勇者、チー牛

チー牛Y

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57:変な店と、忘れられない味

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昼の森は、ひどく静かだった。
人の気配はなく、聞こえるのは風が葉を揺らす音と、木々が擦れ合う乾いたざわめきだけ。

道から少し外れた場所に、簡素な小屋がある。

葉と枝を組み合わせただけの即席の建物で、看板らしき板は掛かっているが、そこに書かれた文字は、この世界の者にはほとんど意味を成さない。

『牛丼屋』

その言葉を知らなければ、ここが食事処だとはまず思わないだろう。

凰翔は、粗末なカウンターの内側に立っていた。

奥には、葉を何枚も重ねて作った仕切りがある。

一見すれば調理場――そう思わせるための、ただの区切りだ。

実際に火は使わない。
鍋も包丁も、食材の山も存在しない。

ただ、仕切りの向こうへ入る。
それだけで、すべては終わる。

「……今日も、来ないかな」

独り言のように呟いた、その直後だった。

踏みしめる音。
落ち葉を踏む、慎重な足音が近づいてくる。

「こんな所に……店? ……なのか?」

旅装の男が、小屋の前で立ち止まった。

警戒する視線が、看板と凰翔を行き来する。

「はい。食事処です」

「……本当に? なにが食えるんだ?」

「チーズ牛丼です。かなり珍しい料理ですよ」

「牛丼……? チーズは分かるが」

「ご飯の上に、肉とチーズを載せた料理です」

「ほう。肉か。……まあ、腹に溜まるなら文句はない」

「はい。では、すぐに作りますね」

凰翔はそれだけ言って、葉の仕切りの奥へ入った。

――その瞬間。

ふわり、と。
甘く、香ばしい匂いが、風に乗って流れ出した。

焼いた肉の脂。
とろけるチーズの濃厚さ。
米の湯気が持つ、安心する香り。

男の腹が、小さく鳴った。

「……?」

思わず、鼻を鳴らす。

仕切りの向こうは見えない。
だが、確かに“料理している気配”だけは存在していた。

調理場では、ギンが静かに伏せている。

凰翔のスキルで作られた牛丼の匂いを、ギンの風魔法が、絶妙な加減で外へと送り出していた。

強すぎず、弱すぎず。
鼻腔をくすぐり、食欲だけを正確に刺激する流れ。

男は無意識のうちに、唾を飲み込んでいた。

やがて、凰翔が仕切りの向こうから戻ってくる。

手には、器がひとつ。

「お待たせしました。外に席があるので、ごゆっくりどうぞ」

白い米の上に盛られた、見慣れない料理。

照りのある肉から、湯気が静かに立ち上っている。

「……これが、チーズ牛丼?」

「はい!」

男は丼を持って外の席に移り、腰を下ろした。警戒を捨てきれないまま、匙を取る。

一口。

次の瞬間、男は動きを止めた。

「……うまいな」

それ以上、言葉はなかった。
ただ黙々と、匙を運び続ける。

食べ終えた頃、ようやく息をつく。

「変な店だが……腕は確かだ。いや、こんな美味いもの、中々ない」

そして、何気ない調子で尋ねた。

「これ、いくらなんだ?」

その言葉に、凰翔の動きが止まった。

(……あ)

今になって、ようやく気づく。

値段を、決めていなかった。
この世界の物価も、銀貨や銅貨の価値も、曖昧なままだ。

短い沈黙。

凰翔は、正直に口を開いた。

「……まだ、決めてないんです」

「は?」

「店を開いたばかりで……相場も、よく分からなくて」

一瞬、妙な空気が流れる。

だが男は、すぐに小さく笑った。

「本当に、変な店だな」

懐から銀貨を取り出し、指先で転がす。

「……この味と量なら、このくらいが妥当だ」

そう言って、カウンターに置いた。

正確な価値は分からない。
だが、軽すぎる音ではなかった。

凰翔は一瞬だけ迷い、そして頷く。

「……ありがとうございます」

男は満足そうに頷き、背を向ける。

「また来るかは分からん。だが……忘れはしない味だ」

そして森の中へ消えていった。

店に残ったのは、静けさと、かすかに漂う香りだけ。

ギンが銀貨を見上げ、首を傾げる。

カゲ丸が興味深そうに近づき、揺れた。

凰翔はそれを見下ろし、ぽつりと呟く。

「……これで、良かったのかな」

答える者はいない。

ただ、森の外れの小さな牛丼屋に、初めて代金が置かれた日だった。
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