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■2.気づきはじめるメレンゲクッキー
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*
――自分ではああ言ってたけど、やっぱ自覚がないだけなんだよな、耀介は。
体育祭の余韻もそろそろ落ち着いてきた、六月中旬、とはいえ今日も休み時間になると学年を問わず耀介を見にクラスへやってきた女子たちに、だよなと心で大きく頷いた悠太は、机に頬杖をつくと窓の外に広がる梅雨入り間近の空へ目を向けた。
薄曇りの空をぼーっと眺めながら、やっぱり格好いいから見に来たいと思うよな、と悠太は彼女たちに同意する。同じ男の悠太から見ても、友達だからという贔屓目を抜きにして格好いいと思うのだから、彼女たちからすれば、なおさらだろう。
モトが言っていた通り、クラス対抗リレーでの爆発的な追い上げを見て心を鷲掴みにされた女子は多いようで、あれから耀介は一躍、学校の有名人になっている。
といっても、彼女たちのほとんどは、いわゆる〝推し活〟的な位置付けだ。
数人でやってきてはクラスの外から耀介を眺めてきゃーきゃー言ったり、三年の先輩女子たちは移動教室などで廊下を歩いていると、ちょっとした声をかけてきたりと、要は〝実際に会えるアイドル〟のような存在として耀介を見ている。
最初、耀介は、突如として注目を浴びはじめたことにひどく驚き、自分の身に何が起こったのか全くわからない様子で大いに狼狽えた。けれど、ははーんと勘付いた絢斗に『あのリレーを見せられたら……なあ?』とニマニマした顔で言われたことで察したらしく、困ったように笑いながら、仕方なしといった感じで徐々に受け入れていったようだった。
前に『モテるのは〝その一人からがいい〟』と言い切っていたように、耀介は、受け入れはしても、浮かれはしなかった。声をかけられたら返すし、手を振られたら笑顔を向けたりはするけれど、それがどんな種類のものかわかっている耀介は冷静だ。
こんなのは一過性のものなんだからすぐに元通りになる、というのが耀介の所見で、それとは少し違ってやや長引いてはいるものの、今はほぼ、元通りになっている。
「……」
それはともかくとして、悠太は窓の外から教室内へ視線を戻すと、ある人を探した。
――遠野さん。遠野さんは、いいの?
そう、心の中で、耀介を見に来た何人かの女子たちや、それを受けた本人の対応の様子を気にしないように頑張っている彼女に問いかける。
耀介から離れたところで友達と話している彼女は、その輪の中で普通に、いつも通りに楽しそうに笑っているけれど、悠太からすると、その姿こそが〝気になっている〟姿に見えてならなくて、だから、なんだかやけに気になってしまう。
話しかけに行かなくて〝いいの?〟とか、このままで〝いいの?〟とか、それで〝いいの?〟など、心の中で問いかけた〝いいの?〟には、いろいろな意味が含まれている。中でも悠太が特に思うのは、耀介の目に映らなくて〝いいの?〟だったりする。
とはいえ、耀介に本気で惚れた子は、その想いが本気であればあるほど、そう簡単には行動に移せないことは、彼女の様子を見ていて本当によくわかる。姿を見に来たり声をかけたり手を振ったり、それができるのは〝推し活〟だからだ。
彼女はそうじゃない。
そうじゃないから、いろいろな意味の〝いいの?〟が悠太の頭によく浮かぶし、やっぱり耀介は自分が誰かに本気で想われている自覚がないだけだと折に触れて思う。
「……、……」
俺は〝いい〟から――。
あんまり長く見ると変に思われそうで、心で呟くと悠太は机に伏せて寝たふりをする。
日直のモトは、もう一人の日直と一緒に数学の教科担任に呼ばれて提出していたクラス分のワークを取りに行っているし、先の通り、耀介は今日も自分の姿を見に来た推し活女子たちの相手をしている。それに悠太も、ふりとはいっても普通に眠い。
そんな〝ほかの何よりも守りたいもの〟の中で過ごす時間は大切で大事で、悠太に大きな安心感をもたらしてくれる。その中から外れたり踏み出したりせずに、誰とでも何でもないことで笑い合える関係でいることが、悠太が出した〝自分のするべきこと〟の答えだ。
だから俺は、これでいい。……これがいい。
目をつぶると五感を一つ制限したことで周りの声が一気にクリアになって、悠太はそのたくさんの声の中に自分が当たり前にいられることに、また大きく安心した。
*
翌週、月曜、昼休みの空き教室での試食会――。
「ふー……。どうにか落ち着いてよかったー。体育祭の前に中間テストがあったから、みんなちょっと、テストが終わった開放感を引きずってたんだろなー。嬉しくなかったわけじゃないけど、なんかずっと変な感じだった。はは……」
弱り切ったように笑ってそう言った耀介は、机に覆い被さるようにして大きな体を窮屈そうに折り曲げると、聞き取れるかどうかというくらいの本当に小さな溜め息をつく。
声の調子や口調は普段とさほど変わりないように聞こえたけれど、机に伏せる前の表情からも、きっと本音は、この小さな溜め息に乗っているのだろう。
とはいえ、これまで受けてきた好意にあからさまな溜め息をつくわけにもいかず、優しい耀介は本音を最小限に留めて、こうして主に精神的な疲れの回復に努めている。
こういうところが、見ているこちらとしてはイケメンだなと思うところなのだけれど、きっと本人は無意識なのだろう。頭を撫でてやりたいな、なんて悠太も無意識に思ってしまいながら、いやいやいやと慌てて脳内でその思考を追い払った。
友達としてなら、してもいい。
けれど、自分のするべきことがはっきりしたとはいえ、まだちょっと気持ちがそこまで追いついていない自覚があるうちは、絶対にしちゃいけないし、したくない。
「……んー、言い方はあれかもだけど、開放感でテンションが高くなってたところに耀介のあの走りがあって、それでさらにテンションが上がっちゃった、って感じ?」
急いで気を落ち着けると、悠太はひとまず、耀介の言葉を自分なりに言い換えてみることにした。耀介のこんな様子は友達付き合いがはじまって初めてだ。推し活女子たちにはすごく申し訳ないけれど、相当疲れたんだろうなと同情してしまう。
集団意識というか、集合意識というか、たくさんの人が集まれば妙なテンションになることはあるし、中間テストのキリキリした雰囲気や精神状態から一変して『体育〝祭〟』なんていう行事があれば、そこでこれまでのストレス的なものが一気に解放されるのは、成るべくしてなったことなのかもしれないと悠太は思う。
現に悠太も、テストが終わったらいっぱいお菓子を作るんだと、楽しみなことをモチベーションに辛いテスト期間を乗り切ることは、ままある。そして、テスト後に作ったお菓子が妙に気合いが入ったものになることも、何度も経験済みだからわかる。
それと似たようなことが、この前の体育祭で起こり、クラス対抗リレーで爆発的な追い上げを見せた耀介が、自分の意思とは関係なく、あれよあれよという間にその集団意識や集合意識を一手に引き受けることになってしまったと、そういうわけなのだろう。
「はは、そんな感じ。俺はただ、ご褒美のために走っただけだったんだけど、みんな美化しすぎだよね。自分で言ってて自意識過剰かよって思うけど、祭り上げられてる感じ? そういうのは俺には荷が重いっていうか、なんていうか……」
「前に耀介、モテるのは自分が好きな〝その一人からがいい〟って言ってたもんな」
「そう、それ。っはー……。でも、悠太だから言っちゃうけど、本当は疲れたー……」
「だよな。うん、お疲れ」
その一言に、悠太は耀介を労う気持ちをぎゅうぎゅうに詰める。
頭は撫でられないから、あまり重くならないように、でも、軽くもならないように、絶妙な塩梅で〝友達としての〟範疇を越えない程度の声の調子を意識する。
彼女たちはもちろん、本人をここまで疲労させるつもりはなかったはずだ。
それを感覚的にわかっていたから、耀介も自分なりに受け入れたり受け止めたりしながら、できる範囲での対応をして、落ち着くのを待っていたのだと思う。
……やっぱり頭を撫でてやりたくなったけれど、しないし、したらいけない。
「それにさ、これが俺には一番キツかったんだけど、悠太との月曜日の試食会も、しばらく先延ばしになっちゃってたし……。……ごめんね、悠太。気を使ってこっそり渡してくれたメレンゲクッキーさ、あれ、めちゃくちゃ美味しかった。もう一回、作ってくれる?」
その証拠、というほどでもないけれど、悠太の労いの言葉を素直に受け取ってくれたらしい耀介は、いまだに机に覆い被さったまま可愛らしいことを言う。
どうやら気に入ってくれたみたいで安心した。
ラインで感想はもらっていたし、彼女たちの推し活が落ち着いてくるまでは試食会はできそうにないねと連絡を取り合っていたから、それは別に構わないものの、こうして直接、感想を言ってもらって、かつ、またリクエストをもらえるのは嬉しい。
前のリクエストのときやリレー前後のときほど胸が騒がしくないのは、きっと、少しずつ自分のするべきことが体や頭に馴染んできたからだろうと思う。
頭を撫でたくなっても、そうしなかったことが、いい傾向かもしれない。
「耀介が謝ることじゃないって。また作ってくるから、今はゆっくり休んだらいいよ」
「ありがとー」
こんなに無防備な耀介をわざわざびっくりさせる必要なんて、どこにもない。
それはそうと、悠太は、本当にお疲れさまだったな、と耀介の形のいい頭を見つめながら改めて心で労いの言葉をかける。アイドルみたいだったぞ、なんて言ったら、ようやく戻ってきたいつも通りの学校生活に安心感を持ちはじめている耀介の気持ちに水を差すことになるだろうから、冗談でも口にはしないけれど、でも、本当にそうだった。
耀介がこぼした通り、昼休みの空き教室での試食会は、しばらくぶりだ。
体育祭の代休が明けた火曜日、普段と変わりなく登校すると校内がやけにざわついていて、悠太より少し遅く耀介が登校してきた途端、そのざわつきに一気に花が咲いた。
はじめは、当の耀介はもちろん、絢斗や悠太、モトやクラスのみんなも、なんでこんなに校内がざわついているんだろうと、さっぱり訳がわからなかった。けれど、勘のいい絢斗が、ははーんと気づいたことで、クラス全体が一斉に腑に落ちることとなる。
当然、耀介だけは最後まで納得できない様子だったものの、実際に『体育祭のリレー、めちゃくちゃ格好よかったです!』と、数人でやってきた女子に言われたことで、この花が咲いたようなざわつきは自分に対してのものだと嫌でも認識せざるを得なくなった耀介は、聞き取れるかどうかの小さな溜め息や、さっき『本当は疲れたー……』と本音を口にしたように、体育祭フィーバーとも呼ぶべき、それからの数週間を本当によく頑張った。
周りの様子がそんな感じだったため、約束していたメレンゲクッキーは、耀介が言った通りタイミングを見計らってこっそり渡した。見るからに味わったりのんびり食べたりできる状況ではなかったので、乾燥剤を入れたり、しっかり密閉してきたわけではなかった以上、早めに食べてもらうに越したことはないという、悠太の判断だ。
したがって、毎週月曜日の昼休みにしている試食会も落ち着くまでは中断したほうがいいだろうということになり、今日がしばらくぶりになった、というわけだった。
でも、かえってよかったのかもな、と悠太は思う。
耀介は『これが俺には一番キツかった』なんて嬉しいことを言ってくれたけれど、思いがけない形で長く頭を冷やす時間が取れたことで、耀介とのやり取りを真正面から受け取って、一人で照れたり気恥ずかしくなったりする自分を見つめ直すことができた。
一線を引く、ではないけれど、真に受けてしまう心にストッパーをかければ、甘さ増し増しの言葉も、むやみやたらに見せていい顔じゃない顔も、仕草や行動も、耀介から発せられる全部を穏やかに、緩やかに受け流せるんじゃないかと思った。
とはいえ、そのためにはやっぱり、それなりの時間が必要だった。
意図せず一躍、時の人になってしまった耀介には本当に申し訳ないなと常々思っていたものの、この数週間の中断は悠太にとって〝自分のするべきこと〟の軸を作る、いい機会になったことは言うまでもなく、徐々にではあるけれど、それがしっかりしてきた感覚もある。
――自分ではああ言ってたけど、やっぱ自覚がないだけなんだよな、耀介は。
体育祭の余韻もそろそろ落ち着いてきた、六月中旬、とはいえ今日も休み時間になると学年を問わず耀介を見にクラスへやってきた女子たちに、だよなと心で大きく頷いた悠太は、机に頬杖をつくと窓の外に広がる梅雨入り間近の空へ目を向けた。
薄曇りの空をぼーっと眺めながら、やっぱり格好いいから見に来たいと思うよな、と悠太は彼女たちに同意する。同じ男の悠太から見ても、友達だからという贔屓目を抜きにして格好いいと思うのだから、彼女たちからすれば、なおさらだろう。
モトが言っていた通り、クラス対抗リレーでの爆発的な追い上げを見て心を鷲掴みにされた女子は多いようで、あれから耀介は一躍、学校の有名人になっている。
といっても、彼女たちのほとんどは、いわゆる〝推し活〟的な位置付けだ。
数人でやってきてはクラスの外から耀介を眺めてきゃーきゃー言ったり、三年の先輩女子たちは移動教室などで廊下を歩いていると、ちょっとした声をかけてきたりと、要は〝実際に会えるアイドル〟のような存在として耀介を見ている。
最初、耀介は、突如として注目を浴びはじめたことにひどく驚き、自分の身に何が起こったのか全くわからない様子で大いに狼狽えた。けれど、ははーんと勘付いた絢斗に『あのリレーを見せられたら……なあ?』とニマニマした顔で言われたことで察したらしく、困ったように笑いながら、仕方なしといった感じで徐々に受け入れていったようだった。
前に『モテるのは〝その一人からがいい〟』と言い切っていたように、耀介は、受け入れはしても、浮かれはしなかった。声をかけられたら返すし、手を振られたら笑顔を向けたりはするけれど、それがどんな種類のものかわかっている耀介は冷静だ。
こんなのは一過性のものなんだからすぐに元通りになる、というのが耀介の所見で、それとは少し違ってやや長引いてはいるものの、今はほぼ、元通りになっている。
「……」
それはともかくとして、悠太は窓の外から教室内へ視線を戻すと、ある人を探した。
――遠野さん。遠野さんは、いいの?
そう、心の中で、耀介を見に来た何人かの女子たちや、それを受けた本人の対応の様子を気にしないように頑張っている彼女に問いかける。
耀介から離れたところで友達と話している彼女は、その輪の中で普通に、いつも通りに楽しそうに笑っているけれど、悠太からすると、その姿こそが〝気になっている〟姿に見えてならなくて、だから、なんだかやけに気になってしまう。
話しかけに行かなくて〝いいの?〟とか、このままで〝いいの?〟とか、それで〝いいの?〟など、心の中で問いかけた〝いいの?〟には、いろいろな意味が含まれている。中でも悠太が特に思うのは、耀介の目に映らなくて〝いいの?〟だったりする。
とはいえ、耀介に本気で惚れた子は、その想いが本気であればあるほど、そう簡単には行動に移せないことは、彼女の様子を見ていて本当によくわかる。姿を見に来たり声をかけたり手を振ったり、それができるのは〝推し活〟だからだ。
彼女はそうじゃない。
そうじゃないから、いろいろな意味の〝いいの?〟が悠太の頭によく浮かぶし、やっぱり耀介は自分が誰かに本気で想われている自覚がないだけだと折に触れて思う。
「……、……」
俺は〝いい〟から――。
あんまり長く見ると変に思われそうで、心で呟くと悠太は机に伏せて寝たふりをする。
日直のモトは、もう一人の日直と一緒に数学の教科担任に呼ばれて提出していたクラス分のワークを取りに行っているし、先の通り、耀介は今日も自分の姿を見に来た推し活女子たちの相手をしている。それに悠太も、ふりとはいっても普通に眠い。
そんな〝ほかの何よりも守りたいもの〟の中で過ごす時間は大切で大事で、悠太に大きな安心感をもたらしてくれる。その中から外れたり踏み出したりせずに、誰とでも何でもないことで笑い合える関係でいることが、悠太が出した〝自分のするべきこと〟の答えだ。
だから俺は、これでいい。……これがいい。
目をつぶると五感を一つ制限したことで周りの声が一気にクリアになって、悠太はそのたくさんの声の中に自分が当たり前にいられることに、また大きく安心した。
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翌週、月曜、昼休みの空き教室での試食会――。
「ふー……。どうにか落ち着いてよかったー。体育祭の前に中間テストがあったから、みんなちょっと、テストが終わった開放感を引きずってたんだろなー。嬉しくなかったわけじゃないけど、なんかずっと変な感じだった。はは……」
弱り切ったように笑ってそう言った耀介は、机に覆い被さるようにして大きな体を窮屈そうに折り曲げると、聞き取れるかどうかというくらいの本当に小さな溜め息をつく。
声の調子や口調は普段とさほど変わりないように聞こえたけれど、机に伏せる前の表情からも、きっと本音は、この小さな溜め息に乗っているのだろう。
とはいえ、これまで受けてきた好意にあからさまな溜め息をつくわけにもいかず、優しい耀介は本音を最小限に留めて、こうして主に精神的な疲れの回復に努めている。
こういうところが、見ているこちらとしてはイケメンだなと思うところなのだけれど、きっと本人は無意識なのだろう。頭を撫でてやりたいな、なんて悠太も無意識に思ってしまいながら、いやいやいやと慌てて脳内でその思考を追い払った。
友達としてなら、してもいい。
けれど、自分のするべきことがはっきりしたとはいえ、まだちょっと気持ちがそこまで追いついていない自覚があるうちは、絶対にしちゃいけないし、したくない。
「……んー、言い方はあれかもだけど、開放感でテンションが高くなってたところに耀介のあの走りがあって、それでさらにテンションが上がっちゃった、って感じ?」
急いで気を落ち着けると、悠太はひとまず、耀介の言葉を自分なりに言い換えてみることにした。耀介のこんな様子は友達付き合いがはじまって初めてだ。推し活女子たちにはすごく申し訳ないけれど、相当疲れたんだろうなと同情してしまう。
集団意識というか、集合意識というか、たくさんの人が集まれば妙なテンションになることはあるし、中間テストのキリキリした雰囲気や精神状態から一変して『体育〝祭〟』なんていう行事があれば、そこでこれまでのストレス的なものが一気に解放されるのは、成るべくしてなったことなのかもしれないと悠太は思う。
現に悠太も、テストが終わったらいっぱいお菓子を作るんだと、楽しみなことをモチベーションに辛いテスト期間を乗り切ることは、ままある。そして、テスト後に作ったお菓子が妙に気合いが入ったものになることも、何度も経験済みだからわかる。
それと似たようなことが、この前の体育祭で起こり、クラス対抗リレーで爆発的な追い上げを見せた耀介が、自分の意思とは関係なく、あれよあれよという間にその集団意識や集合意識を一手に引き受けることになってしまったと、そういうわけなのだろう。
「はは、そんな感じ。俺はただ、ご褒美のために走っただけだったんだけど、みんな美化しすぎだよね。自分で言ってて自意識過剰かよって思うけど、祭り上げられてる感じ? そういうのは俺には荷が重いっていうか、なんていうか……」
「前に耀介、モテるのは自分が好きな〝その一人からがいい〟って言ってたもんな」
「そう、それ。っはー……。でも、悠太だから言っちゃうけど、本当は疲れたー……」
「だよな。うん、お疲れ」
その一言に、悠太は耀介を労う気持ちをぎゅうぎゅうに詰める。
頭は撫でられないから、あまり重くならないように、でも、軽くもならないように、絶妙な塩梅で〝友達としての〟範疇を越えない程度の声の調子を意識する。
彼女たちはもちろん、本人をここまで疲労させるつもりはなかったはずだ。
それを感覚的にわかっていたから、耀介も自分なりに受け入れたり受け止めたりしながら、できる範囲での対応をして、落ち着くのを待っていたのだと思う。
……やっぱり頭を撫でてやりたくなったけれど、しないし、したらいけない。
「それにさ、これが俺には一番キツかったんだけど、悠太との月曜日の試食会も、しばらく先延ばしになっちゃってたし……。……ごめんね、悠太。気を使ってこっそり渡してくれたメレンゲクッキーさ、あれ、めちゃくちゃ美味しかった。もう一回、作ってくれる?」
その証拠、というほどでもないけれど、悠太の労いの言葉を素直に受け取ってくれたらしい耀介は、いまだに机に覆い被さったまま可愛らしいことを言う。
どうやら気に入ってくれたみたいで安心した。
ラインで感想はもらっていたし、彼女たちの推し活が落ち着いてくるまでは試食会はできそうにないねと連絡を取り合っていたから、それは別に構わないものの、こうして直接、感想を言ってもらって、かつ、またリクエストをもらえるのは嬉しい。
前のリクエストのときやリレー前後のときほど胸が騒がしくないのは、きっと、少しずつ自分のするべきことが体や頭に馴染んできたからだろうと思う。
頭を撫でたくなっても、そうしなかったことが、いい傾向かもしれない。
「耀介が謝ることじゃないって。また作ってくるから、今はゆっくり休んだらいいよ」
「ありがとー」
こんなに無防備な耀介をわざわざびっくりさせる必要なんて、どこにもない。
それはそうと、悠太は、本当にお疲れさまだったな、と耀介の形のいい頭を見つめながら改めて心で労いの言葉をかける。アイドルみたいだったぞ、なんて言ったら、ようやく戻ってきたいつも通りの学校生活に安心感を持ちはじめている耀介の気持ちに水を差すことになるだろうから、冗談でも口にはしないけれど、でも、本当にそうだった。
耀介がこぼした通り、昼休みの空き教室での試食会は、しばらくぶりだ。
体育祭の代休が明けた火曜日、普段と変わりなく登校すると校内がやけにざわついていて、悠太より少し遅く耀介が登校してきた途端、そのざわつきに一気に花が咲いた。
はじめは、当の耀介はもちろん、絢斗や悠太、モトやクラスのみんなも、なんでこんなに校内がざわついているんだろうと、さっぱり訳がわからなかった。けれど、勘のいい絢斗が、ははーんと気づいたことで、クラス全体が一斉に腑に落ちることとなる。
当然、耀介だけは最後まで納得できない様子だったものの、実際に『体育祭のリレー、めちゃくちゃ格好よかったです!』と、数人でやってきた女子に言われたことで、この花が咲いたようなざわつきは自分に対してのものだと嫌でも認識せざるを得なくなった耀介は、聞き取れるかどうかの小さな溜め息や、さっき『本当は疲れたー……』と本音を口にしたように、体育祭フィーバーとも呼ぶべき、それからの数週間を本当によく頑張った。
周りの様子がそんな感じだったため、約束していたメレンゲクッキーは、耀介が言った通りタイミングを見計らってこっそり渡した。見るからに味わったりのんびり食べたりできる状況ではなかったので、乾燥剤を入れたり、しっかり密閉してきたわけではなかった以上、早めに食べてもらうに越したことはないという、悠太の判断だ。
したがって、毎週月曜日の昼休みにしている試食会も落ち着くまでは中断したほうがいいだろうということになり、今日がしばらくぶりになった、というわけだった。
でも、かえってよかったのかもな、と悠太は思う。
耀介は『これが俺には一番キツかった』なんて嬉しいことを言ってくれたけれど、思いがけない形で長く頭を冷やす時間が取れたことで、耀介とのやり取りを真正面から受け取って、一人で照れたり気恥ずかしくなったりする自分を見つめ直すことができた。
一線を引く、ではないけれど、真に受けてしまう心にストッパーをかければ、甘さ増し増しの言葉も、むやみやたらに見せていい顔じゃない顔も、仕草や行動も、耀介から発せられる全部を穏やかに、緩やかに受け流せるんじゃないかと思った。
とはいえ、そのためにはやっぱり、それなりの時間が必要だった。
意図せず一躍、時の人になってしまった耀介には本当に申し訳ないなと常々思っていたものの、この数週間の中断は悠太にとって〝自分のするべきこと〟の軸を作る、いい機会になったことは言うまでもなく、徐々にではあるけれど、それがしっかりしてきた感覚もある。
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