47 / 75
第三章 ~少年期・後編~
閑話 「生死」
しおりを挟むわたしは、生きながらにして死んでいた。
わたしだけじゃない。
部族の仲間全てがそうだった。
他者の言いなりになり、死に場所を自分で選べない。
誇りは傷つけられ、残ったのは『耐える』という屈辱のみだ。
だが、そんな行為に意味などない。
――耐えていても、解放のときなど訪れない。
あの、死を司る炎の塊を止められる存在などない。
全てが蹂躙され、全てが燃やし尽くされる。
既にわたしの命は、もうわたしのものではなくなってしまった――
そう、思っていた。
あの――瞳の色が一つずつ違う少年と、出会うまでは。
■ ■ ■
「主様よ」
「……なに。ていうかその呼び方やめなさいよ。結構恥ずかしいんだから」
むう。わたしの主様は、いつもそっけない。
話しかけると、大抵一度は顔を引きつらせる。
おかしな奴だ。
いったい何が不満だというのか?
わたしのような誇り高い者が、自らの意思で『尾なし』のものになるなど、わたしですら想像していなかったのに。
「それは拒否する。主様は、主様以外の何者でもないからな」
「ああ、そう……それで? なにか用?」
「なにか、わたしにして欲しいことはないか。なんでも言ってみろ、主様の望みをわたしが叶えてやる!」
「…………ない」
いつもこうだ。
せっかくわたしが役に立ってやろういうのに、主様はなにも要求してこない。
まったく、謙虚な奴だ。もっと子供らしくわがままや、おねだりなどしてもよいのに。
子供なのに、主様はいつも大人ぶる。
……ふふ、そこが可愛くもあるがな!
「ふっふっふ、主様がわたしにして欲しいことがあることなど、既にお見通しだぞ。我慢などするものではない……な? ほら、言ってみろ。ちゃんとわたしが受け止めてやるから」
「うわあ、凄いなぁー……よくこんなに自信満々に生きられるもんだ。呆れるを通り越して、いっそ羨ましいくらいだぞぉ!」
「そうだろう、そうだろう! 主様には立派な男になってもらわねばならん。さあ、やるぞ!」
「――え、なにを?」
主様が固まった。
なんだ、まだ準備ができていないのか?
まったく仕方のないやつだな。よし、わたしがちゃんと導いてやらねば!
「わっ、ちょっ、ちょちょちょっ! なんで、なんで服脱ぐんだよ!?」
……なんだ?
手をばたばたさせて、主様が慌てている。
ああ、そうか。
主様は正しい作法を知らないのだな。
汗をかいては衣服が汚れる。だから始める前にしっかりと準備をせねばいけないのだ。
それを、大人であるわたしが教えてやらねばならない。
「ほら、主様。手を上げるんだ、わたしが脱がせてやるからじっとしていろ」
「なんで俺までっ!? い、いやいやっ、まだ早いからっ、そういうのは七歳の俺にはまだ早いから! ていうか立たないから! まだ役立たずですからーっ!!」
「まったく、うるさい主様だな。いま役立たずだからこそ、鍛錬を重ねるのだろう? 本番で失敗しないためにも、日頃から鍛えておくのだ!」
「あああぁごめんなさい父様、ユウリは今日汚されてしまいます……でも、案外こんなものなのかなって思っているところもあったりしてさ、俺も男だから別に嫌な気持ちはないんだむしろやりたいっていうかなんていうか、あぁーっ!!」
「ほら、上着を脱がせ終わったぞ――さあ、鍛錬の時間だ! いつでもかかってこい!!」
「………………は?」
また、主様が固まった。
まだ準備が整っていないのか?
『カワノベルト』とやらに仕込んである小刀も構えもせずに、無用心な奴だな。
戦場でそんな心構えでは、すぐに命を落としてしまうぞ!
「ああ、ははっ……鍛錬って、そういう意味かぁ……あーあー、骨ナイフ構えちゃって、やる気満々じゃんお前、なーんだ、ふーん……そういうことかぁ……――ぶっ殺す!!」
「おおっ、なんだやる気ではないか! 流石だぞ、それでこそわたしの主様だ!」
「るっせぇてめぇっ!! 男の純情もてあそびやがって! 万倍返しだこらぁっ!! 縛り付けて樹の上から吊り下げてやるから覚悟しろ!!」
「やってみろ! 主様の未熟な腕でできるものならなっ!!」
その日は、陽が沈みきるまで鍛錬を続けた。
なんだかんだいって、主様は大した奴なのだ。
このわたしとやり合えるのだからな!
――今日も今日とて、主様の役に立つのがわたしの生きる意味である。
「主様よ」
「なーんだよ。いま忙しいから鍛錬ならあとでな」
忙しいと言いつつ、部屋で神を撫でているだけではないか。
主様は、いつもそっけない。
話し方だって、他の尾なしには丁寧なのに、わたしには取り繕わない。
出会ったときは、純朴な少年だと思ったのに。
ふふ、わたしだけ特別扱いされているということだな!
悪くない……悪くないぞ!
「違うぞ、今日は月に一度の『オンセン』とやらに行ける日ではないのか? だんな様がいるときしか許可が下りないのだろう。あんなに楽しみにしていたのに、忘れていたのか」
主様が、口をぽかんと開けてわたしを見る。
だらしのない。
わたしがしっかりと付いていてやらねばな。
「…………忘れてた。おお、そうかっ、今日は温泉に行っていい日か!」
「そうだぞ、主様」
「でかしたミーシャ! アイリス! 今日は温泉だぞ、楽しみだなぁ!」
ふふ、無邪気なものだ。
神も、主様の喜びようにつられて嬉しそうに吠えている。
そんなに楽しいのか? オンセンとやらは。
温かな水に入る……確かに心地よくはあったが、わたしは水浴びのほうがいいな。
だが、喜んでいる主様を見るのは、わたしも嬉しい。
――それが、いまのわたしの全てだ。
オンセンに入るには、山の方までいかねばならない。
街の近くにも入れるよう手配するつもりらしいが、いまはまだ無理なのだそうだ。
だから、だんな様の許可がいる。
主様はまだ子供だからな。街を出るには親の許しがいるのだ。
「着いたーっ! さあ、入りましょう父様!」
「そうだね、入ろうか。ふふ、それにしてもユウリは温泉のときだけは年相応になるね」
「だって温泉ですよ!?」
オンセンは、いま二つしかない。
主様は、取り急ぎで二つだけ入れるように頑張ったと言っていた。
それは、オスとメスで分かれるためだ。
確かに必要だな。普通なら。
だが些細な問題でもあるとわたしは思う。
主様は主様であり、わたしはわたしだ。
そこに、オスメスという括りなど関係ない――
「わあっ、ミーシャ! こっち男湯だから! なんで入って来てるの!?」
「ぶうっ!? けほっ、えほっ!」
――だから、わたしは主様がいるほうを選ぶ!
なんだ……? だんな様がむせている。
水が喉につまったのだろうか。軟弱だな。
「愚問だな。主様がいるところにわたしあり! むしろなぜ分かれる必要があるのだ、わたしと主様は一心同体だろう?」
「ちげぇーよ! いや、万が一そうだったとしても温泉のときは分かれろよ!」
「なぜだ」
「ミーシャは女だからだよ! そこはわかれよ! ていうか少しは隠せよ! 堂々としすぎて逆に男らしいよ!!」
「そうは言うがな、主様よ。神だってメスなのだろう。なぜ神は主様と一緒に入る許可を得ている。不公平ではないか!」
「そ、れはぁ……アイリスはまだ子供だから一緒に入ってもいいんだよ!」
「主様も子供だろう」
「むぐっ、こいつ意外と賢いな。いやほら、ここには父様もいるから!」
「なるほど、だんな様か……」
わたしがだんな様の方を見ると、だんな様はびくりと震える。
「あ、あー……ユウリ、僕はもうあがるよ。あとはごゆっくり、ね?」
「そ、そんなっ、父様ぁ!」
おおう、だんな様が出て行ってしまったぞ。
なぜだ。なぜ下半身に手を当てる。前かがみになる必要がどこにあるのだ、だんな様よ。
……だが、これで障害はなくなったな。
「よし、ではわたしもオンセンに入らせてもらうぞ、主様よ」
「入ってきちゃったよ! あぁーもうっ、なんでこうなるんだよぉっ!」
こら、主様よ、暴れるな。
神が真似しだしたではないか。
ゆっくりと入り、他者に迷惑をかけないこと――
初めてオンセンに連れてきてくれたとき、主様が教えてくれたことだぞ。
ちゃんと守れ、主様。
「む、どうしてこちらを向かないのだ。なにかそちらにあるのか、主様よ」
「わあっ、立つなよ! こっち向くな、よ……」
主様が、ごくりと喉を鳴らす。
「……耳と同じ、色なんだ…………」
なんのことだ?
むむ、顔が赤いぞ。主様よ。
のぼせてしまったのか?
心配だな、主様よ、もうあがったほうがいいのではないか。
――夜寝るときだって、わたしは主様の役に立つ。
「主様、もう寝てしまったか」
「……まだ起きてるけど、どうしたのこんな時間に。もう俺寝るんだけど」
「なに、添い寝してやろうと思ってな」
「はあっ!?」
主様の母は、亡くなってしまったらしい。
なんでも高いところから落ちたそうだ。
主様も、母と一緒に落ちたのだという。
だが母は死に、主様は生き延びた。
「よいしょっと。ほら、少しつめろ。狭いだろう主様よ」
「いやいやいや! なんでっ、なんでこういう展開になんの!? 俺なんにもフラグ立ててないよね!?」
主様は、他人に甘えない。
きっと甘え方を忘れてしまったのだろう。
強くあらねば、という思いに取り憑かれているように……主様は大人ぶる。
その生き方は見てて痛々しく、また悲しい。
かつて、わたしの命がわたしのものでなかったときのように。
目を離すとすぐにどこかに行ってしまいそうなほど……生き急いでいるように見える。
――だから、わたしが教えてやるのだ。
わたしが主様に、教えてもらったように。
他者の温もりが、他者の想いが、他者の言葉が……全てを変えてしまうこともあると。
これを主様に教えてあげるのが、わたしの使命だ。
「主様、休息はしっかりと取らねばならんぞ」
「抱きつくなぁ! いきなりなんなんだよぉ!」
「ほら、背中に手を回せ、主様。暖かくして眠るのだぞ」
「うぅ、あー……もう、仕方ない。この体格差で振りほどくのは無理だ……」
――わたしの命は、主様のものである。
「……しっぽ……ふわふわしてるんだな……」
だが、わたしはいま――『生きている』
わたしの全てが、瞳の色が一つずつ違う少年に出会ったことで……変わったのだ。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
71
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる