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59 見えていないもの

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 オルビナと出会ってからの毎日は、私の虚しい日々を充実したものへと変えてくれた。

 早朝からルイスへの挨拶もそこそこに部屋を飛び出すと、予鈴の鳴るギリギリまで図書館に入り浸る。
 放課後も終業の鐘が鳴ると同時に教室を飛び出しては図書館の自習室に籠り、課題や原稿の翻訳に励んでから夕食の時間まで勉強会をする日々は、すごく新鮮で楽しいものだったから、私は周りに目を向けることなく夢中になっていたのだ。

「…何だか最近は一緒に過ごす時間が減ったよな。カールは、いつも放課後は何処へ行っているんだ?」

 ――そうフランツに不満げな顔をされて、漸く我に返るぐらいには…。

「図書館で本を読んだり、課題をやったりしているんだよ。あそこは私語厳禁だから誘っても困るだろう?だから一人で行っているんだ」
「課題なら俺と一緒に教室や談話室でやれば効率が良いじゃないか。本はまとめて借りて来れば毎日図書館に行く必要も無くなるし…」
「夏季休暇の時、課題をフランツに丸写しさせて貰おうとして、ルイスから『カールを甘やかすな』と怒られただろう?それで私も少しは反省したんだよ。いくら幼馴染でも頼り過ぎるのは良くないし、フランツにも迷惑だから…」
「…俺はカールに頼られたいし、迷惑だと思ったことは一度もない‼そうやって必要以上に距離を取るのは止めてくれ」

 予想以上に過保護な幼馴染は、様子の変わった私の事を案じてくれていたらしい。

 今後は図書館へ行く頻度を落としてフランツとの時間を持つかとボンヤリ考えていると、いきなり伸びてきた手にグイッと腕を掴まれた。

「…やっと見つけたぞ?随分と逃げ回ってくれたようだが、お前に少々話がある。黙って一緒についてこい」

 真顔で腕を掴んできたのはディミトリ殿下で、明らかに避けていたことに怒りを滲ませたその声に引きずられるようにして、私は生徒会室横の資料室へと連行されたのだった。

「…それで? 一か月近くも私を避けていたことに対する説明を、お前の口から聞きたいのだが?」

 資料置き場として使われていたはずの室内には、いつの間に設えられたのか執務机や書棚、会議用のテーブルセットなどが品よく収められている。
 どうやらディミトリ殿下はこの部屋で執務を執り行なっているようで、机の上には決裁前の書類が山と積まれていた。

「何処へ雲隠れしていたのか知りませんが、何度教室に行っても捕まらないし、寄宿舎でも私達とは時間をずらして食事を取っていたでしょう?避けられる覚えは無いのに、一体どうしたことかと思っていたところです」

 肘掛椅子に凭れるシャルルも冷ややかな視線を向けてくる。
 確かに彼には避けられる謂れは無いだろう。

「…私も何れは男爵家を継ぐ身です。将来を見据えて空き時間の全てを勉学に邁進しておりました。それが皆様を避けていたと勘違いされたのでしたらお詫び申し上げます」

 何れは彼らに理由を聞かれるだろうと用意しておいた抗弁を申し述べると『へぇ…』と、気の無い返事が返ってきた。

「…まあ、お前は素直に口を割らないとは思っていたから今はそれで良い。それより、今回カールに来て貰った理由だが、来年度の生徒会発足の為、新規生徒会執行部役員名簿の提出を求められた。尚、学術院側からの指名により成績上位者の三名は、既に生徒会執行部入りが確定している」

 つまり、学年主席のディミトリ殿下、二位のシャルル、三位のルイスは来年度の生徒会執行部に自ずと選出が決まっているという事だ。優等生は色々と大変だな…。

「成績優秀だと、教師陣からの信頼も厚いので役職まで付いてくるのは大変ですね。成績上位者の一覧に載ったことすら無い私には想像も出来ない話です」

 ――私には何の関係もない話だと、正直安堵していた私は、どうやらそれを顔に出していたらしい。

「…貴方、自分には関係ないと思っていませんか?それならば私たちが必死でカールを探すはずも無いでしょう」

 やんわりと諫めるシャルルの口調が却って怖い。
 どういうことかとディミトリ殿下の顔を見ると、ため息を吐きながら一枚の書類を手渡してきた。

「…生徒会執行部立候補者届出書…何でこんなものを渡されたのでしょうか…?」
「カールも新規生徒会役員に任命されているからに決まっているだろう。さっさとそこに署名しろ」
「嫌です‼ 無理です‼ 絶対に御免です‼」

 私の魂の叫びは丸っと無視されて、ディミトリ殿下は『役職はどうする?』と言い出した。

「生徒会の会長と副会長の二名は決定しているが、それ以外の役職は例年通りなら立候補制なのだ。だが、今回ばかりは立候補者が乱立して収拾がつかない恐れがあるからと、学術院の側から泣きつかれてな」
「希望者が多いんだったら良いじゃないですか‼ 是非、立候補してもらいましょう?!」
「…私達狙いの頭の軽い女生徒ばかりが立候補しても困るだろう?色事の前に執務を熟せるだけの人材が来なければ話にもならんからな」

 成程…言われてみれば確かに、生徒会執行部に入れば“王太子殿下やお傍付の方々とお近づきになれる”と考えるご令嬢が乱立して立候補することを懸念している訳か。
 それは確かに収拾がつかなくなる恐れはあるだろう。

「残りの枠は書記二名、会計一名だ。フランツ、ジョゼルには既に届出書に署名を貰っているし、後はお前だけだからこの場で書けば期限に間に合う」
「…生徒会執行部には入らないという、一択でお願いします」

 このままディミトリ殿下の傍に居る時間を減らしたいと願うのはいけない事なのだろうか?
 殿下の事で一喜一憂するぐらいなら、お傍に居たくないと思っているだけなのに。

「…何が気に入らないんだ。私は知らぬ間にカールを傷つけるような真似をしたのか?理由を言ってくれなければ謝罪もできないだろう」

(止めろ止めろ‼ そんなに悲しそうな顔をされたら良心が咎めるだろうが⁈)

「…私はディミトリ殿下の臣下であり、友人などと烏滸がましいことは思ってもいません。当然、謝罪などは不要でございます」

 頭を下げて殿下の悲しそうな顔から目を逸らすと「私たちは友人ではない…」と切なげな呟きが聞こえた。

「――判った。カールがそのつもりならば、私もお前に頼むのは止めよう。…お前が生徒会執行部入りし、私の傍で職務に邁進することは決定事項だ。臣下だというのなら立場を弁えるが良い。反論は認めん‼」

 直後にビリビリと体を震わせるほどの怒りを振りまいて、ディミトリ殿下は私を怒鳴りつけると扉を叩きつけて部屋から出て行く。
 後に残されたのは深いため息を吐くシャルルとジョゼル、そして呆然とする私だった。

「殿下は『最近、カールに避けられている…』と随分と苦にしていましたからね。まさか本人の口から“友人じゃない”と一線を引かれるとは…。相当衝撃が大きかったんじゃないですか?」
「あーあ…あのキツイ言い方はさすがに殿下が可哀想だろう。『カールに何かあったのなら力になりたい。最近、姿を見ないのは、まさか病気や怪我で休学しているのでは⁈』と、随分心配していたのになぁ。それが、当の本人からあれだけキッパリ拒絶されたら俺なら泣くね。殿下も今頃、廊下の隅で泣いているんじゃないか?本当に冷たい奴だよなぁ…」

 うう…二人にネチネチと責められると良心が咎める…。

「だ、だって王宮に居た時から、殿下とは対等な立場じゃなかっただろう?私なんか所詮、都合の良い小間使いみたいにこき使われていただけで…」
「「ハァっ⁈」」

 私の必死な抗弁を二人は苛立ったように叫んで遮った。

「殿下はカールを小間使い扱いしたことはありませんよ。友人が困っているのなら助けてやりたいが、カールは無償で助けられるのを良しとしない性格だから、執務の手伝いという名目をやればルイスの治療も素直に受け取るだろうと言っていましたし…」
「お前たちは双子だから、どちらがティーセル男爵家の跡目を継いだとしても、将来は就職する必要があるから、今のうちに王宮で仕官させる道筋を用意してやれば、卒業後も安泰だろうと随分気遣っていたぞ?それを…小間使いと認識しているなんて、殿下も浮かばれないよなぁ」

 …そういうことは私本人に言うべきじゃないの?
 普段は横柄で不遜な態度を崩さないくせに、ふと見せる優しさが苦くて切ない…。 

(…考えてみれば、殿下がルイ―セにしたことを、カールが怒るのはおかしいんだよな。彼にとっては別人なんだから…)

 ――そう思えば、彼を避けてきたことが急に申し訳なく思えてくる。

「…殿下に謝って来るよ…」
「ああ、カールから折れてくれれば殿下も溜飲が下がるだろう。多分その辺で落ち込んでいらっしゃるから、見つけたら少しは優しくしてやって欲しい」

 シャルル様の言葉に頷いて、プティノポローン棟の渡り廊下を進んでいくと、中庭に面した柱に凭れながらぼんやりと空を見上げるディミトリ殿下を発見した。

「何を見ているんですか…?」

 隣に並んで空を見上げると、弓なりの月が夜空に浮かんでいるのが目に入った。

「綺麗な月ですね。…今日は空気が澄んでいるのかな…」

 何となくただ謝って、直ぐに踵を返すのは違う気がして、そんな風に声を掛けてしまう。

 殿下は蒼白い月光に照らされたまま、私の言葉が聞こえていないかのように、無言で夜空を見上げ続けている。

「――先ほどは言い過ぎました。殿下にとって私は小間使いの位置づけだと勝手に思い込んでいたんです。そのせいで、殿下の温かいお心遣いに気づくことが出来なかった」

 月明かりが眩しいせいか、星は殆ど見えない。

 …一つの事に目を奪われるあまり、私を守ろうとする彼らの真意にすら気が付くことが出来ない、私は大馬鹿者なのだ。

「まだ見放されていないのなら、私も生徒会執行部に入れて下さい。どれだけお役に立てるか判りませんが、邪魔にならないよう…」
「…カールを邪魔などと思ったことは一度も無い。お前が勝手に私から距離を取って離れていくのだろう…?」

 私の言葉を遮るようにディミトリ殿下は呟くと、漸く私と視線を合わせてくれる。

「…最近の殿下は何時でも人に囲まれているではありませんか。先日も…女生徒と仲睦まじげに微笑み合っているのを見ました。だから…もう…私は必要ないかと…そう思ったんです」

 思わずポロリと本音が零れると、ディミトリ殿下が瞠目するのが視界に映った。

「それは…つまり――嫉妬していたという事だな?私が他の者と仲睦まじい様子を見て、お前はヤキモチを焼いたわけか」

 “何だそうか”と打って変わって上機嫌になる殿下に『違います‼』と言っても『照れるな』と、彼は楽しそうに目を細めている。

「私はカールを大切に思っているし、何かあればいつでも助けてやりたいと思っている。…だから勝手に傍を離れようとしないでくれ」

 その言葉に頷くと、嬉しそうに微笑んで髪を撫でられた。

(…あーあ…なんだかんだ言っても、私はこの笑顔に弱いんだよな)

 予期しなかった生徒会執行部入りは憂鬱だけれど、二人で並んで見上げる月は、今まで見た中で一番美しいと――そう…思えたのだった。
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