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■2.気づきはじめるメレンゲクッキー
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そうして迎えた体育祭は予報通り晴天に恵まれ、順調にプログラムが進んで、悠太の借り物競争と、ほかに何種目か、そして最終種目に耀介がアンカーを務めるクラス対抗リレーが残るだけとなっていた。モトとの二人三脚や耀介の障害物競走は爆笑をさらい、ほかのクラスメートが出た種目も手に汗握ったり面白かったりと、体育祭は楽しい雰囲気で続いている。
悠太は、自分の前にあと二組と迫った順番をドキドキ、ハラハラした気持ちで待ちながら、どうか困るような難しいお題だけは引きませんようにと切に願う。
これまでの様子を見ていると、おそらく『校長先生』や『応援団の人』という簡単なお題から『彼氏または彼女』や『好きな人』という男子からも女子からも思わず歓声が上がるようなお題、はたまた『ぬいぐるみ』や『生徒手帳』なんていう、体育祭の場には持ってきている人なんていないだろう頭を抱えるようなお題が出ているようだった。
先発の人たちが、お題を見て自分の団の陣地や教職員席へ向かい、声を張り上げて一生懸命に借り物や借り人を探している姿は、見ているほうとしてはすごく楽しい時間だったりするけれど、実際に出場する身としては、やはり戦々恐々だ。
順番が近づいてくるにつれて、悠太はソワソワと落ち着かない。
そうこうしていると、いよいよ悠太が走る組となり、悠太も含めて五人が一斉にスタートした。周りに遅れないようにお題を目指し、目の前に置かれている紙を取る。
――え、これって……。
すると目に飛び込んできたのは『体育祭のあとに約束をしている人』というお題だった。
走って少し弾んでいる息を整えながら、書かれているお題の意味や意図を考え、反射的に自分の団の、自分のクラスメートが固まっている場所に目をやる。
これまで意外とそういう類いのお題が多かったことからも、悠太が引いたお題の意図はおそらく、告白やデートや、いわゆる恋愛事に関して〝体育祭のあとに約束をしている人〟を連れてこいという意味だろうと大方の察しはつく。
でも悠太には、そんな人はいない。
代わりと言ってはあれだけれど、真っ先に探したのは耀介の姿だ。
これから行われるクラス対抗リレーをめちゃくちゃ頑張るご褒美にリクエストのメレンゲクッキーを作ってくる、と約束をしていることも、れっきとした〝約束〟だということがまず頭に思い浮かんで、耀介を連れて、お題に沿った人や物を連れてきた、あるいは持ってきたかどうかをジャッジする判定係にそのことを説明すればゴールは簡単だと思った。
「……、……」
けれど同時に〝俺はできるだけ長く、悠太とこうして月曜日の昼休みの試食会を続けたいって思ってるんだけど、悠太はそうじゃない?〟という、あの甘さ増し増しの言葉が思い出されて、一歩、自分の陣地へ踏み出しかけた足が止まる。
約束をしてからの耀介がリレーの練習をすごく頑張っていたのも、モトと二人三脚の練習をしたり設営の手伝いに駆り出されたりしながら見ていたので、咄嗟に、この約束は誰にも知られたくないと気持ちが働いて、踏み出した足が止まった。
たとえゴールするためだとしても、むやみに他人に言いたくない。
もしかしたら耀介は特に何も感じないかもしれないけれど、もし逆だったなら、悠太はたぶん胸にモヤリとしたものを感じるだろうし、二人だけの約束だと思っていたのになんで言うんだよと、面白くないだろう。そんな軽い約束じゃないのに――なんて、まるでやきもちを焼いているかのような、そんな心境になるかもしれない。
……第一、こんなのは友達に対して持っていい感情なのかもわからない。
「耀介はダメだ。連れて行けない」
口の中で小さく呟き、悠太は急いで頭をフル回転させる。
体育祭のあとの約束と言ってもいいようなものは、ぱっと思いついた限りでは、ほかにクラスのみんなでの打ち上げと、担任からのジュースの差し入れといったところだろうか。
「――! そうか、ジュース!」
また小さく呟くと、悠太は今度は担任の姿を探して運営席や教職員席に目を走らせる。クラスメートのところにはいないように見えていたので、いるならそのどちらかだろう。
「先生、一緒に来てください! お題がこれで、みんなで約束もしてる!」
その読みは見事に当たり、運営席でのほほんと借り物競争の様子を見ていた男性担任は、悠太に連れられるままに一緒にゴールを目指し、判定係にオーケーをもらうと「これじゃあ本当にジュースを差し入れなきゃならなくなるだろ」なんて、冗談めかして言う。
それに「思いついたのが先生からのジュースしかなかったんで……」と、こちらも冗談めかして返しながら、悠太はこれで、さっき咄嗟に感じた通り、耀介との約束は誰にも知られないままでいられたと内心でほっと胸を撫で下ろす。
担任との間では、クラス対抗リレーで一位を獲ったら、なんて条件があったけれど、実際に担任がその条件の通りにするつもりでいるかは、なかなかに怪しい。普段から明るく気さくで楽しい人柄の担任が体育祭を頑張った自分たちに何も用意していないとは考えにくく、冗談めかした言い方からも、ただ言ってみただけだというのがよくわかる。
そういうところがなんとなく耀介と似ていて、だから悠太は担任が好きだ。
「なんてお題だったの? 一瞬、こっちに走ってきそうな感じだったけど、悠太、急に運営席に行って担任を連れてっちゃうから、ちょっと気になって」
その後、担任に丁寧に礼を言って自分の団に戻ってくると、ちょうどリレーの招集がかかったらしくほかのメンバーと準備をはじめていた耀介がこちらに気づき、悠太の手の中にまだあるお題の紙を横からひょっこりと覗き込んできた。
「わあっ!」
「えー? そんなびっくりする?」
「いや、だって……」
「なんだよ、俺には見せられないの?」
思わず驚いた声を上げてしまったものの、悠太としては、はいこれ、と何の気なしに見せられるようなものではなかったので、咄嗟に耀介から隠してしまう。それに対して耀介はもちろん不服そうにするから、なんだかすごく悪いことをしている気分になってくる。
「……ほんとは真っ先に耀介が思い浮かんだけど、やっぱ嫌だなって思ったんだよ」
とはいえ、ただのお題に何をムキになっているんだと思われたくもなくて、悠太は手の中の紙を開いてお題を見せると、モゴモゴ言いながら耀介から顔を背ける。
リレーを頑張るご褒美にメレンゲクッキーを作ってくるという約束を楽しみにしているのは悠太も同じだし、もしかしたら悠太のほうがその気持ちは大きいかもしれない。耀介に喜んでもらいたくて体育祭の練習と並行して試作もしてしまうくらいには、悠太だってその約束を叶えられる来週の火曜日を待ち遠しく思っている。
恥ずかしいから試作のことは黙っておこうと思うけれど、だって耀介の憧れのメレンゲクッキーだ、できるだけ綺麗なものを作って渡したいと思うのは当然の心理だろう。
「あはっ。だから担任か。――ありがとね、悠太。俺も同じ。もし悠太が俺を連れて行こうとしたとしても、このお題ならきっと〝行かない〟って言ってた」
すると耀介が噴き出して笑い、続けて声の調子を柔らかく、わずかに甘くした。
「でも、もし俺を連れて行く理由が、担任とのジュースの約束の代表としてだったら、喜んで連れて行かれてたと思う。あー、でも、それならやっぱ担任のほうがいいか。クラスを代表して俺が行くより、本人を連れてったほうが判定係もジャッジしやすいだろうし、見てるとけっこうダメ出し食らってやり直してる人もいるみたいだし」
かと思えば、ちらと見ると顎に指を添えて何やらブツブツと分析しはじめたりもして、耀介はなんだか忙しい。それがわりと本気の顔だから、余計に先ほどの『きっと〝行かない〟って言ってた』という言葉が効いて、悠太は否応なしに頬や耳が熱くなった。
だって要は、あのときの〝俺はできるだけ長く、悠太とこうして月曜日の昼休みの試食会を続けたいって思ってるんだけど、悠太はそうじゃない?〟の答えを体現したようなものだ。その行動に対して耀介も、悠太との約束は誰にも知られたくないと思ってくれたからこそ出た『きっと〝行かない〟って言ってた』なんだろうと思うと、悠太は、耀介が近くにいるだけでも、どうしたらいいかわからないような気分になってしまって仕方がない。
耀介がとんでもない人たらしなのはわかっているつもりだし、それは〝自分が思ったことを素直に言っているだけ〟だということも、その通りだ。
だから〝気のせい〟に着地点を見つけて、あまり真正面から受け取らないようにと気をつけてきたけれど、今日はこれまでほとんど会話らしい会話をしていなかったからか、体育祭という空間や時間がそうさせているのか、ちょっと上手くいかない。
「――おーい、耀介。そろそろ行くぞー」
「おー」
そんなことを思っていると、絢斗に呼ばれた耀介がのんびりした調子で返事をした。
絢斗も足が速く、クラス対抗リレーのメンバーだ。ほかのメンバーと陣地を出ようとしてアンカーの耀介の姿がないと気づいたようで、少し離れたところから手招きしている。
「んじゃあ、まあ、ご褒美目指して走ってくるわ」
「あっ、ちょっ……」
すると去り際、耀介は悠太の手にあるお題の紙をひょいと奪った。
不意打ちすぎて反応できず、仕方なしに何なんだよと本人を見れば、その耀介は紙を丁寧に折り畳んでハーフパンツの尻ポケットに入れ、上からポンポンと軽く二度、叩く。
「……、……っ。が、頑張れ……っ!」
その仕草で、耀介の中での〝ご褒美〟が火曜日に持ってくる約束をしている手作りのメレンゲクッキーを指していると瞬時にわかった悠太は、胸にぐわっと込み上げてきた嬉しかったり幸せだったりする感情をひとまず飲み込むと、耀介の背中にそう声をかける。
感情のままに声をかけようとすれば、うっかりメレンゲクッキーのことを口走ってしまいそうで、それだけは絶対に嫌だったために、言葉に詰まったようになってしまった。
だってそうだろう。
わざわざお題の解釈を変えて担任とゴールしたのに、それじゃあ意味がない。
「おうよ! ちゃんと見てて!」
けれど、振り向いた耀介が本当に嬉しそうな顔で笑ったから、きっと言葉にできなかった部分まで上手くこちらの心情を汲み取ってくれたに違いなく、悠太もまた、そんな耀介を格好いいと思ったし、走る姿をしっかりと目に焼き付けておこうと思った。
そんな耀介の走りは圧巻と言うほかなく、後方からぐんぐん追い上げ、ゴール間際では一位との間にずいぶんあった距離がほぼゼロになるところまでの猛追を見せた。
結局、順位は二位だったものの、それまでの過程が何しろ格好いい。
第三走者の女子のメンバーと第四走者の絢斗との間でバトンパスが上手くいかずにもたついたところを他クラスの走者に抜き去られてしまい、そのまま順位を挽回できずに耀介にバトンが渡ったのだけれど、耀介はアンカーだけが走るトラック一周半の間に抜き去っていった他クラスのアンカーを何人も抜き返した。それだけでなく、ずっと一位を独走していたクラスにも、あともう少しのところまで迫るという爆発的な走りをした。
これを格好いいと言わずに、なんと言えばいいのだろう。
わっと歓声が上がる中、一躍ヒーローに躍り出た耀介は絢斗やほかのメンバーにもみくしゃにされながら、やっぱり太陽みたいにキラキラした笑顔で笑っていて、悠太はそんな耀介を自分の陣地から見つめて、心臓がキュッと絞られるような、切ない胸の痛みを覚える。
クラスのみんなで約束している担任からのジュースのため、というのも、もちろんあっただろうけれど、あの爆発的な猛追の一番の要因が、自分が作るメレンゲクッキーのためだと思うと、悠太はもう、胸がぎゅうぎゅうに切なくてどうしようもない。
――う、わ。なんだこれ……。
すると急速に体の奥から熱が生まれて、悠太はそんな自分に大いに戸惑う。
前までの照れくさかったり気恥ずかしかったりするものとは違うし、嬉しかったり幸せだったりするものとも違う、この柔く締めつけてくるような胸の痛みは一体、何だ。
「……っ」
そのとき、耀介が女子メンバーの一人の頭に軽く触れ、何やら宥めるように顔を覗き込む様子が目に入り、悠太の心臓は違う意味でキュッと締めつけられた。
どうやらバトンパスで上手く繋げなかった女子のようで、耀介に隠れているし、本人も俯いているからよくは見えないけれど、ひょっとしたら迷惑をかけてごめんと泣き出してしまったところを、耀介や周りのメンバーで慰めているのかもしれない。
悠太は、自分の前にあと二組と迫った順番をドキドキ、ハラハラした気持ちで待ちながら、どうか困るような難しいお題だけは引きませんようにと切に願う。
これまでの様子を見ていると、おそらく『校長先生』や『応援団の人』という簡単なお題から『彼氏または彼女』や『好きな人』という男子からも女子からも思わず歓声が上がるようなお題、はたまた『ぬいぐるみ』や『生徒手帳』なんていう、体育祭の場には持ってきている人なんていないだろう頭を抱えるようなお題が出ているようだった。
先発の人たちが、お題を見て自分の団の陣地や教職員席へ向かい、声を張り上げて一生懸命に借り物や借り人を探している姿は、見ているほうとしてはすごく楽しい時間だったりするけれど、実際に出場する身としては、やはり戦々恐々だ。
順番が近づいてくるにつれて、悠太はソワソワと落ち着かない。
そうこうしていると、いよいよ悠太が走る組となり、悠太も含めて五人が一斉にスタートした。周りに遅れないようにお題を目指し、目の前に置かれている紙を取る。
――え、これって……。
すると目に飛び込んできたのは『体育祭のあとに約束をしている人』というお題だった。
走って少し弾んでいる息を整えながら、書かれているお題の意味や意図を考え、反射的に自分の団の、自分のクラスメートが固まっている場所に目をやる。
これまで意外とそういう類いのお題が多かったことからも、悠太が引いたお題の意図はおそらく、告白やデートや、いわゆる恋愛事に関して〝体育祭のあとに約束をしている人〟を連れてこいという意味だろうと大方の察しはつく。
でも悠太には、そんな人はいない。
代わりと言ってはあれだけれど、真っ先に探したのは耀介の姿だ。
これから行われるクラス対抗リレーをめちゃくちゃ頑張るご褒美にリクエストのメレンゲクッキーを作ってくる、と約束をしていることも、れっきとした〝約束〟だということがまず頭に思い浮かんで、耀介を連れて、お題に沿った人や物を連れてきた、あるいは持ってきたかどうかをジャッジする判定係にそのことを説明すればゴールは簡単だと思った。
「……、……」
けれど同時に〝俺はできるだけ長く、悠太とこうして月曜日の昼休みの試食会を続けたいって思ってるんだけど、悠太はそうじゃない?〟という、あの甘さ増し増しの言葉が思い出されて、一歩、自分の陣地へ踏み出しかけた足が止まる。
約束をしてからの耀介がリレーの練習をすごく頑張っていたのも、モトと二人三脚の練習をしたり設営の手伝いに駆り出されたりしながら見ていたので、咄嗟に、この約束は誰にも知られたくないと気持ちが働いて、踏み出した足が止まった。
たとえゴールするためだとしても、むやみに他人に言いたくない。
もしかしたら耀介は特に何も感じないかもしれないけれど、もし逆だったなら、悠太はたぶん胸にモヤリとしたものを感じるだろうし、二人だけの約束だと思っていたのになんで言うんだよと、面白くないだろう。そんな軽い約束じゃないのに――なんて、まるでやきもちを焼いているかのような、そんな心境になるかもしれない。
……第一、こんなのは友達に対して持っていい感情なのかもわからない。
「耀介はダメだ。連れて行けない」
口の中で小さく呟き、悠太は急いで頭をフル回転させる。
体育祭のあとの約束と言ってもいいようなものは、ぱっと思いついた限りでは、ほかにクラスのみんなでの打ち上げと、担任からのジュースの差し入れといったところだろうか。
「――! そうか、ジュース!」
また小さく呟くと、悠太は今度は担任の姿を探して運営席や教職員席に目を走らせる。クラスメートのところにはいないように見えていたので、いるならそのどちらかだろう。
「先生、一緒に来てください! お題がこれで、みんなで約束もしてる!」
その読みは見事に当たり、運営席でのほほんと借り物競争の様子を見ていた男性担任は、悠太に連れられるままに一緒にゴールを目指し、判定係にオーケーをもらうと「これじゃあ本当にジュースを差し入れなきゃならなくなるだろ」なんて、冗談めかして言う。
それに「思いついたのが先生からのジュースしかなかったんで……」と、こちらも冗談めかして返しながら、悠太はこれで、さっき咄嗟に感じた通り、耀介との約束は誰にも知られないままでいられたと内心でほっと胸を撫で下ろす。
担任との間では、クラス対抗リレーで一位を獲ったら、なんて条件があったけれど、実際に担任がその条件の通りにするつもりでいるかは、なかなかに怪しい。普段から明るく気さくで楽しい人柄の担任が体育祭を頑張った自分たちに何も用意していないとは考えにくく、冗談めかした言い方からも、ただ言ってみただけだというのがよくわかる。
そういうところがなんとなく耀介と似ていて、だから悠太は担任が好きだ。
「なんてお題だったの? 一瞬、こっちに走ってきそうな感じだったけど、悠太、急に運営席に行って担任を連れてっちゃうから、ちょっと気になって」
その後、担任に丁寧に礼を言って自分の団に戻ってくると、ちょうどリレーの招集がかかったらしくほかのメンバーと準備をはじめていた耀介がこちらに気づき、悠太の手の中にまだあるお題の紙を横からひょっこりと覗き込んできた。
「わあっ!」
「えー? そんなびっくりする?」
「いや、だって……」
「なんだよ、俺には見せられないの?」
思わず驚いた声を上げてしまったものの、悠太としては、はいこれ、と何の気なしに見せられるようなものではなかったので、咄嗟に耀介から隠してしまう。それに対して耀介はもちろん不服そうにするから、なんだかすごく悪いことをしている気分になってくる。
「……ほんとは真っ先に耀介が思い浮かんだけど、やっぱ嫌だなって思ったんだよ」
とはいえ、ただのお題に何をムキになっているんだと思われたくもなくて、悠太は手の中の紙を開いてお題を見せると、モゴモゴ言いながら耀介から顔を背ける。
リレーを頑張るご褒美にメレンゲクッキーを作ってくるという約束を楽しみにしているのは悠太も同じだし、もしかしたら悠太のほうがその気持ちは大きいかもしれない。耀介に喜んでもらいたくて体育祭の練習と並行して試作もしてしまうくらいには、悠太だってその約束を叶えられる来週の火曜日を待ち遠しく思っている。
恥ずかしいから試作のことは黙っておこうと思うけれど、だって耀介の憧れのメレンゲクッキーだ、できるだけ綺麗なものを作って渡したいと思うのは当然の心理だろう。
「あはっ。だから担任か。――ありがとね、悠太。俺も同じ。もし悠太が俺を連れて行こうとしたとしても、このお題ならきっと〝行かない〟って言ってた」
すると耀介が噴き出して笑い、続けて声の調子を柔らかく、わずかに甘くした。
「でも、もし俺を連れて行く理由が、担任とのジュースの約束の代表としてだったら、喜んで連れて行かれてたと思う。あー、でも、それならやっぱ担任のほうがいいか。クラスを代表して俺が行くより、本人を連れてったほうが判定係もジャッジしやすいだろうし、見てるとけっこうダメ出し食らってやり直してる人もいるみたいだし」
かと思えば、ちらと見ると顎に指を添えて何やらブツブツと分析しはじめたりもして、耀介はなんだか忙しい。それがわりと本気の顔だから、余計に先ほどの『きっと〝行かない〟って言ってた』という言葉が効いて、悠太は否応なしに頬や耳が熱くなった。
だって要は、あのときの〝俺はできるだけ長く、悠太とこうして月曜日の昼休みの試食会を続けたいって思ってるんだけど、悠太はそうじゃない?〟の答えを体現したようなものだ。その行動に対して耀介も、悠太との約束は誰にも知られたくないと思ってくれたからこそ出た『きっと〝行かない〟って言ってた』なんだろうと思うと、悠太は、耀介が近くにいるだけでも、どうしたらいいかわからないような気分になってしまって仕方がない。
耀介がとんでもない人たらしなのはわかっているつもりだし、それは〝自分が思ったことを素直に言っているだけ〟だということも、その通りだ。
だから〝気のせい〟に着地点を見つけて、あまり真正面から受け取らないようにと気をつけてきたけれど、今日はこれまでほとんど会話らしい会話をしていなかったからか、体育祭という空間や時間がそうさせているのか、ちょっと上手くいかない。
「――おーい、耀介。そろそろ行くぞー」
「おー」
そんなことを思っていると、絢斗に呼ばれた耀介がのんびりした調子で返事をした。
絢斗も足が速く、クラス対抗リレーのメンバーだ。ほかのメンバーと陣地を出ようとしてアンカーの耀介の姿がないと気づいたようで、少し離れたところから手招きしている。
「んじゃあ、まあ、ご褒美目指して走ってくるわ」
「あっ、ちょっ……」
すると去り際、耀介は悠太の手にあるお題の紙をひょいと奪った。
不意打ちすぎて反応できず、仕方なしに何なんだよと本人を見れば、その耀介は紙を丁寧に折り畳んでハーフパンツの尻ポケットに入れ、上からポンポンと軽く二度、叩く。
「……、……っ。が、頑張れ……っ!」
その仕草で、耀介の中での〝ご褒美〟が火曜日に持ってくる約束をしている手作りのメレンゲクッキーを指していると瞬時にわかった悠太は、胸にぐわっと込み上げてきた嬉しかったり幸せだったりする感情をひとまず飲み込むと、耀介の背中にそう声をかける。
感情のままに声をかけようとすれば、うっかりメレンゲクッキーのことを口走ってしまいそうで、それだけは絶対に嫌だったために、言葉に詰まったようになってしまった。
だってそうだろう。
わざわざお題の解釈を変えて担任とゴールしたのに、それじゃあ意味がない。
「おうよ! ちゃんと見てて!」
けれど、振り向いた耀介が本当に嬉しそうな顔で笑ったから、きっと言葉にできなかった部分まで上手くこちらの心情を汲み取ってくれたに違いなく、悠太もまた、そんな耀介を格好いいと思ったし、走る姿をしっかりと目に焼き付けておこうと思った。
そんな耀介の走りは圧巻と言うほかなく、後方からぐんぐん追い上げ、ゴール間際では一位との間にずいぶんあった距離がほぼゼロになるところまでの猛追を見せた。
結局、順位は二位だったものの、それまでの過程が何しろ格好いい。
第三走者の女子のメンバーと第四走者の絢斗との間でバトンパスが上手くいかずにもたついたところを他クラスの走者に抜き去られてしまい、そのまま順位を挽回できずに耀介にバトンが渡ったのだけれど、耀介はアンカーだけが走るトラック一周半の間に抜き去っていった他クラスのアンカーを何人も抜き返した。それだけでなく、ずっと一位を独走していたクラスにも、あともう少しのところまで迫るという爆発的な走りをした。
これを格好いいと言わずに、なんと言えばいいのだろう。
わっと歓声が上がる中、一躍ヒーローに躍り出た耀介は絢斗やほかのメンバーにもみくしゃにされながら、やっぱり太陽みたいにキラキラした笑顔で笑っていて、悠太はそんな耀介を自分の陣地から見つめて、心臓がキュッと絞られるような、切ない胸の痛みを覚える。
クラスのみんなで約束している担任からのジュースのため、というのも、もちろんあっただろうけれど、あの爆発的な猛追の一番の要因が、自分が作るメレンゲクッキーのためだと思うと、悠太はもう、胸がぎゅうぎゅうに切なくてどうしようもない。
――う、わ。なんだこれ……。
すると急速に体の奥から熱が生まれて、悠太はそんな自分に大いに戸惑う。
前までの照れくさかったり気恥ずかしかったりするものとは違うし、嬉しかったり幸せだったりするものとも違う、この柔く締めつけてくるような胸の痛みは一体、何だ。
「……っ」
そのとき、耀介が女子メンバーの一人の頭に軽く触れ、何やら宥めるように顔を覗き込む様子が目に入り、悠太の心臓は違う意味でキュッと締めつけられた。
どうやらバトンパスで上手く繋げなかった女子のようで、耀介に隠れているし、本人も俯いているからよくは見えないけれど、ひょっとしたら迷惑をかけてごめんと泣き出してしまったところを、耀介や周りのメンバーで慰めているのかもしれない。
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