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36 王立学術院での新たな出会い

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(いよいよ…此処で私たちは三年間、学生生活を送ることになるのね…)

 アーデルハイド王国の中心部にほど近い場所にある【王立学術院】…。
 此処は、貴族の称号を持つ家の令息及び令嬢が十六歳から十八歳までの三年間、寄宿舎での生活を送る為の学院だ。
 日頃は使用人に傅かれ、何不自由ない生活を送ることが常の貴族達が、身分の偏見を排し、創造力及び幅広い知識を身につける事を教育理念に掲げて創立されたと聞く。

 荘厳な乳白色の城館は生徒の学舎となる王立学術院で、生徒の使用する寄宿舎はエイアー棟と、職員の使用するテーロース棟と呼ばれる城館、生徒会役員室や医務室を備えたプティノポローン棟、そして国中の書物を集めた王立図書館のある城館はケイモーン棟と呼ばれていた。
 これらは四季を表す神々の名前を冠しているそうだ。

 建物を取り囲むように広葉樹が植えられ、散策路や厩舎、鍛練場まで兼ね備えているのだから、毎年新入生が迷子になるというのも、あながち偽りとは思えない。

 ――私は王立学術院の城館の前で、聳え立つ荘厳な建物を見上げて佇んでいた。

「…ぼんやりして、どうしたんだい?そろそろ入学式が始まる時刻だよ」

 ルイスに“ポン”と肩を叩かれハッと我に返った。…どうやら私は、暫くの間放心していた様だ。

「カール、先ほどから随分と元気がないな。もし体調が悪いのなら、無理はせず医務室へ向かうと良い。私の方から担任の教師にその旨は伝えておこう」

 ディミトリ殿下まで気遣う素振りを見せてこちらを覗き込んで来るが、彼の方こそ、この後新入生代表挨拶で忙しいはずだ。こんなことで心配を掛けるわけにはいかないと、慌てて否定する。

「ご心配ありがとうございます。体調は万全ですから。…昨日は緊張で眠りが浅かったので、少しだけぼんやりしていたみたいです」

 そう言って笑うと「緊張なんてカールらしくないな」と目を細めて髪をグシャグシャと撫でられた。
 ――本当は、寝不足なわけでも具合が悪い訳でも無い。…ただ、この景色に見覚えがある気がして、心が騒めくのが抑えられないだけなのだ。
 本当の事を彼らに告げる訳にもいかず、不安なこの気持ちを抑え込むように、私は両手で自分の体を抱きしめた。



 ――一週間前、私とルイスは無事に男子寮の二人部屋へ入寮を果たした。
 寄宿舎では基本は二人部屋が推奨されているが、高貴な身分の方や、精神的問題を抱える生徒の為に一人部屋も用意されている。…まあ、それなりに高額にはなるのだが…。

 私達と同日で入寮した幼馴染のフランツが、隣の角部屋に決まったとわざわざ挨拶に来た時、ディミトリ殿下達も私たちの部屋へ顔を出していた事で、彼らは急速に親しくなった。
 元々フランツは社交性が高く、愛想も良い。
 そんな彼を三人が気に入らない訳もなく、気が付けば旧知の仲のように親しくなっているのだから縁とは異なものだ。
 そのおかげで、この六人で一緒に行動することが随分と当たり前になってしまった。



 ――私たちの周りを少し遠巻きにするように、新入生たちがチラチラと視線を投げかけてくるのが視界の端に映る。

 圧倒的なカリスマ性を放ちながら、魅惑的な微笑みを浮かべるアーデルハイド王国の王太子、ディミトリ・アーデルハイドを筆頭に、シャルル・グロスター伯爵令息や、ジョゼル・ルーク子爵令息は、所謂“高嶺の花”と呼ばれる存在なのだろう。
 幼馴染と仲の良いフランツ・バッヘンベルグ子爵令息も、本来ならこんな気安い関係ではいられないだろう。その輪の中に私達ティーセル男爵家の双子が混じっているのだから、身分違いを指摘するやっかみを受けても不思議ではない立場だ。

 王立学術院の制服は漆黒のフロックコートに濃紺のベスト、シャツの上にクラヴァットを巻き、漆黒のトラウザーズが式典での正装となる。
 碧いクラヴァットにはアーデルハイド王国の紋章でもある、二頭の獅子が守る深紅の薔薇が描かれ、此処が王立の学院であることを主張していた。
 新品の制服を身に纏い、談笑している彼らは見惚れるほどに美しく、そして気高い。
 …だからこそ、人目は引くものの、貴族達が遠巻きにして様子を覗っているのが判る。

(…まあ、これだけの人間的魅力を持つ集団には近寄れないわよねぇ。私だって、出来る事なら遠巻きにして見物していたかったもの…)

 何で自分は男装してこの派手な集団の中にいるのかが解せないまま、カールは深いため息を吐いた。

 そろそろ入学式の会場へ向かおうかと、ディミトリ殿下が青銅の大扉を抜けようと足を踏み出した時、真っ白な毛玉――どうやら子猫らしい――と、その後ろを追いかけるように、ストロベリーブロンドの髪の美少女が、いきなり植え込みから飛び出してきた。

 カールが咄嗟に、飛び出してきた子猫を抱きとめると、その温かな温もりはニャーニャーと声をあげながら、全身でジタバタと暴れている。

「猫ちゃ~ん、どこへ行くのかしらぁ~♡」

 その少女は微笑みを湛えながら私たちの間をすり抜けようと、一歩を踏み出した。
 一瞬、チラリと我々の顔を見比べると、ディミトリ殿下の方へ駆け出し「ああん♡足がもつれて…」と露骨に彼の胸の中へと飛び込んだのだ。
 その上、殿下の背中に腕を回すと、自らの胸をグイグイと押し付けるのだから、様子を見ていた全員が唖然とする。
 ボソリと『まさか刺客っ⁈』とジョゼルが殺気だつぐらいには不自然な行動だったが、彼女は意にも介さずポッと頬を赤らめてから、ディミトリ殿下を上目遣いで見つめた。

「キャッ!あの…ごめんなさい。私、猫ちゃんを捕まえようとしただけなんですぅ」

 モジモジしながらも、尚も殿下から離れようとしない少女は、自らを “マリアーナ・アウレイア”と名乗った。

「危うく転ぶところでしたわぁ。まさか王太子殿下に助けて頂けるなんて…これも運命の出会いかもしれませんわね♡」

 ――その言葉に戦慄する。

 清楚な雰囲気を持つこの美少女は、今自分が抱き付いて不敬な態度をしている相手がこの国の王太子殿下だとはっきり認識していながら、このような行動を取っているのだと自ら口にしたのだから。

“学術院内では身分の上下は存在せず、誰もが平等に権利を主張できる”

 確かに学術院の教育理念上ではそう書かれているが、社交界自体の規律が無くなったわけでは無い。
 目上の者から求められもせず、自ら名乗ること自体も卑しいとされるが、婚約者でもない異性に自分から抱き付くなど、封権的な社交界では破廉恥だと誹られる行為だろう。

 燥いでいるマリアーナは気づいていないが、ディミトリ殿下や、周りで事の成り行きを見守っていた貴族令息、令嬢たちまでもが、眉を顰めてヒソヒソと囁き合っている。
 …これは不味い展開ではなかろうか…?
 これ以上騒ぎが大きくなれば、マリアーナは王太子殿下に不敬な態度で接し、更には常識の無い破廉恥な令嬢として学院中の噂になるだろう。
 いくら常識の無い令嬢だとしても、これ以上悪目立ちして、周りから爪はじきにされるような事態だけは避けなければ気の毒だ。

「貴女の元を逃げ出すなんて、随分と悪戯好きな子猫ですね。今度は気を付けて?」

 未だに殿下に纏わりつくマリアーナに子猫を差し出すと、何故か怪訝な顔をされる。
 柔らかな子猫の首筋をスルリと撫でた時、ふと覗き込んだ子猫の視線が『不味いっ』といったように一瞬歪んでから慌てて逸らされた。

(――なに…今の表情は…?まるで何か見られては不味いものを見つかったような…?本当に猫…だ、よね?)

 釈然としない想いを抱え、それでも笑みを湛えてマリアーナに子猫を手渡すと「チッ‼」と小さく舌打ちされた。

(…怖―っ‼さっきまで殿下に向けていた可憐なご令嬢の仮面が完全に剥がれているじゃない⁈)

 成程、彼女は見た目よりも豪胆で強かな令嬢のようだ。先ほどの小芝居もディミトリ殿下に近づくためのものだと思えば納得できる。
 …確かに、これぐらいの行動力が無ければ、中々“高嶺の花”の視界に映ることは難しいだろう。
 多少は強引な手口で、出会いの切っ掛けを作ろうと考えたとしても不思議は無い。

 ただ、衆人環視の前で取った行動としては、些か悪手だったことは否めないだろう。
 その証拠に、今も子猫を抱えて話しかけるマリアーナを冷たい目で一瞥すると、ディミトリ殿下は『…無駄な時間を使った。急がないと間に合わん』とそのまま振り返りもせずに講堂へと向かってしまった。
 私達も殿下に追従してそのまま言葉もなく学舎内へと歩を進める。
 漸くマリアーナの姿が視界から消えた頃、ディミトリ殿下が深いため息を吐いた。

「彼女は、私を王太子だと知っていながら、あれ程に衝動的な行為に及んだとすれば、あまりにも馬鹿女だろう。ダンス会場でもあるまいし、この場で刺客と勘違いされて処刑される可能性に気が付いていないのか?」
「先ほども、“王太子殿下”と呼びかけていましたから完全に確信犯ですね。そもそも、カーテシーもせず、目上から問われもしない名前を名乗るなど礼儀違反も甚だしい」

 社交界にデビュタントした貴族であれば当たり前の常識を打ち破って来たマリアーナ・アウレイアという女性は一体何者なのだろうか。
 ――そして、あの子猫の正体も…。

「まあ、いくら愚かな令嬢だったとしても、二度と関わり合いになる事もあるまい」

 殿下の言葉に頷きながらも、私の胸の内のざわつきは収まることも無く、むしろ不安が膨れ上がるような心持ちになっていた。

(――もう、彼女と私が関わることは無いはず…、これ以上心を搔き乱されることは無いと信じたいわ…)

 そう願った自分が如何に甘かったのかを、後日、私は身をもって知ることになるのであった。
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