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身の上話

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 乳搾りの仕事は、まだ夜が明けないうちから始まる。フェンリルに起こされて支度をし、ランプを持って牛舎へ行く。
 座ってできる仕事だけど、今までやったことのない手のひらを使う仕事で、初日は一頭分も搾れず、さらに酷い痛みで手が上手く動かなくなってしまった。
 全部の乳を搾って、溜めた桶を運び、四分の一は大きな甕に入れ、残りは加工場へ運ぶところまで終える。それを鐘が鳴るまでにやらなくてはならないのに、二日目もわたしは一頭がせいぜいだった。わたしに搾られている牝牛が、だんだん不機嫌になるのが分かって辛い。でもコツは教えてもらったから、三日目は二頭を搾ることができた。
 早起きの当番は、朝ごはんを食べたあと、もう一度眠る。そしてお昼に起きてごはんをまた食べて、午後の仕事を始めるのだ。

「自分で搾った牛乳は美味しいわ」

 ごくごくと飲み干して思わず言うと、これからお仕事のレンも飲み干して、「うん、美味いな」と笑った。
 わたしが搾ったのはごく一部だったのに、そう言われると嬉しい。

「自分が関わった食べ物って、どうしてこんなに美味しいのかしら?」

 屠殺されるところを見て気を失って以後、あの建物には行くことがない。それでもお肉を食べるたびに思い出すし、放牧されて草を食む動物たちを見ると思い出す。それなのにとても美味しくて、きっと人間は罪深い生き物なんだなと思う。
 他の生き物は、食べ物としての生き物を囲わない。食べられるのは、狩が成功したときだけだ。
 わたし達は、自分たちが飢えないようにせっせと働いて食べ物を増やす。だけど、それを間違いなく口にできるのは、お城にいる人たちのような、偉い人だけなんだって。
 わたし達はたくさんおしゃべりをする。手を動かし体を動かして、ずっと働くとき、黙っているとしんどくなってしまうからだ。
 色んな酷い話を聞いた。
 赤ちゃんが産まれたマリーさんは、食べ物がなくてお乳が出なくなり、赤ちゃんのためにお店のパンに手を出した。それで捕まって、赤ちゃんとは永遠にもう会えない。どうなっているかも分からない。誰かに貰われているといいな、と言った顔は、牛で見えなかった。

「ルフトバートにはこんなに食べ物があるのに、どうしてかしら?」
「そりゃあ聖女様のお恵みのおかげさね」

 当たり前みたいにみんなが笑った。

「お城のまわりは緑の草原と森があるだろ? 星の塔を中心にして土地が豊かなんだよ」
「貧しいもんは、家や畑や家畜なんか持っちゃいねえ。何にも持っちゃいねえんだよ」

 家すらも持たないような人は、どうして生まれてしまうのかしら?
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