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十三、忌夜良比売と御幸日子
しおりを挟む解き明かせぬ疑問を抱えたまま、ユタはゼロ部屋に来ていた。ゼロは珍しく庭に出て伸びをしていた。
「来たか。山室、なにか甘いものでも用意してくれ」
「はっ」
ユタの沈んだ顔に気がついたゼロは頬杖をついて見据えた。
「どうした? 今日は浮かない顔だな」
「……は、はい……」
「わたしも今日は、ぼうっとしてしまってな」
「お加減が悪いのですか?」
「いや、昨日少し遅くまで根を詰めすぎた。ただの寝不足だ。お前のほうはどうしたのだ」
(ゼロ様にお尋ねしていいのだろうか……、でも聞きたい……)
「言いたくないなら無理はしなくていい。甘い物でも口にすれば気がまぎれる」
運ばれてきた干し杏を口にし、味わうようにか、あるいは眠気の為かゼロが長いまつ毛を伏せて瞳を閉じた。
「どうして、男の立場はこうも弱いのでしょうか……?」
「うん?」
「男にも心があります……。女と同じように、辛かったり苦しかったりするのです」
「……裾の宮でなにがあったのだ?」
「ヒノリ様が亡くなりました……。マチホ様もお咎めを受けるかもしれません」
食べかけの杏を皿に戻し、手を拭いた。
「わたしになにかして欲しいのか?」
(お頼みすればマチホ様をお救いしてくださるおつもりなのだろうか……。でも、それで疑問は解けはしない……)
「教えてください、ゼロ様。どうして、女より男の命は軽いのですか? 女が国を動かす力を持っていることは知っています。ですが、歴史の上では男は己や国を守るために戦い働いています。男にもきっと女と同じことができるはずです。なのにどうして……」
しばらく黙っていたゼロがふっと手を挙げた。
「国史記を持って、ここへ来い」
「え……」
ゼロから贈られた国史記をもっておずおずと前に出た。
「そこでは遠い。ここへおいで」
ゼロが腕を開いた。ゼロのとなりへ進み出て座ると、ゼロの淡い香りを感じた。
「書を貸してごらん。お前が読んでいるのはどのあたりだ」
「……第三の大戦の場面です……」
「この戦のあと、なにが起こったのかを読んでやろう。ここからだ」
ゼロの白い指が紙をなぞった。
「ここにはこう書いてある。
国が疲弊し、多くの民が死んだ。二神は人の世を平らかにするために、新しい神を生むことにした。豊春古米は双子を授かり、女子と男子が生まれた。――乳飲み子ひとりを育てるのも大変なことだが、ふたりを同時に育てるのはとても難しい。
このとき、豊春古米の体を慮った天津常照はこう考えた。ふたりの子を育てるのは難しい。であれば、荒れた世を平らかに導くことができるのは男子。男子を残すべきだと。女子は人柱として祀り、大地に返したとある。――つまり、女子は平和のためのいけにえとして、地に葬ったのだ」
「えっ、おなごをですか……?」
「そうだ。……続けるぞ。
豊春古米はひどく嘆き、男子が成人するのを見届けることなく亡くなってしまった。それから男子は成長し、大きな武力をもって国をひとつにした。そして十八になったとき、国の長となり、新たな神、御幸日子神王と名乗るようになった」
「こ、この国の長は、男だったのですか……?」
「そうだ、この時代はな。それから、こう続いている。
御幸日子神王は世継ぎを求めて妻を迎えた。しかしなかなか子に恵まれなかった。妻の石御玉姫に尋ねると、こう告げられた。夜になると、御幸日子神王はいつもいなくなってしまう。代わりに、床に現れるのは忌夜良比売神王だと」
「キヨラヒメノシンノウ……」
「いけにえに葬られた双子の片割れだ」
「えっ? ……」
「御幸日子神王がこの世で国の長になったように、忌夜良比売神王は死の国の長になっていた。石御玉姫が言うには、日が落ち、御幸日子が眠ると姿形体そのものがすっかり忌夜良比売と入れ替わるという」
「入れ替わる……?」
「――どのように解釈するかはいろいろだが、一般的に信じられているのは、二重人格という説だ」
「にじゅうじんかく……?」
「お前には少し難しいな。祟りや呪い、そういう解釈でも差支えない」
「たたりや、のろい……」
「お前も誰かを殺したいほど恨んだり、滅したいほど憎んだことが一度くらいはあるだろう?」
「は、はい……」
「その憎しみが、相手を祟ったり、呪ったりする。つまり仕返しするのだ」
「お、思いが勝手に、相手に仕返しをするのですか?」
「それほど強い憎しみが、忌夜良比売にあったということだ」
互いに再び文字に視線を落とした。
「忌夜良比売は御幸日子が知らない夜の間、国のあちこちを徘徊した。そして国中に毒をまいた。その毒のせいで、国には全く子どもが生まれなくなった」
「毒……」
「この時代の男たちからすれば、毒であった、と言う意味だ」
「それから……どうなったのですか」
ゼロは少し先まで紙を送り、再び指で文字をなぞった。
「亡国の危機を案じた御幸日子が、忌夜良比売を葬った墓で祝詞をあげた。忌夜良比売神王を奉るから、どうか心を静めて、この国に新しい命を宿してほしいと願った。しかし、忌夜良比売はそこには現れず、代わりに亡くなった豊春古米の魂が現れてこういった。
女たちが命を懸けて生み出した新しい命を、男たちは戦でみな端から殺してしまう。それを見ているのが大変つらい。わたしが大切に生んだ御幸日子神王と忌夜良比売神王は、二神の力があってこそ、人の世を平らかにするものであった。それなのに、天津常照男神は戦のために御幸日子神王を生かし、命を貴ぶ忌夜良比売神王を殺してしまった。もはや母であるわたしにも、死の国の長である忌夜良比売神王の心を静めることはできない」
「……」
「御幸日子が豊春古米に尋ねた。どうしたら忌夜良比売神王の心を静められるのかと。豊春古米は一度死の国に戻って、忌夜良比売に聞いてみようと答える。――ここで何度かやり取りがあるが、最終的には……」
ゼロが再び紙を送り、ぴたりと指を止めた。
「忌夜良比売は御幸日子にこう言い残す。すべては愚なる男のなせるわざ。永遠に罪を贖い続けよ。――ここから女中心の国づくりが始まっていくのだ」
言葉が出なかった。
「さわりだけだが、おおよその筋はこういうことだ。詳しくは良く読んでみるといい。このあと、国の仕組みの成り立ちと変遷が書かれている。歴代の国長と国司のこともな」
(永遠に、罪を贖い続けよ……)
「大丈夫か、ユタ」
「僕たち、男は今も……、忌夜良比売神王様に贖い続けているということなんですね……。忌夜良比売神王様のお怒りが解けるまで、男たちは……」
たしかに納得できる。第一、第二と続き、それでもなお戦はやまず、第三の大戦を繰り返す人々。失うために、自分の腹を痛めて我が子を産む女がどこにいるだろう。それなのに、男は戦を続けたのだ。しかも、豊春古米女神が生んだ双子の女子をいけにえにしてもなお、戦で勝つために。
「男たちは、永遠に……」
知ったほうが良かったのか、知らなかったほうが良かったのか。マナホが疑問に思い、ユタに引き継がれたこの国の女社会構造の理由。その訳は明らかになったが、救いがないことも明らかになった。これがマナホの知りたかった、目安星なのだ。
色を失ったユタの顔を覗き込んだ。
「ユタ……」
「ゼロ様……、僕……」
ゼロの穏やかな瞳を見ていると、泣けてくる。そっと腕が寄り添い、ユタの体はゼロの腕の中に囲われた。
「学べ。そうしている限り、わたしはお前の盾になろう」
「ゼロ様……」
ユタの脳裏に、去っていった男たちの顔が浮かんでは消えていく。大切に育ててくれたマナホ、世話になった方羽宿の年かさの男たち。治療が間に合わず死んだヒノリ、失態の為に処分されたノリエ。儚く消えていく者たちの存在が切なくて、ユタはゼロの胸に甘えた。
柔らかな胸の中で、ゼロの香りに抱かれて泣いていると、次第になにもかもがゆるりとほどけてうつろになっていく。決して揺るがない安堵がここにある。ユタにとっては、ゼロこそが目安星そのものだった。
「ユタ、そろそろいいだろう」
「……」
「お前を抱いていると暑くてかなわん。大きい子犬を抱いているようだ」
(大きい……子犬……?)
ユタが顔をあげると、確かにゼロの首筋は少し汗ばんでいた。
「大きい子犬って、僕のことですか?」
「他に誰がいる」
ユタはおかしさに顔をゆがめた。言い得て妙だと思った。
「大きいのに、子犬って、僕のことですね。えへへ」
「なにを笑っている。もう離れろ。お前も汗をかいてるではないか」
ゼロが袖でユタの額をぬぐった。そのしぐさが優しくて、ユタは体の奥がきゅうっとした。
「ゼロ様、好きです」
「知っている」
「えへへ」
「さっきまで泣いていたと思ったら、もう笑っている。忙しい奴だな」
ゼロは手近なところに置いてあった扇で自分を扇いだ。
「それ、僕にやらせてくださいっ」
「いや、もう帰れ。わたしはひと眠りする。暑くなったら急に眠たくなってきた」
「では、添い寝は、いかがですか! ……」
ゼロが驚いたように、くっと笑った。
「暑いと言うているのに。添い寝はいらん。さあ、もうひとりにしてくれ」
「そ、それなら……、ば、番をいたします! 僕は、ゼロ様をお守りする番犬です!」
今度はため息をつかれた。さすがにもう怒られるかもしれないと思ったが、以外にもゼロの唇がふっと緩んだ。
「頼んだ覚えはないが、そこまで言うなら、眠るまで扇いでくれ」
「えっ……」
「わたしが眠ったら、帰るんだぞ。山室には時が来たら起こしてくれと言ってくれ」
「は、はいっ!」
「まったく、聞き分けの悪い子犬に好かれてしまったものだ」
そういうと、ゼロは横になり目を閉じた。初めて見るゼロのくだけた姿にどぎまぎとした。扇を仰ぎながら、ゼロの顔を見下ろすと、その目眉や鼻、唇の造作をまじまじと観察できた。
(お美しい……)
次第に呼吸が落ち着き、ゼロの胸の丘が一定の拍で上下する。無造作に置かれた細い指。投げ出された下肢。触れたい。この体の側にぴったりとわが身を寄せて、寄り添いたい。
(ああ、ゼロ様……)
思わず扇ぐのを止め、ゼロの滑らかな頬に手を寄せていた。触れてはいけないことはわかっていたが、衝動を止める者はその場に誰もいなかった。ユタの指先に柔らかなぬくもりを感じたとき、ゼロがぴくりと動いた。慌てて手を引いた。
「……シュウ……」
寝返りを打ったゼロの口からこぼれた。
はじめて聞く言葉だった。あるいは、人の名前だろうか。
自分にマナホがいたように、ゼロにもそうした人がいたのかもしれない。ゼロのことをなにも知らない。ユタはこれほど近くにいるゼロが、遠いところにいるのだと初めてのように気がついた。
こちらもぜひお楽しみください
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