上 下
87 / 102

86 私が此処へ逃げて来た理由

しおりを挟む
 ティーセル領へ到着してから、気が付けば二週間が経過していた。

 両親が此方へ到着した当日こそ「罪人でもあるまいに、何故馬車に飛び乗って逃げるような真似をした?!」だの、「貴族令嬢としての慎みが無さすぎる‼ また大怪我をしたらどうするつもりだ⁈」だのと豪い剣幕でお叱りを受けたものの、最終的には「ルイ―セの事だから、鳥籠の中ではいつまでも我慢できるはずは無いと思っていたが…。やり方はともかく、致し方あるまいな」と全員から苦笑いされて、結局この件は不問とされた。

 ……恐らくカントリーハウスへ避暑に来たからといっても、両親やカール兄様には領地の経営がある以上、私に掛かり切りになっていられないというのも理由の一つだろう。

 そのおかげか、夕方に戻って来るカール兄様に休暇課題の進捗状況は逐一報告させられるものの、それ以外は比較的自由な生活を満喫させて貰っているのだから、有難い話だ。

 久方ぶりに先代当主――祖父母の墓地に花を添えることが出来たし、ティーセル領の古き良き住民達とも顔を合わせることが出来た………のだが。

「おいおいおい、太刀筋も見た目もちっとも成長していないじゃねーか。そんなんで本当に嫁になんか行けるのか~? …オラアッ‼」

 ブンッと振った剣が空を切り、踏み込んだ足がたたらを踏む。

「そう言ってやるなよガース。ルイーセちゃんだって花も綻ぶ年頃なんだから、旦那様の一人ぐらいは捕まえるさ。ハハ……でも嫁に行くより、嫁を貰う方がしっくりくる感じだよねぇ~」

「ミーアもそう思うだろう? やっぱり色気が足りねぇんだよ、お嬢ちゃんは」

 飄々と会話を続けているかに見せかけ、全く揺るがない視線は獲物――私を捉えて離さない。

 狙いを定め、懐へ肉迫してみたものの、頭上から振り下ろされる気配に慌てて飛びのけば、間一髪で元居た場所の地面が抉れた。

「戦いの最中に会話を楽しむなんて随分と余裕ですねぇ‼ ……それで教え子に負けたら生き恥を晒すっていうのにっ‼」

 唯一勝る速度で、足元に刃を振りかざしてみたものの、その体躯に見合わぬ軽やかな足さばきでいとも容易く後方へと逃れられてしまうのだから、どうしようもない。

 幼い頃、移住してきた私はガース医師に剣術の指南を受けていた。

 “貴族令嬢だから顔に傷は作らないこと。後は自己責任で”と言われ、愛はあるのだろうが、かなり手厳しく扱かれていたといえばお判りいただけるだろうか。

 隙を見せるなと言っては川に投げ込まれ、勝った方が食べる権利があるとおやつを賭けて勝負を挑まれる毎日に、幼い私がギャーギャーと泣かされていたのも懐かしい思い出だ。

 ……因みに、こんな大人気ない彼が国土防衛騎士団の軍医であることも最近漸く知らされたのだが。

 これほど長 い年月を一緒に過ごしたにも拘らず、隠されていた事に憤りを感じ、その顔を見た瞬間、ついその腹に拳を叩き込もうとしたのが不味かった。

「おおっ⁈ ルイ―セ嬢ちゃんじゃねぇか。なんだ、元気そうだなぁ~‼ よし、それだけ元気が有り余っているのなら丁度いい、俺が久しぶりに稽古を付けてやるからな。ん? ……怪我をしたら困る……? な~に、そんなもの俺様がチョチョイのチョイで治してやるから安心だろう?」

 懐に入り込み、抉るように叩き込んだ拳をあっさり受け止めると、立会人代わりにミーア夫人まで呼びよせて、手合わせの為の二本の剣まで用意されてしまう。
 あまりの手早さに、逃げ出す間さえ与えられなかったのだから、己の軽率さを恨むしかない。

「ルイ―セちゃんが勝ったらガースは罰として町中を裸踊りさせるからね‼ ガースが勝ったら、何で、いきなり単騎馬で王都から来たのかをぜ~んぶ話して貰うとしようか」

 カラカラと笑っている小太りの女性は、診療所の看護士であり、ガース先生の奥さんでもあるミーア夫人だ。
 この夫婦に血の繋がった子供はいないため、昔から随分と揶揄わ――可愛がられてきた。

「……何で稽古が始まってから条件を提示するかなぁ……大体、私が勝つメリットが無さすぎる…」

 ぼやきながら剣を振るうものの、こんな屈強で凶悪な師匠に勝てるなど端から思ってはいない。

「あ~ん? ……どうせ嬢ちゃんが負けるんだから、条件が後だろうが先だろうが変わりないだろうが。俺は色気のあるお姉ちゃんにしか負けたことの無い無敗の男だぞ?」

「色気のあるお姉ちゃんに負けている時点で無敗じゃないでしょうがっ⁈ …こンの馬鹿師匠め~‼」

 下から掬うように向けられた刃をいなし、何とか体制を整えるも息の一つも乱れない姿に益々苛立ちが募る。

 ―――だから動揺を誘おうと、態とはすっぱな口調で煽ってみた。

「その口の悪さでは、王宮医師の職務は到底無理ですもんねぇ~。ああ、だから我が家の防衛騎士団で軍医を務めているって理由ですか? ……まあ、やぶ医者の師匠にはお似合いですよ―――って、うわっ?! 危っっなっ‼」

 その瞬間、ブンッと弓なりに風を切った一陣の刃が危うく肩口を切り裂こうとしたところを寸でのところで避ける。
 完全に避けた…つもりでいたのに、スッパリと服が裂けているのを見ると、埋められない力の差に徐々に戦意が喪失していくのを感じた。

 そろそろ御年六十歳を超えるはずだが、太刀筋には衰えが全く感じられない。

 ……ガース先生に比べればブルーノなんかまだ可愛らしい殺意だったと感じるぐらいの威圧を受け続け、その緊張感から自分の呼吸がどんどん荒くなっていく。

「へぇ? ……漸く嬢ちゃんも内情を知らされるぐらいまで成長したって事か? ……なら手加減する必要は無いってことで……良いな?」

 ―――完全に言うタイミングを間違えた…と悟ったが、時すでに遅し。
 
 その言葉を聞き終えるより早く、間合いを詰められると、握っていたはずの剣は容易く弾き飛ばされてしまう。

「ハッ……俺の勝ち」

 鼻先に突き付けられた切っ先と、吹き飛んだ剣がガチャンッと音を立てて地面に転がるのはほぼ同時で、成す術も無いままに私は降参の意を込めて両手を上げた。

 ……悔しいけれど、これだけの実力差があったのでは全く歯が立たない。

「初日だし、稽古はこんなもんで良いだろう。これに懲りたらお痛は少し慎むことだな。ほれ、いつまでも地べたに座っていると冷えるだろう? おこちゃまには中で擦り傷の治療をしてあげまちゅからねぇ~?」

 ………腹立つなぁ。
 
 相変わらず人を煽る天才的な物言いに、生来の悪癖がムクムクと頭をもたげる。

 絶対一発は食らわせて……それから逃げよう。
 少し距離を取り、ガース先生の背中に向かって勢いを付けて後ろ蹴りを叩き込む―――はずだったのだが。

 足先が届く寸前、素早く腕でブロックされるとガシリと蹴り上げた足首を掴まれた。

「フッ……相変わらず足癖も悪いのか。こんなに読みやすい攻撃しか出来ないからおこちゃまだって言うんだよ」

 ニヤァと凶悪な笑みを浮かべると、そのまま所謂”逆さ吊り”状態で無理やり診療所へと連行される。

「ッギャーッ?!離せ、離してぇ~~~‼」

「ハハハ……先ずは治療より先に、じゃじゃ馬の矯正から始めないとなぁ? 久しぶりに尻でも叩いて反省するか? ん?」

「やーめーてーっ‼ 本当に反省しましたっ‼ ごめんなさい許してぇ~~~‼」

 まさかこの年になってまで尻叩きをされるとか、本当に許して欲しい。
 
 必死で懇願していると、ティーポットを片手に、ミーア夫人がひょっこり顔を覗かせる。

「随分と楽しそうねぇ。ガースがこんなに生き生きしているのは本当に久しぶりだわ。やっぱりルイ―セちゃんのお痛を懲らしめている時が一番楽しそうだもの。ウフフ…昔に戻ったみたいね」

「そんないい話みたいに纏めないで‼ ガース先生を止めて下さいよぉ~~~っ‼」

 私の懇願が聞き入れられるはずもなく、最初『百叩きするか?』と言っていたのだけは何とか回避した私の尻は十回でも十分ジンジンと痛むし、ペナルティとして夏季休暇終了まで、毎日剣術指南が再開されることも強制的に決定した。

 ―――久しぶりのティーセル領の日常に、若干遠い目をした自分がいることは確かで。

 (……おかしいなぁ。何でこんな事になったのだろう…)

 結局、王都から帰って来た理由も誤魔化すことさえ許されず、全て吐かされた私が満身創痍だった事は言うまでもない。




 「……しかし、王妃殿下から直々に”国土防衛騎士団”の話を嬢ちゃんに打ち明けるとはな。ティーセル家の過去の失態とはいえ、王家とも随分遺恨を残した事件だったはずだが」

 ―――結論から言うと、ガース夫妻は過去の事件の詳細を完全に把握していた。

 確かにジョゼルお爺様とガース先生は長年の付き合いがあり、親友の間柄でもあるのだから、考えてみれば至極当然ではあるとはいえ、私の前で一言だってそんな話が出たことは無い。

 親代わりの様に傍で暮らし、毎日顔を合わせていたにも関わらず―――だ。

 カール兄様のように嫡男では無いから、家を出る私に言う必要が無いと判断されていたのだとすれば、のけ者にされていたようで少しだけ寂しく感じてしまう。

「…私だけに情報が秘匿されていた事情は聞きました。ですが、せめて国土防衛騎士団の務めを担っていることぐらいは教えていただいても良かったと思うのですが。そうすれば、自分の将来だって考えることが出来たのに……」

 どうしたって貴族の家に生まれた女性は生き方を制限される。
 
 政略結婚の駒となり、夫を支え、子を生す生き方だけが望まれることも重々承知している。

 しかし、ゆくゆくは私自身もそうやって生きるのだと半ば諦めの気持ちで生きてきた私は、男装し、王宮勤めや学生生活を体験してきた事で自由の味を知ってしまった。

 辺境伯のお役目を担い、自前の騎士団を有するティーセル家になら、婚姻をせずとも自分の居場所が与えられるのではないか……そんな事を夢見てしまうのはいけない事なのだろうか。

 ギイギイと軋む診察用の椅子に凭れ、目の前で薬草茶をすするガース先生に目をやると、気まずそうな笑顔を浮かべて、鼻筋を掻く姿が目に映る。

「……まあ、カールにはとっくにバレて問い詰められたけどな。でも、嬢ちゃんの場合は事情が事情だけに……話すのが憚られてなぁ。教えたら、折角の幸せを自分で逃がしそうだろう?」

 カール兄様は知らされていたという事実に軽く絶望していると「カールは自分で気づいたんだ。嬢ちゃんをのけ者にした訳じゃねぇよ」と額を小突かれた。

「こっちに来た当初は『ディーマに会いたい 傍に居たい』って手に負えない程泣き喚いていたくせに、すっかり忘れちまったら『婚姻しないで生きる方法を模索したい』とかこどもだてらに言うんだもんな。あの王太子殿下が嬢ちゃんを諦める訳がないから、下手な逃げ道は与えない様にって騎士団内でも箝口令が敷かれていたんだよ。そうしないと、嬢ちゃんの事だから『お世話になった皆さんにご恩返しの為、私は国土防衛騎士団に入団し、生涯を捧げます』とかって大義名分を掲げて、人との柵から逃げるに決まっているからってさ」

 ―――その的確な指摘に、頬が熱くなる。

 過去の心的外傷が影響を及ぼしているせいか、自分でも人づきあいが苦手だという自覚はあった。

 広く浅く。
 束縛を受けないよう細心の注意を払い、無理に近づこうとする相手には壁を作って距離を置き続けていた。

 それ故に、心の内側に踏み込んで来る恋愛事は大の苦手で、少しでも熱を帯びれば素知らぬ振りで逃げ出し続けていた……という事でさえ、最近気が付いたのだから我ながら呆れる。

「…大義名分などと…。私は確かに人の柵が苦手ですが、もし両親から政略結婚の話があれば受け入れるつもりはありますよ」

「政略結婚なら、自分の心が搔き乱されないとでも思っているからだろう?今回、王宮から無謀な真似をして飛び出してきたのも、大方、王太子の傍に居すぎて不安になったってところか。急に相思相愛だと言われ、自分の気持ちが整理できないまま、心の内側に踏み込んで来られて怖くなったってところ―――」

「止めて‼ ……ガース先生の仰りたいことは判りましたから……」

「……確かにお前さん達の出会いを思えば不安になる気持ちは判る。だが、これだけ長い間一途に想い続けてくれた相手の気持ちを蔑ろにしてまで、守らなきゃならない矜持なんてものは無いだろう?そろそろ気持ちを誤魔化すことは止めて、素直になったらどうだ?」

 真っすぐな視線を向けられ、戦慄く唇を堪える様に固く結ぶ。

 幼い頃の記憶を思い出した直後から、私はずっと恐れていた。

 ……もしディミトリ殿下――ディーマが私に向ける気持ちが愛情ではなく只の執着だったら、一体どうすれば良いのだろうか。

 幼子の庇護欲を愛情とはき違え、自分が失くしたはずの玩具が出て来たことへの執着だったとしたら。

 ―――手に入った瞬間それは輝きを失い、彼は勘違いだったという言葉と”妃華”だけを残して、私の元から去るだろう。

 彼の気持ちが離れれば、確かに”妃華”の魅了は弱まるかもしれないが、既にこの躰に刻まれた紋章も過去も永遠に私に残り、燻り続ける事となる。

 何も考えずディミトリ殿下の傍に居て捨てられるだけの未来に怯えるより、どんな生き方を選んだとしても後悔しないよう、一人で心を見つめ直したい。

 そんな衝動に突き動かされ、なりふり構わず王宮を飛び出したけれど、おかげで漸く自分の気持ちと向き合う時間が取れた。

「……これ以上ディミトリ殿下に依存する生き方は選びたくないんです。たとえ彼が心変わりしたとしても、笑顔で手を離せるようにならなくちゃ、きっと隣に立てるだけの自信が持てないから……」

 それだけの覚悟を持つためだけに、私はティーセル領へと逃げ出して来たのだから。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

突然の契約結婚は……楽、でした。

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:61,560pt お気に入り:1,967

貴方達から離れたら思った以上に幸せです!

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:209,628pt お気に入り:12,383

役目を終えて現代に戻ってきた聖女の同窓会

恋愛 / 完結 24h.ポイント:695pt お気に入り:82

【完結】イアンとオリエの恋   ずっと貴方が好きでした。 

恋愛 / 完結 24h.ポイント:951pt お気に入り:1,212

処理中です...