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23 解決したのに新たな火種
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エルベ領の監査資料に改ざんが見つかってから一か月が経った頃、遂に事態は動き出した。
国王陛下直属、グロスター宰相閣下の指揮のもとでエルベ領への内密な現地調査が大々的に行われ、更に王宮内に蠢く腐敗した貴族達の繋がりまで徹底的に洗い出されたと、事件が解決した後でディミトリ殿下の口から聞かされた。
「エルベ領主はどうやらここ十年近くの間、王宮の文官に賄賂を握らせて脱税行為を続けていたようだ。しかも豊漁の年であっても、歳入欄は前年度の数字をそのまま記載し、低い数値で統一していた様だ。領収書などもこちらで調べ上げた限り、架空請求が多く、それすらも汚職された文官の手によるものの可能性が高いと判断された」
報告書を手に語るディミトリ殿下は感情を表すことなく事実だけを述べている。
そこにはアーデルハイド王国の行く末を憂えるような感情も、一領主に騙されたことに対する憤慨さえも読み取ることは出来ない。
国の膿を取り除き、正しき道へと導くことだけを推し進めるかのような態度は、彼自身が何れは国王陛下として即位するための予行演習をしているように見えた。
「…船は実際に新規購入されていたのでしょうか?資料には補修ではなく、新規購入と記載されていましたが…」
「それについても現地でエルベ領民と話をすることが出来た。大型漁船が三隻、こちらは外部の簡単な補修のみで内部の改装や補修をされた形跡は見当たらない。小型漁船五隻については損傷が激しい物はさすがに新規購入した様で、二隻は新規購入、残り三隻は補修のみだと報告が上がっている。…まあ、どう考えてもエルベ領主から上がっている決算書の金額には到底及ばないと言わざるを得ないな」
「エルベ領主が不正をしていたのが十年近くに及ぶと先ほど、仰っていましたが、それ程の長期間不正を行っていたにも関わらず、ここへ来て、急に領民の税額を引き上げるのはおかしな話ですよね?領民から不満が噴出すれば、王都へ直訴する可能性は考えなかったんでしょうか?」
「長期間にわたって不正がまかり通れば、人は緊張感を失うからな。王宮には自分の操れる文官もいたわけだし、いざとなればその場でもみ消すような算段になっていたのかもしれぬ」
ため息を吐くと、ディミトリ殿下は「これも、馬鹿な娘を諫めることが出来なかったエルベ領主の親心とやらが招いた結果なのかもしれん」と報告書を机に投げ出した。
(…馬鹿な娘…?エルベ領主には娘がいたという事か…?)
口には出さなかったのだが、私の疑問を正確に読み取ると、殿下は顔をしかめた。
「…前に、私のところに手作りの薬入り菓子を持ち込んだ令嬢がいたと話した事を覚えているか?…あれがエルベ領主の一人娘だ」
「…えーと“媚薬”を仕込んでいたとか言っていた…あの話ですよね?」
「そうだ。どうやら、エルベ領主の馬鹿娘は私を狙っていたらしい。あの時は初犯であったし、私も菓子を口にすることは無かったから不問にしたが、それで益々図に乗ってしまった。このアーデルハイド王国正妃の座を射止めるために、自分より下位の貴族令嬢を貶め、嫌がらせを繰り返していたというのだから、その程度の品性で正妃が務まると思われていたのも嘆かわしいが。彼女が身に纏うドレスも宝飾品も一級品で、しかも同じ物は二度と身に付けないのだと豪語していたのだから、金の出どころが気になるだろう?結局はその馬鹿娘の衣装代を捻出するために、不正に手を出したのが最初だったというのだから呆れた話だ」
――そんなものの為に、生活を脅かされていたとすれば、エルベ領民が気の毒でならない。
私なんかドレスの一枚も持っていないのだぞ、馬鹿野郎と言ってやりたいところだが、これは私怨なので黙っておく。
「今後、エルベ領民はどうなるのでしょうか。これ以上、彼らの生活に負担が掛かるようなことは…」
「それについては、既に対処済みだ。エルベ領はアーデルハイド王国領として、国の管理下に置かれることとなった。今後は王宮から派遣する査察官が采配を振るう事が決定しているから、エルベ領民も不当な増税に苦しむことは無くなるはずだ」
それを聞いて漸く安心できた。きっとミアもこれを聞いたら喜ぶだろう。
「…それでな、今回エルベ領の不正に気付いた者に褒章を取らせるべきだという話が王宮議会で上がっているのだが、カールを立役者として推挙しておいて良いか?」
有難い申し出だが、それには首を振っておく。今回の件で私がやったことはミアの話を聞いて、それをディミトリ殿下に伝えた事ぐらいだからだ。
これだけの働きで褒章まで頂いたら罰が当たるだろう。
「私はミアの話を聞いて、それをディミトリ殿下にお伝えしただけです。立役者だというのなら、むしろ領主に苦しめられていた、エルベ領民が手紙で知らせてくれた事が一番の功労だと思います。褒章はエルベ領民の為にお使いください」
「カールはそれで良いのか?お前たち双子はどちらかがティーセル家を継ぐ以上、もう一人は生きる道を探すのだろう?叙勲や領地を褒章で得たいと思わないのか?」
…私が本当に貴族の令息であったのなら、途轍もなく魅力的な言葉だろう。
でも実際の私は、貴族の称号を受け継ぐことの出来ない令嬢であり、何れは政略結婚の道具になるくらいしか家の役に立てない苦しい立場なのだ。
(これ以上、目立つようなことは避けなければいけないし、ここは上手く断ろう)
「私は既にディミトリ殿下のご厚意に甘え、ルイスを王宮に置いていただいている立場です。褒章と言うのならこれで十分ですから、後はエルベ領民にお使いいただくようお願い致します」
ニッコリと笑顔で断わると「欲が無いな」と殿下は微笑みを浮かべるけれど、欲がないのではなく、目立つのが恐ろしいだけなのだ。…本音は言えないけれど。
こうして、エルベ領の脱税問題は決着をみる事となり、ミアも「今度の領主さまは公正な方で負担が減ったと家族も大喜びしています」と笑顔でこの結末を喜んでいた。
これで終わっていれば“めでたしめでたし”の大団円だったのだが、そうは問屋が卸さない。
この事件が落ち着きを見せ、私たちの執務からもこの事件の後処理に関係する書類が消えかけた頃、ディミトリ殿下の執務室に普段は姿を見せない美丈夫が不機嫌そうな表情を浮かべ、突然現れたのだ。
「…おい、今回のエルベ領脱税問題について、騒ぎを大きくしたという男は…カール・ティーセル男爵令息はどこにいる⁈」
それは国王陛下直属であり、このアーデルハイド王国の頭脳と呼ばれる男、レニス・グロスター宰相閣下だった。
白髪交じりのシルバーグレーの髪をオールバックにし、碧眼の瞳に銀縁眼鏡を掛けたその男性は不機嫌さを隠すことなくこちらを睨んでいる。
“蛇のような執念深さと、その類まれなる知性で宰相にまでのし上がった男”と揶揄される彼は、実はシャルルの父親なのだ。
しかし、今私たちの目の前に立つグロスター宰相閣下の視線はシャルルを見ても一度も揺るがず、親子の情など感じる事は出来ない。
誰も返事をしない事に焦れたのか、もう一度口を開くグロスター宰相閣下に、諦めて申し出ようとした瞬間、シャルルが私の目の前に立つと、宰相閣下を睨んだ。
「…何の用ですか?お話しならば、この場でお伺いいたしますが」
ギラギラと挑むような目つきでグロスター宰相閣下を睨むシャルル様も、親子としての会話を求めているようには見えない。
(えっ…?これって私が申し出た方が良いの?何が正解か判らない…)
まるで蛇に睨まれたカエルのように、私はその場を動くことが出来なくなってしまったのだった。
国王陛下直属、グロスター宰相閣下の指揮のもとでエルベ領への内密な現地調査が大々的に行われ、更に王宮内に蠢く腐敗した貴族達の繋がりまで徹底的に洗い出されたと、事件が解決した後でディミトリ殿下の口から聞かされた。
「エルベ領主はどうやらここ十年近くの間、王宮の文官に賄賂を握らせて脱税行為を続けていたようだ。しかも豊漁の年であっても、歳入欄は前年度の数字をそのまま記載し、低い数値で統一していた様だ。領収書などもこちらで調べ上げた限り、架空請求が多く、それすらも汚職された文官の手によるものの可能性が高いと判断された」
報告書を手に語るディミトリ殿下は感情を表すことなく事実だけを述べている。
そこにはアーデルハイド王国の行く末を憂えるような感情も、一領主に騙されたことに対する憤慨さえも読み取ることは出来ない。
国の膿を取り除き、正しき道へと導くことだけを推し進めるかのような態度は、彼自身が何れは国王陛下として即位するための予行演習をしているように見えた。
「…船は実際に新規購入されていたのでしょうか?資料には補修ではなく、新規購入と記載されていましたが…」
「それについても現地でエルベ領民と話をすることが出来た。大型漁船が三隻、こちらは外部の簡単な補修のみで内部の改装や補修をされた形跡は見当たらない。小型漁船五隻については損傷が激しい物はさすがに新規購入した様で、二隻は新規購入、残り三隻は補修のみだと報告が上がっている。…まあ、どう考えてもエルベ領主から上がっている決算書の金額には到底及ばないと言わざるを得ないな」
「エルベ領主が不正をしていたのが十年近くに及ぶと先ほど、仰っていましたが、それ程の長期間不正を行っていたにも関わらず、ここへ来て、急に領民の税額を引き上げるのはおかしな話ですよね?領民から不満が噴出すれば、王都へ直訴する可能性は考えなかったんでしょうか?」
「長期間にわたって不正がまかり通れば、人は緊張感を失うからな。王宮には自分の操れる文官もいたわけだし、いざとなればその場でもみ消すような算段になっていたのかもしれぬ」
ため息を吐くと、ディミトリ殿下は「これも、馬鹿な娘を諫めることが出来なかったエルベ領主の親心とやらが招いた結果なのかもしれん」と報告書を机に投げ出した。
(…馬鹿な娘…?エルベ領主には娘がいたという事か…?)
口には出さなかったのだが、私の疑問を正確に読み取ると、殿下は顔をしかめた。
「…前に、私のところに手作りの薬入り菓子を持ち込んだ令嬢がいたと話した事を覚えているか?…あれがエルベ領主の一人娘だ」
「…えーと“媚薬”を仕込んでいたとか言っていた…あの話ですよね?」
「そうだ。どうやら、エルベ領主の馬鹿娘は私を狙っていたらしい。あの時は初犯であったし、私も菓子を口にすることは無かったから不問にしたが、それで益々図に乗ってしまった。このアーデルハイド王国正妃の座を射止めるために、自分より下位の貴族令嬢を貶め、嫌がらせを繰り返していたというのだから、その程度の品性で正妃が務まると思われていたのも嘆かわしいが。彼女が身に纏うドレスも宝飾品も一級品で、しかも同じ物は二度と身に付けないのだと豪語していたのだから、金の出どころが気になるだろう?結局はその馬鹿娘の衣装代を捻出するために、不正に手を出したのが最初だったというのだから呆れた話だ」
――そんなものの為に、生活を脅かされていたとすれば、エルベ領民が気の毒でならない。
私なんかドレスの一枚も持っていないのだぞ、馬鹿野郎と言ってやりたいところだが、これは私怨なので黙っておく。
「今後、エルベ領民はどうなるのでしょうか。これ以上、彼らの生活に負担が掛かるようなことは…」
「それについては、既に対処済みだ。エルベ領はアーデルハイド王国領として、国の管理下に置かれることとなった。今後は王宮から派遣する査察官が采配を振るう事が決定しているから、エルベ領民も不当な増税に苦しむことは無くなるはずだ」
それを聞いて漸く安心できた。きっとミアもこれを聞いたら喜ぶだろう。
「…それでな、今回エルベ領の不正に気付いた者に褒章を取らせるべきだという話が王宮議会で上がっているのだが、カールを立役者として推挙しておいて良いか?」
有難い申し出だが、それには首を振っておく。今回の件で私がやったことはミアの話を聞いて、それをディミトリ殿下に伝えた事ぐらいだからだ。
これだけの働きで褒章まで頂いたら罰が当たるだろう。
「私はミアの話を聞いて、それをディミトリ殿下にお伝えしただけです。立役者だというのなら、むしろ領主に苦しめられていた、エルベ領民が手紙で知らせてくれた事が一番の功労だと思います。褒章はエルベ領民の為にお使いください」
「カールはそれで良いのか?お前たち双子はどちらかがティーセル家を継ぐ以上、もう一人は生きる道を探すのだろう?叙勲や領地を褒章で得たいと思わないのか?」
…私が本当に貴族の令息であったのなら、途轍もなく魅力的な言葉だろう。
でも実際の私は、貴族の称号を受け継ぐことの出来ない令嬢であり、何れは政略結婚の道具になるくらいしか家の役に立てない苦しい立場なのだ。
(これ以上、目立つようなことは避けなければいけないし、ここは上手く断ろう)
「私は既にディミトリ殿下のご厚意に甘え、ルイスを王宮に置いていただいている立場です。褒章と言うのならこれで十分ですから、後はエルベ領民にお使いいただくようお願い致します」
ニッコリと笑顔で断わると「欲が無いな」と殿下は微笑みを浮かべるけれど、欲がないのではなく、目立つのが恐ろしいだけなのだ。…本音は言えないけれど。
こうして、エルベ領の脱税問題は決着をみる事となり、ミアも「今度の領主さまは公正な方で負担が減ったと家族も大喜びしています」と笑顔でこの結末を喜んでいた。
これで終わっていれば“めでたしめでたし”の大団円だったのだが、そうは問屋が卸さない。
この事件が落ち着きを見せ、私たちの執務からもこの事件の後処理に関係する書類が消えかけた頃、ディミトリ殿下の執務室に普段は姿を見せない美丈夫が不機嫌そうな表情を浮かべ、突然現れたのだ。
「…おい、今回のエルベ領脱税問題について、騒ぎを大きくしたという男は…カール・ティーセル男爵令息はどこにいる⁈」
それは国王陛下直属であり、このアーデルハイド王国の頭脳と呼ばれる男、レニス・グロスター宰相閣下だった。
白髪交じりのシルバーグレーの髪をオールバックにし、碧眼の瞳に銀縁眼鏡を掛けたその男性は不機嫌さを隠すことなくこちらを睨んでいる。
“蛇のような執念深さと、その類まれなる知性で宰相にまでのし上がった男”と揶揄される彼は、実はシャルルの父親なのだ。
しかし、今私たちの目の前に立つグロスター宰相閣下の視線はシャルルを見ても一度も揺るがず、親子の情など感じる事は出来ない。
誰も返事をしない事に焦れたのか、もう一度口を開くグロスター宰相閣下に、諦めて申し出ようとした瞬間、シャルルが私の目の前に立つと、宰相閣下を睨んだ。
「…何の用ですか?お話しならば、この場でお伺いいたしますが」
ギラギラと挑むような目つきでグロスター宰相閣下を睨むシャルル様も、親子としての会話を求めているようには見えない。
(えっ…?これって私が申し出た方が良いの?何が正解か判らない…)
まるで蛇に睨まれたカエルのように、私はその場を動くことが出来なくなってしまったのだった。
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