な代物だった。

 ユーゴは殺気だった宿屋の主人の顔をじっと眺めていたが、アンナとの約束があるため、どうすることもできずに黙っていた。

「止まるんだ、アンナさん!」

 宿屋の主人は銃を伸ばして二人の行く先を阻むと、銃口を払うようにして、二人を押し戻した。
 小太りの中年男は、太い指を窮屈そうにトリガーガードの中に挿しこんでいる。

「私だけの問題では済まないんだ。一家全員が皆殺しにされる。それだけじゃない。この町ごと焼き払われても文句は言えないんだ」

「通してください」

 アンナは猟銃にも表情一つ変えなかった。

「考え直してくださいな。好き好んでトウセキの女になったわけじゃないのは知ってるが、この町にいる限り勝手は許さねえ」

 宿屋の主人は撃鉄を起こして構えると、アンナに銃口を向けた。

「撃てるものなら撃つといいわ。そんなことしたら、それこそ一家もろとも皆殺しよ」
「あんたは撃ちやしない。そっちの男を撃つんだ」

 宿屋の主人はユーゴに銃口を向けた。

 ユーゴは宿屋の主人の目を真っ直ぐ見返した。

 宿屋の主人は顔中に汗を浮かばせ、それが一つ、二つとまとまっては、水滴となって滴り落ちていく。

 髪は土砂降りにあったかのように濡れていた。

 この場でただ一人銃を持っているのに、宿屋の主人は誰よりも怯えていた。
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