勇者、チー牛

チー牛Y

文字の大きさ
59 / 70

59:名前のない評判

しおりを挟む
凰翔は、カウンターの上に置かれた銀貨を見下ろし、わずかに首を傾げた。

「……情報料、か」

それは、決して軽い金額ではない。
この世界で、銀貨一枚が持つ重みを、凰翔はもう理解していた。

ギンが小さく尻尾を振る。
カゲ丸は銀貨の上に影を落とし、興味深そうに、ゆらりと揺れた。

「多すぎる気がするな……」

凰翔はぽつりと呟き、指先で銀貨を弾いた。
澄んだ金属音が響き、すぐに森の静けさへと溶けていく。

高い天井もない。
客席も、立派な装飾もない。

あるのは、森の外れに建てた小さな小屋だけだ。

「そろそろ……値段を決めないとな」

誰に言うでもなく、凰翔は考えを巡らせる。

一食の重さ。
腹を満たすだけの価値。
そして――また、ここへ足を運ぶ理由。

安すぎれば、疑われる。
高すぎれば、来ない。

「……この世界で、一食に銀貨一枚は高いよな……たぶん、だけど」

自信はない。
だが、感覚はあった。

銀貨をそっと置き、しばらく眺める。

「なら……銅貨、五枚くらいで、いいか」

ギンは何も言わず、ただ静かに見ている。
カゲ丸も、影の中でふわりと揺れただけだ。

答える者はいない。

だがその日、
森の外れの小さな牛丼屋に、初めて――“値段”が生まれた。


翌日。

昼過ぎになっても、客は来なかった。

凰翔は、カウンター越しに森をぼんやりと眺めていた。
木々の間を抜ける風と、鳥の声だけが時間を知らせる。


昨日の男は、どこか慣れた雰囲気だった。
冒険者か、商人か――あるいは、その両方か。

だが、彼が何者であれ
ここは森の外れだ。

街道からも外れ、目的がなければ立ち寄らない場所。
情報が広がるには、時間がかかる。

そう思い、凰翔は深く考えないことにした。


その、また翌日。

夕方近く。
森の向こうから、かすかな話し声が聞こえた。

二人分。
どちらも、若い男の声だ。

「……本当に、この辺りか?」

「噂じゃこの先らしいぞ。牛丼とかいう飯」


半信半疑。

それでも、足音は止まらない。

やがて、小屋が視界に入った。

「……あれじゃないか?」

二人は、顔を見合わせた。

看板は簡素。
建物も、どう見ても即席。

――だが、匂いがした。

その裏で、足音に気づいた凰翔とギンが、静かに匂いを外へ流していたのだ。

「……腹、減ってきた」

「俺もだ」

特別な覚悟はない。
ただ、空腹に引かれるように。

二人は、店の前に立った。

「いらっしゃいませ!」

凰翔の声に、二人は一瞬だけ肩を揺らしたが、すぐに頷いた。

「その……牛丼ってやつ、二つ頼めるか?」

「はい!」

いつも通り、凰翔は仕切りの奥へ消える。

そして、いつも通り――
音のない調理。

鍋の音も、包丁の音もない。
だが、匂いだけは確かに、そこにあった。

「……なあ」

「うん」

「これ、変じゃね?」

「変だな」

だが、運ばれてきた牛丼を見た瞬間、
二人はそれ以上、何も言わなくなった。

そして――食べる。

「……」

無言。
だが、それだけで十分だった。

言葉はいらない。
余計な感想もない。

二人は黙って器を空にした。

「これ、いくらなんだ?」

「銅貨五枚です」

「あれ? 銀貨って話じゃなかったか?」

「値段を決めたのは、つい最近で。それまでは、皆さん好きに置いていったんです」

「なるほどな……この味で、銅貨五枚なら、安い」

代金を置き、
二人は森の奥へと消えていった。







数日後。

街の小さな酒場で、こんな会話が交わされていた。

「最近さ、変な話聞かねえ?」

「森の外れの飯屋だろ」

「そう、それ。牛丼とかいうやつ」

「音もしねえのに、すぐ出てくるらしいぞ」

「値段、安いらしいな」

「……嘘くさ」

笑い話のように。
酒と一緒に、噂は流れていく。

誰も、確証は持っていない。
誰も、大声では語らない。

だが――
その話は、消えなかった。





そして今日。

凰翔は、いつも通り、店を開けていた。

特別な準備は、何もない。
変わったことも、何一つ。

ただ、カウンターの内側で、静かに待つ。

足音がすれば、牛丼の匂いを嗅がせる。

落ち葉を踏む音がする。

一つ。
二つ。

しかも――別々の方向から。

凰翔は、ほんの少しだけ目を見開いた。

「……来た」

ギンは静かに伏せ、
カゲ丸は影の中で、弾むように揺れた。

森の外れの小さな牛丼屋に、
ゆっくりと――人が集まり始めていた。

まだ、行列にはならない。
まだ、噂話の域を出ない。

けれど、確かに。

この場所に――
“名前のない評判”が、生まれつつあった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?

エリクサーは不老不死の薬ではありません。~完成したエリクサーのせいで追放されましたが、隣国で色々助けてたら聖人に……ただの草使いですよ~

シロ鼬
ファンタジー
エリクサー……それは生命あるものすべてを癒し、治す薬――そう、それだけだ。 主人公、リッツはスキル『草』と持ち前の知識でついにエリクサーを完成させるが、なぜか王様に偽物と判断されてしまう。 追放され行く当てもなくなったリッツは、とりあえず大好きな草を集めていると怪我をした神獣の子に出会う。 さらには倒れた少女と出会い、疫病が発生したという隣国へ向かった。 疫病? これ飲めば治りますよ? これは自前の薬とエリクサーを使い、聖人と呼ばれてしまった男の物語。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

服を脱いで妹に食べられにいく兄

スローン
恋愛
貞操観念ってのが逆転してる世界らしいです。

聖女を追放した国は、私が祈らなくなった理由を最後まで知りませんでした

藤原遊
ファンタジー
この国では、人の悪意や欲望、嘘が積み重なると 土地を蝕む邪気となって現れる。 それを祈りによって浄化してきたのが、聖女である私だった。 派手な奇跡は起こらない。 けれど、私が祈るたびに国は荒廃を免れてきた。 ――その役目を、誰一人として理解しないまま。 奇跡が少なくなった。 役に立たない聖女はいらない。 そう言われ、私は静かに国を追放された。 もう、祈る理由はない。 邪気を生み出す原因に目を向けず、 後始末だけを押し付ける国を守る理由も。 聖女がいなくなった国で、 少しずつ異変が起こり始める。 けれど彼らは、最後まで気づかなかった。 私がなぜ祈らなくなったのかを。

悪役令息、前世の記憶により悪評が嵩んで死ぬことを悟り教会に出家しに行った結果、最強の聖騎士になり伝説になる

竜頭蛇
ファンタジー
ある日、前世の記憶を思い出したシド・カマッセイはこの世界がギャルゲー「ヒロイックキングダム」の世界であり、自分がギャルゲの悪役令息であると理解する。 評判が悪すぎて破滅する運命にあるが父親が毒親でシドの悪評を広げたり、関係を作ったものには危害を加えるので現状では何をやっても悪評に繋がるを悟り、家との関係を断って出家をすることを決意する。 身を寄せた教会で働くうちに評判が上がりすぎて、聖女や信者から崇められたり、女神から一目置かれ、やがて最強の聖騎士となり、伝説となる物語。

愛しているなら拘束してほしい

守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。

生贄にされた少年。故郷を離れてゆるりと暮らす。

水定ゆう
ファンタジー
 村の仕来りで生贄にされた少年、天月・オボロナ。魔物が蠢く危険な森で死を覚悟した天月は、三人の異形の者たちに命を救われる。  異形の者たちの弟子となった天月は、数年後故郷を離れ、魔物による被害と魔法の溢れる町でバイトをしながら冒険者活動を続けていた。  そこで待ち受けるのは数々の陰謀や危険な魔物たち。  生贄として魔物に捧げられた少年は、冒険者活動を続けながらゆるりと日常を満喫する!  ※とりあえず、一時完結いたしました。  今後は、短編や別タイトルで続けていくと思いますが、今回はここまで。  その際は、ぜひ読んでいただけると幸いです。

処理中です...