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第10話 さよならピエロ

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 海のある港は、住宅地から下へ下へと向かった場所にある。ポイントオブソードは階段の町。ほとんどの建物が高台にあるので、上から探されるとまずいことになるのは言うまでもない。
 早く太陽が水平線の向こうへ沈んでくれと願いながら、二人は港の病院に向かって屋根を渡り、ひた走る。
 港の周辺まで来ると、ルーカスがアメリアを制止して身を伏せた。

「だめだ……出航しないよう、手を回されてる。スカラッティもゴンザレスの奴らも、両方ウロウロしてて、これじゃ病院の近くまで行けない……」

 夕暮れの港は、飲食店がオレンジ色の明かりを煌々とさせ始めようとしているところだ。日に焼けた小麦色の男達が多く見えるのは追っ手がいるせいだろう。

「夜も船が入ってくるの?」
「ナイトクルーズの観光客がいるから、港は夜もやってる」
「観光客に紛れ込んで入り口まで行けないかな……?」

 ルーカスは『うーん』と考え込み、乗船案内所の方角を確認する。

「この町を出るのはいつの予定?」
「ゴーサホルツハマー行きの船に乗る予定だったの。こっちに到着してすぐに病院に直行したから、いつ出港するのかはまだ分からない」

 ルーカスが渋い顔をして小さく舌打ちをした。

「……遠いな。しかも悪いことに、あの国の港は大きすぎて、小さな一般船は港につけない。ポイントオブソードにでかい船が到着するのは大分後だ」
「この町で長居するのはムリよ、こんな状況だもの」
「分かってる。だからこの町を離れて、別の港を経由して行った方がいい。遠回りになるけど……」
「どの道、お金が足りなくて、大きな船には乗れなさそう……」

 アメリアの嘆きで、ルーカスはそうだったと再確認。おそらく病院で治療費も取られ、元々少ない路銀は更に減っているだろう。励ましも兼ねて言ってやる。

「小さな漁村を渡っていけばゴロつきもいない。漁師達は別の獲物を狙うのにお互い被るテリトリーがあるから、近くの狩り場同士で協力し合って仲が良い。頼めば次の漁村まで送ってくれるだろうし。とにかく、ここにいるより全然いい」

 アメリアは神妙な顔つきでつぶやいた。

「皆動けるかな……」
「まあ、医者が動けるようには・・・・・・・してくれてるさ」

 アメリアが情けない顔でルーカスを見る。
 確かに動ける状態まで回復してはくれているだろう。だが元が老人なのだ、旅を続ければ今回と同じことを終点まで繰り返す。繰り返すだけならまだ良い。どこかのポイントで終了……なんて話になったら。

「ああ……とにかく、合流しよう。町を出なくちゃ!」

 アメリアは振り切るようにその思考を止め、まずは目前の問題だけを直視する。

「僕が奴らの気を引いて隙を作るよ。その間に町から出て。少し南に下れば、漁村があるから、その灯りを目指すんだ」

 ルーカスを見ると、いつもの人なつこい笑顔で微笑んでいた。

「ルーカス……」
「僕は町から出られない。キミたちを逃がしたらお別れだ」
「うん……」
「大丈夫だよ、いつも通りの生活に戻るだけさ。僕はこんな調子だから大したことやらされないし、結構気ままだよ」
「そう……そうだね。いつもと同じに戻るだけ……」

 お互い、お別れを寂しく感じている。

「ハハ、ちょっと長く一緒にいすぎちゃったみたいだね」

 ルーカスが照れくさそうに言ったので、アメリアも複雑な笑みをつけて頷いた。

「だね」

 一呼吸置いて、ルーカスが屋根を滑り始める。

「僕があの店で一騒動起こすから、その隙に病院に入って」

 アメリアがハッと顔を上げた時、彼はもうすでに屋根の下にいて、近くの店に駆け出していた。お別れもお礼も言えていないのに、ルーカスはそれを聞きたくないかのように姿を消してしまった。アメリアは慌てて身体を起こし、伏せていた体勢から足に力を込める。
 しばらく息を潜めていると、ルーカスの入った店から男達の怒号が聞こえてきた。これが合図だろう。周囲の視線が店に向いている間に、アメリアはスカートをたくし上げ、屋根から病院横に生えている椰子の木に飛び移る。そのまま彼女は病室のテラスへ下り、窓からの侵入に成功した。


 騒ぎが起きている店の中では、ルーカスがゴンザレス一味の一人に因縁をつけているところだ。

「ああーっ!! 僕の大事なスカーフが!!」

 彼が下を向いている場所……腰に巻いた白いシルクのスカーフに、真っ赤なケチャップがついている様子。

「どうしてくれるんだよ、これはドン・マテオからもらった大事なスカーフなんだぞ!!」

 テーブルに腰掛けていたガラの悪い3人組が、フライドポテトを咥えて斜に構えたままルーカスに凄んできた。

「知るか! 洗濯しろ!!」

 その通りなのだが、ここは引き下がれない。

「おちなかったらどうするんだよ!!」
「テメエがそんなモン、腰につけてヒラヒラさせてるからだろうが!! 大事なモンなら家にでもしまっとけボケが!!」
「キミたちがそんな大量にケチャップ出しておかなければ、こんなことになってないんだよ!!」

 皿の上にねっとりと赤い液体が盛られ、それにフライドポテトが突き刺さっている。ルーカスはそこを狙ってわざとスカーフを垂らしたわけであるが。

「うっせえ!! ここは中立区じゃねんだ!! スカラッティだろうが容赦しねえぞ!!」

 バン! とテーブルが叩かれ、周囲の客がどよめき始める。

「ドンをバカにするのかこの野郎―!!」

 ルーカスはわざと大声を張り上げながら近づき、襟元を捕まれに行くと悲鳴を発した。

「ぎゃーっ!! 放せー!!」

 すると外からスカラッティ側の仲間が何事かと駆けつけ、ゴンザレス一味に襟首を捕まえられているルーカスを見て怒鳴り声を上げた。

「何してやがる!! ウチの小僧を放しやがれ!!」

 そこから先は想像通りの大乱闘。
 争いをけしかけた当の本人であるルーカスは、四つん這いになってテーブルの下を通り抜けていく。

「へへへ……」

 店の中を振り返りながら進んでいると、入り口付近でまたも誰かに襟首を捕まれて外に投げ出された。ルーカスは砂埃を巻き上げて尻餅をつき、痛みに尾てい骨をさすりながら顔を上げる。
 そこにはスカラッティ側の幹部、ヴェスパジアーノが舎弟を二人引き連れて立っていた。
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