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■下僕、鬼を祝い忘れる
■下僕、鬼を祝い忘れる
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十一月下旬。
ちょうどその日、ふたりとも内勤だった薪と由里子は、昼休みになるとコートを羽織り、財布とスマホだけ持って社外へ出て、近くの広場に停まっているキッチンカーでそれぞれロコモコ丼とタコライスを注文し、そこで食べることにした。
編集部を出ていく際、真紘から置いていかれる子犬みたいな目を向けられてしまったけれど、こればっかりは仕方がない。薪ちゃんはもらった、と言いたげな様子で真紘に向けてニヤリと笑った由里子の背中を、あわあわしながらぐいぐい押しつつ、晩秋にしては穏やかな天候の下、ふたりで出来立てのランチを頬張る。
――あとで主任にめちゃくちゃ甘えられるんだろうな……。
それはそれで嬉しいけれど。
とはいえ今日は、そんな確信犯の由里子に聞きたいことがある。
「ねえ、由里子」
「ん?」
「由里子は彼氏さんの誕生日に、いつも何をプレゼントしてるの?」
「誕生日プレゼント? どうしてまた急に?」
「主任、確か十二月が誕生日だったはずなんだよね。どうせなら主任が気に入るものをあげたいなと思ってるんだけど、でも私、しばらく彼氏もいなかったわけでしょう? 何をあげたらいいかわからないから、由里子に相談したくって」
「まあ! 薪ちゃん可愛い。そういうことね」
「うん、まあ」
そう――十二月になれば、真紘の三十歳の誕生日だ。
可愛いかどうかは別にしても、せっかくなら真紘が気に入るものをあげたいし、喜んでもらいたい。二十代最後の瞬間と三十代最初の瞬間を盛大に祝いたい。
けれど、薪にとっては数年ぶりの彼氏ということと、それがこれまで苦手意識しか持っていなかった相手ということで、真紘の好みも、何をしてもらったら、どんなものをもらったら嬉しいのかも、ちっともわからなかった。
サプライズで祝おうかとも考えた。でも、自分にその技量があるとは思えず、すぐに諦めた。いっそのこと本人に直接聞いてしまおうかとも考えたけれど、それじゃあ、ちょっとつまらない。ということで、大学時代から付き合って五年の彼氏がいる由里子に、こうして相談を持ち掛けているというわけである。
そのため、真紘には申し訳ないけれど、由里子とふたりで外に出る必要があったし、食堂やラウンジには戻らず、昼食もここで食べる必要があったのだった。
「誕生日プレゼントねえ……」
すると、当時のことを思い出すように、由里子が視線を斜め上へ向けた。
「最初のときは確か、ペアで付けられるアクセサリーだったかなあ。大学生だったし、そんなに高いものは買えなかったけどね。で、ケーキとチョコプレートとチョコペンと、あと蝋燭を用意して、プレートに〝ハッピーバースデー〟って手書きして、そこに蝋燭を立ててさ。それから、ちょっと豪華なご飯を作ってお祝いしたかなあ。私たちの場合、もう気心が知れちゃってる関係だから、プレゼントは何が欲しいか聞き合ってるけど、ケーキとかご飯は、毎回、そんな感じだね。部屋を飾ってみたりしてさ。――どう? 参考になりそう?」
そして、こっちも負けず劣らず仲良しでしょ、と得意げに笑って尋ねる。
薪は由里子のこういうところがたまらなく好きだ。自慢するでもなく、逆に、私の彼氏なんてと下げるでもなく、ただ〝私はこんなに好き〟という気持ちを素直に表情に出したり言葉にしたりするところが、可愛いし大好きだ。
「もちろんだよ! ありがとう!」
大きく頷いて礼を言うと、目を見合わせて笑い合う。
まさか由里子とお互いの彼氏の話をする日が来るとは思いもよらなかったけれど、純粋に嬉しい。こういう、ふわふわと心が浮き立つような、わくわくするような〝女の子だけの秘密の話〟も久しぶりで、それだけでテンションも上がる。
「あ。でもさ、薪ちゃん」
「ん?」
「さっき〝確か〟って言ってたけど、主任の誕生日が十二月の何日か、どうやって聞くの? これまではどうでもいいような情報だっただろうけど、これからは必須でしょう? 誕生日に何が欲しいか聞くのがちょっとつまらないってことなら、何日なのかを相当、上手く聞き出さないと、元も子もないんじゃないかなって」
「――ああっ!」
「そういうところが薪ちゃんらしいよねえ」
「どうしよう由里子、それはちっとも考えてなかった……」
「あはは」
けれど、話は振り出しに戻ってしまった。
結局、ランチを食べながらしばらくの間、ふたりで作戦を考えたものの、最終的に「……薪ちゃんにはちょっと難しいんじゃない?」と苦笑されてしまった薪は、由里子に同じように苦笑を返しつつ「だよね……」と認めるしかなく、素直に真紘本人に誕生日の日付と欲しいプレゼントを聞くことにした。
「……主任は薪ちゃんがくれるものならなんだってご褒美なんだから」
そう言って励ましてくれた由里子の同情する瞳が、いたく胸に染みる薪だった。
*
とはいえ、聞かなければ何もはじまらない。
その週の週末、もうずいぶん慣れてきた真紘の城を訪れた薪は、部屋に入るとすぐに誕生日の日付と欲しいものを本人に尋ねることにした。
エアコンのスイッチを入れ、マフラーを外したり、コートを脱いだりしていた真紘は、脈絡なく聞かれたその二つに驚いた顔して、けれどすぐに合点がいったのだろう、少しだけ考えてから嬉しそうに口元を綻ばせて「十二日」と答えてくれた。
「あと、欲しいものも知りたいです。何が欲しいですか?」
「薪だな」
「もう。プレゼントの話ですよ」
「うーん……。急に言われてもなあ。なんも思いつかねえよ」
「じゃあ、考えててください。十二日までに用意しておきますね」
けれど、欲しいものについては、真紘の反応は芳しくなかった。
でも大丈夫だ。
間髪入れずに〝薪だ〟と言われるだろうことは予測済みだし、急に聞かれても思いつかないのも、薪にも大いに経験のあることなので返す台詞も用意していた。
真紘の誕生日を祝うことに頭をいっぱいにしていたため、由里子にやんわりとツッコミを入れられてしまっただけで、もう本人に聞こうと開き直ってからは、真紘が言うだろう台詞を先読みするだけの頭は働いている。
真紘が少し考える仕草をしたのは、薪が聞くだろうことを予測したものの、咄嗟には何も思いつかないから正直に答えようと一瞬で判断したからだろう。
そういうところが、真紘は薪に甘い。できるだけ困らせたくないと思ってくれていることが、その一瞬の仕草で伝わって、薪の胸はほくほくと温かかった。
「ちゃんと考えとくな。薪が俺のためにくれるものなんだし」
そう言って優しく微笑んだ真紘に「お願いします!」と笑って、その日はそれ以降、誕生日の話はせずに、真紘が作ってくれた料理に舌鼓を打ったり、ちょっとアルコールを入れつつ映画を観たり、抱き合ったりしながら夜は更けていった。
数日前の昼休み、編集部を出る際に由里子に〝薪ちゃんはもらった〟と、したり顔をされた記憶がまだまだ新しいようで、そのとき思った通り、めちゃくちゃ甘えてくる真紘がめちゃくちゃ可愛かったのは言うまでもない。
*
けれど、真紘の誕生日の十二月十二日――。
平日だったその日、どうしても真紘の部屋に泊まりたいと強行突破で訪れた薪を見て、真紘はひどく驚いた顔をしたあと、薪の両手の荷物を見て何かを察し、鬼と名高い真紘にしては珍しく眉をハの字に下げて薪を部屋の中に招き入れた。
「……悪い、薪。落ち着いて聞いてほしい。俺の誕生日は十一月だ」
「へ?」
「誕生日が来たそばから来年のことをもう考えてくれてるとか、なんて薪は可愛いやつなんだろうって思ってたんだけど、こういうことだったんだな。ちゃんと言わなくて悪かった、俺の誕生日は十一月十二日だ。十二月じゃない」
「……えええっっ⁉」
そしてそこで、薪の盛大な勘違いが発覚した。
「もしかしたら、十一月と十二月を間違えてるのかもしれないって、薄々、思ってはいたんだ。けど、俺の勘違いだったら恥ずかしいし、祝われたがりみたいだろ。三十歳なんてわざわざ祝ってもらう歳でもねーし、俺、男だし」
「じゃ、じゃあ、もう過ぎちゃってたってことですか……?」
「……そうなるな」
「うそでしょ⁉」
というわけで、真紘がもう三十歳を迎えていたことを打ち明けられたのである。
その瞬間、仕事終わりにスーパーに駆け込み急いで買ってきた食材を入れたバッグが薪の肩からずれ落ち、床にドサリと音を立てた。反対の手に持っているケーキの箱は、かろうじて落下を免れているけれど、時間の問題かもしれない。
あまりのショックと恥ずかしさに箱の持ち手が今にも指から離れていきそうだ。
「……、……」
「……ま、薪?」
「……んなさ……」
「え?」
「ごめんなさい……。私が勘違いしてたばっかりに、せっかくの主任の誕生日を祝い忘れちゃって……。先月のその頃は、私、自分のことしか考えてなかったですよね。付き合いはじめたことを由里子に報告したいって、そればっかり……」
本当は真紘の誕生日だった先月のその頃、薪は真紘と、今言ったことについて攻防戦を繰り広げていた。
まさかその間に真紘の誕生日が過ぎていたとは思いもせずに、お互いに半月も粘って粘って、ようやく『……俺のことが嫌にならないって約束できるなら、麻井と話してきてもいい』と由里子の元に送り出してもらい、これまで真紘がどんなふうに薪のことを好きでいたかを『俺が薪のことでみっともなく執着してるときに限って、なぜか見られてるんだよ』という由里子に教えてもらった。
「言ってくれたら私、めちゃくちゃ祝ったのに……」
「……薪」
「あ、いえ。すみません、責めるようなことを言って。そもそも誕生日を十二月だって勘違いしたまま、十二日って聞いて張り切ってた私がバカだったって話で、主任は何も悪くありません。……ただ、私が、二十代最後のときと三十代最初のときに主任と一緒にいたかったってだけで、わがままでした。ごめんなさい」
そう言って、薪はしおしおと頭を下げる。
――なんで私はこうも詰めが甘いんだろう……。
仕事でもそうだし、こんな大事なときにも、うっかりしてしまうなんて、いくら真紘が〝やっと〟と言うほど好きでいてくれても、自分が嫌いになりそうだ。
「やり直そうか、誕生日。めちゃくちゃ祝ってくれるんだろ?」
すると、床に落ちた食材が入ったバッグを拾い、薪の手にあるケーキの箱も優しく預かった真紘が、そう言ってクイ、と顎を持ち上げた。
「! 主任……っ!」
「薪が俺のためにくれるものは、全部ご褒美だ」
「好き! 超好き!」
「ははっ」
そして、ぱあぁっと表情を輝かせる薪に意気揚々と笑う。
どうやら由里子が言ったことは本当だったようだ。真紘は薪がくれるものだったらなんだって嬉しいし、たとえそれが一か月遅れだったとしても構わないらしい。
それからふたりは、薪が買ってきた食材で料理を作り、チョコペンで『ハッピーバースデー しゅにん』と書いたチョコプレートと火をつけた蝋燭が乗ったケーキを食べ、ちょっとだけお酒を入れつつ、一か月遅れの誕生日パーティーをした。
プレゼントは薪――ではなく、顧客先の人と名刺交換をする場面も多いため、あって困るものでもないだろうと思って選んだ、ちょっとお高めの名刺入れだ。
プレゼントに何が欲しいか聞いたときに『ちゃんと考えとくな』と言われたものの、それから真紘は欲しいものについて何も言ってこなかったため、十二日が近くなって痺れを切らした薪が、内心で〝んもうっ!〟と思いながら選んだ。
……とはいえ、それは薪の壮大な勘違いだったため、欲しいものを教えてくれなかった真紘を責めるだなんて、お門違いもいいところである。
とにかく、革製の黒い名刺入れを大事そうに手に持ち「これからたくさん使うな」と柔らかな笑みとともにそう言ってくれた真紘に「いっぱい使ってくださいね」と返して、薪は、来年こそは当日に祝おうと固く心に決める。
けれど、このときの薪はまだ知らないのだ。
真紘が三十一歳になったその日は、新婚ほやほや中のほやほやで、いろいろな意味でそれどころではない誕生日になったということを――。
ちょうどその日、ふたりとも内勤だった薪と由里子は、昼休みになるとコートを羽織り、財布とスマホだけ持って社外へ出て、近くの広場に停まっているキッチンカーでそれぞれロコモコ丼とタコライスを注文し、そこで食べることにした。
編集部を出ていく際、真紘から置いていかれる子犬みたいな目を向けられてしまったけれど、こればっかりは仕方がない。薪ちゃんはもらった、と言いたげな様子で真紘に向けてニヤリと笑った由里子の背中を、あわあわしながらぐいぐい押しつつ、晩秋にしては穏やかな天候の下、ふたりで出来立てのランチを頬張る。
――あとで主任にめちゃくちゃ甘えられるんだろうな……。
それはそれで嬉しいけれど。
とはいえ今日は、そんな確信犯の由里子に聞きたいことがある。
「ねえ、由里子」
「ん?」
「由里子は彼氏さんの誕生日に、いつも何をプレゼントしてるの?」
「誕生日プレゼント? どうしてまた急に?」
「主任、確か十二月が誕生日だったはずなんだよね。どうせなら主任が気に入るものをあげたいなと思ってるんだけど、でも私、しばらく彼氏もいなかったわけでしょう? 何をあげたらいいかわからないから、由里子に相談したくって」
「まあ! 薪ちゃん可愛い。そういうことね」
「うん、まあ」
そう――十二月になれば、真紘の三十歳の誕生日だ。
可愛いかどうかは別にしても、せっかくなら真紘が気に入るものをあげたいし、喜んでもらいたい。二十代最後の瞬間と三十代最初の瞬間を盛大に祝いたい。
けれど、薪にとっては数年ぶりの彼氏ということと、それがこれまで苦手意識しか持っていなかった相手ということで、真紘の好みも、何をしてもらったら、どんなものをもらったら嬉しいのかも、ちっともわからなかった。
サプライズで祝おうかとも考えた。でも、自分にその技量があるとは思えず、すぐに諦めた。いっそのこと本人に直接聞いてしまおうかとも考えたけれど、それじゃあ、ちょっとつまらない。ということで、大学時代から付き合って五年の彼氏がいる由里子に、こうして相談を持ち掛けているというわけである。
そのため、真紘には申し訳ないけれど、由里子とふたりで外に出る必要があったし、食堂やラウンジには戻らず、昼食もここで食べる必要があったのだった。
「誕生日プレゼントねえ……」
すると、当時のことを思い出すように、由里子が視線を斜め上へ向けた。
「最初のときは確か、ペアで付けられるアクセサリーだったかなあ。大学生だったし、そんなに高いものは買えなかったけどね。で、ケーキとチョコプレートとチョコペンと、あと蝋燭を用意して、プレートに〝ハッピーバースデー〟って手書きして、そこに蝋燭を立ててさ。それから、ちょっと豪華なご飯を作ってお祝いしたかなあ。私たちの場合、もう気心が知れちゃってる関係だから、プレゼントは何が欲しいか聞き合ってるけど、ケーキとかご飯は、毎回、そんな感じだね。部屋を飾ってみたりしてさ。――どう? 参考になりそう?」
そして、こっちも負けず劣らず仲良しでしょ、と得意げに笑って尋ねる。
薪は由里子のこういうところがたまらなく好きだ。自慢するでもなく、逆に、私の彼氏なんてと下げるでもなく、ただ〝私はこんなに好き〟という気持ちを素直に表情に出したり言葉にしたりするところが、可愛いし大好きだ。
「もちろんだよ! ありがとう!」
大きく頷いて礼を言うと、目を見合わせて笑い合う。
まさか由里子とお互いの彼氏の話をする日が来るとは思いもよらなかったけれど、純粋に嬉しい。こういう、ふわふわと心が浮き立つような、わくわくするような〝女の子だけの秘密の話〟も久しぶりで、それだけでテンションも上がる。
「あ。でもさ、薪ちゃん」
「ん?」
「さっき〝確か〟って言ってたけど、主任の誕生日が十二月の何日か、どうやって聞くの? これまではどうでもいいような情報だっただろうけど、これからは必須でしょう? 誕生日に何が欲しいか聞くのがちょっとつまらないってことなら、何日なのかを相当、上手く聞き出さないと、元も子もないんじゃないかなって」
「――ああっ!」
「そういうところが薪ちゃんらしいよねえ」
「どうしよう由里子、それはちっとも考えてなかった……」
「あはは」
けれど、話は振り出しに戻ってしまった。
結局、ランチを食べながらしばらくの間、ふたりで作戦を考えたものの、最終的に「……薪ちゃんにはちょっと難しいんじゃない?」と苦笑されてしまった薪は、由里子に同じように苦笑を返しつつ「だよね……」と認めるしかなく、素直に真紘本人に誕生日の日付と欲しいプレゼントを聞くことにした。
「……主任は薪ちゃんがくれるものならなんだってご褒美なんだから」
そう言って励ましてくれた由里子の同情する瞳が、いたく胸に染みる薪だった。
*
とはいえ、聞かなければ何もはじまらない。
その週の週末、もうずいぶん慣れてきた真紘の城を訪れた薪は、部屋に入るとすぐに誕生日の日付と欲しいものを本人に尋ねることにした。
エアコンのスイッチを入れ、マフラーを外したり、コートを脱いだりしていた真紘は、脈絡なく聞かれたその二つに驚いた顔して、けれどすぐに合点がいったのだろう、少しだけ考えてから嬉しそうに口元を綻ばせて「十二日」と答えてくれた。
「あと、欲しいものも知りたいです。何が欲しいですか?」
「薪だな」
「もう。プレゼントの話ですよ」
「うーん……。急に言われてもなあ。なんも思いつかねえよ」
「じゃあ、考えててください。十二日までに用意しておきますね」
けれど、欲しいものについては、真紘の反応は芳しくなかった。
でも大丈夫だ。
間髪入れずに〝薪だ〟と言われるだろうことは予測済みだし、急に聞かれても思いつかないのも、薪にも大いに経験のあることなので返す台詞も用意していた。
真紘の誕生日を祝うことに頭をいっぱいにしていたため、由里子にやんわりとツッコミを入れられてしまっただけで、もう本人に聞こうと開き直ってからは、真紘が言うだろう台詞を先読みするだけの頭は働いている。
真紘が少し考える仕草をしたのは、薪が聞くだろうことを予測したものの、咄嗟には何も思いつかないから正直に答えようと一瞬で判断したからだろう。
そういうところが、真紘は薪に甘い。できるだけ困らせたくないと思ってくれていることが、その一瞬の仕草で伝わって、薪の胸はほくほくと温かかった。
「ちゃんと考えとくな。薪が俺のためにくれるものなんだし」
そう言って優しく微笑んだ真紘に「お願いします!」と笑って、その日はそれ以降、誕生日の話はせずに、真紘が作ってくれた料理に舌鼓を打ったり、ちょっとアルコールを入れつつ映画を観たり、抱き合ったりしながら夜は更けていった。
数日前の昼休み、編集部を出る際に由里子に〝薪ちゃんはもらった〟と、したり顔をされた記憶がまだまだ新しいようで、そのとき思った通り、めちゃくちゃ甘えてくる真紘がめちゃくちゃ可愛かったのは言うまでもない。
*
けれど、真紘の誕生日の十二月十二日――。
平日だったその日、どうしても真紘の部屋に泊まりたいと強行突破で訪れた薪を見て、真紘はひどく驚いた顔をしたあと、薪の両手の荷物を見て何かを察し、鬼と名高い真紘にしては珍しく眉をハの字に下げて薪を部屋の中に招き入れた。
「……悪い、薪。落ち着いて聞いてほしい。俺の誕生日は十一月だ」
「へ?」
「誕生日が来たそばから来年のことをもう考えてくれてるとか、なんて薪は可愛いやつなんだろうって思ってたんだけど、こういうことだったんだな。ちゃんと言わなくて悪かった、俺の誕生日は十一月十二日だ。十二月じゃない」
「……えええっっ⁉」
そしてそこで、薪の盛大な勘違いが発覚した。
「もしかしたら、十一月と十二月を間違えてるのかもしれないって、薄々、思ってはいたんだ。けど、俺の勘違いだったら恥ずかしいし、祝われたがりみたいだろ。三十歳なんてわざわざ祝ってもらう歳でもねーし、俺、男だし」
「じゃ、じゃあ、もう過ぎちゃってたってことですか……?」
「……そうなるな」
「うそでしょ⁉」
というわけで、真紘がもう三十歳を迎えていたことを打ち明けられたのである。
その瞬間、仕事終わりにスーパーに駆け込み急いで買ってきた食材を入れたバッグが薪の肩からずれ落ち、床にドサリと音を立てた。反対の手に持っているケーキの箱は、かろうじて落下を免れているけれど、時間の問題かもしれない。
あまりのショックと恥ずかしさに箱の持ち手が今にも指から離れていきそうだ。
「……、……」
「……ま、薪?」
「……んなさ……」
「え?」
「ごめんなさい……。私が勘違いしてたばっかりに、せっかくの主任の誕生日を祝い忘れちゃって……。先月のその頃は、私、自分のことしか考えてなかったですよね。付き合いはじめたことを由里子に報告したいって、そればっかり……」
本当は真紘の誕生日だった先月のその頃、薪は真紘と、今言ったことについて攻防戦を繰り広げていた。
まさかその間に真紘の誕生日が過ぎていたとは思いもせずに、お互いに半月も粘って粘って、ようやく『……俺のことが嫌にならないって約束できるなら、麻井と話してきてもいい』と由里子の元に送り出してもらい、これまで真紘がどんなふうに薪のことを好きでいたかを『俺が薪のことでみっともなく執着してるときに限って、なぜか見られてるんだよ』という由里子に教えてもらった。
「言ってくれたら私、めちゃくちゃ祝ったのに……」
「……薪」
「あ、いえ。すみません、責めるようなことを言って。そもそも誕生日を十二月だって勘違いしたまま、十二日って聞いて張り切ってた私がバカだったって話で、主任は何も悪くありません。……ただ、私が、二十代最後のときと三十代最初のときに主任と一緒にいたかったってだけで、わがままでした。ごめんなさい」
そう言って、薪はしおしおと頭を下げる。
――なんで私はこうも詰めが甘いんだろう……。
仕事でもそうだし、こんな大事なときにも、うっかりしてしまうなんて、いくら真紘が〝やっと〟と言うほど好きでいてくれても、自分が嫌いになりそうだ。
「やり直そうか、誕生日。めちゃくちゃ祝ってくれるんだろ?」
すると、床に落ちた食材が入ったバッグを拾い、薪の手にあるケーキの箱も優しく預かった真紘が、そう言ってクイ、と顎を持ち上げた。
「! 主任……っ!」
「薪が俺のためにくれるものは、全部ご褒美だ」
「好き! 超好き!」
「ははっ」
そして、ぱあぁっと表情を輝かせる薪に意気揚々と笑う。
どうやら由里子が言ったことは本当だったようだ。真紘は薪がくれるものだったらなんだって嬉しいし、たとえそれが一か月遅れだったとしても構わないらしい。
それからふたりは、薪が買ってきた食材で料理を作り、チョコペンで『ハッピーバースデー しゅにん』と書いたチョコプレートと火をつけた蝋燭が乗ったケーキを食べ、ちょっとだけお酒を入れつつ、一か月遅れの誕生日パーティーをした。
プレゼントは薪――ではなく、顧客先の人と名刺交換をする場面も多いため、あって困るものでもないだろうと思って選んだ、ちょっとお高めの名刺入れだ。
プレゼントに何が欲しいか聞いたときに『ちゃんと考えとくな』と言われたものの、それから真紘は欲しいものについて何も言ってこなかったため、十二日が近くなって痺れを切らした薪が、内心で〝んもうっ!〟と思いながら選んだ。
……とはいえ、それは薪の壮大な勘違いだったため、欲しいものを教えてくれなかった真紘を責めるだなんて、お門違いもいいところである。
とにかく、革製の黒い名刺入れを大事そうに手に持ち「これからたくさん使うな」と柔らかな笑みとともにそう言ってくれた真紘に「いっぱい使ってくださいね」と返して、薪は、来年こそは当日に祝おうと固く心に決める。
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